唐沢&戸田山『心と社会を科学する』:心も社会も科学されてない。

心と社会を科学する

心と社会を科学する

この本のタイトルを見て、ぼくは心とか社会というものの科学的な考察なり分析なりが展開されているんだと思ったよ。戸田山が名を連ねているのには首を傾げたけれど、でも彼の研究領域をすべて知ってるわけでもない。

ところが……心も社会もない。少なくとも、直接はない。読み始めると、戸田山と唐沢のすごくナルシスティックで自己参照的なお話が延々続くんだけれど、問題意識がよくわからんのだ。社会心理学といいつつ社会の話をあまりしない、というのが本書のきっかけになった問題意識らしいんだけど、そうなんですか? 当人たちがそう思っているのであれば、科学哲学の助けを借りなくても、社会についての話をするように努力をすればいいだけのことでは?

結局これは心や社会の話じゃない。裏表紙の帯にあるように「社会心理学をフィールドとした科学哲学」のこころみなんだそうだ。でも、試みてなんかわかりましたか、というと、それがよくわからない。

科学哲学からの手法の提言ということで、ある章は加重平均と最小二乗法を使いますよ、という前置きを延々一章かけて述べてみて(加重平均と最小二乗法はメタ分析という統計分析の手法なのである! というんだけど、そんな大したもんですか?)、その次の章になると、式一本ですませればいい話をなにやらダラダラ文章でかえって要領を得ない形で説明してみたり(大した説明には思えないけれど)。最小二乗法を使うのがいかにえらいことかうだうだ説明してる間に、計算すれば? だいたい社会心理学って加重平均も最小二乗法も使わないの? そんなバカな、と思うんですけど。で、それで社会についてのすごい知見が得られたのかというと、特に知見が出るわけではない。

学者が、自分の学問の意義やあり方を考えるのは、まあ大いにやってくれとは思う。が、それを心や社会の科学だといって本にするのはやめてくれー。

それに心理学者は集団の心という発想を嫌うにしても、そんなの心理学の枠内で話をしてるからアレなだけで、アリの巣が示す集団行動とか携帯電話を持った中国人の話とかゲーム理論とか、そしてもっとマクロには政治学や経営学なんかがそれをまさに扱ってるんじゃないの? そこで扱われているのはまさに集団の心なんだけど。一方で、ミンスキー/エインズリー的にいえば心というのも社会だ。その連続性にヒントはあると思うんだけどね。

とにかく見ていて、すごく狭いところでだけ話をしているようで、非常にもどかしかったし、結局部外者としては何がしたいのかがわかりにくい、というかそれをやることに何の意味があるのかさっぱりわからなかった。まあ、それはぼくが部外者だからなんだろう。当然、書評にはとりあげません。



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