いま訳してる本ときたら……

社会においては協力が大事で、協力と信頼をもとにした社会システムの構築が重要という、それ自体はとってもよい主張の本なんだが…… これを言うために、「これまでは、人間は利己的で私利私欲でしか動かないという人間不信に基づく発想が各種の社会システムの基盤になっていた! でもいまやこの発想は、生物学でも行動経済学でも完全に否定された!」と言い始めるんだよ。

見た瞬間にすげー悪い予感がするんだが……と思ったら案の定。

これまでの生物学は、ドーキンスなどの、人は基本的に利己的だという主張が幅をきかせてきたが、でもスローンウィルソンなんかが群淘汰を復活させて愛他的な個体も成立し得ることを説明したぞ! ピンカーなんかが、攻撃性や愛他性も生得的であることを示したぞ! だから人間は利己的なんかじゃないんだ! これまでの人間観はまちがっている!

shorebird 氏でなくても、進化生物学を少しでもかじって基礎を理解した人は、頭を抱えると思うんだ。遺伝子の利己性と個体の利己性をまちがえるというのは、利己的遺伝子論の誤解の初歩の初歩。著者は、自分はそのちがいがわかっているというようなことを何度か言いつつ、その直後にドーキンスのときどき使う不用意な物言いを嬉々として引用して、全然わかっていないことを露呈してくれる。

人間は「天性/自然」では愛他的なのか利己的なのか? 彼の本の題名は、その結論についてまったく疑問の余地を残さない。

えーん、あなた、ドーキンスを本当に読んだんですかあ! 

スローンウィルソンも、こういう文脈で自分が群淘汰を復活させたとか言われると頭抱えると思う。別にマルチレベル選択説は利己的遺伝子論を否定するもんじゃないんだからさあ…… 個人的には、マルチレベル選択説って、血縁淘汰が厳密にはやりきれない(だれが自分の遺伝子を持っているかは厳密にはわからないし、またその個体だけに利益が及ぶような厳密な利他手法も現実的に無理だから)ことによる付随的なスピルオーバー効果がほとんどなんじゃないの、と言う気がしてるけど、それはいいや。ピンカーやドーキンスほど強硬に群淘汰を排除しなくてもいいようには思う。でも、それがあるから利己的遺伝子が否定された、個体には愛他性がありますとか言われても、ちょっと苦笑するしかない。それにレミングの集団自殺がいまだに本当だと思ってるらしいし。一般向け啓蒙書を三冊も読めば、あれが実はウソだということくらい書いてあると思うんだけどな。付け焼き刃にもほどがあるのでは?

で、この章の次は……経済学に行くわけだが、もう何が待っているかぼくにはわかりすぎてしまってページをめくるのがこわいよ、パトラシュ……

追記

次の章は経済学ではなく、心理学だった。ミラーニューロンがあって人間は共感が生物学的に基礎づけられているから、利己的な人間をベースにした各種分野はまちがっているんだって。どうしましょう。

言うまでもなく、共感する仕組みを人間が持っているからといって、自動的に人間がだれとでも協力したがるということにはならない。他人が苦しんでいるのを見て自分も身につまされるのは確か。でも一方で、他人の苦しみを見てかえって喜ぶ、SMマニアとか、拷問好きとか、スプラッター好きというのもいて、彼らは別にサイコパスではない。人は面倒な存在で、機械的に共感しますとか裏切りますとかいう存在ではないというだけ。だから、生得的にそういう仕組みがあるってだけでは……



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