- 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2007/05/25
- メディア: 単行本
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世界各地のホテルに行くと、ベッドの脇のスタンド引き出しに聖書が入っていることがよくある。ギデオン教会なんかがやってる布教活動の一環ですな。最近は、それに負けじとどこかの仏教団体が仏典を置いたりするのも見かける。
で、また例によって The Economist の記事だけど、無神論者がそれに噛みついたんだって。
山小屋で読むドーキンス (2013/6/1号)
ああいう聖書は、アメリカの国立公園や州立公園などにある山小屋その他にも置かれている。これに対してアメリカ無神論者協会がかみついた。これは政教分離に違反しているじゃないか、公共の作るものに特定宗教のプロパガンダが置かれているのはおかしい、と。
これに対して、文句を言われたジョージア州側は、「いやだって、その聖書は別にうちらが公費で買ったものじゃないもん。寄付されたので置いてあるだけで、別に政府としてそれを推奨していることにはならんのよ」と反論。
日本の活動家なら、ここで引き下がるか、せいぜいツイッターで懸念したりするくらいが関の山。が、やっぱアメちゃんは、活動家までやることが気が利いてる。「ほほう、寄付されたら置くってことだな。じゃあ、リチャード・ドーキンスの無神論本とか寄付するから、置いてくれよな」ということで、現在その寄付方法について州知事からの指示待ちとのこと。
くだらねー、といいつつ宗教がらみの話は、外から見ればくだらないのに本人たちは必死なことばかり。この記事によれば過去の判例を見ても一貫性なんかまるでなし。なんでも、クリスマスツリーを公共の場に置くのは政教分離に反しないか(反しないとの判決)、ユダヤ教の燭台はどうか(これもオッケー)、でもキリスト降臨図はダメ、とかいろいろ判決もある。学校に、十戒を額に入れて飾るのはだめだけれど、テキサス州議事堂の外にでっかい十戒の彫刻を置くのはオッケー。当然の話だけれど、なんかきっぱりわかれる一線というのがあるわけではなく、場当たり的に決まったりするわけだ。
で、知事さんとしては、ドーキンスを寄付するってんなら受け取りはするけど、「どうなっても知らんぞ」とのこと(本が、ということなのか、それを寄付した連中が、ということなのかは原文でも不明)。さて、近々アメリカの公立公園にいったら、『神は妄想である』がベッドサイドにあったりするのかなあ(あまりいい夢は見られそうにないが)。それはそれで、ちょっと笑える光景ではある。
しかしどこでも、政教分離というとみんな目を吊り上げて殴り合いを始めて冷静な議論なんかできなくなるけれど、たぶんこういうお笑いみたいな事例のほうが落ち着いて考えやすいし、それを少しずつ積み重ねていくことで、「こんなあたり」というコンセンサスはできやすいんだろうとは思うんだけれど。
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.