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ボストンの思い出

昨日、突然よみがえってきた記憶なんだが、もう二十年近く前に留学でボストンにでかけたとき、到着して2週間目くらいで(ちょうど日本もアメリカも夏休みの7月)買い物にいったら、コプレープラザのホテルの窓から、アジア人の大学生くらいのカップルが出ようとしているのに出くわした。一階の部屋なので、窓も半開きにしかならず、出るのが一苦労なうえに、建物と道の間にかなり深い溝があって(地下室の採光と搬入用通路)、その外にさらにちょっと高い(2メートル強だと思う) 柵があって、かなり危険そうなことをしていたので、いったい何をしているのかと道の反対側から見ていたら、その女の子のほうが

「ねえ、こんなのやめようよぉ〜〜。正直にお金ないって言おうよ〜〜」

と日本語で半泣きの声で言っていて、男のほうは

「いいから早くしろ」

とそれを引っ張り出していた。

日本語! 日本人か! 当時 (1993年かな) は一ドル80円の超円高で、日本人は完全に御大尽状態だったので、宿代踏み倒すような日本人がいるのかとびっくり。しかも、二人ともかなりファッショナブルで、悲惨な夜逃げという感じではまったくない。うーん旅行途中でお金を落としたかなんかして宿代を踏み倒そうとしてるのかー。踏み倒すなら、重要な荷物だけ持って平然とトンズラすればいいのに、荷物は全部確保したかったみたいで、だからスーツケース持って窓から出ようとしたみたい。そのせこさというか未練たらしさをほほえましいと思うべきか嘆かわしいと思うべきか。別に助ける義理もなかったのでそのまま買い物に向かったんだけれど、なんかマドレーヌを食ったわけでもないのに、突然思い出してしまったよ。あいつらはどうしたのかねえ。あの柵を乗り越えるのはかなりむずかしかっただろうけれど、うまくいったのかな。そもそもチェックインでクレジットカード番号とか控えられてるんじゃないかと思うんだけど、意味あったのかな。

それを思い出すということは、ぼくは心のどこかで、あのとき彼らを助けてあげたほうがよかったのかも、と後ろめたく思っているのかもしれない。


その一週間後くらいに、ちょうどそれを見ていたあたりを夕方に歩いていたら、公衆電話が鳴り続けていたので、出て「公衆電話だよ、だれも出ないよ」と言ったら向こう(男)が「知ってるよ、でもちょっと話をしようよ、どこいくの、顔が見えないから南を見てよ」と言って、うわー、どこかこの高層アパートからこっちを見てるのか、と思ってギョッとして、通りかかったタクシーに飛び乗って逃げ去った。その後、そこを何度とおりがかってもそういうことはなかったんだけれど、なんだったんだろうねえ。公衆電話ハッテンバみたいなものだったのかな。


そんなことを思い出すのは、そろそろアメリカにまた出かけたいなあ、という願望のあらわれなんだろうか。ここ数日、ヤンゴンはとてもいい天気です。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.