[朝日新聞書評ボツ本][書評]地井『漁師はなぜ海を向いて住むのか』:おもしろいんだが、自戒しつつも変な都会人妄想にはまるのが……

漁師はなぜ、海を向いて住むのか?

漁師はなぜ、海を向いて住むのか?

この本はぼく以外の人が落札しているので、ひょっとしたら書評は出るかもしれない。だから厳密にはボツというわけじゃない。単にぼくが自分の興味をもって読んだんだけれど、ぼくならボツにするだろうというだけ。

これは漁村のあり方についてずっと研究してきた地井昭夫の遺稿というか研究の成果をまとめたもの。とってもおもしろい。船小屋の作り方とかいろんな実地のフィールド研究は楽しいし、意外性もある。あるんだが……

地井は、自分がやってはいけないと本書の中で自戒している変な妄想を、すぐにやりはじめてしまう。この本書の題名、漁師はなぜ海を向いて住むのか、という質問に対し、そりゃ船出しやすいようにだろうとか、海の状態を見たいからだろう考えるのが普通なんだけど、地井はそうではないという。いまなら通信機器で海の状態くらい陸からでもすぐわかる。本当の理由は、漁民が竜宮城に向かっていたいからだ(!!!)と主張する (p.72-73)。

竜宮城……えーと、あのー、あなたその現地で調査していまそこで暮らしている漁師たちにも話聞いてるんですよねえ。その人たちが一人でもそんなこと言ったんでしょうか? 堅実な集落建築調査が、こうした一言で突然妄想の世界に突入してしまう。

こうした変なロマンチシズム的理解については、地井自身がp.28で強く戒めているのに。それがすぐにこんな話に落ちてしまうとは。そしてずっと本書は最後までその都会人ロマンチシズム妄想が爆発し続ける。農村の建築は地元の大工が担わねばならないんだそうだ。それは結構。でも経済優先の思想のためにそれができず農村が破壊されているとか。そうですか。ではどうしろと? 農村の人に無理矢理高い(そしておそらくは利便性も低い)住宅を建てるように強制するんですか? 農村の人がなんでそんな妄想のために犠牲にならなきゃいけないんですか?

フィールド調査の部分はとてもおもしろいし、漁村がいろいろな条件変化に伴って変貌していく様も実に勉強になる。でもそれは結局、人々がその土地の条件に大していかに合理的に反応したか、ということをぼくは示していると思う。漁業権とか入会地とかも、実は経済合理性を持つんだ、というのはエリノア・オストロムの研究ですわな。かつて人々が重視していた条件は何か、というのはある。神様とか信仰が重視された部分もあるだろう。そこには、いまのぼくたちがまだ理解していない隠れた合理性があるのかもしれない。だからそれを現代に活かせ、というならまだわからなくもないんだが……一方でそれは、外部の研究者があれこれ口出しすべきことなのか?

さっきも引いた28ページの、変なロマン主義に陥るまいとする決意のところでは本当に期待したんだが、それがすぐに崩れてしまって残念。それがなければいい本なんだが……一方で、それがなければ地井はこの研究をしなかっただろうし、複雑な気分。そして多くの読者は、地道な研究部分よりはそうした幻想のほうに強く反応して本書を評価することも予想できるので、なんとも頭が痛いところ。



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