ラートカウ『自然と権力』:いろいろ事例は豊富ながら、結局なんなのかというのが弱くて総花的。

自然と権力―― 環境の世界史

自然と権力―― 環境の世界史

本書の基本的な主張というのは、別に環境問題というのは20世紀の工業化で初めて生じたもんじゃない、ということ。多くの人は、昔の人々は自然と調和した美しい生活を送っていて、それが工業化により大規模な自然破壊その他が生じた、と思っている。だから、江戸時代に戻れとかビクトリア時代に戻れとか経済成長が低かった時代に戻れとか三丁目の夕日とか、くだらない妄想にふけることがエコなんだ、と思っている。でも実際には、あらゆる時代のあらゆる文明は、自然と調和なんかしておらず、一時的な定常状態を維持できることはあっても、それは絶えず変わり続け、人はそのたびに環境破壊などに苦しみ続けてきた。
 そして各種の環境に関わる施策というのが、権力としていつの時代にも大きな役割を果たし続けた。別に人々は最近になって突然エコに目覚めたわけではなく、むしろエコロジ−/環境管理自体が昔から権力と権力闘争の発露だった。ぼくたちが考える「自然」のほぼすべては、純粋な自然ではなく、そうした人間が作ってきた自然だ。
 で、環境保護や管理は結局、いつでもどこでもローカルな条件に基づいて実施されてきたもので、それをどんどん国や世界といったレベルで実施しようとするのは、必ずしも適切とは言えない、と著者は主張する……んだがそこらへんで本書は、いろいろあるので細かく考えるしかない、というような漠然とした話になっていく。そうはいいつつ、グローバルな問題ってのはあるわけで、それについて考えるのも無駄ではなく、一方ででかいレベルに話をもっていくとややこしい規定集ができあがってつかいものにならない面はあるし官僚主義の温床になっちまうんだけれど、でもその一方で官僚主義というのも言われるほどひどいというわけではなく、愛国心愛郷心とからめる方法もあるがそれも必ずしもうまく行くとは限らず、完全リサイクル社会みたいな話も目新しくはなくて、昔から腐るほどあったんだけれど、そのたびにみんな嫌がるんだよねー、だからそれもあーたらこーたらうーだら。すっごく分厚い本なんだが(いやそれだからこそ)、読んだあとで何かすごく目新しい知見が得られたという気はしない。政策への示唆が得られる、と帯にはあるんだけど、あれもこれもあってどの示唆を読み取るかは至難の業だと思う。
あと環境や資源の管理という話で、入会地とか共有資源管理の話が出てこないのはちょっと意外。索引にもオストロムとか挙がってないし。権力というとき、なんとなく統治者とか為政者とか、大きな権力主体がその環境資源の扱いを(域内の権力闘争の結果としてであれ)決める、というような記述になっているのがほとんどだけれど、それでいいのかな、とは思う。一方で、本書などの成果により「自然なんてものはないんだから自然保護なんて言う連中はバカ」という連中が出てきたのに対する苦言とか、少しおもしろい。フーコーを曲解した構築主義に対するいさめ方もよくわかります。事例集としてもいけそう。が、全体として、百科全書的にはおもしろい部分はあるものの、自然ロマン主義にかぶれていない(つもりの)いささかせっかちな身としては、結局何なのよう、と言わざるをえない。ぼくはパス。



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