シュライバー『失われた私』:インチキだと知って読むと、読むにたえないシロモノではある。

失われた私 (ハヤカワ文庫 NF (35))

失われた私 (ハヤカワ文庫 NF (35))

有名な、16の人格が同居していたと称するシビルの治療記。こいつが売れたおかげで、全米に多重人格を自称する連中がウンカのごとくに湧いてきたという本。

先日、この本の検証を行った「Sybil Exposed: The Extraordinary Story Behind the Famous Multiple Personality Case」という本が出て、功名心にはやる倫理観のない医者と、スクープしたいジャーナリストと、しばいっけが強く自分を特別だと考えたい患者の共謀(意識的、無意識的かを問わず)によるまったくのインチキ、という審判が下っている。催眠術にかけて暗示を植え込み、自白剤(だと当時は思われていた幻覚剤)を注射してあることないこと言わせ、というとにかくひどいものだった、とのこと。それどころか、有限会社シビルというのを作って、あがりを三者で山分け、という取り決めまでちゃんとできていた、という。それを読んだので、ちょっともとの本も読んでおこう、と思って手に取った。

そういう予備知識を持って本書を読むと、まさにその通りのことが書いてあるね。ペントタール射ったの催眠術にかけたの、と。実際はもっとひどかったらしい。で、いろんな状況にあわせていろんな人格が登場し云々という話で、それをウィルバー医師が見つけて、最終的にはその原因をつきとめ(分裂症の母親による冷たい一貫性のない仕打ちとそれを止めない主体性のない父親がどうしたこうした)、そしてだんだんそれらを統合して治療しましたという話。

かつて、ディスカバリーチャンネルだかナショナルジオグラフィックだかで、多重人格を治療するという医者と、多重人格と称する患者、そして多重人格なんかインチキだという医者とを交互にインタビューする番組があったんだけれど、基本は人間なんていろんな側面があるもので、でも自分が多重人格と思いたい患者と多重人格で名前を売りたい医者とは、真面目な面と意地悪な面と引っ込み思案な面と、強気なときと弱気なときと、ちがう側面が出てくるたびに名前をつけて喜んでるだけなのね。他の人格がやったことを知らない、なんてのも、単に昔のことを全部覚えてるわけじゃないというだけの話。患者は、そうやってそれが別人格だと言われると、悪いことをしても「あれはヴィッキーがやったの」とか言って責任とらなくてよくなるから気楽だし、医者が「いまはシビルに話しているんじゃなくてヴィッキーに話しているんだ」とか言うと、暗示にかかりやすい人はすぐにその気になって調子をあわせるだけ(そうしないと医者が「おまえは抑圧している!」とか怒るし)。

否定派の医者は、「まわりが自分のやったことから目を背けることを許すから患者がつけあがるだけで、周囲がそういう逃げを認めなければ『別の人格』なんてすぐ消える場合がほとんど、絶対にいまのアメリカに何万人もいたりするわけない」とのこと。

というわけで、もともと多重人格話はぜんぜん真に受けてはいなかったけれど、批判本を読んでからはなおさら。全体的にドラマ仕立ての叙情的な書き方になっていて、うさんくさいと思って読むとまったく入り込もうという気が起きずにうっとうしいだけ。

付記

Sybil: Exposed には、なぜその医者とジャーナリスト(二人とも女性)が功名心を焦ったのか、という話もあって、それはこの60年代くらいに、女性の社会進出機会がまだ十分でない中で、どうしてもでっかい山をあてなきゃという焦りがあったというのだよね…… ちょっとうがった見方だとは思うけれど。



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