へーリング&シュトルベック『人はお金だけでは動かない』:行動経済学や幸福研究などの成果紹介で、数多い類書から傑出はしていないが、よくまとまっている。

人はお金だけでは動かない―経済学で学ぶビジネスと人生

人はお金だけでは動かない―経済学で学ぶビジネスと人生

最近たくさん出ている、行動経済学や幸福研究などの知見を使って、人間が必ずしも金銭欲得ずくの完全合理的に動くわけではないという話をあれこれ紹介した本。かなり多くのトピックをカバーしていて、そうした本の中では決して悪いものではない。要領もいいと思う。こうした本を読んだことがなければ、手に取ってみても損はない。よい本だと思う。

が…… この手の本をすでに読んだことがあれば、「またか」という部分が多々ある。最後通牒ゲームで、人は自分が損をしても不公平(だと感じる)を拒否するので、完全合理的ではありません、人はお金が増えても幸福が増えるわけではありません、等々。

おもしろいネタとしては、テレビ報道は世論にどのくらい影響を与えるかとか、IMFウォール街の使いっ走りというのが本当か、とかいう話(本当だそうです)、あと最後にある統計分析についての警告。レヴィットの有名な「中絶の合憲判断がアメリカの犯罪低下をもたらした」という研究は実は統計処理がまちがっていて、ちゃんと統計分析をやりなおすと、成り立たないことがすでにわかってるんだって!!(p.276)*1 知らなかった。

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

これ、増補版でちゃんと説明してあったかなあ*2

個人的には、幸福研究のところは少しおもしろい。ブータンの「国民最大幸福(GNH)」追求というのをほめそやす人がいる。でも、ブータンはそれを実現するために、実際には何をしてるんだろうか? GNHはすばらしい、日本も経済発展重視から幸福重視へ、とか主張する論説で、ぼくは幸福向上の具体的な施策とは何か、という話を読んだことはほとんどない。さて、何をすればいいの? ブータンの王さまはかけ声以外に何をやってるの?(注:本書にはブータンの話は出てこないが、日本では定番なので)

幸福に関する各種の見方を総合すると、幸福度を上げるために政府ができることはほとんどない。「幸福の研究を実用的に応用する余地はほとんどなくなる」(p.44)。こないだ日本でも、なにやら幸福の指標を作るとかいうバカな活動が始まったそうなんだが、でもそんなのはまったくやるだけ無駄だ、ということ。ちなみにぼくはこれは言い過ぎで、幸福度を上げるためにできることはちゃんとあると思う。でも、その結論は(指標なんか作らなくても)わかり切っている。

人は要するに、絶対的な収入や地位の水準で幸福を感じるんじゃない、という話。自分自身の力(と思っているもの)でどのくらい収入や地位が向上したかという達成感が幸福に果たす役割が大きい。それも絶対的な達成だけでなく、まわりと比べたときの相対的な達成度からくるものが大きい。そして、いったんある水準を達成してしまうと、すぐに慣れてしまい、その収入や地位そのものからは幸福が得られなくなってしまう。だからこそ、GDPや健康や寿命その他と幸福度とを相関させて国際比較を行ってもあまり意味のある結果は出ない。でも、政策でいじれるのはそういうものだけだ。社会への帰属感を高め、自分が何か有益な活動をして必要とされている、という自己意識を高めることは、幸福に大きく関連してくる。だから不景気を改善して、みんなが就職できるようにして、自分の働きに応じて給料上がるとかそういうのを実現すれば幸福はだんだん高まる。でもそれは新しい指標なんか作るまでもない。

で、カーネマンの研究では、結局満足をあげたり不幸を減らしたりするための最高の手法は、鬱病治療の改善(と通勤時間の短縮)なんだって。えー、カーネマン本にそんなこと書いてあったっけ。読み返さないと。

そしてもう一つ、幸福追求というのは、それ自体自己否定的なところがある。幸福を求める人は、自分が十分に幸福ではないと思っているわけだ。でも、そう思うこと自体が不幸を増す。

 
成功とは、望むものを得ること。
幸福とは、得たものを望むこと。
――匿名


足を知る、自分が持っているもので満足する――それが幸福の秘訣でもある。宗教の多くがそれを主張する。多くのものを求めず、いまあるもので感謝しろ、と。この世では夢を持つな、と。

それがある意味で幸福の本質でもある。ハックスレー「すばらしき新世界」の野蛮人が、不幸になる権利を求めたとき、それは同時に進歩の権利を求めたわけだ。そしてそれは、各種のユートピア/ディストピア小説すべてに通じるテーマでもあるんだけれど。

その意味で、幸福を追求する施策にはもう一つあり得る。期待を下げることだ。これ以上はよくならないからあきらめよう、これで満足しようと思わせることだ。お前らはもうダメだと思わせることだ。いまの三〇年デフレ不況は、実はまさにこの状況を作り出している。日本の研究で、ニートで失業していて将来の見通しも暗い若者があまり不幸でないことに驚く研究が最近あった。でも、そういうもんだと思ってしまえば――人はそれでも幸福でいられる。

みんな失業し、あてもなく、希望もなく、病気して、飢え――それでも人は幸福でいられる。そういうものだと思わせれば、GNHは上がる。ぼくはそういうものだとは思わないから、これが不幸だと思う。でも、そう思わなければいけない理由は、必ずしもない。ブータンがこんなことをしているとは、もちろん思わない。が、意外と日本は、そういう意味での幸福追求の先駆、なのかもしれない。

 

が、これは本自体の話とは離れた。これは本書の中の10ページほどの部分からぼくが勝手に妄想をふくらませただけで、本書がここまで過激なおもしろい議論をしているわけではない。ちょっとぼく的にはありがちかな、という気がするのでパス。あと、原著ドイツ語からの直接訳ではなく、英語からの重訳――とはいえ、英訳著者たちは当然英語はできるし、そんなに気にする必要はないと思う。いい本だと思うのでこの手のテーマに興味があってまだあまり類書を読んでいない人は是非どうぞ。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.

*1:Foote, Christopher and Christopher Goetz (2008): "The Impact of Legalized Abortion on Crime: Comment," in: Quarterly Journal of Economics, Vol 123, pp. 407-423.

*2:はてブokemosコメントによると:「中絶と犯罪の話、ググってみるとレヴィットとドナヒューは改めて分析しても有意な関係があると言ってますな http://goo.gl/3lhmN ただ、その結論を否定してる研究もあってhttp://goo.gl/bFhEj よく分からんすな。」とのこと。こういう政治的な思惑のからむネタは、結局結論がはっきりしないのでアレだ。これは、中絶反対論者は中絶肯定に使われるのが嫌なので否定したがるし、他の犯罪根絶方法を支持する人も否定したがるし。これだけでなく、死刑と犯罪率との関係とか、ほんと議論が醜くなっていやー。