『Journalism (ジャーナリズム)』2013年5月号:日本ジャーナリズムの経済報道に関する無能ぶりを恥じることなくむきだしにした、情けない(だが現状理解には有用な)一号。

Journalism 5月号 2013

Journalism 5月号 2013

こんな雑誌があることも知らなかったんだが、朝日新聞が『ジャーナリズム』という雑誌を出している。先日あるイベントにでかけたら、朝日新聞服部桂氏もきていて、その雑誌の最新号(2013年5月号)をくれたんだが、これが「特集:『アベノミクス』と経済報道」というもの。で、帰りの電車の中でパラパラ見ていたんだが……

壮絶なまでにひどいな、これ。だがこれが朝日新聞のみならず、日本の経済ジャーナリズムのお寒い現状を示しているという意味では、有益な面もあるのかもしれない。

まず冒頭は、「週刊エコノミスト」「週刊ダイヤモンド」「週刊東洋経済」の各編集長と、元「朝日新聞」との座談会で、内容はそれぞれの雑誌がつまらない自画自賛だが、その中で最近のアベノミクスについてのコメントがそれぞれ入る。こんな具合だ:

横田恵美(「エコノミスト」):金融緩和だけではデフレ脱却はとても無理だし、劇薬ではないかと考えて企画しています。
長谷川隆(「東洋経済」):「アベノミクス」という政策がやや異端で冒険的だというのは、経済学者はもちろん政策当局も自覚していますから、雑誌で取り上げるならやはり批判的なトーンになります。
小栗正嗣(「週刊ダイヤモンド」):そもそも白川日銀時代の「インフレ目標政策は是か非か」「デフレは貨幣的現象か」といった議論は10年以上前にも交わされていました。その蒸し返しです。日銀はかつては(インフレ率についての政策目標を)物価安定の「理解」と表現し、その後「目途」と変え、今年一月に「目標」という言葉を採用するように追い込まれたわけですが、その間の経緯はあまりに不毛でした。実質的にはかねてフレキシブル・インフレターゲット政策を採っていたわけですから。なんでこうなっちゃったのかと。

デフレ脱却が無理なら、大した影響はないでしょうに。なぜ劇薬なの? 異端で冒険的だなんて、日本の消費税増税で景気回復なんて言ってる経済学者にくらべれば全然正統ですが(付記:そもそもこの政策って、あんたの東洋経済創始者の石橋湛山が支持していた政策だろう!! と飯田泰之の指摘。おっしゃる通りでございます)。そして小栗は、そこで述べているいろんな議論がどういう結論になったのか知らないのか、そしてそもそも、インフレターゲットがフレキシブルであってはいかんのだというインフレ目標政策の基礎も知らないのか。いや、君たちが何も理解せず、何も考えていないことはよくわかりました。こういう無知な人々が経済誌と称するものを編集しているわけだ。

さらに、日経から上智大学の教授におさまっている藤井良広が書いている記事では「いまの円安、株高はアベノミクス効果にあらず」とのこと。

だが実はこうした市場の変化は、アベノミクスの政策を反映したものではない。首相が日銀総裁人事に圧力をかけ、デフレ脱却政策を推進すると宣言したことを市場が好感して、実際の政策を先取り、取引に織り込んだものだ。「期待」だけでこれだけの変化が起きた。(pp.37-38)


あのー、期待に働きかける、というのがアベノミクス/黒田日銀のインフレ目標政策そのものなんですが。だから期待が動いたら、それはアベノミクスの結果でしかない。そんないちばんの初歩のことすら知らない人間が、経済報道についてあれこれもの申すこと自体が間抜けなんですけど。

そして、なぜか登場しているのが浜矩子のインタビュー。いつもながらの無内容ぶりで、たとえばこんな一節。

いわゆるリフレ派学者の最右翼の人たちは、金融緩和もインフレターゲットも要するに「カネを回す」という話ではなくて、「インフレ期待を醸成することだ」というふうにいっている。つまり「物価は上がる」というムードを作ることによって、人々がみんな買い急ぎ、お金を使い急ぐということを狙っているというわけですよね。
まあ理屈としてはそうなる場合もありますが、インフレ期待が広く根を下ろしてしまえばしまうほど、実際には作り控え、働き控えということが起きてくる。(中略)今のように人々の所得が非常に抑え込まれていて、金利も上がらないから資産運用でも所得が増えない状態の中で「物価は上がる」と思ったら人々はさらに引きこもり、中身があまり充実していない財布のひもをぎゅっと締めてしまうのではないか。(p.56)

ぼくはこいつが何を言っているのかさっぱりわからない。インフレと貯蓄率は連動しているけれど、一方でインフレと所得増加率も連動しているので、額としては使うのが増えるよ。まして「実際には作り控え、働き控え」ならなんで株価は上がって実際にいろんな生産指標が上がってるんですか? どこの「実際」の話だよ。

その他、冷泉彰彦なる人物は、日米の「アベノミクス報道」を比較したと称しつつ、クルーグマンスティグリッツは単にイデオロギーアベノミクスを推進していて、結果がでなかったらすぐにアベノミクス批判にまわるだろう、だって。それより先にまず自分の理論の誤りを検討すると思うけれどねえ。かれらがアベノミクスを支持しているのは、それがかれらの理論的な主張とあっているからなのだ。その理論は経済学や経済運営が何を目指すべきかという考えがベースにはなっているけれど。

というわけで、もう全編にわたり不勉強な連中がトンチンカンな話をえらそうにもったいぶって述べているおバカの天国。なんで経済ジャーナリズムの話をするのに浜矩子みたいなやつを呼んでくるのやら。

唯一、救いだったのは田村秀男「日経は財務省や日銀をチェックする組織に変わるべきだ」という論説。アベノミクス/黒田金融緩和について全体に揚げ足取りをしようとしている中で、雑誌としてポーズだけでも中立な顔をしようとしてリフレ派ジャーナリスト代表(というかまともに活躍している中ではほぼ唯一に近い)に免罪符的に書かせたにすぎないとはいえ、『中央公論』の原田泰と同じく、本当にホッとします。バカに混じった四面楚歌状態、本当にお疲れ様です。

あと、もう一つ救いといえなくもないのが「経済ジャーナリズムコースを早稲田大学が新設」という記事 (pp.68-69)。若田部昌澄が旗振り役だそうで、すばらしい。まあもちろん、日銀や政府や日本の経済学者たちの惨状を見ると、単なる経済学のお勉強をしましたという以上の何かが必要だという気はする。だって、経済学だけでいいなら、どうして日本の経済学者たちはそろいもそろって変な歪み方をして、優秀なはずの日銀の人々もこれまでアンシャンレジームに唯々諾々と従ってきたのか。それでも、本誌のインタビューでつじつまの合わないところを質問するくらいの能力はつくんじゃないか*1

とはいえ、日本の経済ジャーナリズムが、アベノミクスやリフレ政策についてどういう立ち位置なのかは、たいへんよくわかりました。すべてまったく読む価値のないジャンク、ということですね。そういう系統的な歪みがあることが明確になったことは、有意義といえなくもないのかもしれない。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.

*1:その後の情報によると、これはリフレ派洗脳セミナー(当社比)になるようで、結構なことです。といっても、ぼくとしてはやるべきことは (1) 初歩の経済学習得、(2) 初歩の質問力習得、たとえば「そんなにいいことがなぜこれまで行われてこなかったんですか」「それは裏付けがあるんでしょうか」というのをきける/自分で簡単に検証できるようになるとか、この二点くらいではないかと思うので、別にリフレ派に帰依していただかなくても全然結構。この特集のように、書き出しの一文から認識も裏付けもないような代物が垂れ流されないようになれば大満足。