橘『(日本人)』:風呂敷は広げたがぼくにはあまり目新しいことはないし性急。

(日本人)

(日本人)

橘令の日本人論みたいなもんなんだけれど、前半とかはずっと、ピンカーや進化心理学やダイアモンドや、その他あれやこれやのゆるいまとめみたいな話が続いて、一向に日本人の話に入らない。そういうまとめも、ぼくがやったほうがうまいと思う。その後も、バブルの話や金融恐慌の話とか、どこかの聞きかじりをまとめたような議論が羅列されていて、それがどうした、という印象はぬぐえない。

そして結局、何か特殊日本人性みたいなものはないのだ、という話で、環境に応じてある種の普遍原理に基づき生じただけの代物だ(要は、農耕経済におけるムラ社会ってことです)、そしていまの多くの問題はグローバル基準への転換が不十分なせいだからもっともっとグローバルな価値基準への移行を考えるべきなんだ、という話。ふーん、そうですか。まあそういう考え方はあるとは思うけれど、そんなに目新しい話だろうか?

そしてかなりでかい話がいきなりTPPだ橋下だという目先の卑近な話(ああ、そういえばTPPなんてありましたねえ。どうなったんだっけ?)に直結して、壮大な構想だったはずの話が床屋政談みたいなものにしゅるしゅる収束してしまい、大きな構図を打ち出すにも失敗しているけれど、その床屋政談としても中途半端で不十分に終わっている。

細かい議論でもときどき疑問符を感じるものがちらほら。たとえば

現在のアメリカ人のライフスタイルは、株価が見事な右肩上がりを描いた『黄金の二十年間』に最適化するようにつくられたおのだ。それをかんたんにいうと、『明日は今日よりもよくなるのだから、将来の心配などせずにいまを思い切り楽しもう』という生活信条のことだ。 (p.298)

はて、明日が今日よりよくなるなら、なぜいまを思い切り楽しむの? いまはむしろ我慢して明日楽しんだほうがいいじゃない。だって明日のほうが今日よりぜったいいいんでしょ? そして途上国で仕事をしていると、まさにみんなこういう考え方だ。明日のために今がんばろう、と。

デフレも、日本の高コスト構造の是正なんだって。為替レートで調整すれば? そしていまさらローマクラブの資源枯渇論。ロンボルグ読んでー。あと執筆時点では出てなかっただろうけど、もう少しシビアな論としてはコリアー『収奪の星』読んで−。おもしろいよー。そして何ですの、このツイッター礼賛だのフェイスブックがどうしたの、安易な評判経済ネットユートピア議論は。嘲笑ものです。

著者の以前の本は結構よいと思ったものも多いし、同意する部分もあるけど、本書は全体としては中途半端。大きな話をしようとしたらスカスカ、それを政談に安易におろして性急。新聞で書評できるものではない。

Disclosure

ぼくは著者を個人的にちょっと(最後に顔をあわせたのはずいぶん昔だけど)知っているし、この本は献本もされた。だから上の書評は、その分だけ無意識のうちにバイアスがかかって甘くなっている可能性はある。そうならないようなるべくキリキリ絞めたつもりではあるけれど。



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