森嶋通夫『ケインズの経済学』:読み始めたばっかりだが、引っかかるなあ。

森嶋通夫著作集〈10〉ケインズの経済学

森嶋通夫著作集〈10〉ケインズの経済学

ケインズ関係のお勉強で森嶋通夫だけれど、「無資源国の経済学」ってこれのことなのか! でも、最初っから違和感ありまくり。

まず冒頭でセイの法則を否定するんだけれど、その理由は

投資の意思決定をするのは企業者であって、労働者や金利生活者は関与しない。総産出額が大きいとき、それに応じて総貯蓄も大きいから、貯蓄は容易に投資を超過しうるし、産出額が小さい時には逆に総貯蓄が総投資に達しないときがある。このように、どのような産出額の大きさに対しても総貯蓄が投資に等しくなるのではなく、たまたま特定の値の総産出額において貯蓄が投資に等しくなるにすぎない。(p.8)

すみません、それってケインズが『一般理論』でさんざん否定していた話じゃないんでしょうか? ケインズも「貨幣論」ではそんな主張もしたけれど、それはもう議論を混乱させるからやめることにして、総貯蓄は常に総投資に等しくなると会計的に定義してますけど? 第四章でも、その後でも繰り返しこれは出てきたはず。もちろんそれが自然に起こるわけではないのは事実だけれど、そのメカニズムは結構説かれている、というかそれを理論家したしょっぱながまさにケインズ一般理論なんでしょ? セイの法則を否定するためにケインズ一般理論まで否定してるような……

で、次にケインズ経済学に必要な価格の硬直性の話をひねりだそうとするんだけど、これがまたぼくにはよくわからない。まず価格を決める市場にはいろいろ種類がある、という話。で、相対取引の説明。いろいろ相対だから、価格が必ずしも一意的に決まらない、同じものでもちがった値段で売られるかも、というんだけど、

しかしこれでは、Bが文句を言うかもしれない。8000円だというのでその値段でAから買ったところ、同じAがその後7500円でCに売ったと聞けば、BはA店に逆戻りして、強硬に談判し、自分が買った上着を7500円にまけさせるであろう。このようなトラブルを避けるためには、価格についての合意が、相対する売り手と買い手の間に個々に成立するだけでなく、売り手買い手の全員を通じての合意が成立しなければならない。(p.16)

だそうな。

……どうして? 秋葉原にいってごらんよ、こんなの日常茶飯事だけれど、大したトラブルにはなってない。それどころか世界の市場での値切り合戦なんて、まさに同じものが同じ店でまったくちがった値段で売られて、でも世界的にトラブルになんかならないけど? 

で、価格の理論はこんなふうにまとめられている。


普通の教科書では価格は需要曲線と供給曲線の交点で決まると述べ(中略)が、そのような仕方で価格が決まるのは、農林水産物やある種の鉱産物など一部の財に限られる。多くの工業生産物の場合、需給が見合うように価格が市場で調整されるのではなく、価格は出荷されるときに既に工場で決められ、需要量に応じて出荷量が調整されている。 (p.5)

ええ、そうかなあ…… むろんその後森嶋は、これだけで決まるわけではなくて、完全に市場で決まるのと完全にコストプラスで決まるのとの間にいろいろ程度がある、と書く。でも、工業製品は工場が価格を決める? いや、メーカー希望小売価格の時代はそうだったかもしれないけれど、そうじゃないほうが多いように思うなあ。

というわけで、またスタート時点でつまずいている。たぶんこの価格の話は、ここから価格の硬直性を導き出そうとするんじゃないかと思うんだけど、まだ二十ページいかないうちに、一般論として納得いかない話がいっぱい出てきて、どうしようかなあ。読み進めるべきか。




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