Amazon救済 2008年分 3

原著から第三部を完全改竄した不誠実な本。, 2008/11/26

国家の崩壊―新リベラル帝国主義と世界秩序

国家の崩壊―新リベラル帝国主義と世界秩序

 本書の日本版は不誠実な本である。そしてそれは、第三部を全面的に差し替えた著者の不誠実さである。

 そもそも本書は、プレ近代、近代、ポスト近代という枠組みありきで議論が展開し、何がその変化をもたらすかという原因の考察がないか、あっても倒錯している。たとえば植民地主義や領土拡張は国内の人口成長圧力が大きな要因。だから先進国で国境政治の意義が薄れてポスト近代化する原因の一つは人口減少だ。ところが本書は何と因果関係を倒錯させ、人口減少が政治的変化の結果だとする変な議論を持ち出す。その他、経済的要因に対する考察がきわめて浅く、根本の議論の説得力も一部は疑問。ソ連崩壊が、経済要因ではなく外交圧力によるものとでもいいたげな記述はひどいと思うし。そして最終的には「もっと相互理解を」「もっと話し合おう」という結論で外交官の我田引水的な印象も大いにある。

 だが最大の問題は第三部。原著では、EUもちゃんと軍事力があるというのが主張となっている。だから必要な時には戦争すべきであり、アメリカだけが意味ある軍事力を持つとするネオコン的な発想に対して、EUだって軍事力を行使できるし、アメリカの守護に甘んじずに積極的にそうすべきだ、という主張。原著の最終章の結論は、EUは通貨統合に続いて安全保障の統合と軍事統合を行うべきだ、というもの。そしてそれがあるからこそ本書は本国で、タカ派ハト派の橋渡し、としてほめられている。

 それがこの日本版は、その部分を全面差し替えし、アメリカ一極ではそろそろたちゆかないという理念の記述だけに終始。アジアの軍事バランスの話題に向かうのを避けたかったんだろうが、改竄としてあまりに不誠実。そして訳者も、それについて後書きで言及するだけの誠意があってもよかったのでは?

え、プラナリアの実験もちがうの?!!, 2008/11/14

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

 他のレビューにもあるとおり、心理学の世界でしつこくはびこるインチキな伝説や実験をまとめて反駁してみせた、たいへんにおもしろい本。どれもみんな漠然と聞いたことはあったけれど、あたらめてその成立事情や流布の状況を説明され、そのおかしい部分を解説されると読み物として実に楽しい(すぐに増刷されているのもうなずける)。いくつかは、ウソだということさえ知らなかった(プラナリアの学習実験は本当だと思っていた! とはいえこれはウソというより解釈の問題のようだが)

最終章で、「心理学は新しい学問だから」という(百年前の本の孫引きによる)弁明をやめようという著者の心意気は立派。もうそろそろ成熟した分野として、ゴミは切り捨てて、後ろ暗さのない学問になろうぜ、という主張には感心するし、本書はそれに十分貢献していると思う。

ただし……8章にスキナーが娘を箱に入れて条件付けして育てたという話が出てくるけれど(p.201)、実はこれも心理学の都市伝説だという強い説がある。ちなみに、そうした冷たい機械的な条件付けを受けた娘さんは精神異常になって自殺した、というバージョンまで流布して行動主義批判に持ち出されたりしているが、実はまったくのウソらしい(図8.5に出ているのは実はただのベビーサークルもどきらしい。商業化されるときにスキナーの名前が利用された可能性はあるが)。娘さんはふつうに暮らしているし、別に条件付けをされたわけでもないとのこと(父親の思想が変に歪められて喧伝されているのに心を痛めていたそうな)。このようにまだまだこの分野の都市伝説はたくさん残っているので、こうした話も真偽を確認して、是非とも続編を書いてほしい。期待してます。

(付記:増刷分ではスキナーの話はきちんと訂正されている。えらい!)

貧乏なつもりのお金持ちによるオリエンタリズム充満載のイタい旅行記。, 2008/11/10

マルーシの巨像 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

マルーシの巨像 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

 ロレンス・ダレルの招きで、ヘンリー・ミラーギリシャ旅行をしたときの旅行記。アメリカの繁栄と物質主義のおかげで仕事もせずにギリシャ旅行ができる優雅なご身分のミラーが、貧しいギリシャの村人に対してアメリカはダメだ、物質文明は堕落している、貧しいほうがいい、オレは貧乏だと得意げに吹聴して回り、それがいかに滑稽で馬脚むき出しかを自覚せずに自分の発言に酔いしれている様は、哀れみを催すしかない。その一方で小銭でギリシャ人どもをこき使えるのを自慢してみせるのは、ひたすらイタい。

 そういうところをなるべく見ないようにしつつ(といってもそれが半分以上なのでなかなかむずかしいが)読み進めると、漫然とした語りや自動書記じみた脱線の中に、かれがギリシャに感じた精神的な高ぶりがうかがえて楽しめるのだが、一方でそれは単にミラーが自分の妄想を勝手に投影しただけのオリエンタリズムの一種でもある。訳者解説は、いっしょうけんめい現代思想を引き合いに出す割には、そうした面にはまったく目が向いていないのか、あるいは営業上の配慮でそれを書かなかっただけなのか。ダレルのイスロマニア系の諸作に比べて、筆致の華麗さにも欠け、また短期の旅行記なので視点も浅く、刺激には欠けるが、ミラーの他の作品よりも大仰な自分語りは抑えがちなので読みやすい部分もある。

本書でぼくが好きなエピソード。アメリカで、ミラーが乞食に小銭をせがまれて、黙って断ればいいものを自分がいかに貧しくてあげられる小銭もないかを弁解したところ、その乞食にせせら笑われて、だれだって人にやれる小銭くらいあるのだと言われ、逆に10セントめぐんでもらったとか。ミラーはそれが何やらいい話だと思っているのだが、自分のケチさ加減とそれについての弁明の空疎な嘘さ加減とが乞食にも見透かされているのがわからないのが、ミラーのだめなところ。でも、それがかれの他の作品における持ち味にもつながっているのがむずかしいところではある。

「読む」という行為が脳に与える影響を描き、文明変革まで見通す希有な名著!, 2008/11/10

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

 へんてこな題名の本書は一言でいえば「読む」という行為に関する本だ。読書論は、自足しきったジジイの夜郎自大な書斎談義になったり、「最近の若者は本を読まない」的な文化人の愚痴でしかなかったりする。でも本書はそんなのとはまったく異なる、本がいかに人間を変えたかを縦横に描き出した、コンパクトながら実に壮大な本だ。

 大人はごく自然に物を読む。だから読書というのを、単に透明な情報獲得手段として考えてしまいがちだ。だが実際には、それは多大な苦労を経て習得された技能だ。その過程で脳は歴史的にも大きな変化を強いられ、比喩ではなく「読書脳」となる。その読書脳が多くの人に共有されたことで、逆に人間の文化と文明も大きく規定されたのだ。

 本書はその有様を進化学、脳科学言語学、文学、教育学などを自由自在に使って説明する。物を読むときの脳の働きは分析が進んでいる。英語と日本語での脳の働きの差や、古代人の脳や子供の言語習得の解説はきわめて刺激的。読むことで脳は他の視点と時間の中で深く思考できるようになる!

 そうした読む喜びを描き出す一方で、本書は読む悲しみをも示す。その例が失読症の人々だ。エジソンピカソなど多くの失読症者は、別の才能を高度に発達させていることが多い。人々は、読む能力と引き替えにそうした才能を失ってしまったのだ。

 そしていま、ネットで人々の情報環境は変わりつつある。ネット等は、従来の読む行為を破壊する可能性もある。その不安を著者は率直に述べる。だがそれをさらに深める可能性も持っているのだ。本書はこの両方の可能性をわかりやすく描き出す。そして最後には、人類が文章を超越する可能性にまで思いをはせる……

 すごい。読むうちに本書は様々に様相を変え、あなたは予想外のことに思いを馳せているはずだ。そしてそれでいいのだ、と本書は語る。「読書の目標は、(中略)最終的には書かれた文章と無関係な思考に到達するところにあるのだ」から。本書で是非ともそれを体験されんことを! それは今後のあなたの読書そのものに、一段と深みを与えるだろう。

地球の重要問題と解決策に、専門家の合議で優先順位をつける希有で重要な試み, 2008/11/7

五〇〇億ドルでできること

五〇〇億ドルでできること

 ロンボルグによるコペンハーゲン・コンセンサスの要約版。要約でも、世界の各種問題についてその道の第一人者が費用便益分析を行ったもとの論文とそれについてのコメント、それをもとに経済学者がつけた、世界が取り組むべき解決策のランキングが簡潔にまとまっている。

 これの特徴は、これが問題の深刻さを順位づけるものではなく、解決策として取り組むべき順位をつけたものだということ。どんなに問題が深刻でも、まともな解決策がなければそれは低い順位になる。その結果でいちばんの話題になったのは、排出削減による地球温暖化対策のランキングが最下位になったことだった。排出削減推進派は、これは結果が歪んでいるとか、意図的に過少な見積もりをしているのではとか、根拠レスなかんぐりをいろいろして批判をしたのだが、本書を読むと、排出削減による費用便益分析をしたクライン(炭素削減論大支持派)は、過少評価どころか過大推計をしているようだ。将来の費用便益を現在価値に直すときに、割引率をゼロにして、かわりに消費との比率で限界価値が決まる変わった割引を使っている(p.30)。この論文に対する批判もそこに集中している。そして、それだけ過大に評価しても、排出削減は最下位でしかなかったのがよくわかる。エイズマラリア対策や栄養失調対策や貿易自由化といった地道なことがやっぱいちばん重要なのだ。

 翻訳は、きちんとしているし問題なし。ただ温暖化が低い順位になったことについて、訳者は将来価値を割り引くからだ、という解説をしているが(p.223)、上に述べた通り本書では必ずしもそれはあてはまらない。掲載論文ではそれを考慮して別の考え方を使っている(批判は受けているが)。自分で訳してるんだから、そういうところはまちがえないでほしいなあ。でも、それが訳文を歪めたりはしていないのが救い。

 拙訳『地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す』でもたくさん引用されているので、議論の中身を確認したい人は是非どうぞ。絶望だ破滅だと騒ぎ立てて、役にたたないものに金を使うより、本当に有効なことに少ないお金を使いたいと思う人は必読。

アメリカの工学系の理系必携のなんでも載ってるポケットバイブル!, 2008/11/4

Pocket Ref

Pocket Ref

これってアメリカのDIY系工具屋でしか売ってないものだと思っていたので、アマゾンで買えるとは気がつかなかった! 周期律表から天気図から回路記号から、石の硬度や木の強度、楕円の面積の公式や三角関数表、割引率表、米軍の階級章、のこぎりの刃の規格、金属パンチのバリ、金属パイプの規格、ロープやチェーンの耐加重、アーク溶接の電圧、ボルトの太さとそのための穴の径、緊急医療や薬のイロハ、車の燃費やスパークプラグの規格、単位系換算や電話の地域コードまで、とにかく何でも出ているすごい本。それが文庫本より小さいポケットサイズで、768ページにつめこまれている。工作系の人間なら持っていないとモグリと言われる、真のバイブル。ディスカバリーチャンネルの名番組 Mythbusters でも、主役たちは何かを作るときにしょっちゅうこれを参照している。日本で言えば理科年表みたいなものだけれど、理科年表みたいなオベンキョーのための本ではなく、ひたすら実用性重視。安いし手軽だし、一家に一冊是非どうぞ。英語版だけど、基本は表ばかりなのであまり関係なし。

気軽に読める楽しい本。ただしアリの話は70本ほどの一つでしかないのでご注意。, 2008/11/4

働きアリの2割はサボっている―身近な生き物たちのサイエンス

働きアリの2割はサボっている―身近な生き物たちのサイエンス

見開き2ページずつで、いろんな生き物についての小ネタをまとめた気軽なエッセイ集。もともと新聞のコラムなので、特にむずかしい話はなく、楽しくふうがわりな生物たち(特に昆虫、両生類、植物)のおもしろい習性などを紹介しています。ぱらぱら流し読みにむいた、疲れないえっせいで、小中学生でもそんなに苦労せずに楽しめるよい本。

ただし、タイトルになっている「働きアリの2割はさぼっている」という話ですが、一説によるとこれは都市伝説で、実際にはそんなことはないという人もいます。そこらへんどうなのか、本書のタイトルを見て何か説明があるのではと思って買ったのですが、残念ながらそういうのはなし。詳しいつっこみや検証が期待できる本ではないし、そもそもアリだけの本ではないので、そのへんはご注意を。

幅広く扱っているのだが焦点がなく散漫なのが残念。, 2008/10/31

乱れる (テクノライフ選書)

乱れる (テクノライフ選書)

この書名で検索すると、エッチな本がたくさん挙がってくるけれど、本書は全然そういうことはなく、自然科学における各種の「乱れ」を解説した本。乱流、カオス理論、ランダムウォーク流体力学、そして各種の短歌に詠われた乱れと、扱う対象は幅広いし、どれも読みやすくわかりやすいのだけれど、それぞれのテーマを一通りざっと解説するだけにとどまり、読者は「それで?」と取り残される。全体として何か主張があるとかストーリー的な流れがあるわけでもなく、散漫なままにとどまっていて訴求力に欠ける。

たぶん欧米の科学啓蒙書なら、まずつかみとなる歴史上のエピソード(それこそ「乱れる」エッチな話とか)をどーんと持ってきて、その後の話をどれもそのテーマにつなげて、最後に乱れを排除しようとする現代文明の危うさみたいな話で問題提起をしつつ締めるような構成にしただろう。最後に短歌の話をもってきたのは、そういうのをちょっと意図したところもあるんだろうが、でもそれが必ずしもうまく他と関連していないのは、日本の啓蒙書にありがちではあるんだけれど、残念。悪い本ではないんだけれど。

一瞬の流行だが、歌詞カードにも使い捨て感覚充満, 2008/10/27

ザ・グレイテスト

ザ・グレイテスト

中古CD屋で見かけてなつかしくて買ったが、デビュー曲 Bouffant Headbutt の歌詞カードを見ても曲が全然聞き取れてなくて、「You ain’t so sweet」と言っているのを「Your eyes are sweet」にまちがえるなど、まるっきり反対のニュアンスにしてしまって平気で、この子たちの売り出しコンセプトすら踏みにじって平気で、落ち穂拾いのベスト盤にいたるまでそれをなおしてあげる手間すらだれもかけていないあたり、その場限りの使い捨てアイドルでまったく大事にされてなかったのがよくわかる。とはいえ、日本の歌詞カードなんて大半がそんなものだといえばそれまでだが。そしてTatuとかこの手の女の子バンドの宿命だといえばそれまでだが。

 とはいえ、嫌いじゃないんだよね。中古CD屋で300円くらいなら出していいくらい。

力作だがいまさらリアリーについて知ってどうする? 無駄な労作。, 2008/10/23

Timothy Leary: A Biography

Timothy Leary: A Biography

基本的な論調としては、リアリーは父親によるDVでかなり精神的に変だった、という話になります。そしてその父から受け継いだアル中の気が強く、不安定で身勝手なナルシストだった、という話です。奔放な魅力はあったもののわがままで権力志向が強く、このため家庭は次々に崩壊、また人の話をきかないために所属した/率いた組織も次々に崩れ去り、あらゆる失敗の責任をとらずに何でも他人(または政府や警察)のせいにして人生すべて焼き畑農業、LSDの研究もかなりお粗末な代物でしかなかったという、まあそうだろうなあという内容になっています。

後半生は、自分がかつての有名な存在から過去の人へと転落して生計すらたてられない状態になっていて、アル中ぶりがさらに悪化。そういう自分の状態をなんとか改めようとしては失敗を繰り返していた、という状態がずっと描かれます。まあその通りではありました。

巻末に著者が言われたこととして「リアリーを好きな人はこの伝記を毛嫌いするだろうし、リアリーが嫌いな人はそもそもこんな本を読まないだろう」というのが書いてあって、その通りの本です。リアリーの新しい面が出ているといえば出てはいますが、一方でかなり予想通りでもあります。各種周辺の関係者の行動も、そーんなに意外なものではありません。労作ではあるんですが……大山鳴動して鼠一匹というか、そんな感じです。

リアリーが反体制のヒーローで、権力につぶされた悲劇の偉人だと思っている人は、読んで益があるかもしれませんが、自伝や著作を読んで夜郎自大ぶりに辟易したことのある人なら「やっぱりね」というところ。そしてそれ以前に、いまさらリアリーについて何か知ったところで、何一つ役にたたないというのが正直なところ。力作ですが、無駄な労作でしかありません。

保守派は進化不足の劣等生物、らしいぞ。, 2008/7/4

The Political Mind: Why You Can't Understand 21st Century American Politics With an 18th Century Brain

The Political Mind: Why You Can't Understand 21st Century American Politics With an 18th Century Brain

我が国でも澤口某などで見られたように、脳科学がしばしばその学者の卑近な価値観と結びついて濫用されがちだという典型。

革新=民主的 =共感ベース=博愛的=先進的=正しい=新しい脳の派 保守=反民主的=私利ベース=利己的=後進的=ダメダメ=古い脳の一派

というとんでもない図式を作り上げて、保守が強いのは脳の古い部分、人間の動物的な部分に訴える脅しとか利己的根性とかにうまく働きかけているからなんだとか。人間の新しい脳の働きである博愛や協調やすべてとの結びつきといった感覚をうまく援用すれば政治的にも勝てる、とかいう……

利己的なエージェントでも協力が生み出されることは言うまでもないし、新しい脳の人々だって、状況次第でいくらでも利己的にもなるでしょうに。もちろん革新な人たちだって、脅しは使うし身勝手なやつもいくらだっている。保守派が保守的なのは脳が進化していないからだといわんばかりの議論はもう絶望的。そしてこれがホントならどうする? 脳の古いヤツを皆殺しにするわけにもいかないでしょ。共感と博愛に満ちた新しい脳の人たちにはそんなことできませんよねえ……でもこの論調だと本当にそんな議論が出てきそうで怖い。

アマゾン救済: 2008年分 2

堅実な科学技術評価に基づく悲観的な人類の未来。だが翻訳は残念。, 2008/9/30

 科学技術の進歩と人類の将来について、いろいろな視点から分析してみせた本。人間性はある前提となる環境の中でこそきちんと発達して望ましい形になるが、バーチャル技術やロボット技術やバイオ技術はその環境そのものをいくらでも変えられるようにしてしまう。すると刹那的な扇情に基づく流行、テロ、自閉だけが伸び、いまの個人性といったものは消え、すべては集団性の中に飲み込まれるのではないか、という悲観的な結論。だがこの見方は、スタニスワフ・レムやルロワ=グーランとも共通するものであり、やはりそうか、という気がするが、各方面での科学技術の発達をきちんと把握した上での議論展開は堅実であり、刺激に富む。

 ただし翻訳は、あまりよい評価をあげられない。「ブリトニー・スペアース」「スタンレィ・ルブリックの映画『2001年宇宙の旅』」(ルブリックってだれ?)「Who博士を追うDaleks」「人形劇Thunderbirds」と、ポピュラー文化はほぼ全滅。J.B.S.Haldaneは、ふつうはホールデンと表記されると思うし、イカロスの父ダエダラスって、ダイダロスでしょ。オーウェル『1984年』の「偉大なる兄弟」って、編集者がせめてつっこんであげてはどうでしょうか? (注:既存の新庄訳で偉大なる兄弟になっているので、ここは仕方ないかも) またそれ以外にも各種表記や表現の異様な古くささや、直訳丸出しの翻訳は読みにくいことおびただしい。もう少し気軽な読みやすい啓蒙書のはずが台無し。もったいない。意味をとりちがえているところがあまり見られないのはせめてもの救い。

支離滅裂。, 2008/9/10

支離滅裂でまったく理屈の通っていない変な本。デフレのときにインフレターゲットを設けると、かえってデフレが促進されてしまうという変な理屈をこねてインフレターゲットを否定しつつ(ついでに、デフレの時にはデフレターゲットとかいうわけのわからない話を検討しているのも、この人ホントにわかってるのかいな、という感じ)、最後にはゲゼルの提唱したマイナス金利つき貨幣をほめそやしてみせる。デフレ下でインフレターゲットを設けるのは実質金利をマイナスにするための手法でもあるので、片方をほめて片方を否定するのはカナーリ理屈がおかしいんですけど。

経済を貨幣の本質とは何かという問題までさかのぼって根源的に考えたというんだが、本質にさかのぼったからといって理解が深まるわけではないという見本。

温暖化の経済学の権威による、バランスのとれた温暖化対策のすすめ。, 2008/8/9

温暖化の経済モデルでは右に出る人のいないノードハウスによる、地球温暖化の経済シミュレーション。結果はタイトル通り、あまり無茶な排出削減してもしょうがないから、バランスのとれた政策しようぜ、というもの。ロンボルグを読んだ人なら、ほぼ同じ結論です、というよりロンボルグがノードハウスの結果を参照しているので、こちらが本家です。

温暖化は起きているし、それは世界に各種の被害をもたらすかもしれないけれど、でも排出削減のものすごい費用をかけるほどではないから、炭素税くらいを考えるべき、という話。

温暖化の経済モデルについて知りたい人には格好の入門書(ついでにモデルそのものはノードハウスのウェブから入手可能)。ロンボルグの本よりちょっと専門的だけれど、素人でも十分読める範囲。こうしたモデルの考え方や限界についても詳しいし、でも限界はあっても、その中で現実的に可能な選択肢の検討は十分に意味がある、ということもわかる。あと、肩書きに弱い人(ロンボルグは専門家じゃないから信用できないとかいう人が多い)も、ノードハウスの言うことなら一目おいてくれるでしょう。手短だし、ちょっと地味だけれどいい本です。

科学者の自己陶酔した自伝がうざったく、タイムマシンもかなりの大風呂敷。, 2008/8/8

時間と空間を四次元でまとめて扱うといろいろすっきり記述できるけれど、時間だけ一方向に行き来できないのはなぜかというのは昔からの物理学の問題で、著者はそれをあれやこれやでうまく記述して、レーザーでループを作ると空間が歪んで時間が止まるんだ、という理論を編み出し、それを実際に稼働させるあたりまできたとかこないとか(特許は取ったらしい)

でもこの「タイムマシン」は、そのループの中で時間を止めるだけで、別に好きな時代にいけるわけじゃないんだって。スイッチ押した時点で止まるだけですね。しかも、その中では時間は止まっているので、まあウラシマ効果とブラックホールに落ちたときの時間の延びを使った瞬間冷凍みたいなもんですな。別に死んだお父さんと再会できたりはしませんし、過去に戻ってやりなおすこともできない。その中に(レーザーを突破して)入っても、主観的には何も起きないようで、外から見るとその場で動かなくなるだけらしい。あんまりうれしくないタイムマシン。

そして、全編とにかくこの科学者の自分語りの伝記仕立て! 生い立ち、幼くして父をなくしたけどがんばって、就職したけど学問のために大学に戻り結婚して云々。全編とにかく自己陶酔したオレ様話で、しかも別に有名人でもないし大した事件があるわけではないので、退屈でうっとうしいこと限りない。その中にたまーに自分の科学的な発見の話が入るんだが、ローレンツ収縮のあたりはいざ知らず、後のホウになるとだんだん説明があいまいになって要領を得ない。

スパイク・リーが映画化権を買ったそうだけれど、それはこの科学者が黒人だから。黒人科学者の成功物語にするつもりなんでしょう。でもこれでおもしろくなるのかどうか。タイムマシンも、「今世紀中に実現」なんて大風呂敷だし、それもみんなの思ってる意味でのタイムマシンとはかけ離れた代物。ちょっと看板に偽りありと言わざるを得ない。

起業家というとかっこいいが実態はそこらの「自営業」さんです。, 2008/8/8

起業家、というとビルゲイツやジョブスやベゾスのような大ベンチャーの雄を思い浮かべるけれど、実際の起業を見ると、ほとんどは工務店を開いたとかカフェや美容室を作ったとかお店を持ったとかそんなのばかり、というのが本書の指摘。要は「自営業」ってやつですな。

起業家はだいたい中年でしばらく勤めてから「これならオレもできる」と同じ業種で開業するのが通例、別に新しいビジネスアイデアや競争優位があるわけでもなく、特に成長の見通しもなくて、実際成長もしないどころかつぶれるところ多数。

 しかも起業家は犯罪歴が多く、定職につけずに職場を転々としているような不適応者が、人に使われるのはいやだ、自分一人が食えればいいというだけの理由で会社を興す場合が多い。頭がよくて豊かな人たちは、そんなリスクを冒したがらない——うーん。だから社会的に、起業家精神はすばらしいとあおって政策的に優遇したりするのは、少し考えたほうがいいよ、という本。

起業家が英雄視されている、という前提に共感できれば、なるほどという感じ。一方で、上の記述を読んで「あたりまえじゃないの?」と思った人は、あまり新しい発見はない。そして、何でも起業がいいわけではなく経済に貢献する起業家を選んで応援しようというのは……できるんだろうか? 起業にもピンキリあるだろうが、キリなしにピンだけ選べるのか、となると疑問。変なビジネススクール談義に冷や水を浴びせるにはいいだろうし、現状を知る上でおもしろくはあるんだけど、目から鱗というほどではない。

 コメントでのご指摘を受けての加筆。確かに本書の内容から、成功しそうな起業家を選別することはできなくはない。それは白人、男性、高学歴、高所得の起業家による、高成長分野の会社で、すでに投資家が行列しているようなところを選べ、ということになる(女や黒人、低学歴や貧困者は企業家として全然ダメという結果が出ている)。が……まずこれを公共政策としてできるかというと、つらい。これはどう見ても差別的だと言ってたたかれる。そしてそんな条件のいいところをわざわざ公共的に支援すべきだといえるかどうか? その意味でこれがどこまで活用できるのかというと、うーん。考えてしまうところ。

コンパクトなのに重要ポイントを網羅したよい本。, 2008/7/29

 文字通り、コンパクトなマクロ経済学の本。なんだかんだ言って、まずはIS-LMをきちんと押さえなきゃだめよ、ということでIS-LM, 45度線分析、AD-ASモデルを明確に(でも無用にこびてレベルを落とすことなく)説明し、そこからマクロ経済学の近年の進展を実に簡潔にまとめていてお見事。IS-LMの変形版、金融政策の説明もしっかりおさえ、最後はそれまでの概念を使った日本経済分析と、理論の実地応用も欠かしていない。

 コンパクトな解説書は、くだらないたとえ話を乱用してわかったような気分になれるけれどまったく使い物にならないものや、逆に簡潔にしすぎてすでに知っている人しか理解できなくなってしまっているものが多いけれど、そのどちらの罠にも陥らず、素人の本当の入門にも使える一方で半可通のアンチョコにも使える一冊となっている。近年のマクロ教科書ではやりの成長理論などはカットしているけれど、このレベルではよい判断でしょう。試験前の一夜漬けや、いまさら聞けない事項の復習にも最適。場所もとらないし、手元にあって絶対損にならない、よい参考書。

まだまだ仮説の域を出ないのにずいぶん自信たっぷり。, 2008/7/24

生物がなぜ老いるのかはよくわかっていない。テロメアが云々といった説はあるけれど、それがどう作用しているのかも不明だ。本書は、老化というのは細胞がだんだんダメージを受けて再生産できなくなるために生じるんだから、そうした各種のダメージやゴミを取り除けば老化は止められる、という議論を展開している。

で、著者はだれも自分の説を明確に否定できていないという理由で、だから自分の理屈は正しい、という論法をとるんだが……老いるという現象がよくわかっていないんだから、definitiveに著者の説が否定されないのは当然の話。まあそういう考え方もあるかも、という程度の可能性は必ず残る。でもそれは著者のように老化が止められると断言できることにはならないと思う。その意味で訳者あとがきのように「本書は世界ではじめての、きわめて具体的で実現可能な<不老不死>の計画を示した本」などと述べるのは、かなり悪質な大風呂敷だろう。が、本書はかなりその手の悪質な大風呂敷で、仮説でしかないものを「これしかない!」という調子で示してみせる。

著者の自分語りをたっぷり交えた記述はいささかうっとうしく、自分の説とそれが見つかった状況と従来の理論への批判がまぜこぜに出てきてわかりにくい部分が多々ある。そして本書の最後部分は、自分たちの研究に金をよこせという話が延々続く。そういう利害関係を露骨に見せられると、かれの仮説自体もどこまで信用できるかよくわからなくなる。そして記述のレベルも、科学的記述はあまりに詳細で専門的で一般書の水準をかなり超えている一方で予算よこせマニフェストがごっちゃになってしまって、読み進むのに苦労する。もっと第三者的なライターがまとめて客観的に書いてくれたほうがよかった。著者の根拠レスな暑苦しい自信とは裏腹に、これだけ超えるべきハードルが多くては、当分老化阻止なんてのは実現できないな、という印象のほうが強く残った。仮説でよければ、読むのを止めはしないが、さりとて積極的にもおすすめしかねる感じ。

あ、それと本書は、いまあなたにできる老化防止みたいな実用書ではございませんのでそのつもりで。本書に書かれたことのいずれも、いまの読者の存命中には実現しません。

人生のリスクとリターン!, 2008/7/22

 人生において、安全を重視してひたすら内にこもるおくびょうリスが、毎回一歩踏み出しては予想外の事態にあい、慌てては予想外の結果に落ち着くという、リスクと安全、不完全情報とリターンの関係を描いた名作シリーズの第一作。あるファンドマネージャの薦めで知りましたが、深くも浅くも読めるたのしい絵本です。

 ただ……上の見本ページにもありますが、訳が愚直すぎるのではないかと思います。上でアフリカミツバチとなっているのは、原文は killer bee. 確かに正確にはアフリカミツバチですが、これが非常に怖いミツバチだというのは知らないと理解できず、killer bee というときの怖さがつたわりません。この先のシリーズでは、もう少し柔軟な対応をしてくれるといいのですが。

愚痴ばかり, 2008/7/22

日本のアーティストが一部で高い評価を得る一方で日本の美術市場はバブル期に比べて規模縮小。それは日本美術界に価値観がないからだ、というのを発端にアレコレ言うんだが……

美術市場が縮小しているのは、日本経済が停滞して日本人に金がないからじゃないの? そんだけの話でしょう。

そうした基本認識がおまぬけなので、後の話も画廊オヤジの物欲しげな愚痴でしかない。また他人の価値観の不在を云々する著者の認識の浅はかさは、pp.206-15あたりの日本文化についての俗説ナショナリズムのだらしない開陳に如実にあらわれている。日本美術や文化の一部がかなり高い評価を得ていることを書きつつ、一方で「日本の文化はだれにも相手にされない」(p.189) と書いてしまえる 支離滅裂さ。この光文社のシリーズはすべて低級な書き手の書き殴り思いつきばかりだが、本書も例外ではない。買う価値はおろか、手に取る価値すらありません。

創発や創造性こそ聖なるものだ、というただの言い換え, 2008/7/4

ドーキンスとかデネットとか、神を否定するような立場の本が目立つ中で、聖なるもの擁護とは、と思って読み始めたが、期待はずれ。

還元主義では説明のつかないことがある、複雑系の創発現象は還元主義ではわからん、とカウフマン。それは人間の創造性とかにもつながるものである。そうした創造性や創発性を聖なるものと呼ぼう! だって神様って、創造するのが仕事じゃん。やった! これで聖なるものが復活した! これでみんな仲良く共存だ!

いや、そんな言い換えを真顔で言われたら、読んでるほうはどうすりゃいいんですかい。もうあとは、宇宙は深遠なる網の目で人々が共感して地球とエコロジーでやさしい新しい意識が云々の、だらしないオカルト妄想垂れ流しオンパレード。宗教側であれこれ言う人も、科学側で論陣張る人も、こんな小手先の話でだまされるほどバカじゃないと思う。こういう話なら、瀬名秀明「ブレインバレー」のほうがまだきちんと考えられていた。カウフマン、何やってんだー。

アマゾン救済 2008年分 1

ジェイコブズの晩節を汚す信じがたい駄本, 2008/6/27

壊れゆくアメリカ

壊れゆくアメリカ

ジェイコブスは『アメリカ大都市の死と生』で従来のトップダウン都市計画を批判し、活気ある都市や地域のあり方を考え続けてきた、学者でもビジネスマンでもない市井の偉人。だが晩年に行くにしたがって、かつては新鮮さの源泉だった、既存学問の枠にとらわれない発想が、単なる素人の無知と印象批評に堕していくようになった。最晩年のこの一冊は、それが最もひどい形で出た代物。

本書で彼女は、アメリカ文化の崩壊を警告する。その論点は家族やコミュニティ崩壊、教育のお免状化、科学技術の軽視、専門家の自浄能力低下など。でもそのいずれもまともな理屈になっていない。家族やコミュニティ崩壊は、車がいけないんだと。科学技術の軽視は、自分の知っているいくつかの研究が業界や政治的圧力で歪曲されたかもしれないというだけ。専門化の矜持というのは、インサイダー取引が多いとか、自分の好きな公共支出が削られたという愚痴のみ。公共支出を維持するには税収がいるので、ビジネス重視の施策が重要なんだけれど、でも彼女は大学とかがビジネス重視になるには反対。支離滅裂。

しかも公共支出も犯罪も、ほとんどの情報源(データすら!)は「トロントスター」紙の記事だけで、元データ等にあたっていないのが注を見るとわかって唖然。

そして文明の崩壊は文化崩壊にあらわれると言いつつ、でもアメリカはロックとかラップとかいろんな音楽が出てきてるからまだまだ大丈夫、と本書のこれまでの議論を丸ごと否定するようなことを言い出す。じゃあ何を騒いでいたのか。だいたいラップやヒップホップの相当部分は、ジェイコブズの批判するコミュニティ崩壊のスラムが生み出したものなんですけど。そして訳者は、この議論が日本にもあてはまるというんだけれど、ジェイコブス当人は本書で、日本は大丈夫だと断言していて、なぜかというとニンゲンコクホーというすばらしい制度があって自文化の保全に十分に配慮しているから! いやはやもうちょっと実態を調べてほしいなあ。そしてジェイコブズが騒いでいたのは、その程度のことで解決できるものだったの?

なまじ有名になったために、ここまで無内容な本でも出せてもらえたのは、ジェイコブズにとって大いなる不幸だった。彼女のためにも、なかったことにしたい一冊。皆様も、手に取らないであげてください。

非常識なのはこの本であって社会学ではないと思う。, 2008/6/25

禁断の思考―社会学という非常識な世界

禁断の思考―社会学という非常識な世界

変な本。著者は最近、地球温暖化論に対する懐疑論であちこち顔を見る人だが、社会学者。そして本書は、その人が社会学とはなんぞやを論じる本……だと思って読む進むと、途中からマルクス経済学の完全な受け売りによる変な資本主義論が始まって、そしてメディアにより人間の欲望がコントロールされている等々のボードリヤール話が展開され、温暖化問題も産業とメディアの結託による産業的要請からくる人心操作なのだ、という陰謀論につながる。

 なんですの、これ? マル経的な資本主義理解だけが正しいわけじゃないでしょうに。冒頭では社会学がいかにフェアで価値を排除した分析をして云々と言いつつ、出てくる分析がここまで一方的なのは目が白黒。内容や主張は 2008 年に出た「はだかの王様」の経済学ときわめて似ていて、たまたま同時期に読んだのでえらく既視感を感じた。温暖化議論の産業陰謀説だって、通常は温暖化に反対するほうが産業界の陰謀なのだというのが通説なんだけど、それについてもコメントなし。冒頭で言うようなきちんとしたフェアな検討がされているようには見えない。

 そんなこんなで、強引で目配りを欠いた議論だらけの書物。副題は「社会学という非常識な世界」だけれど、非常識なのはこの本だけで、社会学ではないと思う。

マニアでなければ手を出す必要なし。, 2008/6/23

Super 8 Years [DVD] [Import]

Super 8 Years [DVD] [Import]

Tuxedo Moonの何たるかを知らない人は手を出しても意味がない。全アルバムを持っているくらいでないと。サンフランシスコでの結成地、初レコーディングをしたスタジオ、初ライブをしたコーヒーショップを、創始者の一人がレポーター風に報告してまわる形式で、ツアー風景やレコーディング風景などが粒子の粗い8ミリ映像で展開される。マニアであれば大感動ものかもしれない。それ以外の人は、見ていてもあまりピンとこないと思う。

オルガスムスにとどまらないセックスのあれこれ, 2008/4/28

オルガスムスのウソ (文春文庫)

オルガスムスのウソ (文春文庫)

同じ著者の前の本と同じく、非常に冷静な筆致でとても勉強になるよい本。話はオルガスムスだけでなく、セックス全般にわたる。オルガスムスの進化論的な位置づけ、そのメカニズム、男の早漏Gスポット理論やヴァギナオルガスムスのウソ(そしてなぜフロイトがそんなものを称揚したか)、オルガスムスやセックスと幸せの関係など、各種のテーマについてきちんとした研究をもとにまとめている。セックスの八割は人口の2割の人間がやっているという世のセックス格差の話など、淡々と書かれているだけに爆笑できるネタも多いのでおすすめ。ananにだまされてるみなさん、セックスできれいになったりはしませんので(でも精液飲むと歯にいい、かもしれないとか)

またバイアグラシアリスなどの効き具合についての誤解を解いたり(飲んでも勃ちっぱなしになるわけではない)、それが女性にも効くのかなど、みんな思っているけど聞きにくい話もたくさん出てくる。扇情的に走る部分もなく、エロチックななものを期待すると拍子抜けだけれど、とにかくセックスしまくれと勧めるような世のセックスカウンセラーにはない客観性と信頼性がある一方、学者の書く「性の解説書」みたいな、基礎ばかりで知りたいことが書いていないもどかしさもなく、単刀直入冷静沈着ですばらしい。大学生くらいで読んでおくと、あとあとよいのでは〜。 コメント コメント | 固定リンク

メーカー&利用者インタビューによる不思議な世界の解明, 2008/4/24

南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで-特殊用途愛玩人形の戦後史

南極1号伝説 ダッチワイフからラブドールまで-特殊用途愛玩人形の戦後史

 名作! かつての空気を入れる「空気嫁」の時代から、現在のシリコン製の本物そっくりのダッチワイフ/ラブドールまでの歴史をたどり、ほとんどコスト度外視の情熱を傾けてリアルさを追求するメーカーたちに詳細なインタビューを敢行。一方でその買い手にも話をきいて、その魅力の源泉を探る。しょせんは代用品のはずなのに、それが実物をも越える奇妙な魅力を漂わせはじめる変な世界をきっちり描き出す。興味本位で終わらず、人の情熱や性について読む者にふと考えさせる、よい一冊。ただし公然と読むのはちょっとはばかられるが……

すでにもととなった研究が否定されてしまった悲しい一冊。, 2008/4/24

有効な援助―ファンジビリティと援助政策

有効な援助―ファンジビリティと援助政策

本書は、各種開発援助が役に立っていないのでは、という批判に応えて世界銀行がまとめた、援助が実際に役にたつにはどういう条件が要るのか、という分析の書。ちゃんとしたガバナンスが相手国にあること、貿易振興とか財政改善とか物価安定とかの政策がちゃんと実施されていること、といった条件が整えば、援助は役に立つことを実証し、批判を受けることの多い世界の援助関係者のよすがとなっていた。

が、その後世銀の内部監査が行われ、本書のもとになった研究が検査された。その結果、新しいデータを数年分追加しただけで、多くの相関は統計的な有意性がボロボロに崩れ、本書で述べられていたような結論がまったく得られないことが判明。それについてはこちらに監査報告があがっているので参照: http://tinyurl.com/yck7wc

悪いことは言っていないし、たぶん貿易や財政などの改善が害をなすことはないのだが、内容を鵜呑みにしてはいけないし、すでに相当部分が否定されていることは知って読む必要あり。

クリエイティブクラスって、エンジニアとプログラマなのね。, 2008/4/24

クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭

クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭

 クリエイティブクラスなるものがいま出現しつつあって、かれらが集まる地域が発展するのだ、というお話。いままでの産業は、資本や労働の投下量で決まったけれど、これからはこういうクリエイティブな人々をいかに集めて活用するかが課題だ、という。

 でもまず、これまでの経済だって資本や労働の投下量なんかで決まってるのではなく、技術革新が大きいのだということはロバート・ソローやグリリカスたちがとっくに示していること。そして、クリエイティブクラスというと、ミュージシャンやデザイナーやアーティストのことかと思うでしょう。ところが実は、これはエンジニアやプログラマ、建築家を含む一大分類。すでにアメリカの全就業者の3割を占めているんだそうな。通常の意味での「クリエイティブ」な業種は、1割もいないんじゃないだろうか。そりゃプログラマが増えたところは、IT産業が集まってきたところだから栄えたでしょうよ。

 本書はアメリカで売れたけれど、それはおそらくこのミスリーディングなネーミングによるイメージ戦術のおかげ。かれが提案する、都市として総合性があって寛容度の高いところが望ましいというのは、理念としては事実かもしれないけれどアメリカでのゲーテッドコミュニティの人気を見るとホントかなと思うし。いろんな大風呂敷を取っ払ってみると、議論の内実はかなり貧相にしか思えない。こんな話があるのか、と流し読みしておけば十分すぎるくらいでしょう。

素人談義の無惨な大爆発, 2008/4/3

BRUTUS (ブルータス) 2008年 4/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2008年 4/15号 [雑誌]

経済全体の話をする場合、個人レベルの話とはまったく話がちがってくるどころか、予想と正反対の結果が起きかねないことを理解する必要があります。たとえば個人(または一つの企業)でなら、コスト削減して支出を抑えるのは利益を増やして企業が栄えるための手段として有効ですが、経済全体ですべての人や企業が支出削減すると、経済全体が停滞してしまい、あらゆる企業が栄えなくなります。ですから、一企業や一個人の「街場の」感覚や実感だけで経済について語ってはいけないんです。

が、本書の特集はそればかり。さらにこの人選も、ピーチジョン野田社長等はまあ経済の現場に身を置いているといえるかもしれないし、経済談義とは別に企業経営的な興味で話をきく意義もあるでしょう。でも橋本治や特に内田樹はそういうのすらない。他の分野での議論には多少敬意もいだいてはいますが、こと経済に関しては「街場」ですらないただの素人であり、本特集で「お断り」とされている評論家そのものじゃないんですか? まして丸川珠代などが経済について何を知っていると期待したのか、謎もいいところ。実際問題として中身のある話は一切なし。無惨なもんです。

そこそこおもしろいが応用のしようがないような……, 2008/3/15

最新・経済地理学

最新・経済地理学

シリコンバレーとルート128の比較で、知識の囲い込みに頼ったルート128に対して、人材の極度な流動性による知識囲い込み不可能なシリコンバレーが圧倒的な優位を見せたことを示して名をあげたサクセニアンの新作。

今回も、主張はきわめて単純。いま、インドや中国、台湾などが新しい経済の寵児となっているけれど、それはかつて先進国に「流出」していった人材が母国に戻って活躍しはじめたからこそ実現されたのだ、というのがその議論。本書はそれを豊富な事例でそれなりに例証してみせて、大変におもしろい。かつてそうした国は、人材流出を大変に心配した。頭のいいやつはみんな欧米に行ってそのまま帰ってこなくなり、地元にはバxばかりが残って停滞するのでは? その対策として人材流出規制まで考えたりしたところもあったけれど、結局それは杞憂だったというわけ。

人材の流動性こそ発展の源泉だという主張は、前著と同じ。ただそう言われても、どうしましょう、というところはある。だから頭脳流出は心配するな、といえるかどうか。当然ながら時間は圧倒的にかかるので、前作のような簡単な(だが安易な)政策的な応用にはつながりにくい。留学させたらポルポトになって帰ってくる連中もいるわけだし、そういうマイナスの部分はきちんと見ていないように思うし。ただ、もし彼女が正しければ、国別の留学生数とか留学生比率を見れば国の経済発展の先行指標になっているはずなので、検証できるかもしれない。その意味ではおもしろい仮説。

定見のないダラダラした原著を邦訳の削除がさらに悪化, 2008/3/11

ドラッグ・カルチャー―アメリカ文化の光と影 1945‐2000年

ドラッグ・カルチャー―アメリカ文化の光と影 1945‐2000年

アメリカの各時代のサブカルチャーが特定のドラッグと結びついていたのは事実。ジャズ文化やビート文化の阿片類、サイケ文化のLSD、ヤッピー文化のコカイン、レイブ文化のMDMA。本書はその生き残りの証言をもとに、ドラッグのいい面悪い面を公平に描こうとする……んだが、本書の場合「公平に」というのは定見がなくなんでも入れる、というだけの意味に堕している。そのため、あれこれつめこんでふくれあがりはしたが、結局読んでも「それで?」というだけ。60年代の文化芸能人はみんなドラッグやって死んだ人もいた——いまさらそんな話をされましても。結局、だらだら長いだけで印象の薄い本となっている。また晩年のティモシーリアリーがコンピュータ云々と大風呂敷を広げていたのを真に受けてあれこれ書いているが、かれは重度のアルツハイマーで完全にぼけていただけ。その程度のことも取材できていない調査能力では、大したことは期待できないし、実際にできていない。

ただし原著は、それに対して国の規制やリハビリ施設、ゲイ文化、クラックとギャングスタ文化の関係なども入れ、一応網羅的にはなっている。が、日本版はおそろしいことに、そうした部分を全部カット。原作の唯一よい部分すらぶち殺している。結果として、日本版は60年代のドラッグ文化やヒッピー文化やその残党をまつりあげるだけのおめでたい本になってしまい、一切の価値を失っている。

おもしろいが、ちがうんじゃないかというネタ多し。, 2008/¾

日常の疑問を経済学で考える (日経ビジネス人文庫)

日常の疑問を経済学で考える (日経ビジネス人文庫)

題名通り、日常生活の経済学とは関係なさそうなトピックを、経済学的な概念で説明する本。なぜ雨の日にはタクシーがつかまりにくいか? なぜ男と女で服が左前だったり右前だったりするのか? 結構目からうろこのネタも多いし、全体に小話集なので気軽に読めて楽しい。

が——経済学的に説明すべきでないことまで無理にこじつけているものも多い。またほとんどは学生のレポートを書き直したもので、フランク自身がきちんと調べてはいない。結果として、かなりの項目は明らかにまちがっている。

たとえば、なぜコーラやビールは丸い缶に入ってて、牛乳は四角いカートンに入ってるの? 本書の答は、牛乳は冷やすから、丸いと容器の間に隙間ができて、冷蔵コストがかさむ、というもの。ちげーよ。炭酸類は中が高圧になるので、それが均等にならない角のある容器は破裂しやすいの! 全体に工学的な理由が完全に無視されているのは非常に痛い。あるいは日本の結婚式はなぜアメリカより金をかけるか、という問題に対しては、日本のほうが人間関係を重視する社会なので宴会に人を多数招かざるを得ないから、というのが答。うーん、人数的にそんなにちがうのかね。むしろ日本人は結婚式に招待客がご祝儀積むので、それだけお金が出せるから、ではないの?

まあ正解を出すことが目的ではなく、経済学的な考え方が重要だ、とは著者も言っている。だから中には答のないやつもある。なぜ茶色の卵は高いか、など。鵜呑みにせず、自分でも考えてツッコミを入れつつ読むのが正しい読み方。

アマゾン救済 2007年分

パーキンス『エコノミックヒットマン』: 根本的な発想からおかしいデタラメ本, 2007/12/21

エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ

エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ

 アメリカが各種グローバリズムだのなんだのを通じて貧乏国を搾取しているというお話は、一抹の真実を含んでいないわけではない。本書はそれに便乗した本で、各国をODAで借金漬けにすることでアメリカが経済覇権を確保しているという陰謀論を展開するんだが、そもそもの発想が根本的におかしいために、まともなフィクションにすらなっていない。

 考えてほしい。アフリカにAという貧乏国がある。さて、アメリカとしてはここがマレーシアのようになってほしいだろうか、アフガニスタンのようになってほしいだろうか? マレーシアなら、工場を作って(アメリカに比べれば)安い賃金で人に働き、米企業は安く製品を作れる。それによって現地の人々が豊かになり、アメリカの製品も買ってもらえる。軍事的にも、政治的にも、周辺国に対してそれなりの発言力を持てる。アメリカにとっていいことづくし。それに対して、アフガニスタンなら何もできない。ついでに、貸した金も絶対に返ってこない。

 つまりその国を借金漬けにして貧困のままにしても、アメリカにとっていいことは何一つない。そもそもODAは、国があまり貧乏になって借金漬けになるとナチスみたいなのが出てきてかえって面倒だという第二次大戦の反省から出ているから、貧乏国を貧乏のままにしておくという発想はそもそもない。だからこんな経済ヒットマンなんていう代物を使う意味はまったくないのだ。したがって、そんなものは存在しません。理屈になってないところを探してツッコミ入れつつ読むにはおもしろいかもしれないけれど、まともな経済本だと思って読まないこと。

ソープ『ディーラーをやっつけろ』: おもしろいが実行は困難(ルール変更も影響), 2007/11/27

ディーラーをやっつけろ! (ウィザードブックシリーズ (109))

ディーラーをやっつけろ! (ウィザードブックシリーズ (109))

  • 作者: エドワード・O・ソープ,増田丞美,宮崎三瑛
  • 出版社/メーカー: パンローリング
  • 発売日: 2006/10/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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おもしろい本。ブラックジャックは、特にカードが残り少なくなったときには、それまでの札の出具合に応じてプレーヤーに確率が有利になる場合があることを指摘してその機会の検出と利用法をルール化、アメリカのギャンブル業界を震え上がらせた一冊。

が、邦訳は現在の状況を書いていないので不親切。ラスベガス(ネバダ州)では、本書にあるカードカウンティング自体が違法。また気に入らない客は理由なしに放り出せるので、カウンティングをしていると思われたらすぐにピットボスから出て行けと言われる。これに対抗するためにチーム式のカードカウンティングが編み出され(詳細はメズリック『ラス・ヴェガスをブッつぶせ』参照)たが、バレるとかなり不愉快な目にあうとのこと。そしてプレーのルールも変わり、シングルデックのテーブルもほとんどなくなり、さらにナチュラルのボーナス得点が減らされたために、長期的には胴元側がかなり有利となってしまっているので、昔のようなうまみはまったくないとのこと。

また本書のルールは結構複雑で、きちんと実行するのはなかなか困難。出版当初は、これで儲けようとしてカジノにきたものの途中でまちがえたり、しばらく負けが続くと本書のルールを守る気をなくしてしまう付け焼き刃の素人がたくさんやってきて、みんなかえって損をしていたとのこと。本書は、確率をもとにした厳密な運用という点では非常におもしろいし歴史的意義もあるが、いまこれを持ってラスベガスに行こうとしている人は、考え直したほうがよろしいですぞ。

みうら『アウトドア般若心経』: 現代の「写経」!, 2007/11/27

アウトドア般若心経

アウトドア般若心経

看板の文字の写真だけで般若心経を完成させるとともに、それを現代訳するというみうらじゅんでなければ思いつかない変な企画。写真でお経を作るから、これぞ現代版の「写経」! きわものなんだけれど、でもそれがなかなかに無心な感じを出していて、無意味なことをやっている果てにたどりつく境地のような、まさに写経の神髄とも言うべきいい味出してます。外に持ち出して一文字ずつ読んでいくのがぴったりな感じ。そして内容的にも意外なほどきちんと読めているのには敬服。

SONY GPSロガー: 悪くはないが、GPSロガーとしては、いまやでかすぎだし付属ソフトも弱い, 2007/11/16

ソニー SONY GPSユニット GPS-CS1K

ソニー SONY GPSユニット GPS-CS1K

いわゆるGPSロガー。15秒置きにGPSで居場所を記録保管してくれます。都市部での移動が多いため、どこまで精度が出るか不安でしたが、最初に衛星を見つけて記録を始めるまでちょっと時間がかかるものの(開けたところでしばらく立ちつくさないと無理)、いったん記録が始まると町中でも意外にデータを拾ってくれます。中層マンション中心の自宅から駅まで、高層ビルの並ぶ丸の内で昼飯を食いにいく道筋など、そこそこの精度で拾ってくれるのは感心。

ただし付属ソフトは、データを吸い出す以外はあまり使えません。フリーソフトのtrk2googlemaps and kml を使うと、google mapやgoogleアースと連動できて非常に使途が広がります。欠点としては、特に衛星を探しているときは(圏外の携帯と同じで)ものすごく電気を食い、単三電池一本で一日もちません。またGPSロガーとしてはかなりでかい部類となり、WintekやGlobalsatなど台湾メーカーの超小型ロガーと値段も性能も似たり寄ったりかそれ以下で、決定的な魅力に欠けます。かばんにぶら下げておくのもためらわれる大きさで、それでもぶら下げておいたらちょっとしたはずみで付属の引っ掻け道具が外れて、チャンギ空港でなくしてしまいました。

悪くはない製品だと思いますが、2007年末の時点では積極的に押す感じでもありません。

佐野『計算力がつく微分方程式』: ありそうで(あまり)なかった、微積分の問題集, 2007/11/9

計算力が身に付く微分方程式

計算力が身に付く微分方程式

 受験時代は、理論の説明なんかよりもとにかく問題集を解きまくることでまず技術を身につけて、それから理論の深いところを考えるようになっていたけれど、大学に入ったら問題は教科書の章末にちょっとあるだけで、「小手先のテクニックよりまず本質を理解すること」と言われてなかなか手を動かすこともなく、解析学線形代数に落ちこぼれてしまった人は(ぼくを含め)多い。これはそんなあなたのための、ありそうで(あまり)なかった微積分の純粋な問題集。

 ある解き方を教わったらとにかく手を動かして20-30問同じパターンのを解く。理屈はいいからまずは小手先の機械的なテクニック。明確に割り切ったことで、非常に使いやすくなっている。五月以来、数学系の講義に出なくなった理系一年生のあなた! いまからこれで手に学習させればなんとかなります! (あと受験参考書的なのがほしい人は小寺平治のやつがおすすめ)。

 実はこれは、最近出た本でファインマンも推奨しているやり方。とにかく反射的に微積の計算ができるようになること! 受験テクニックは、実は小手先ではなく、勉強の王道。本書で受験と同じやり方で大学(一年くらい)の数学も制覇してくださいな。安いし。

ルキヤネンコ『デイウォッチ』: 「光」と「闇」のかきわけが不十分で、話の大枠がまったく見えない。, 2007/11/9

デイ・ウォッチ

デイ・ウォッチ

 「ナイト・ウォッチ」は光の側から、それに対してこの「デイ・ウォッチ」は反対の立場からこの戦いを描いている……はずなのに、ディテールの書き込み不足のために(これだけ長いのに)雰囲気も何もまったく変わらない。闇ならではの生活の特性があって、それが光の側とはまったくちがうものなんだけれど、でも一歩入ってみると両者は共通点があった、という書き方ならば読者の共感もあろうが、これでは両者が何を争っているのかもわからん。両者の「これをやらなければ死んでしまう」「絶対にこれを実現しなくてはならない」という切実さはまったくなく、どっちも人間からエネルギーをかすめとって、好き勝手に人をあやつって、長生きして、お気楽なもんじゃありませんか。  小説としてのへたくそさも相変わらず。前作のアントンとスヴェトラーナでもそうだけれど、会ったら一目惚れで愛しあいました、という木で鼻をくくったような不自然な話が、大仰な「ああ!」「でもなぜ!」「やはりあたしは彼を愛しているのだわ!」という独白で展開されてゲンナリ。重要な展開がまたも最後になって唐突に伏線なしで持ち出されるし。  あと、異端審問官と訳されている存在は、別に「異端」を摘発しているわけじゃないので単なる「審問官」でいいでしょ。その他ブルガーコフの訳ではそこそこ読めたこの訳者ですが、いま一つラノベ的な勢いが訳文になく、小説としての不自然なできの悪さをきわだたせてしまっているのは残念……だが残念がるほどの小説でもないので、まあいいか。

(2017年コメント:このレビュー、読みが雑だとどこかで怒られてたんだよね。すみません)

ルキヤネンコ『ナイトウォッチ』: 何でもせりふで説明させるラノベ、世界観も書き込み不足すぎ。, 2007/11/9

ナイトウォッチ

ナイトウォッチ

 基本的には日本のラノベと同じ。なんでもかんでもせりふで説明しないとダメな話の展開、しかもそのせりふが「!」「!」といちいち感嘆符で大仰にしないと気が済まないへたくそさ、大藪晴彦の主人公が中二病にかかったような主人公、歴史を超えた「闇」と「光」の戦い、世界存続の鍵を握る女性が実は主人公の恋人で、最後に彼女は愛か世界かの選択を迫られるようなセカイ系真っ青の展開。まあそういうのが好きな人はどうぞ。

 ただ話としてきわめてつらいのは、「光」とか「闇」とかいちいち太字にして大騒ぎするんだけれど、両者がどうちがうのやらさっぱりわからないこと。「闇」というのが黒魔術師とか吸血鬼とかで、「光」というのがシロ魔術でよいことする連中、らしいんだけれど、えーと両者のバランスの取れた理想的な均衡状態というのは要するに「光」が何もしないで「闇」の吸血鬼たちは献血の血だけ飲んでればいいってこと? 両者が争ったら何がいけないの? 片方が出過ぎたらもう片方がバランスを取るためにナンタラする権利ができるというんだが、それは両者の協定の結果の単なる決めごとなの、それとも自然にそういうことになるの? 自然にそれが実現するなら、相互パトロール必要ないのでは? とにかく根本的な世界観があまりに弱い。悪とされていた存在が実は結構善玉で、絶対善のはずの天使が実は悪、というのはホントありがちな設定なんだけど、両者のかき分けができていないとその設定に何の意味もない。両者は反目しているんだけれど協力しなくてはならないというところにアイロニーがあるはずなのに、その反目の部分がまったく説得力ある形で書かれていない。運命のチョークだの運命の書だのという重要な小道具が、あとから思いつきで出てくるだけで事前に何の伏線もないとか、あまりに小説作りが下手すぎ。おすすめしません。

(2017年コメント:このレビュー、読みが雑だとどこかで怒られてたんだよね。すみません)

ボーム『オズのエメラルドの都』: アメリカの不景気と生体兵器に監視社会と、現代的な難問に取り組んだ意欲作……ではない。, 2007/11/9

オズの魔法使い、原作では第六弾だけれど、邦訳では第四弾。不況期のアメリカにいるドロシーのおじさんおばさんが、不作続きの農場を銀行にとられそうになったので、現実世界を捨ててドロシーと一緒にオズの国に引っ越してきて、仲間たちとひねもすオズの国観光三昧。一方、魔法のベルトを取られたノームたちは、邪悪な同盟軍を集めて、砂漠にトンネルを掘ってオズの国侵略をはかりますが……

 オズの国対侵略軍の戦いは、オズの国側が恐怖の生体改造化学兵器を無批判に使用し、ほんの数ページで終わってしまい、ちょっとがっかり。その兵器は、一見無邪気ながら、人権を無視したロボトミーに等しい残酷なものであると同時に、ピンカーの批判するブランクスレート説に基づくものであり、ボームの時代的な限界があらわれている。一方でよい魔女グリンダは国内のあらゆる事件を監視できる遠隔監視装置を持っていることが明らかとなり、善意の監視とプライバシーの両立というきわめて現代的な課題にも触れられていることには驚かされる。

 が、マジメに言えば、何か切実な目的のために旅する中で仲間が増える、という形式が崩れている。新しいキャラは増えるものの、特に何か活躍の場があるでもなく、単にあいさつしてそれで退場、というのの繰り返しとなり、意外なモノが意外なところで力を発揮することでみんなで何かを達成する、というオズシリーズの魅力に乏しい巻となっている。

ボーム『オズの虹の国』: オズシリーズ唯一の人民蜂起, 2007/11/9

オズの虹の国 オズの魔法使いシリーズ

オズの虹の国 オズの魔法使いシリーズ

オズの魔法使いの続編、シリーズ第二弾。引き続き出てくる主要キャラは、かかし、ブリキのきこり、よい魔女のグリンダだけで、ライオンやドロシーは登場しません。カボチャで人間を作り悪い魔術師に殺されかけたチップくんは、カボチャ人間と木馬と共にエメラルドの都に赴くが、ちょうど都は編み棒で武装した少女軍団に制圧されてしまう。かかしとともに脱出した一行は、ブリキのきこり、歩くバッタなどの新しい仲間を得てよい魔女グリンダの力を借り、エメラルドの都の奪回を目指す……

 反乱軍の美少女指揮官ジンジャーは、権力理論家としても軍事指揮者としてもきわめて優秀で、かかしやブリキのきこりよりも有能そう。活躍がこれっきりなのは惜しい(後に専業主婦として登場)。よい魔女グリンダも含め、他は絶対君主制しかないものなあ。母親にあれこれ家事手伝いをさせられるのが嫌で反乱に立ち上がったという、オズシリーズ唯一の社会主義革命であり、フェミニズム革命でもある。少女たちの戦闘の武器ですら、彼女たちの日々の労働のツールだという徹底ぶり。

『ALIAS 最終シーズン』: 結末を知りたいのは人情でしょうが後悔しますぜ。, 2007/11/7

Alias: Complete Fifth Season [DVD] [Import]

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例によって、また新しい陰謀団体が出てきて、シドニーたちはそれを倒そうとするとともに、ランバルディ装置の話がからむんだが、どういう事情かシーズンを短く切り上げなくてはならなかったようで、何とかオチをつけなくてはというあわてふためきぶりが尋常ではない。数十年にわたり尻尾の片鱗すらのぞかせなかった超秘密陰謀組織は30秒で壊滅、ランバルディ装置もさんざんもったいをつけたあげくに、正体は実にトホホな代物で、世界がどうしたこうしたいうあの予言はいったいどうなったんでしょう。あらゆる陰謀組織に入り込み、すさまじく周到なテロネットワークを築いていたシドニーのお母さんも、復興需要狙いの工事受注で儲けるなんていう、テロリストの風上にもおけないくだらないことを言い始めるし(だったら普通にゼネコンに勤めればいいのに)、ご都合主義なやつは生き返るし、まったく。ここまで見てきた人は結末を知りたいでしょうが、たぶん激しく後悔すると思います。

エイブラハムソン『だらしない……』: いい加減さがかえってよいことも多い、という乱雑派肯定の書, 2007/10/31

だらしない人ほどうまくいく

だらしない人ほどうまくいく

整理整頓、きれい好き、計画好き、きっちり、はいつもよいこととされ、乱雑、ごっちゃり、いい加減、だらしないのは常にダメとされるけれど、本書はそれが必ずしも正しくないことを述べたおもしろい本。整理整頓にも労力とコストがかかるし、未来のことはどうせわからないので計画や予定通りに事態が進むことはかえって珍しい。そんなものは無駄だし、そのために手間暇かけるのは愚かしいし、むしろ柔軟性を削ぐ結果になる、というもの。

乱雑さを愛する人々にはうなずけることばかり。訳も非常にこなれていて読みやすい。

が、原著からかなりカットされている。巻末に、それがすべて著者の承認を得ているという断り書きは(英語で小さく)書いてはあるがいささか不親切。特にそのカットによって、原著の笑えるまぬけな部分(日本の会議でエライ人がすぐに寝てしまうのは高度なマネジメント手法だとかなんとか)は削除されていて残念。また、巻末のポイントまとめ要約は、一応読者への工夫として親切なんだろうが、簡潔に整理してポイントをおさえるというのはそもそも本書の主題に反しているのでは?

とはいえ、原著との齟齬をいちいち気にする人でなければ特に問題視することでもないか。ただし(わが同類たる)乱雑だらしない派の方々は、本書を読んでもあまりいい気になりすぎないよう忠告しておく。多少の整理もバチはあたりませんので。

東『クソマルの神話学』: 着眼点はいいんだが、わかること自体がいけないという妄論はなんとかならんか。, 2007/10/23

クソマルの神話学

クソマルの神話学

着目点はおもしろいんだが結局は最悪の文化相対論に落ちてがっかり。古代人はウンコを必ずしも汚いものと思っていなかったかもしれない、というのを日本神話の各種記述から指摘する部分はたいへんにおもしろい。だが、それを理解しようとすると現代人の枠組みに押し込めるしかないので、結局もう原理的にわかれないんだって。構造分析やフーコーの批判も結局は、「こいつらはわかって結論を出してしまったからダメだ」というもの。わからずにいることが誠実でえらいそうな。んなら学者だの研究だのの意味ないじゃん。ハイゼンベルグじゃないけど、何から何までわかんないのか、ある程度以上の精度ではわからないというだけなのか、わからなさの度合いの見極めだって重要なんだけど、そうした努力は皆無。着眼点だけで星をあげます。

『PolPot (DVD)』: つっこみは浅いが貴重な映像満載。, 2007/10/22

Biography: Pol Pot [DVD] [Import]

Biography: Pol Pot [DVD] [Import]

ポル・ポトの一生を一時間ほどのドキュメンタリーにまとめるのは、試みとしては無謀。ポル・ポトカンボジアクメール・ルージュの栄光に復帰させようとしていたというストーリーで推し進めようとするが、当時のベトナム、中国、アメリカ、シアヌーク等々の奇々怪々な合従連衡はとても一筋縄で理解できるものではなく、それを単純なストーリーに押し込めようとしてあちこちで無理は出ている。

しかしながら、ほとんど表舞台に顔を出さなかったポル・ポトの貴重な映像や、クメール・ルージュ時代のカンボジアの光景などは他では見られないものであり、それをまとめただけでも価値あり。かれの故郷の村やパリ時代の下宿も撮影されており、また何人かのクメール・ルージュ関係者のインタビューも、つっこみは浅いがかれらが生きて動いているのを見るだけでもそれなりの感慨はある。関心のある人は必見。

ベスター『築地』: 文化人類学めいた自分語り以外は大変におもしろい、深く広い築地のすべて, 2007/4/13

築地

築地

本書の欠点は、最近の文化人類学のはやりっぽい自分語りの部分で、それはうっとうしい。またレヴィ=ストロースだギアーツだと名前を出してくる割にそれらが何の意味もない場合があるのも時に辟易。しかしそれを除けば、非常におもしろい。日本人が知ってるつもりながら実はよく知らない築地市場について、なぜ仲買人は符丁を使うのか、内部でのゾーニングはどうなっているのか、歴史は、その利権は、はては漫画などに見られる築地市場のイメージは、などありとあらゆる側面から描いてくれるし、また多くの場合には挙げられている経済学や人類学の研究論文が、ちゃんと築地のある側面を理解する助けとなっている。外国人の目が有効に機能した好研究。移転前に是非一読を。

ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦……』: 愛を知らぬイタイ読者の選別装置, 2007/3/10

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

90歳の主人公は売春宿にいって、14歳の女の子を買って薬漬けにして一年にわたり何度もいじくりまわす。その間、一人で勝手に妄想をふくらませて恋に落ちたのなんのと騒ぎ、その子に貢いだりするんだが、相手の女の子は本書の中で一度も口をきかせてもらえず、完全なダッチワイフ状態。彼女の意志は、売春宿のママさん経由でしか伝えられているように見えるけれど、本物の売春宿を知っている人ならわかるとおり、出てくる話は全部営業トーク。ママさんは「あの子はあなたに夢中よ」「最近店にきてくれないから泣いてるわよ」と言うのが仕事なのだ。

 ネタ元になった川端作品では、こうした売春宿の女将の役割はかなり抑えられていた。本書ではそれがかなり露骨に強調されて下世話になっている。そしてそれにより、幻想的な装いだった川端作品を、ある意味で現実に引き戻してその「真の」姿を見せるものとすることで、川端作品に対する批判として成立している。結局これは、男が金と力とクスリにあかせて未成年の女の子を蹂躙する醜悪な強姦小説で、それを真実の愛だの本当の恋だのと思いこんではしゃぐ90歳のジジイは年甲斐もなくひたすらイタイのだけれど、読者の多くはそれにまったく気がつかず主人公といっしょにはしゃいでみせるだけ。愛の不在を一貫して描いてきたガルシア=マルケスは、まさにそんな脳天気な読者たちの痛さを本書で批判したいのかもしれない。

アマゾン救済 2006年分: 特性のない男など

1巻: 何事にも中途半端で無気力な主人公の導入。理屈っぽさが小説の展開を支援。, 2006/6/5

ムージル著作集 第1巻 特性のない男 1

ムージル著作集 第1巻 特性のない男 1

20 世紀を代表する大作小説の一つ。世紀の変わり目にあたるウィーンを舞台に、これといって特性も信念もない、結婚するわけでもない、生活に困っているわけでもない、才能がないわけでもない、頭が悪いわけでもない、でもじゃあ何かと言われると何があるわけでもなウルリッヒを中心に、これといって大したことは何もおきないという小説。この第一巻では主人公ウルリヒが、ウィーンの文化サロンを席巻する平行運動(なんだかわからないが何かしらオーストリア的なものを称揚すべきであるという運動)に巻き込まれるまで、というべきか。筆致は嫌みったらしく、せりふのひと言でほのめかせばすむ各種の感情の綾をいちいち細かく説明する、ある意味で感傷のないものではある。主人公はほとんどニート状態で、また4巻以降は妹萌え小説になってしまう変な小説で、その意味で現代的だったりもするが、この巻では理屈っぽい書き方が小説の展開を助けていて飽きずに楽しめる。

2巻: 各種の設定の展開部分で、この巻までは理屈っぽいのに楽しく読める。, 2006/6/5

ムージル著作集 第2巻 特性のない男 2

ムージル著作集 第2巻 特性のない男 2

20 世紀を代表する大作小説の第2巻。新世紀に向けて、オーストリア発の新しい文化を! と平行運動は気勢をあげては見るものの、独自性ある文化の中身がまったく見つからずにジリ貧、その主導者である遠縁の従妹とそのプラトニックな愛人をウルリヒは冷笑的に見守るが、当のウルリヒの元愛人が何やらこの運動に入れ込み出したりして、話は若干ややこしくなる。また連続娼婦殺しの死刑囚救済運動が何やら思わせぶりにしばしば登場するが、本筋とどうからめるべきなのか逡巡している印象。しかしこの巻まではまだ小説としてもおもしろく、理屈っぽくてくどいのに軽やかな筆致と小説性とがうまくマッチしていて、普通に楽しく読める。

3巻: 唐突に、双子の生き別れの妹 (!!) の存在が明らかになります。, 2006/6/5

ムージル著作集 第3巻 特性のない男 3

ムージル著作集 第3巻 特性のない男 3

20 世紀を代表する大作小説の第 3 巻。主人公ウルリヒがお義理で参加した平行運動は、オーストリア精神の中身を見つけようと奮闘するが一向に見つからず、ひたすらジリ貧。この巻で、この運動およびウルリヒを巡る各種人物の思惑や内心のとまどいをあれこれと著者はつまみ食いするが、話が進みようがなくなったところで、急にウルリヒに実は生き別れの双子の妹がいたことが判明。ウルリヒはあれこれ妄想をたくましくし、著者も脱線して何やら兄妹の関係論などにページをさいてこれまでの話はどうなったんだ、というところでこの巻はおしまい。

4巻: 突然この巻から妹萌えの近親相姦じみた小説になる。, 2006/6/5

ムージル著作集 第4巻 特性のない男 4

ムージル著作集 第4巻 特性のない男 4

20 世紀を代表する大作小説の第4巻。前巻で何の予告もなしにいきなり存在が明らかになった、主人公ウルリヒの生き別れの双子の妹であるアガーテが、さんざんじらしたあげくに実際に登場し、すると本書は何やらがらっと話が変わってしまい、妹萌え小説となる。ウルリヒは妹と家に引きこもり、思わせぶりな性的暗喩があれこれ出されて近親相姦じみた雰囲気がかもしだされ、それまでの平行運動の話等は完全に背景におしやられてしまう。ウルリヒは妹にちょっかいを出すようになる。

5巻: 未完の大作のここから先は未定稿。でも話は一向に収束しない。, 2006/6/5

ムージル著作集 第5巻 特性のない男 5

ムージル著作集 第5巻 特性のない男 5

20 世紀を代表する大作小説の第 5 巻だが、この小説は未完なので、この巻以降は完成版ではない。とはいえ 5 巻はとりあえずゲラになった部分で、一応普通に読める。主人公ウルリヒが単にお義理でつきあっていた、オーストリア精神を鼓舞しようという平行運動は、世界平和会議とかおためごかしをしているが事態は何も進まない。ウルリヒはもうそんなもののことはまったく眼中になくなってしまい、4巻でやっと姿を見せた妹アガーテとの近親相姦世界(愛の王国)を妄想してばかりだが、妹は妹であれこれ思うところもあり、他の男のもとへと走ったりする。話はひたすら発散するばかり。

6巻: 大作の未完の断片集で、本当のマニア以外は読む必要なし。, 2006/6/4

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ムージル著作集 第6巻 特性のない男 6

ムージル著作集 第6巻 特性のない男 6

20 世紀を代表する大作小説の第 6 巻、最終巻だが未定稿のゲラに続けようとしたホントに習作くらいのレベルのもので、ウルリヒと妹とがひたすら愛とは何か等について議論しているだけ。これまでも理屈っぽい小説だったがその度合いは急増する。話の収拾はまったくつかないし、つけるつもりだったかどうかもわからない。

またこの巻の後半は、ムージルの書き残した断片をまとめてあるが、本当に断片でマニアでもなければ読むには及ばない。

雑誌『NIKITA』: コピーは笑えて楽しいが中身負け。 2006/6/2

コピーのつけかたはふざけていておもしろいんだが、それ以上のものではないのが難。必要なのは若さではなくテクニック、というのだけれど、モデルはやっぱり(多少は年配ながら)若い女の子。たまに本物の艶女 (注:2017年の読者はお忘れでしょうが、これは「アデージョ」と読むことになっていました) が出てくると(この号では pp.42-5 とか pp.174-5 とか) 勘弁してくれ感が一気に充満。冗談でたまに買う分にはいいんだが、たまに本気感が漂ってくるとヒジョーにつらい。さらに、必要なはずのテクニックというのは、本来は単なるブランドアイテムではないはずなんだが、雑誌読んだだけでがさつさがなおるわけはないので、それはないものねだりか。

黒沢『翳りゆく近代建築』: 浅はかな時代認識に現代思想の意匠を添えた悲喜劇的な建築論集, 2006/5/2

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翳りゆく近代建築―近代建築論ノート

翳りゆく近代建築―近代建築論ノート

1970年代に書かれた本書を2006年の現在に読むのは、ある意味で興味深い体験ではある。「今日、これほどに、建築をつくることの困難をかんずる季節をわたしは知らない」という、重いつもりでいながら「季節」ということばにうっかりそれが一過性にすぎないという認識があらわれている冒頭の笑える一文、「これほどに難問の集積した時代」はなかったとかいう世迷いごと。そしてかれが技術の暴走例としてあげているSST/コンコルドももはや引退。結局、黒沢の問題意識はちゃんとコスト意識と合理性によって短期間で解消されてしまうものでしかなかったわけだ。黒沢が1970年代に嘆いたイデオロギーの終焉も、成長の限界も、進歩の終焉も(p.137)、実は存在しなかった。もちろん、浅田/中沢のニューアカブーム以前に各種フランス現代思想をきちんと勉強していた勤勉さは立派なものだとは思う。が、岡目八目は承知の上ながら、的はずれな問題意識と賢しらな現代思想、およびいまやすっかり色あせた社会主義への憧憬とをからめた本書収録の各種建築論は、いま読むと根底にある浅はかさ故に失笑せずに読むのはむずかしい。

クロスニー『ユダの福音書を追え』: 大した事件のない発見過程を大仰にふくらませただけ。 2006/5/1

ユダの福音書を追え

ユダの福音書を追え

世紀の大発見であるはずの、ユダの福音書……の発見解読までのドキュメンタリー。とにかく原文がまだ日本語ではあまり出回ってもいないのに、それをすごいの世紀の大発見のといって騒ぎ立てられてもぜんぜんピンとこない。結局、ユダの裏切りは実はイエスによるやらせだった、という話なんだが、実際の中身は本当に断片的にしか触れられていなくて、欲求不満がたまるだけ。

実際問題として、最初に発見されてからあちこちを転々とはしたけれど、そんなにすごいエピソードがあったわけじゃない。それをなるべく仰々しく書こうとしていて、まわりくどくつくりものめいていてげんなり。読む価値なし。

タカーチ『生物多様性』: インタビューと称する聞きかじりに社会構築論を混ぜた駄本, 2006/4/28

生物多様性という名の革命

生物多様性という名の革命

著名生物学者23人へのインタビューとあって、帯にもそれらの名前が仰々しく並んでいるが、インタビュー自体はぜーんぜん出てこず、切れっ端があちこちで援用されているだけ。その23人の多くがロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』で無根拠さを批判されていた論者だが、そうした批判に対するコメントも一切ない。

だが本書をさらに嫌な駄本にしているのは、これが生物多様性というのを社会構築論的にとらえようとしている点。社会構築論というのは、事実は物理的・科学的なものですら客観的に存在するのではなく社会的なお約束ごとでしかないというくだらない説。著者にとっては、生物多様性というのも社会的に構築された作り事のお話でしかないのだが、救われないことに著者はそれが何やらいいことだと思っている! そしてそれを弁解しようとするいたずらに饒舌で空疎な記述がひたすら続き、学者のインタビューはその援用のためにつまみ食いされるだけだ。さらに p. 291-292 あたりでは生物多様性のスピリチュアル性とのつながりが云々といって、科学が宗教とからんで生物多様性を保護するとかなんとか。もう頭痛もの。

生物多様性を保護しろという議論は、まったくのナンセンスではないし、検討すべきこともある。でもそのためには科学的、経済的、文化的な検証を通じ、その意味をきちんと示すことでコンセンサスを作るしかない。ところが本書はぜんぜんそれができていない。本書はむしろ、生物多様性というお題目を使って、サイエンススタディーズとか社会構築論とかを擁護するところに実際の重点がおかれていて、このために大変読みにくくいやな本となっている。生物多様性に本当に関心ある人は手に取らないこと。

アマゾンレビュー救済: 2005年 2

アントニオーニ『ある女の……』: 昔はいいと思ったのに。

ある女の存在証明〈無修正版〉 (レンタル専用版) [DVD]

ある女の存在証明〈無修正版〉 (レンタル専用版) [DVD]

かつてイタリア映画祭で初めて見たときは、すごい映画だと思ったのだが、今見ると全然ダメ。女優は特にクリスチーヌ・ボワッソンが宇宙人みたいな巨大おでこを全開にしてすばらしいけれど(星はおでこ代)、今見ると主人公の映画監督が徹頭徹尾どうしようもない身勝手なクズ男なだけ。昔のアントニオーニみたいな、時に人間そっちのけでモノをひたすらなめ回すような——そしてそれによって人間の所在なさを描くような——視点もなくなり、監督自身のいいわけがましさだけが残る。映画作りとしても、照明が強すぎて変な薄い影があちこちに出たりしてるし、窓や鏡の反射を使って構図を作ろうという努力はかっこいいこともあるが往々にして作為的すぎる。

 またDVDは、4:3 のレターボックス仕様。ワイド画面のテレビを持っていても活用されません。

関『ニッポンのモノづくり学』: こんな企業があるのか! 日本産業の活力を見直す、元気の出る本。, 2005/9/29

ニッポンのモノづくり学~全国優秀中小企業から学べ!

ニッポンのモノづくり学~全国優秀中小企業から学べ!

日本全国に、こんな得体の知れないすごい企業が山ほどあるとは! 知らなかった。現場なんか見たことない大学の経済学の先生が、これまた溶接トーチはおろか製図板すら見たことないとおぼしきMBAあがりのペーパー経営者と空疎な抽象論をかわすつまらない本はたくさんあるが、本書は現場にこだわる関満博が、日本中の物作りの最先端にいる中小企業の現場をインタビューしてまわった迫力満点の連載をまとめた一冊。全国をまわったせいで一つ一つは食い足りない部分もあるが、それでもその企業の何がすごくて、さらに技術的な解説とともにどうやってそこに到達したかのプロセスがきちんとまとまっていて実に有益だ。連載後の後日談も短いながら加筆されている。都会に出ないとビッグになれないと思ってる地方の高校生や大学生や、その他大企業大好き病(大企業しか知らない病)にかかってるお役人などにもおすすめ。日本の、特に地方部の底力を見直すことうけあい。

『ピングー1』: 懐かしいが、なぜか音声が変わっている。 2005/10/28

PINGU シリーズ1 [DVD]

PINGU シリーズ1 [DVD]

懐かしくて購入。かつてのビデオ版は、一本がバカ高くてさらにビデオ一本に4話くらいしか入っておらず、それに比べれば実に高いコストパフォーマンス。中身は子ども向けとはいえ、大人の鑑賞にも十分堪えるものです。

ただ不思議なことですが、ビデオ版と比べて音声が吹き替えられているようです。これがはっきりわかるのは、ピングーの子守り(というか卵守り)の話。ピングーは子守りの最中にレコードをかけるのですが、その曲がビデオ版ではかなり笑えるピングー語ラップになっていたのに、DVD では非常に生ぬるいポップス調の曲になっています。それで作品の価値が大幅に変わるわけではないのですが、ちょっと気になる人もいるかもしれません。

三浦『下流社会』: たちの悪いデータマイニング。キャッチーなレッテルだけ使えなくもない。, 2005/11/4

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

そもそもこの本の「下流」というのは、アンケートで「中の下」と答えた人も「下」に入れるという、たちの悪いデータ操作の結果でしかない(90ページ)。上中下できいていたアンケート結果を持ってきて、中の中と答えた人だけが実は中だということにして、それ以外の人を上と下にふりわけたら、そりゃ当然、「中」が減って階層化してるような印象になるだろう。勝手に中の範囲をせまくして、勝手に上と下の定義を広げてるんだもん。また、冒頭の「国民生活世論調査」の解釈も、恣意的な期間を取って「中の中が減ったことはない」など首を傾げる強弁をしているだけ。78年-85年では減ってるじゃないか。明確に景気と連動しているんですけど。

 内容的にも、デフレの意味もわかってないし(同じものの値段が下がる、というのがデフレであって、安いものを買うようになるのがデフレではありません)、勝手なくくりをいろいろ作って、キャッチーな名前をつけてみせる以上のものではない。だいたい働く意欲のない人が、貧乏暮らしで自足するのは悪いこと? 人々が地元にとどまってなかなか東京に出てこないのも、東京集中がやっと止まっていいことだとも言える。それにかれが問題視している階層化なんてのも、日銀がリフレ策をとって日本の景気が回復したら一瞬で消え去るんだけど。

というわけで、あまり感心しないデータマイニングの練習問題でしかありません。ま、挙げられてるレッテルを適当に週刊誌の見出しっぽく使って話の種くらいにはなるかも。

池内『書物の運命』: イスラム理解の問題点にサイード批判まで盛り込んだ、軽くも重くも読める一冊。, 2006/4/18

書物の運命

書物の運命

 池内恵の書評集だが、書評されている本がアラブ中東系の書物中心で比較的テーマ性があるため、散漫にならずに楽しめる。書評そのものは時事的に少し古びたりしている面もあるが、ときどき間にはさまっている文は非常に秀逸。特にルイス『イスラム世界はなぜ没落したか』の書評を契機とした、サイードとその盲目的追随者たちへの批判は必読。サイードのルイス批判は論理的なものではなく、むしろ正統なアカデミズム的手法に対する通俗評論家の揚げ足取りに近い、という批判にはハッとさせられる。

 そしてそこから、「イスラーム」というものを妙に特別視し、往々にして反米のツールにしてみたり、文化相対主義を主張するための都合のいい口実にしたりする一部知識人への批判が展開されるのはたいへんに読み応えがあると同時に、われわれ一般読者がそうした言辞を読む際にも留意すべき点であろう。イスラームではこうなんだから、と言うだけでは何もならないし、そのイスラームすら現在変革を迫られていると言える、変なものわかりのよさを廃した誠実さにも好感が持てる。エッセイ風の読み物もあり、軽くも重くも読めて大変に有益。

バルト『文学のユートピア』: 後の発展の萌芽を見るためだけの習作集, 2005/12/13

文学のユートピア―1942-1954 (ロラン・バルト著作集 1)

文学のユートピア―1942-1954 (ロラン・バルト著作集 1)

すでに後のロラン・バルトの諸作を読んで、その何たるかを知っている人以外には意味のない初期習作集。<古典>の快楽に、晩年の「恋愛のエクリチュール」の原型を見たり、「ギリシャにて」に「記号の国/表徴の帝国」の発端を見たりする、といった楽しみは、ないわけではない。もちろん最後の「今月の小さな神話」も後の作品につながるものだ。

しかし収録作品の多くは短評や小文にとどまり、しかもその多くは対象となる作品について有益なことを言おうというよりは、気取ったことをかっこよく言ってやろうというナルシズムに動かされている。「エジプト学者たちの論争」など、バルトは議論に貢献できるだけの知識をまったく持っていないにもかかわらず、あれやこれやとどっちつかずの議論を展開するだけ。上に挙げたいくつかの萌芽的な論以外に、「文法の責任」はちょっとおもしろい。また訳者による、悲劇に対するこだわりに注目した解説は読むに値する。でもそれ以外のものは、マニア以外は手に取る価値はない。

チアン『マオ 上』: 画期的ながら個人にこだわりすぎて全体像に欠けるきらいあり。, 2005/12/12

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

 毛沢東の生涯を、その誕生から死まで淡々と描く一作だが、その過程でこれまで伝えられてきた毛沢東伝説のほとんどが、捏造かインチキであったことを暴くすさまじい伝記。毛沢東は残虐で猜疑心の強い小心者であり、軍事的にも経済的にもまったくの無能。人民のことなど一切考えず私利私欲を肥やして女色にふけるだけの存在であり、単に党内の権力闘争にのみ異様な才覚を発揮してトップまで上り詰めたとされる。実は中国共産党の主要創設メンバーですらなく、共産主義に走ったのも別に信念があったわけではないという。

 長征における各種武勇伝もまったくの捏造。現実におさめた勝利は、単に国民党軍に入り込んだスパイのお膳立てでしかなく、それ以外のまともな軍事行動は、常に最悪の選択で手下の兵をひたすら犬死にさせるだけ。しかもその責任を常にだれかになすりつけることで延命。また八路軍は常に公明正大で住民を収奪しなかったというのは出鱈目で、実はかれらは略奪と虐殺の限りを尽くし、山賊以下の「共匪」として住民たちに忌み嫌われていた。エドガー・スノーは単に毛沢東のプロパガンダを嬉々として垂れ流していただけ。

 これまでの毛沢東像を知る人には、信じがたい記述がひたすら続く、ショッキングな一冊。毛沢東のために「数万人が飢えた」「数千人が泥にまみれて死んだ」等の記述ぶりは、ほとんど意識的に古代中国の史書を真似たと思えるほど。読み物としてもすごい迫力。従来の毛沢東像を知らない人はおもしろさ半減だがそれでも読ませる。ただし個人としての毛沢東固執するため、当時の時代背景や中国や世界のパワーバランスについての記述はきわめて薄く、前提知識がないと理解しにくい。そしてここに描かれたほど無能な人格破綻者が、単なる党内権力闘争能力と恐怖政治だけであそこまでの地位を獲得できるものだろうか、という疑問は残る。(下巻へ)

チアン『マオ 下』: 画期的だが、比較して読む慎重さが必要。, 2005/12/12

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

(上巻よりつづく)

邦訳の上巻は、毛沢東中華人民共和国の独裁者の座につくまで。下巻では毛沢東が超大国になろうとして、諸外国に媚びを売りちょっかいを出しつつ失敗する様子が描かれる。詳細なインタビューに基づく記述の迫力は比類がない。またトリビアとしても、中国が自国内の外国公館を偽装デモ隊に襲撃させるのは毛沢東以来の伝統であることもわかるし、他国に難癖をつけて嫌がらせをするのも常道であることがわかる。最近の中国の対日施策理解にも勉強になる部分が多々ある。

 しかしながら、本書は冒頭から毛沢東個人を悪く書こうとして納得のいく記述がなされていない場合がある。たとえば毛の軍事天才神話を否定するため、国民党に対する勝利はすべてスパイによる工作の結果でしかなく、毛沢東自身は無能だとする。でもそこまでのスパイを敵軍中枢に送り込んだのは、きわめて高い軍事能力ではないか? また国際的発言力を手に入れようとする毛沢東の策謀すべてを失敗だと著者たちは描くが、国際関係でそんなすぐ成果がでるものではない。ニクソン田中角栄の訪中のインパクトは子供心にも強く、さほど矮小とは思えない。1999年に出たフィリップ・ショートによる決定版とされた毛沢東伝(未邦訳)と併せ読む慎重さは必要だろう。ショート版は毛の思想形成史や成長過程かなりていねいにたどるが、チン版はそれを完全に無視。毛沢東はとにかく生まれつき一貫して残虐で利己的で打算的だったのだと決めつけ、それにあったエピソードだけを並べている。

 本書が毛沢東の伝記として画期的な存在であるのはまちがいない。ただしそのまま鵜呑みにするのは危険。毛沢東の伝説の相当部分を否定しつつも、それなりに能力のあった人物だと評価したショート版と、新資料に基づきつつすべては毛沢東をまったく評価しないチン版との間で、今後の世界の毛沢東像は形成されることとなるだろう。

ライダー『ライオンはねている』: インチキ外人の無知垂れ流し本。いまだにだまされている人がいるとは! 2005/12/7

ライオンは眠れない

ライオンは眠れない

昔のレビューのバックアップが出てきたので、今更ながらにポストしときましょう。本書は表紙に「The Lion Cannot Get To Sleep」と書いてある。こんなセンスのない英語をそのままタイトルにするガイジンなんかいないぞー。イザヤ・ベンダサン流のインチキガイジンだな。

まず日本は構造改革して、さらにその途中でデノミと大量の資産課税と預金封鎖をやって財政赤字を解消します、そうすれば日本は立ち直ります、という中身の本。が、このインチキ外人、デノミってわかってるんですかね。「交換比率を下げて資産を吸い上げる」なんて書いてます。交換比率を下げると、どうして資産が吸い上げられるの?

 さらに新通貨切り替え時に預金封鎖して30%課税するんだって。何のために? 日本の政府の借金と銀行の不良債権を一気に返済するため、なんだって。あのさあ、無理く返済できるなら借金は悪いことじゃないのよ。そして国債と銀行の不良債権をいっしょくたに合計してみせるって、何を考えてるんでしょうか。支離滅裂。

というわけでかなりひどい本。前半の構造改革談義は、田中まきこの外務省での茶番が構造改革の本題だと思ってるようであきれ果てます。しかも結局の結論は、なんだかしらんが国民はこれから政府がむちゃくちゃやるけれど、何やられてもそのうちよくなるから我慢しろ、というだけ。ふざけんな!

本書が発表された2002年以降、本書に書かれたことは何一つ起きなかった。そしてその後、本書の続編のバカな本で著者は、新札切り替え時に預金封鎖で云々と柳の下のドジョウをやってましたが、これも何もなし。これだけ見当はずれな本なのに、いまだにだまされている人がいるのにはあきれる。

Amazon救済 2005年分 1

川島『伊勢丹な人々』: 「それでどうなった?」が皆無!, 2005/6/16

伊勢丹な人々 (日経ビジネス人文庫 ブルー か 4-1)

伊勢丹な人々 (日経ビジネス人文庫 ブルー か 4-1)

本書は、何をやったかという話はあれこれあるんだけれど、それが結局成功したのか、どういう結果になったのか、という部分がほとんど皆無! 新しいブランドをたちあげました、こういう売り場構成にしました、新しい発想をとりいれてみました、とかいった話はたくさんあるんだが、それで結局売り上げや来客は増えたのか、という話が定性的なものすらほとんどない。しかも変遷も時系列でダラダラ並べているだけで、全体を貫く主張もなし、さらに最後のあたりになるとほとんどの節の終わりが「~と期待したい」「~だと思う」といった著者の根拠レスな感想文ばっかり。評価軸がない人の書いた、成り行きに流されただけの実用性のない本です。

バルト『現代社会の神話』: 今日的な意義のない、バルトの教条左翼ぶりを哀れむだけの本。, 2005/6/7

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

現代社会の神話―1957 (ロラン・バルト著作集 3)

現代のいろんな報道や記事なんかが、実は現代社会の各種価値観を肯定する役割を果たしている、というのを各種の時事ネタから述べたエッセイ集。50年前は先駆的だったのかもしれないが、今はこうした見方が常識となっていて、現代的価値はほとんどない。

またソ連の実態をありのままに伝えた記事に対して、これは反ソ連の神話を反復しているだけだといきりたったり、港湾労働者が親分の搾取に刃向かう映画を、これは組合運動否定の神話だと主張したり、さらに最後の理論編で、左翼は現状を肯定するのではなく革命による変革をめざすので神話は基本的にない! と述べたりするあたり、バルトこそ最低の親ソ左翼むきだしの神話の奴隷であったことが露骨にわかる。

そしてかれは、本書でブルジョワ神話の手法と称して批判していたことをすべて、後の「記号の国/表徴の帝国」でだらしなく無批判に実施するようになる。バルトが過大評価されていることを再確認するにはいいかも。

Levitt『Freakonomics』: 変わった事象を経済学的に分析する楽しい本, 2005/5/20

Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything

Freakonomics: A Rogue Economist Explores the Hidden Side of Everything

合理的期待形成や収穫逓増といった大きな物語がなくなったあとで、独創的なデータ活用で意外なことを経済学的に説明する名手として、クルーグマンの次代のホープとして名をはせるレヴィットの本。新古典派の教義をひたすらふりまわすベッカーとちがい、あっと驚くきめ細かなデータ活用による繊細な分析が楽しい。犯罪と刑罰等の関係についての分析や、おそらく最も有名なのが日本の相撲の八百長を実証してしまった得体の知れない分析! それらが楽しく解説されています。ときどき文がだれるのが難点。

Darwin『On Natural Selection』: 種の起源抜粋版だが、きちんと要点をおさえている。, 2005/4/24

Great Ideas On Natural Selection (Penguin Great Ideas)

Great Ideas On Natural Selection (Penguin Great Ideas)

 ダーウィンにこんな本あったっけ、と思って買ってみたら、実は本書は「種の起源」の抜粋でした。しかもそれが版権ページにものすごい細かい字で書いてあるだけ!

しかしながら、悪い本ではありません。長い「種の起源」を読む前にざっと流し読みするには好適。生存競争の考え方、それに基づく自然選択(淘汰)の議論、そしてこの理論の難点とそれへの反論、そして結論という非常に簡潔ながら要点をおさえた構成が100ページ強につまっています。

 ダーウィンに対する反論というものはしょっちゅうでてきま すが、それらはすでに「種の起源」そのもので反論されているもの がほとんどです(反論したつもりになった人の多くは、実は種の 起源をちゃんと読んでないのです)。それがこの短い一冊にも まとめられているのはうれしい。一般人も、いきなり種の起源に とりかかると挫折しますが(昔の人のくどい英語だし、本自体 がすごく長いから)本書くらいでざっと要点をつかむとかなり 理解も進むんじゃないかと。値段がちょっと高いかな。日本だと 300円くらいだといいんですが、まあしょうがないか。

武田『脳は物理学を……』: お勉強のまとめとしてはいいが、タイトルに偽りあり。, 2004/12/18

脳は物理学をいかに創るのか

脳は物理学をいかに創るのか

物理法則は脳が作り出したものだ! という、悪しき文化相対主義者の言いそうなことが帯にも序文の冒頭にも述べられているので、大いに警戒しつつ読み進んで行ったのだけれど、なーんだ。内容は脳科学についての比較的新しい知見をまとめただけで、ニューロンとは何か、「モノ」はどのように認識されているか、そこでの情報処理はどんな形で行われていて、抽象概念はどんなふうにできあがるか、といった内容がそこそこ説明されているのはいいでしょ(でもディテールの羅列気味で、全体のテーマに貢献しない部分が多いのは日本人の著作にありがちな点)。

そして確かに、物理法則というのを考えるにあたっては、そうした認知能力は必須だから、それをもって「脳は物理法則を作っている!」と主張することはできなくもない。でもそれはあまりにミスリーディング。

物理学者が、脳科学に興味をもってあれこれおもしろがって勉強しました、というのはわかるんだが、お勉強をそのまま出されましても……。そして結局、それ以上の話はまだまだわかりません、と書いておしまい。これではタイトルに偽りありまくり。結局タイトルの問題提起は何ら答を見ない。そしてピンカーの本のように、その新しい成果の整理をもとにおもしろい知見や洞察があるわけでもない。結局何なの、という消化不良な読後感だけが残る。

電源ユニットがでかくてファンの音が気になるときもある以外は満足。, 2004/12/16

(確か当時でまわったbiDesign かなんかの液晶テレビ

カタログ等ではわからないこととして、これって巨大な電源ユニットが別の箱でついている。それについてるファンがそれなりの音をたてて、静かな映画などを観てると気になる。ただしこの電源ユニットは本体からある程度離せるので、それで音の聞こえにくいところに持っていくことで対応はできる。

画面的には、DVDやビデオを観るにはまったく問題なし。カタログの数字で見ると液晶の応答性能が遅めに見えるが、よほどの高速ゲームでもやらない限り絶対問題にならない。マトリックスや NIN ライブ等でも支障なし(まあこの手の画像ソースならあたりまえか)。また本製品の新型がすでに出ていて、これが20万を切る値段となっている。PCカードスロットが省かれた廉価版だが、PCカードスロットはほとんど使い道がない代物なので、なくても全然問題なし。この値段ならほとんど文句なしではないかしら。左右スピーカーも大きいし低音もきちんと出て、音楽系の DVD でもそんなに不満なしに聞けるレベル。入力端子が豊富なのもうれしい。

なお、30インチは店頭で40インチだの50インチだのに混じっていると小さく見えてしまうけれど、実際に家に置いてみるととても大きくて、店頭の37インチくらいの印象は優にある。29インチブラウン管の買い換えなので、これだと縦がつまって見えるかと恐れたが、最近のソースの多くは横長なので、画面が小さく見えるようなことはまったくない。またデザインもシンプルかつシャープで、どんくさい感じはまったくなし。

橘木他『脱フリーター社会』: 単著にするのはきわめて不誠実なうえ、中身もまったく不十分。, 2004/12/12

脱フリーター社会―大人たちにできること

脱フリーター社会―大人たちにできること

第1部、2部にわかれていて、1部は著者が書いて、2部はその研究室の学生たちが書いたそうな。だったらそれを単著として発表するのは不誠実きわまりない。さらに情けないことに、先生が書いた部分より学生が書いた部分のほうが、相対的に優れた出来となっている。

 橘木による第一部は、そもそもフリーターの何がいけないのかまったく述べずに議論が展開されるため、何を騒いでいるのやらわからん。香山リカの思いつき書き殴り本が主要な参考文献になっていて信頼度もがた落ちだ。フリーターの多くは責任ある仕事につきたくないそうで (p.34)、所得分布もかなり均一だ(p.20)。だったら現状は、責任を持ちたくない人がその分安定性の低い仕事についている健全な需給マッチで無問題でしょ。そして最悪なのが提言。フリーターを減らすために、若者に結婚しろと提言する! たかがフリーター減らし貢献のために、だれが無理してしたくもない結婚するもんか。聞く相手のいる提言してくれ。

 一方、第二部はもう少し堅実ではあるんだが、フリーターがなぜいけないか、やっぱり説明が弱い。さらにフリーター増の原因は企業にあるというんだが、フリーターへのアンケートによれば、7割近い人が就職先はあるのに勤務地や給料やその他条件があわない、という理由でフリーターをしている(p.151)。だったら原因は企業じゃなくてフリーター側がぜいたくを言っているのでは? 企業は別に、無理して自分たちの要求条件を曲げてまでフリーター様に正社員になっていただく義理はないのです。だからその後の提言も説得性がない。

 結局全編とにかくフリーターを減らすべきだ、というのが前提になってしまい、議論がゆがみまくり。マッツァリーノ『反社会学講座』のフリーター肯定論に応えられないものは、いまやまったく無意味でしょう。学生さんの努力に免じて星三つ。だけどお勧めしません。

Lomborg『Global Crises, Global Solutions』: 出ました! 「じゃあ何をすればいいか」へのお答え。, 2004/12/3

世界的ベストセラーSkeptical Environmentalist /『環境危機をあおってはいけない』の著者ロンボルグが受けた的はずれな批判の中で大きなものは「ロンボルグの議論は現状追認だ!」というものだった。もちろんロンボルグはそんなことは主張していない。優先順位を考えろと言っただけだ。そしてかれが世界の一流学者を集めて、本当に世界が直面している各種問題の優先順位づけを行った一大プロジェクト、コペンハーゲン・コンセンサスの成果がこの本。地球温暖化、伝染病、教育、貿易など、大きな問題とその各種対応策について、コストと便益をきちんと計算してもらい、またそれに対して反対の立場から批判させる。そのプロセスを経た計算結果をもとに、優先順位をきちんとつけたのが本書。

 いま世界で何より重要なのは、HIV/AIDSへの対応策だ。これは今すぐ何百万もの命が救える。栄養失調の解決が次点。一方、地球温暖化はどうせ数百年がかりのプロセスで、対応が10年遅れても大した差はないし、京都議定書みたいな対応策はあまりにコストが高くつきすぎる。

 この結果に、温暖化でおどしをかけて商売している環境団体は反発したけれど、「HIV対策をやめてまで温暖化施策するほうがいい」という証拠はだれも示せていない。本書を読んで、地球の未来にとって本当に有益な施策とは何か、そのために何をすべきか、冷静に考え直してくれる人が一人でも増えることを祈ってやまない。

前田建設ファンタジー営業部』傑作。すばらしい。土木技術も進歩したもんです。, 2004/12/3

前田建設ファンタジー営業部

前田建設ファンタジー営業部

 柳田理科雄みたいに、アニメや特撮モノのあげあしをとって、非現実的だと嘲笑する非生産的な試みに対して、本書はマジンガーZの格納庫を本気で造ってしまおう、おとぎ話を現実化してしまおうという壮大な試み。「え、あんなものがマジで作れるの!?」というオドロキに対して、平気で積算して見積もりと工期を出してしまうというのは笑えるだけでなく、実際の土木建設の検討プロセスまでわかってとっても勉強になります。

 ゼネコン営業というと公共事業受注のためのお役所接待みたいなイメージがあるけれど、実はこういう技術的、コスト的な詰めのプロセスが重要なんだというのを教えてくれて有益。そして、本気で実現性があると思うと、アニメを見るイメージも変わってくる。しょせん外見だけのフィギュアとはまったくちがった、重たいリアリティを元のアニメにも戻してくれる好企画だ。次回作もあるそうで期待したい。それとこんどは別のゼネコン(五洋か飛島か熊谷あたり)と対決するのやってくれないかな。

ランド『肩をすくめるアトラス』: 自分が分不相応にえらいと思っている人だけが感動する本。, 2004/12/1

肩をすくめるアトラス

肩をすくめるアトラス

アイン・ランドの代表作。長いし、小説としてはへたくそです。大仰な描写、延々としゃべりまくる饒舌な登場人物。すべては功利主義で進み、主人公の鉄道会社重役ダグニー・タガートは、ボーイフレンドよりも有能な男が目の前に登場するとあっさり乗り換えて、そのボーイフレンドも功利主義者なのでそれを平然と祝福するなど、失笑するような場面が満載です。

 本書に人気があるのは小説として優れているからではなく、その思想に共鳴した人々が一種のカルトを形成しているからです。ソ連から亡命してきて、ひたすら国の規制を毛嫌いする彼女の思想は、かなりおめでたい自由放任実力主義です。世の中には、生まれつき有能な人と無能な人がいて、世界は有能な人のおかげで動いているんだから、そのエリートたちを(国の規制などで)邪魔してはいけない、というだけの話。本書でも、有能な人は生まれてずっと有能、そうでない人はずっと無能な寄生虫、という描かれ方は一貫しています。

 本書を読んで感動し、ランド支持者となる多くの人は、自分こそはこの優秀な側の人間だと思っています。でも実際には、多くの人は自分が思っているほどは有能ではなく、社会的な評価の低さも実は単なる分相応だったりする場合がほとんどです。本書を絶賛する人は、いったい自分がランドの世界でどこに位置づくかをよく考えてみるべきでしょう。

 著者のランドも「自分は優越人種なのだから通常のモラルには縛られない」と放言して25歳も年下の(既婚の)愛人を囲い、かれから別れ話を切り出されると逆上して破門など、自分の教えほどは功利主義的には生きられなかったようです。また彼女の死後、その弟子たちは派閥抗争を繰り広げて分裂を繰り返しています。彼女の「教え」は本当にそんなにいいのか? そういうことを考えながら、批判的に読むといいでしょう。