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マラテール『生命起源論の科学哲学』:すばらしい。創発批判本!

朝日新聞書評ボツ本 書評

生命起源論の科学哲学―― 創発か、還元的説明か

生命起源論の科学哲学―― 創発か、還元的説明か

生命の起源をめぐる各種議論についての本。ここしばらく、科学哲学というのは基本的にアホダラ経であって読む価値がない、という思いをだんだん強くしていたんだけれど、この本で多少は見直した。

生命ってどうやってできたの、というのは基本的に生物学の根底にある大きな謎の一つ。で、本書はまず、生命って何、という議論を紹介し、その中で最近出てきた創発的説明について分析を加える。で、最終的には、創発的な説明って実は説明になってないんじゃないか、という指摘をして、いずれ還元的な説明が行われるだろう、と述べる。

おっしゃる通りだと思う。創発的現象、といっただけでなんか説明になったような気になってる創発論者が多すぎる。創発って「なんだかしらないけど勝手に生まれてきちゃいました」という以上の話ではないんだよね。インターネットのつながりを見ると、サイトごとのリンクの数はべき乗則にしたがいます! おおすごい、だれも管理しないのにこうした規則性が自然にあらわれます、創発だぁっ! だれも人種分離を支持していないコミュニティであっても「自分は地域の少数派にはなりたくない」という意識があるだけで、自然に人種分離が生じてしまう。創発だぁっ! 世の中の多くの創発本は、こういう事例を並べる。でもそれは、説明したい現象(秩序が自然にあらわれること)に勝手な名前(創発)をつけただけで、何の説明にもなっていない。コミュニティの人種分離のように、それ以上の説明はありえないのかもしれない。とにかく、やればそうなります、というところで止まるしかないのかもしれない。でも、創発だといって説明になるわけではない。

本書はそれをきちんと見て、生命は創発現象だという説明が往々にしてあまりちゃんとした説明になっていないことを指摘する。実際には生命っていう現象でぼくたちが知りたいのは、なぜ勝手に動くかとか、うまくホメオスタシスになってるかとか、そういう話で、そのように小分けにすれば、それはいずれ還元論的な説明が出るんじゃないの、という話。あるいは生命だって厳密にある/なしが定義されてるものじゃなくて、だんだん生命っぽい働きが生まれてくるプロセスがある。そのそれぞれは還元主義的に説明できるでしょ、という。えらいえらい。うわっついた創発論のはやりに流されず、還元論支持を取るのは立派。

科学哲学というと、とにかく科学の揚げ足を取ろうとするだけだという印象がぼくにはある。いやそうじゃないよ、あーでこーで、という能書きは知らないわけじゃない。でも実際に出てくるのは反科学的な妄言ばかりで、そのために怪しい相対主義と結託して科学の成果に下衆な勘ぐりをしている人たちばかりが目立つ。そうでない、真面目にやっている人もいるとは思うし、実際はそういう人のほうが多いんだろうけどね。で、そうでない浮ついた人々は、自己組織化とか創発とかアフォーダンスとか民俗科学とかホーリスティックとか、一昔前のユリイカエピステーメーで特集したがったような話にすぐとびつきたがるのだけれど、そういう安易さがなくて、読んでいてとっても嬉しい。

どう見ても一般向けの本ではない、というのはある。さらに、それが科学哲学の仕事とはいえ、ここまで細かく創発という概念の分析や区分の必要があるのかどうか。だまっていてもいろいろ知見がたまっていけばじわじわ外堀が埋まってきて、創発を持ち出す必要のある部分は自然に減るんじゃないか、と思ったりもする。が、一方でこういう本で、安易な創発の乱発も少しは押さえられるかなとは思うし、有意義。朝日の書評も残りが少ないので、残念ながらパスだけれど、よい本。あと、フランス語の文献ちゃんと紹介しようぜ、という訳者の心意気もすばらしい。ぜひもっとやってください。愚かしいポモ学者どもでフランス系はすっかり評判を落としてしまったと思うので。

付記:これもよい書評だと思う。



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竹下『イスラームを知る四つの扉』:いいことしか書いてない。

朝日新聞書評ボツ本 書評

イスラームを知る四つの扉

イスラームを知る四つの扉

イスラム教についての一般向け解説書。イスラムはすばらしい、普遍的で、開かれていて解釈も自由で、宗教的な階層や権威もなく、ちがう解釈が出ても誰もそれを禁止することはできず、いまや精神性を失ってしまったヨーロッパの心の穴を埋める存在で――と、すべていいほうに解釈している。文化や科学の話でも、かつてイスラム文化はすばらしく、科学も暗黒の中世を埋める世界に冠たる発達をとげ、という具合。

いまイスラムについて知ろうとする人が興味を持つような話はほとんどない。聖戦/ジハードについての説明はまったくないし、それが現代のテロとの関連でどうなのかも言及なし。イスラムは進化論を否定していて科学者たちが苦しい立場にあるはずだし、パルヴェーズ・フッドボーイが指摘する愚かしいイスラム科学の蔓延などもあって、それは単に一部の偏狭な解釈というだけではすまないはず。それはどうなってるの? まったく言及なし。近代化についての話がある、というので探すと、唯一あるのはトルコでのヴェール着用に関する話のみ。いまのイスラム圏でのすさまじい男女差別はどうなの? そこらへんもなし。

イスラームと科学

イスラームと科学

基本的にはイスラム教の宗教の話で、ムハンマドの啓示から始まる草創期の話、イスラムにおける天国と地獄の話や天使の位置づけ、スーフィズムなどに力点がある。もちろん宗教思想の学者さんの書いた本なので、宗教の教えや信仰に関する話ばかりなのは仕方ないのだろう。でもぼくは信仰というのは紙の上の話ではなく、その実際のあらわれかたこそ重要だと思っているので、宗教概説書としてもぼくにとってはこれでは不満。信仰の話も従来のたくさんあるイスラム教概説書より特におもしろいとは思わなかった。とりあげません。



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吉川『デフレーション』:混乱した本だし、10年以上前の小野善康との論争蒸し返し。

朝日新聞書評ボツ本 書評

デフレーション―“日本の慢性病

デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する

朝日新聞書評委員が任期終了、最後っ屁でいまぼくがやるとしたらリフレ政策翼賛をやらずにどうするってことで、吉川洋『デフレ』なんてどうかな、と思ったんだが……

なんだ、これってデフレはけしからんからさっさと何とかせい、インフレデフレは金融的な現象だっってケインズフリードマンも言ってるし、日銀さん、あんたの出番だよ、という本かと思って読み始めたら、全然ちがうのね。


本書は、デフレには金融政策は効かない、という本だ。そして、デフレは実体経済に悪い影響をもたらすといいつつ、でもデフレは不景気の原因ではなく、実体経済が不景気なのでデフレという結果が出たにすぎない、という。そして、デフレをなくすには日本が不景気を脱しなくてはいけないので、そのためには日本がもっとイノベーションしなくてはならない、と主張する(ただしどうすればイノベーションが増えるのかは案すら出さない)。


いまのまとめを見ただけで、普通の人は???となると思う。デフレが実体経済を悪化させることを認めつつ、でもデフレは実体経済の悪化の結果であって原因ではない?? なんですの、それは? でも、本書はそう主張してるんだもの。

さて、ぼくはもちろんリフレ派だから、リフレ支持の議論はとってもありがたいんだが、そうでないからダメというわけじゃない。マクロ経済や金融以外に重要なことはあるので、それを指摘するのは重要。ただそこから、「だから金融緩和は必要ない」とか「リフレの主張はまちがっている」となれば、ぼくだって人間なのでちょっと厳しい見方になってしまう。だいたい、そういう主張の多くはちょっと変だったりするし。そして、本の中の主張が混乱していたり矛盾していたりすれば、それはやっぱダメでしょう。

で、本書は非常に混乱しているうえ、仮定自体の裏面が結論になってしまっているという点で、理論的にもかなり残念な代物だと思う。そして吉川洋は日本のケインジアンの代表格だというんだが、本書などを見ると、ケインズの最大の功績の一つを彼はなぜか捨て去ってしまい、彼が批判しているRBCをはじめとする有害無益(いや吉川自身がそう言ってるのよ)な最近のマクロ経済学と実は野合しているようにすら見えるのだ。

それを理解していただくために、まずは本書の概要を。

本書の概要(カッコ内は読者山形の内心の声)

まえがき:

 デフレはどうしようもないから、消費税の税率アップしろ。(!!!!???!!マジすか??!! ちなみに本書にはこれを支持する議論まったくなし。)

第1章:デフレ論争――デフレの何が問題か

 「何が問題か」とあるけど、何が問題かはあまり説明されない。害がないわけではない、というのがもうしわけ程度に述べられ、その後は過去20年の政策論争の中で、デフレというのがしょっちゅう出てきました、というののおさらい。

第2章:デフレ20年の記録

 過去20年にわたり、デフレが続いてきました、という日本経済史のおさらい。(経済状況あっての政策なんだし、第1章とまとめたほうが見通しよかったのでは?)」

第3章:大不況1873-96

 デフレの話をするなら、1930年代の話をするのかと思ったら、別の時期の話をもってきて、マネーサプライと物価とが必ずしも連動しなかったという話をする。

第4章:貨幣数量説は正しいか

 前章のまとめですでに見当つくと思うけれど、貨幣数量説は正しくないとのこと。よって、それに依拠しているクルーグマンの「復活だぁぁぁぁっ!」モデルをはじめリフレ派ども氏ね、とのこと。
 (ちなみにここでいろいろ数式が出てくるので、クルーグマンのモデルを解析的に批判しているのかと思う人も多いが、それはちゃんと読んでいない人。基本的には、「復活だぁぁぁっ!」の式をたどりなおして解説しているだけで、批判は結局、貨幣数量説を使っている、という一点のみ。)

第5章:価格の決定

 価格は原価で決まるのだ!(……え……マ、マルクスですか……市場とか需要とか供給とかは……それにその原価っつーのもどう決まるんだと……マネーサプライもちょっとは影響するけど、利子率を下げて景気に影響するからだよ!

第6章:デフレの鍵は賃金――「なぜ日本だけが?」の答え

 日本は他の国とちがって、賃金にデフレ期待が組み込まれているから。デフレなのは日本経済がデフレ体質だからなんだ!(……え……なぜデフレかという質問に、デフレ体質だからでは答えになってないのでは……)
 (ちなみに、ここの分析自体はまちがっていない。物の値段の相当部分は人件費だ(特に経済があまり機械化しづらいサービス業になればその傾向は強まる)。でも賃金が下がるのからデフレになるんだ、と言ったら、次は当然なんで賃金下がるんですか、と聞かれるだけで、説明としては不十分でしょう。)

第7章:結論

 デフレは人口構造のせいとかいうのは妄言。あと、リフレ派みんなダメすぎでマネタリストの手先。金融政策なんかやってもデフレはどうにもなりません。実は、デフレが不景気を引き起こすんじゃない。不景気だからデフレになるの! だから不景気退治を考えるべき。日本の不景気の原因は、イノベーションが止まったこと。これまではコストダウン型のプロセスイノベーションばかりやってきた。必要なのは、需要創造型の「プロダクトイノベーションなり!(!!!出たな妖怪「需要創造型!」)
 それにつけても、最近のRBCとかDGSEだかDSGEだかいうのもダメすぎ。リフレ派の依拠するマネタリズムなんて、ルーカスとかのやってた新しいマクロ経済学と賞するゴミクズの手先じゃん。古いマクロ経済学がいいんだよ!

感想

いろいろ味わいぶかいと思う。「はじめに」で唐突に出てくる、消費税増税しろという主張とか、なんでやねん。結論で重要視している古いマクロ経済学のどこに増税すると景気がよくなるような話があるんでしょうか? また結論でのイノベーション議論の、とってつけたような唐突な出現というのはびっくり。いやあ、何かそれまでに読み落としたのかと思ってあわてて前のほうに戻って確認してしまったよ。そして、第7章の結論がやたらに長いことに注目。ここで突然、それまでまったく出てこなかった重要な主張が次々に登場する。これは本書全体の構成の混乱ぶりを反映したものだ。

さて、本書の主張の中心は以下の三つだ。

  • 貨幣数量説はまちがっているので、それをもとにした理論はすべてダメ
  • お金は実体経済に影響しない(してもわずか)だからリフレとかダメ
  • 日本では賃金の下方硬直性が低い。だからデフレになるのだ。

でも、貨幣数量説がまちがっているといっても、どのくらい? あらゆる時点で厳密には成立しないにしても、長期で見ればだいたい成立している、というのが主流経済学のコンセンサスではないの? ぼくはそう思っていたし、ウィキペディアの英語版にもそう書いてある。相関係数ゼロならば、それはもちろんモデルには使えない。でも十年スパンで見てr2が0.8くらいあれば、それを元にしたモデルを全否定する必要はない。近似として十分に使えるだろう。でも、本書は貨幣数量説があまり成立していない昔の時期と、理論的にケインズとかがそれを否定していることを立てに、貨幣数量説がすべてダメ、それを元にした理論一切ダメ、となってしまう。

それは変じゃないだろうか。

そして、それをやってしまったために、この本は基本的にお金(マネーサプライ)の役割もほぼ完全に否定することになる。もちろん、利子率経由で少しは効いてくるんだ、という逃げはうつ。でもゼロ金利だということを盾に取り、リフレ論者みたいにそれが大きいということは認めないし、またそれが期待に作用する経路も考えず、インフレやデフレに作用する可能性も見ない。

ゼロ金利下ではマネーサプライを増やしてもダメ、というのを彼はしつこく述べる。だから金融緩和は効かない、と。でもクルーグマンの最初の論文ですら、それについては明記している。ゼロ金利下では、今のお金を増やしてもダメだ、と。それを今更得意げに言われても、「それで?」というだけだ。だからこそ、将来のインフレへのコミットが重要だ、期待を経由してそれが効いてくるんだ、というのをクルーグマンは何度も指摘している。でも、吉川は、現時点での金融緩和が効かない、貨幣数量説はだめ、だから将来の金融緩和も効かない、よってこの手の話は全部ダメ、とやってしまう。

そしてその道をすべて否定したことで、デフレがもはや金融的な現象ですらなくなってしまい、実体経済の結果だ、とされてしまう。要するに、お金は実体経済に影響しない、という話だ。これってまさに、吉川が批判するRBCとかの立場そのものじゃないんですか?

ケインズの功績(の一つ)は、お金というものを明示的に経済の仕組みに採り入れたことだとぼくは理解している。でも、ケインジアンであるはずの吉川の議論では、いつの間にかそれが消えてしまう。そしてデフレは有害と言いつつ、デフレはどうしようもない、と主張する。あなたが最後に敬愛を表明しているトービンは、そんな受け身の成り行き任せを容認しただろうか?

そして、著者は第6章で、日本の賃金は下方硬直性が低いのだ、というのを主張する。賃金がすぐ下がるからデフレなんだ、と。さて、これ自体はまちがいではないだろう。が、それはリフレ論を否定する根拠になるだろうか? 実はおもしろいことに、クルーグマンはアメリカがデフレになっていない原因として、アメリカの賃金の下方硬直性が高い(つまりなかなか下がらない)ことを挙げている。つまり下方硬直性が弱ければ、デフレになりやすいというわけ。でも、クルーグマンがそれを普通に語っていることからもわかるとおり、これはリフレモデルに替わる説明ではなく、共存できるものでしかない。物価はなぜ下がっているんですか、というのに対して工賃が下がっているから、と答えたら、次はなぜ工賃が下がっているんですか、ということになる。そして工賃と物価は、ニワトリと卵の関係でしかないので、これだけでは説明にならないんじゃないか。

イノベーションってどうやるの?

ちなみに、本書の議論は(一部リフレ派にとっては黒歴史である)もう13年前の小野&吉川編『経済政策の正しい考え方』そのものだ。イノベーションが大事だ、というやつ。そして、それに対して生意気にもかみついたぼくの議論も、寸分変わりなく成立する。「需要創造型」っていうけど、何が需要を創造してくれるかわかれば苦労しませんから! どうやったら需要が創造されるんですか? どうしたらイノベーションが起きるんですか? 昔はここで「だから産業政策を! 有望な技術を国が支援!」というとんでもない議論が平然と出ていたんだけれど、さすがにそれはなくなった。でも、それにかわる提案が何一つないようでは、本書の吉川の「提案」なるものは絵にすら描けない餅でしかない。

経済政策の正しい考え方

経済政策の正しい考え方

吉川は、日本はこれまで需要創造型のプロダクトイノベーションはやってこなくて、コスト引き下げのためのプロセスイノベーションしかしなかった、という。でも……日本の高度成長とカイゼン運動の成果は、プロセスイノベーションというのが実は大きなプロダクトイノベーションにもなる、というものだったはず。

さらに、日本の製品がプロセスイノベーションで一円でも安くに腐心してきたというのは本当だろうか? 世界における日本製品の評判というのは、高品質だけれど高い、というものだ。日本製品がそんなにコストダウンに腐心してきたなら、日本製品はなぜ高いの?

ここらへんの彼の議論というのは、とにかく裏付けは何も書かれていない。別の本を見ろ、というのは書いてあるが、それが『いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ―有効需要とイノベーションの経済学』ですからあまり説得力のある議論が出ているとは期待できない。

だいたい、吉川は何度も自分が現在の不景気を需要不足だと認識しているのだ、と述べる。だからサプライサイドの話をしてもダメ、と。でもイノベーションって供給サイドの話じゃないんですか?

デフレとイノベーションの循環論法

実は、イノベーション促進手段として自然に導かれる案がないわけじゃない。デフレになったからみんなコストダウン目指してプロセスイノベーションばかりやるようになりました、という主張はある。だったら、デフレが悪いんだから、当然出てくる案はデフレなくしましょうということになると思うんだけど……でも、本書の不思議なところは、それが一向に出てこないこと。

議論がどう進むか? 吉川はそこで、でもデフレは実体経済の不景気の結果でしかない、と言い出す。じゃあ結局はどうしようもないんですか? デフレは結果にすぎないにしても、それを緩和して「需要創造型」イノベーションとやらが少しでも起きるようにする方策はないんですか? イノベーションがコストダウンばかり目指すのがデフレのせいなら、何でもいいからデフレ解決できそうな手段をやるべきじゃないの? たとえば……金融緩和とか?

ところがデフレをなんとかしようというと、いやそれは実体経済の景気の反映でしかないから金融政策では無理で、景気を回復させろ、という。でもじゃあ、その実体経済の景気、ひいてはイノベーションが沈滞したのはなぜ、というとそれはデフレのせいだという。そして結局は何も明確な政策的提言が出てこない! ぼくはこれが、混乱した循環論法だと思うし、トービンソローケインズもこんな逃げ腰は軽蔑すると思う。

吉川洋と日銀理論

ちょっと、本書がこうなっている背景がわからないかと思って、吉川洋編著『金融政策と日本経済』も見てみたんだが、なるほどね。日銀理論の追認。

金融政策と日本経済

金融政策と日本経済

要するに、日銀にとっては金利が外生変数だから、マネーサプライはそれに応じて動くだけで変化させられない、というのが胸張って書かれている。いやだからその発想を変えれば、と思うんだけど、この本ではそれがまったく変えられない不動の原理であるかのごとくに扱われている。マネーサプライは変わらないんじゃなくて、日銀の判断により変えてないんでしょ。そうお書きになってるじゃないですか。そして、そういう政策判断を含んだ数値をもとに、マネーサプライではデフレは解消しないと論じるのは、ぼくは疑問だと思う。内生的に見えるように決められている数値を計量経済分析して、ほらごらん、内生的に決まってるんだ、だからマネーサプライでは実体経済は変わらない、などと論じられても……

結論:書評にはとりあげません。

むろん、ぼくがまだきちんと理解できていない部分もあるんだろう。だがいずれにしても、書評には採り上げるわけにはいかない。ちなみに、実は本書は別の人が候補としていったん持っていったが、その後なぜか断念したのをぼくが拾ったもの。したがって、ぼくがやらなければ誰か他の人が書評した、というものではない。

追記

本書の批判については高橋暗黒卿のエッセイも参照。



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佐々木『仏教は宇宙をどう見たか』:おもしろいが、まあ仏教の中の話なので。

朝日新聞書評ボツ本 書評

仏教は色即是空で現実は存在せずすべては心の働きなんだという一般的な主張に対して、いやそうじゃないよ、もう少し理屈はあるよ、という話で、仏教の挙げてい世界像を説明したもの。

現代科学のアナロジーであれこれ説明しようとしていて、まあわかりやすいといえばわかりやすい。その一方で、仏教がカオス理論を先取りしていたとか、その手の話がときどき出てきて鼻白む (pp.131-134)。カプラ『タオ自然学』とかでもそうだけれど、この宗教で万物が生まれては消失するというのは素粒子の対消失を先取りしていたとか、その手の我田引水はやめてほしいんだよね。いろいろ作用はあって先のことはわからん、という業の理論が、細かいものの作用が効いて結果がわからんというカオス理論を言い当てていたというのは、ちょっとアレでは。

仏教の中の世界としてこんなのがありました、という紹介としてはおもしろい。一方で、それはなぜそんな考え方になったんですか、というと……結局、仏教の後世の体系化(お釈迦さんはもちろん、本書にあるような世界観を直接述べたことはない)の中で後からこじつけででっちあげられたもの、なのでこれを真に受けるべきか、これが本当に仏教としての教えなのか、その本質に関わるのかそれとも枝葉の重箱の隅論なのか、というあたり、いま一つわからない。

仏教は面倒で、宮崎哲弥のように輪廻は実は仏教の教えではないとか業の発想があれやこれやとか、結局何なのよというのがはっきりしない。自分なりの浅い理解で何を言えるかということさえ判断つきにくいし、それでこういうものを紹介するのも及び腰になってしまう。もう少し読みこむと、またいろいろ言えるかもしれないんだけれど、そういう投資をすべきかどうかもアレなもんで、パス。まあ他に読みたいと手を挙げた人もいなかったし……



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finalvent『考える生き方』:Not for me. 装丁はちょっと変わってるので本屋で手に取るくらいは。

朝日新聞書評ボツ本 書評

考える生き方

考える生き方

いま届いた。2分で読み終わった。一目おいていないわけではないが、もったいのつけかたが好きではないブロガーfinalventが……己の平凡な人生をとつとつと変な諦念をこめて語る一冊。

他人の、特に華やかではなくそれなりに挫折やトラブルはあるにしても、まあ普通の人生。どうでもいいや。知らない人の、特に変わったものでもない結婚や子供や仕事の話をきいてもなあ。後半の、彼のお勉強作法のような部分やいろんな知識をどうやって身につけたか、という話は、人によっては興味があるかもしれない。が、若者への生き方に関するお説教(しかもあまり腰のすわらない、お説教なんていやあそんな柄じゃありませんよ、と謙遜しつつもまさにその謙遜することで他人がもっとヨイショしてくれるのを期待しているようなものほしげなお説教)は、だれが読みたがるのやら。

だれが何を求めてこの本を読むと思ったのかまったくわからない本と言うしかない。マーケティング不明で、その一方で読者をまったく無視した得体の知れない発狂本(いい意味で)でもない。歳寄りがよく、自費出版でだれも読まない自伝とか警世の書を出したりするが、まさにそんな感触。むろん、ぼくが知らないだけで、アルファブロガーにあこがれる人もいるのかもしれず、その教えを求める人もいるのかもしれないけれど。No thanks, not for me. 彼はもちろんぼくなんかのために書いたわけではないが。

装丁は、表紙/カバーでいきなり本文がはじまって、見返しにも本文がなだれこんでそのまま続く。扉とか目次とかは、その後でやっと出てくる。ブロガーとして文字の人であることを表現しようとしたのか、ちょっとおもしろいかも。でも、書評委員会では最初、まだ見本刷りなのかと思った。ちゃんとした本という感じがしないのは、目新しいけど裏目に出るように思う。

でも全体として、1400円の本ではないと思う。電子本にして500円くらいで売るくらいがいいところではと思う。



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ズーキン『都市はなぜ魂を失ったか』:その金科玉条の「オーセンチック」って何ですの?

朝日新聞書評ボツ本 書評

都市はなぜ魂を失ったか ―ジェイコブズ後のニューヨーク論 (KS社会科学専門書)

都市はなぜ魂を失ったか ―ジェイコブズ後のニューヨーク論 (KS社会科学専門書)

ニューヨーク論。基本的な主張はもう単純で、ジェントリフィケーションいくない! 気に入らない! スタバだめ! おされなカフェとかブチックとかいやいや! どろくさい移民街みたいな貧乏人ががんばってなんか地区の特性が自然にできたのとかがいいの! ということ。

で、彼女はジェイン・ジェイコブズを非常に意識する。ジェイコブズは、マンハッタンのグリニッジビレッジあたりの再開発や道路開発に反対して、ここには住民と商業と街路との有機的な関連があって、それが都市の活気と安全をもたらすんだ、と論じた。大規模再開発はそれを単純なものに還元しちゃうからダメだ、と。ズーキンはそれに基本的には賛成する。

アメリカ大都市の死と生

アメリカ大都市の死と生

でも一方で、彼女は最近起こっているジェントリフィケーションも嫌う。グリニッジビレッジとかソーホーとかミートマーケットとか、昔は昼間でも一人で歩けないくらい危険で汚くて、だからこそアーティストとか少数民族とか移民とかがたくさん移住できるくらい安かった。でもそれで町に特徴ができると、ヒップでお金持ちな(でもその地域で直接商売してるわけじゃない)文化人とかがそこにやってきたりして、そこにスタバがきて、ギャップがきて、コンビニができて、だんだんおしゃれな町になってくると、こんどは大資本の再開発が入ってくる。それはかつてのブルドーザー式再開発ではなく、なんか町の特徴を活用しましたとかいう、先進建築家なんかがかっこつけてやる建築だったり、既存ビルの巧妙なリハビリだったりするけど、それでもバカ高くなってそれまでの住民はすめなくなって、するとだんだん、つくりものめいたわざとらしい商業的魂胆による人工的な町になってしまうんだ、と。そしてどこでも似たような店が並ぶ似たような町になる。しかもそれで人が呼べるから、と言っていまは自治体や業者が率先してそういう町作りをしたがる。

そしてズーキンはそこでジェイコブズを批判する。ジェイコブズってまさに、特徴ある町にやってきた「ヒップでお金持ちな文化人」なのね。そこで自分の商売してるわけでもない。そして彼女がそういう種類の町を誉めることが、まさにその後のジェントリフィケーションのための価値を創り出し、人々がそこに注目して再開発を引き起こす原因となっている。要するに、ジェイコブズだって形態こそちがえ、自分が批判している再開発と都市やコミュニティ破壊の手先じゃねーか、しょせんは鍋釜論争ね、というわけ。

はあさよですか……まあ、この批判自体はその通りだと思う。しかしじゃあ、どうしろと? 言いたいことはわからんでもないけど、でもおもしろいところに人が住みたいのは人情で止められないでしょ。自分の気に入っているものをほめるのも、別に非難されるべきことじゃない。そうなると需要が増えるから値段が上がるのは避けられないでしょ。そしてそういう人々が自分の生活習慣(スタバでノマドするとかさ)をそこに持ち込みたがるのも仕方ないでしょ。その要求に応えるものを提供したのが大資本だったとして、それが批判されるべきことだとは思わないけど? 

そしてジェントリフィケーションが気にくわないというとき、ズーキンが金科玉条のごとくふりかざす用語がある。「オーセンチック/オーセンティシティ」。authenticですな。移民がつくる雑貨屋はオーセンチック。スタバやブティックはオーセンティックでない。あれはオーセンチック、これはちがう。でも……じゃあ結局、何があるとオーセンチックなんですか? 彼女はそれをまともに定義できないくせに、もうそれだけで議論をすすめ、そのいい加減さは訳者ですら苦言を呈しているほど。住民がそこにいて自然に創ったり、あるいは何か交渉や運動で勝ち取ったものはオーセンチックというんだけれど……でも具体的なところにあてはめると、さっぱりわけがわからない。ぼくのいるアパートは古い建物を(小金持ち向けに)改装したところだけれど、これはオーセンチック? その中にいるぼくはそれなりに地域住民してるけど、これはいかが? 街角のコンビニは? あそこのラーメン屋は、片方は自前で片方はチェーンだ。片方だけオーセンチックですか? でもずいぶん昔からあるからなあ。あと地元のスタバはかなり喜ばれてみんな使ってるけどオーセンチックだめですか?


彼女の主張は、きれいとか町並みが調っているとかそのレベルの話ですらない。審美的な話なら、少なくとも多少の客観性は持てる(人気投票レベルにしても)。でもここでのオーセンチックは無理。敢えて訳すなら「心がこもってる」とかそんな感じ。「心のこもった街作り」なんて、それこそ不動産屋の住宅開発のコピーでしかないんだけど、この人は平気でそれで本を書いてしまう。感じとしては、こちらの人の「全体性」とやらと同じこと。どっちも、それが何かは説明できない。当人だけがわかってる。

そして……オーセンチックでないと何がいかんの? ジェイコブズは、都市の活気がどうこういうだけでない、ちゃんとした基準があった。安全であることと、経済的に活性化していること。大規模再開発はこの点でダメだ、と。ズーキンにはそれはない。単に自分が気に入らない、というだけ。そして彼女は、そう言ってる自分の価値観がまさにジェイコブズと同じ、ヒップでお金持ちな文化人、それも移民街とかをそとから見物しようとするお上りさん文化人なんだということに気がついていない。いるのかもしれないけれど、それをふりかざしてジェイコブズ批判をする滑稽さには気がついていない。

序文でズーキンは、昔のニューヨークを無批判に礼賛したいわけじゃない、という。落書きまみれの地下鉄、危険な街路、そんなものを懐かしんだりはしない、と。でも移民街の独自のおまつりとか活気(つまりそのオーセンティシティ)は懐かしい、という。

でも……その両者って実は表裏一体じゃないのか。まさに危険で汚かったからこそ当時のニューヨークダウンタウンやブルックリンは安くて、貧乏移民でも住めたんだよ。片方だけ捨てて、そのオーセンティシティとやらだけを残すってことはできないでしょう。おそらく一時、ニューヨーク(そしてアメリカ各地)が突然犯罪が激減し始めた時期がある。七十年代末から八十年代前半くらいかなあ。その時期、都心が急に安全になって、しかもまだジェントリフィケーションが始まっていなかった時期があって、その頃は安全で安くてしかも変な貧乏くささの残る地区がたくさん出てきた。その時期を懐かしむのはわかるんだが、でも過渡期にすぎないでしょう。

そしてズーキンの主張のためには、基本的には都心の既存市街地の物件価格を下げなくてはならない。そのためにできることといえば……供給を増やすことだ。ガンガン再開発して超高層化し、一部保存するところは保存してメリハリつけろ。そうすれば物件価格も下がってあまり金持ちでない人も住めるようになる。そういう人が地元で商売する道も開ける。グレイザーの主張通り。

都市は人類最高の発明である

都市は人類最高の発明である

でもズーキンはそんなのオーセンチックでないからお気に召しませんよねえ。すると彼女の主張は結局、保存地区作ってその中では物件価格据え置きでってこと? でもそれはオーセンチックではありませんわな。すると結局何なのよ。そのオーセンチックって、何の役にもたたない、ズーキンのいやいやいやのオンパレードを正当化する便利な万能/無能用語でしかないのでは? というわけで、書評にとりあげるのは見送り。期待しすぎだったかなあ。

なお、こういう視点でのジェイコブズ批判の紹介としては以下も参照。

まちづくりって結局ミドルクラスのノスタルジーじゃないの?(読書ザル)

指摘としてはこっちのほうが本質的。



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西谷編『相対的コムデギャルソン論』:自分語りに堕してしまう。

朝日新聞書評ボツ本 書評

相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか

相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか

この本の副題は「なぜ私たちはコムデギャルソンを語るのか」。つまり、コムデギャルソンを考えるよりは、それに惹かれる自分語りの本。でも、なぜあなたたちは、自分がなぜコムデギャルソンを語るのか、なんてことに他人が興味を持つと思ったんですか?

いやもちろん、その過程で川久保玲のファッション造形や哲学についての考察はあるんだが、その部分はあまり目新しさはなくて、建築家としてなぜコムデギャルソンに興味があるかとか、あの80年代当時にそれを着ていた自分やその周辺の人はどうだったかとか。みんな思い思いに語ってるんだが、それらがまとまりを持って何かを組み立てることなく、それぞれの人の私的な体験の踏み台として使われるだけでいささか散漫だと思う。ときどきおもしろい視点はあるので、もうすこしまとめ方次第ではなんとかなったんじゃないかと思うんだけど……



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