しょせん、彼女の理論が果てしない言い換えに過ぎないとわかる本。

領土・権威・諸権利―グローバリゼーション・スタディーズの現在―

領土・権威・諸権利―グローバリゼーション・スタディーズの現在―

本書は、中世からずっとナショナル(国民国家)概念がどんなふうに発達してきて、それがグローバル化に伴って少しずつ変わってきたことを述べている。

……それだけ。

彼女のやっているのは、果てしない言い換えにすぎない。変な用語を編み出すことで、何か目新しいことを言っているかのように見せかけるが、その中身はない。たとえば、国家と市民がいまや一部で乖離して、市民なのにあまり権利がもらえない事例や二重国籍なども一部で可能になっている話を指して、彼女は「私は、これらの変容を、シティズンシップ制度内の特定の特徴の非常に特殊な脱ナショナル化と呼んでいる」そうな。それで?

……それではなし。彼女は、こういう言い換えをしたことがすごいと言いたいらしいが、その言い方で何が言えるのかはまったく指摘できない。従来の国という概念に対し、グローバル化の進展で一部うまくおさまらない部分が増えたのを「脱ナショナル化」と呼ぼう、というのが彼女の唯一の主張だが、ホント、それがどうしたんですか?

またデジタルネットワークの考察においても、その内容はローレンス・レッシグやティム・ウーなどの考察を一歩も超えるものではない。

『グローバル・シティ』の失敗で、いろいろ予防線を張りすぎたあげくに、彼女の本は結局「いろいろある」以上のことが言えなくなっている。分厚い本書を読んでも、新しい知見はおそらく得られず、読者は整理されない「あれもあればこれもあるが、そうでない場合もあり」の果てしない羅列を読まされて徒労感を抱くばかりだろう。ちなみに、原著者のながったらしい文を、やたらに読点の多い読みにくい金釘訳文にしたてあげた訳者と、それをきちんと見直せない監訳者は、翻訳に手を出すべきではないと思う。



サッセン、もうどんどんダメになっていく。「グローバル資本に対抗する」とか言ってるので反グローバリズム勢にかまってもらえるのと、あとは長ったらしい要領を得ない書きぶりを深遠さと誤解する読解力のない連中が、「わからない」というのが怖くて敬遠しているだけ。蓮実重彦がかつてスーザン・ソンタグについて「だれもまじめに相手をしないことで得をしている」と言ったが、サッセンもそんな感じ。でもたまにこうやってまじめに相手をすると、腹たって仕方ない。



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