Thomas Pynchon Against the Day もんく

Against the Day

Against the Day


いやー長い。今回、このあらすじを終わらせるので再読したが、おなか一杯というのにさらにあれこれ詰め込まれるフォワグラ小説(読者がフォワグラね)。いろいろ気になること、せろにあす・もんくなどいろいろあるのを少しはき出す。

  1. タイトル「Against the Day」の意味は、文中にあれこれ出てくるが必ずしも明確ではなく、日本語にもどう訳したものか悩むところ。いまだれかが翻訳しているはずだが、たぶんカタカナで逃げるでしょう。でも、実は文字通り訳してAgainst = 抗う、day=日で、つまりこのタイトルは抗日を意味するのだ、という説もある。
  2. ピンチョンの V に敬意を表してヴェニス、ヴェクトルという表記に改める。ヴェクトルは、気持ち悪いんだけど。そのうち戻すかも。
  3. この長い小説を一言で表現すると、重力と闇にうごめく人々が、光と空に向けて解放される(されたい)小説。冒頭のセロニアス・モンクの引用が最後のほうで次第に意味を持つ。
  4. しかしニコラ・テスラはどこへいった! シャンバラはむきだしになってからどうなった! ルースエンドがずいぶん多いように思うが(二度読んでも)よく読めば書いてあるのだろうか。
  5. ぼくは本書がトマス・ピンチョン的には 21 世紀の『V.』たることを意識して書いているように思う。20世紀のピンチョンの小説は(Mason & ディクソンは未読なので外すけど)、基本的には希望のない、暗い小説だった。人は重力にとらわれ、ミサイルにとらわれ、陰謀にとらわれ、戦争にとらわれ、文明に、世界に、すべてにとらわれていた。乱痴気騒ぎなどの気休めはあっても、それは変わらなかった。それが『ヴァインランド』あたりから少し変わって、多少はそこから逃げようとはしてみている。本書では、この最後のあまりに強引すぎるハッピーエンドと希望を強調した終わり方は、ぼくはいままでのピンチョンらしくないと思う。こんな強引な形でしか希望を描けないのは、やはり絶望のあらわれ、なのかもしれないけれど。ちなみに、次回作の『Inherent Vice』は、21 世紀の『競売ナンバー 49 の叫び』のつもりなんだと思うよ。




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