成長をなでる「盲」ってだぁれ?

昨日(っつーか今朝だが)のエントリに、反論コメントみたいなものがついていた。


群盲成長をなでる


きわめて初歩的だけれど、ありがちなかんちがいがいっぱい見受けられるので、コメントしておこう。先方のコメント欄に書いてあげたら長すぎるといってはねられたことでもあるし。

ここでは「いくら買うか」ということは問われても、「何を買うか」ということは
全く問われていない。


はい、問われていません。が、そもそも成長による追加の実入りがなければ、何一つ買うことはできない、という厳然たる事実がございます。だからこそ成長したほうがいいんです。

お金というのは質量=エネルギーのような保存量ではないにも関わらず、ミクロではあたかも保存するように扱われる。私があなたから100円で買ったら、あなたの財布はきっかり100円多く、そして私の財布はきっかり100円増えないと経済は成り立たない。しかし、マクロでこれが成り立つとしても、経済というのはまた成り立たない。それでは経済成長がありえないことになってしまうからだ。


取引の際に、ぼくの 100 円の支出は売り手の 100 円の収入だというのは会計上の事実ではあります。でも成長や付加価値があらわれるのはそこではありません。100 円で仕入れた原材料に、自分の知恵や工夫を加えることで 200 円にして売る、その差額の部分に付加価値があり、ぼくたちの成長が反映されるんです。いわば粗利の部分ですね。同じ百円の原価でこしらえた商品が、いまは200円でしか売れないけれど、来年は品質をあげて250円で売れるようになる、それが成長です。あるいは同じ200円で売る商品の原価が、来年は90円に下がる、それが成長ということなのです。ですからそもそも見るところをまちがえておられます。GDP は付加価値の総和なのだということすら理解せずにものを言っていることが明らかです。

腕を上げた結果残業時間が減って給料が減ったなんていうの今ではざらだし、その逆に腕が上がらないあまりそれを勤務時間でカバーし、その結果残業手当が上がるなんてこともままある。


給料と仕事が連動していないことはままあります。というより、給料制というのはまさに商品の売り上げや生産性の変動の影響に対して会社や資本家がバッファを提供するための制度ですんで、連動しなくて当然です。受注がしばらくなくても、社員の給料は続くのです。が、その乖離があまりに大きすぎると長続きせず、企業が倒産することもあるのはご承知のとおり。ですから、そうした実態との乖離が続きすぎるとみんな問題だと言って騒ぐのです。数ヶ月単位のミクロな部分でのぶれで経済全体の話をするのは愚かしいことです。

ミクロではこんな感じだが、マクロではその経済をどの通貨で計るかという問題がある。国内通貨で計った数%程度の経済成長が、為替で簡単に「吹っ飛んだり」する。
(グラフ略)
日本はプラザ合意の途端に急成長したのか?あるいは逆にピークの80円のころから逆成長したのか?どちらも否ではないのか。


はい、どちらも否に決まってます。だって為替レートは別にその国や経済の成長をはかる指標ではありませんもの。そんなものを見て成長したのなんのと言っている時点で大変に寒いのですが。日本人の相当部分は円を稼いで使う経済圏にいるので、その生産などをはかる尺度は、円がいちばん適当でしょう。はい、確かに貿易が多いとそれでは誤差が生じます。が、それはそんなに大きなものにはなりません*1

もちろん、お金ですべてがはかりきれるわけではありませんし、実態とのずれは生じます。が、それをなるべく抑えようとして、各種の補正手段も編み出されております。

「私は、「お金」というスカラー量では不十分だという仮説を立てている。」


はいはい、すごいですね。でもあなたが考える程度のことはすでにとっくの昔にだれかが考えているのです。そしてその中にはその仮説をブログで開陳するだけでなくきちんと検証し、精度をあげて実際に使い勝手を増すような工夫をした人々がたくさんいるということです。そうした努力がまさに成長ということです。

そうした努力を積み重ねた結果として、お金は成長を計る完璧な尺度ではないかもしれませんが、手持ちの指標の中ではこの程度のものでも最高のものの一つとなってきたんです。みんな、さんざん考えてきたし、お金ではかりにくい成長があることはわかっています。その意味で「「お金」というスカラー量では不十分だ」というのは仮説でもなんでもなく、おもしろくもない事実でしかありません。だからこそ、個別の部門の中では、たとえば一時間に作れるピンの数とか、一日に処理できるクレーム件数とか、顧客満足度調査のアンケート結果とか、晩ご飯の準備にかかる時間とか、百メートルを何秒で走れるかとか、いろんな個別の尺度を使ったりします。みんな、ちゃんと考えてるんです。

でも、クレーム処理件数と晩ご飯の準備時間とを横並びで比べるにはどうしたらいいか? 日本全体、世界全体の多種多様な活動をすべてまとめて見るにはどうしたらいいか? その尺度にお金を使うのは、必ずしもお金がえらいという拝金主義の結果ではなく、消去法でいろいろ考えた結果、そのあたりしか落としどころがないという妥協の産物だったりするのです。でも、それが結構使えます。ハッカーの世界(の一部流派)では rough concensus and working code というのが重視されますが、お金やそれをもとにした成長会計も、まあだいたいこんな程度で、でもそこそこつかいものになるよ、という程度のものではあります。でも、それでネットは動くし、経済もまわるし、経済政策もなんとかたてられたりするんです。


成長について理解している人々は、金銭指標が妥協の産物であることを知っています。完璧でないのも知っています。「おおざっぱだけど、仕方ないネー」と言いながら使ってるんです*2。だからこそそれをどう補正すべきかといった議論が計量経済学の分野では絶えず続いているんです。むしろそれについて無知な人々ほど、金銭換算がすべてであるという勝手な思いこみをする傾向にあります。そして、それが完璧でないから、まったくダメであるという変な極論に走りたがります。(と書くと「まったくダメとは言っていない、不十分と言っただけ」と逃げるんでしょうが、議論の発端はそもそも経済成長をめざすことがよろしくない、というご発言だったことをお忘れなく)

でもそれは変でしょう。完璧ではないのがけしからんというのは結構ですが、でもそれがある程度の目安としては十分に使えるものだということすら否定していいんでしょうか? 十分/不十分というのは、しょせんはその目的次第ではありませんか。不十分とおっしゃるなら、何にとって不十分なのでしょうか。そしてもっと使える改善案がありますか? あるなら、是非ご提示下さい。が、この浅い考えでは無理だと思いますよ。ちなみに、「スカラー量では不十分だという仮説を立てている」という物言いから、たぶんなんかベクトル量を設定すればいいのでは、といった漠然とした思いつきをお持ちなのではないかと思いますが*3、そういう提案もとっくの昔にあります。が、それを比較するときに、結局また次元を落とすしかなくなるんです。


「群盲成長をなでる」とおっしゃいますが、確かにその全貌をとらえきるのは大変むずかしい。でもその「盲」たちも、百年以上なでまわし、お互いの話をまとめてきた結果として、当初よりかなりの見通しをつけてはきたのです。最初はしっぽだけなでていた「盲」も、だんだんと腹や足や耳や鼻をなでてきたのです。冒頭に挙げた絵のゾウくらいの精度はなんとか出ているのです。確かに、タコの足を鼻につけ、足は獅子みたいですが、それでも特徴をそれなりにとらえているではありませんか。それをまったく無視してなんくせをつけ、それを御破算にして虚ゾウなんてものを(口先だけで)述べているそこのお「盲」さん、あなたの言っていることはこちらの「盲」たちの言ってることとあまりにちがうんですが、ひょっとして成長をなでているつもりで、何かまるっきり見当ちがいのものをなでちゃいませんか。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.

*1:それにしても、グラフの出所のページがあまりにひどい。為替のバカなテクニカル分析! あれを見ればどんな短期のトレンドや罫線分析でも金融政策の前にはまったく無意味なのがすぐにわかりそうなもんだが。が、閑話休題

*2:もちろんそれに慣れすぎて「仕方ない」を考えなくなってしまった偏狭な人はいます。タコツボはどこにでもあるものですから。

*3:付記:あとで見たら、虚数経済とかおっしゃっておいでですね。似たような発想とはいえ予想していたさらに斜め下をいくつまらなさなので失望しました。