Cavalli-Sforza et al. The History and Geography of Human Genes: 人間の遺伝子分布についての立派な百科事典。ネトウヨどもは本書についてのインチキなデマをやめるように。

The History and Geography of Human Genes

The History and Geography of Human Genes

  • 作者: Luigi Luca Cavalli-Sforza,Paolo Menozzi,Alberto Piazza
  • 出版社/メーカー: Princeton Univ Pr
  • 発売日: 1996/08/05
  • メディア: ペーパーバック
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ときどき、2ちゃんねる嫌韓まとめサイトを見る。そこに書かれていることの大半は同じネタのくだらないコピペと、我田引水の曲解まみれではある。でも、ときどきおもしろい(いろんな意味で)ネタが出ているし、そうしたサイトのネトウヨ諸氏と同じくらい異様な韓国側の自国美化も笑えるし、さらに往々にして嫌韓屋たちの主張のある程度はそれなりに正当なものでもある。が、もちろんその他の部分はとんでもないねつ造や歪曲だったりする。

さて、そこに頻出するのが、遺伝ネタで、朝鮮人は遺伝的にダメで云々という話。そしてその根拠と称するものが何度も繰り返し出てくる。それがこの Cavalli-Sforza et al.の本だ。その出方としては、たとえばこんなところを見てほしい。

http://kininatta2chmatome.doorblog.jp/archives/7325979.html

近親相姦の結果として遺伝子がやたらに均質だということが遺伝子の分析でわかったというんだが…… 本当にそんなことが書いてあるんだろうか? この Cavalli-Sforza は『銃、鉄、病原菌』の参考文献としてもたくさん出てきて、まともな本のはずだし、そこにこんな記述があるとすればかなりすごい。その一方で、これがトンデモな本だったら、それはそれでまたすごいことだ。

というのでいずれにしても見てみましたよ。で、結果は……

そんな記述、どこにもないじゃないか!!

朝鮮に関しては、「日本人と似ている」という話がメインで、それ以外のことはほとんど触れられていない。日本の中では、北海道の人々が遺伝的には朝鮮と最も近い。ついで朝鮮と近いのは関東地方だって。ちなみに、本書はもちろん多数の研究をまとめた本で、日本についてはやたらに細かく調査されているので地方別の細かい議論が本書でも展開されているのだ。一方、アイヌ琉球人も遺伝的に似ている。もともとアイヌっぽい人たちが日本全土にいて、真ん中の部分が朝鮮半島からの何度かの侵略の結果、遺伝子の分布が変わってきたんじゃないか、との記述だ (p.232)。アイヌがすごくおもしろい変わった遺伝子を持っていて、東アジアを扱った節 3 ページ(図表除く)のうち、中国人が 1 ページ、アイヌが 1 ページ、その他 1 ページ。朝鮮だけを扱った部分は 3 行だ。

また「4.4.a Japan and Korea」 (pp.202-203) という節は、実はほとんど日本のことばかりで、朝鮮の話は日本との関連(渡来人とか)でしか出てこない。

ちなみに、遺伝関係で日本と朝鮮の関係という話になると、こっちに注目すると近いがあっちに注目するとちがっていて、という細かい話があれこれネットその他で見られるけれど、この本ではいろんな遺伝子の部分を見つつ、主成分分析して類似性を論じている。ついでに、上で挙げたリンク先に出てくるジェネティック・ドリフトの説明はでたらめ。

が、この本自体はとても面白い。分厚いし、とても通読するような本ではない。世界中のあらゆる地域を扱った、百科事典みたいな本だ。あちこち興味ある部分をつまみ食いするのが最も普通の読み方だろうとは思う(ぼくもヨーロッパやアメリカの部分はほとんど見ていない)。でも意外なところに意外な関係があり、似ているものが実は遺伝的にはちがう、といった驚きが満載。そうした類縁性や異質性の背後にある歴史的な経緯についての説明や仮説もおもしろい。ところで最後で、Cavalli-Sforzaたちは、日本の下層民のエタ(原文そのまま!)を調べると面白いかもしれない (p.380) と突然述べていてぎょっとさせられる。 いったい何を念頭に置いていたんだろう。

そしてもう一つおもしろいのが、本書は冒頭 (p.19) で、人種という考え方はまちがっている、きちんと定義できないから科学的にまったく合意が得られず使えないと主張していること。ところがその次の節 (p.20) で、「人口ユニット」なる概念を持ちだす。上に上げた日本人だアイヌだ関東人だ北海道人だというのはその「人口ユニット」ということになる。でも……素人目には、これは単に人種の言い換えにしか見えないし、多くの人が人種と言うときに念頭にあるのは、本書で使われている人口ユニットのことだと思う。人間を遺伝的に扱うときには1994年(この本の刊行時)でもそういう逃げをうつのが必要だったんだろうか。

というわけで、だまされたのはしゃくだが、その一方でおもしろい本だったのは事実なので、怪我の功名というべきか、ウシに引かれて善光寺参りというか。人類の遺伝子分布に興味あれば是非。というか、興味ある人はすでに読んでるでしょ? とはいえ、嫌韓諸氏は立派な学者のよい本をインチキなデマに使わないでいただきたい。きちんとした資料でも、韓国の変なナショナリズム言説が北朝鮮の白馬の将軍様伝説と同じくらい荒唐無稽であることは十分に示せるし、そっちをまとめる努力をしたほうがいいんじゃないか……って、彼らはきちんとした検証なんかに興味がないことくらいは知っているけれど。でも、イザベラ・バードの李氏朝鮮紀行とか、あるいは最近出た日本統治下の朝鮮の研究とか、そういうので議論をかためていったほうがいいと思うんだけどね。

「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945

「日本の朝鮮統治」を検証する1910-1945

なお、嫌韓諸氏が持ち出すCavalli-Sforzaたちのべつの本があって、そちらもまもなく手元に到着予定なので、また読んだら感想を書くけれど、たぶんネトウヨたちが言うような話は書いてないと思う。



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