数年前のできごとなど。


数年前に、確かあれは何かアート系の宴会だったと思うんだが、顔を出したことがある。ぼくはあまり有名ではないし、あまり知った顔もいなかったんだけれど、まあ何人かとちょろちょろ立ち話をするうちに、ぼくより少し若そうな――そうだな、五つくらい若かったのかな――人物とちょっと話をはじめて、しばらくとりとめもない会話をしたあとで、当然ながら名刺交換とは相成った。相手は、どっかの大学の英米文学の講師かなんかで、だったらぼくのことも聞いたことくらいはあるだろう、とこちらの名刺を出したところ……

相手は突然顔色を変えた。

「え! 山形浩生さん、なんですか? あなたが??」

ぼくは一般にかなり怖い人だと思われているらしいので、ときどき外見が普通のおっさんなので驚かれることはある。でもその顔色の変え方と口調は、そういう純粋な驚きではなく、むしろ顔面蒼白のヤバイ感じの驚きだった。

そして彼はいきなり

「それはまずい! まずいですよ」

と大声でわめいて、そのままあっちのほうに行ってしまった。ぼくはあっけに取られていたんだけれど、しばらくすると彼はそのまま戻ってきた。そしてまた言う。

「山形さんって、それはダメですよ。まずい、困りますよ! 困るんですって!」

困ると言われましても……と思っている間に、かれはまた背を向けて向こうに行って、でもすぐに戻ってきた。

「まずい、まずいですよ、これは!」

といって、いっしょに来ていたとおぼしき人のほうに向き直り

「ぼくはちょっとここにいるわけにはいかない。帰らないと。立場的に許されないでしょう。ぼくは今日は来てませんからね」

とひとしきりぶつぶつ言って、こんどこそあっちのほうに行ってしまった。

えー、何事なんだろう、あちこちで恨みを買っているのは知っているけれど、この人のいた英文学業界では、ぼくと同じパーティにいただけでもダメといういう回状でも回っているのかな? でも、そういう変な反応を見せない人も当然ながらたくさんいるので、たぶん何か彼は個人的な事情があったんだとは思う。

でも、そういうことがあるので、たぶん多くの分野の人にとってぼくと多少なりとも接触があるのはリスキーなことなんだろうな、とは思う。いろいろ迷惑かけている人もいると思うが、本当に申し訳ないとは思っております。

コメント

こんなの書いたのは、前日に吉川洋『デフレーション』を手厳しく評したときに、ふと吉川というのも結構えらい人のはずなのでかなり弟子筋とかたくさんいるんだろうなー、と思い当たったから。だから知り合いの経済学者とか、「なんとキミはあのゴロツキの山形なんぞと懇意にしておるですか!」とか言ってハブにされたりすることもあるんじゃないかとふと思ったもので。

むろん山形が山形だというだけで嫌いだとわめきたてる、わかりやすい直情型の人もいるんだけど、多くの人はそこまで露骨ではない。でも、その分陰湿だったりして、表向きは「いやいや批判は歓迎」と言いつつ裏でデスノートに百回くらい名前を書いたりしている場合もある。またご本尊自体はかなりオープンなのに、その取り巻きが何か気を利かせたつもりでいろいろ手を回すこともある。以前、田崎晴明が日記で、ある先生のお葬式に出たときの話を書いていて、弔辞を読んだその学者仲間が「学者の夢は学閥を作ることで、XX先生は見事にその本懐を……」と演説していたのにどん引きした、と述べていた。でも、これにどん引きする人というほうが実は少数派だったりするのかもしれない。少なくともそういう力学はある。そしてその学閥がでかくなればなるほど、その力学は自走し始めてしまう。でもって、その力学で間接的に被害を受ける人もいるんじゃないか(そして、あるサークルではそれが暗黙の了解事項として認知されているようだ)というので、なんとなく上の一件を思い出したのでした。

おかげでぼくはときどきちょっと悩んだりする。たとえば最近パラパラ見た、藤田『虚構内存在』なる本がある。

まあくだらない本で、虚構のキャラが好きだから、憲法に虚構のキャラを(作者が)勝手に変えてはいけないという権利を設置しろというまぬけことを主張しているんだけれど、一部評価してもいいかなという部分もあった。で、少しほめる書評を書こうか……と思ってちょっと困ることになる。ぼくにほめられたことで、この著者が懇意に/私淑している業界の一部の人(なんとなく帯に目をやる)とかが「おまえは山形とつるんでおるのか」とか下衆な勘ぐりをして、この著者が痛くもない腹を探られることになったらかわいそうだなあ、と思うのだ。だって、ここに紹介したエピソードの人物は、明らかにそういう事態を恐れていたんでしょ。ほめたら、その作品にとってはいいだろうけれど、その著者にとってはかえってまずいかも。この人物はそうした偏狭な業界内で暮らしているようだし。ぼくはそういう計算はつまらないと思う一方で、昔柳下毅一郎に、おまえは副業だからお気楽にそういうことが言えるのだ、と怒られたこともあって、多少配慮してあげたほうがいいのか、とたまに思い出したように思うのですよ。


……読み返してみると「おれに近づくな……おれに近づいた人間はみんな不幸になるんだ……」とかいうアメリカダークヒーローもの(テッドでコメディ俳優が定着しちゃったけど、少し前ならマーク・ウォールバーグあたりが主人公やるのが定石)みたいだけれど、でも面と向かってこういうことがあると、どうしてもそういう感じになってしまいます。



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