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Duff McDonald The Firm: McKINSEY & THE INVENTION OF AMERICAN BUSINESS (2013) 査読評価書

書評 査読


昔、査読した本の邦訳が出版されたので、査読書をおいておく。なお、文中にもあるけれどぼくが読んだのはまだ未定稿。実際に出版されたものは、以下の査読書よりある程度は改善されている可能性が高い(章の構成など明らかに変わっているので、少し整理された模様)。その点はご留意を。なお、この査読書を読んだ出版社は、この本の翻訳権取得を見送っている。

Duff McDonald The Firm: McKINSEY & THE INVENTION OF AMERICAN BUSINESS (2013) 査読評価書

平成24年9月26日
山形浩生

1. 概要

現代のビジネスコンサルティング企業の創始者であり、今なおその重鎮の一つと目される、マッキンゼーの社史を描いた本。著者は、創業者ジェイムズ・マッキンゼーによる創業以降の同社発展を、それぞれのエポックごとに描き出し、各時代にどのような発想を通じて同社が成長していったかを述べる。会計を元にした数値的な分析、企業戦略の重要性についての注目とその内実(実は経費削減への貢献が大きい)、外国への展開、各時代につきまとう毀誉褒貶、そして近年のITバブル、エンロンスキャンダル、さらには世界金融危機におけるインサイダー取引による逮捕などでの名声失墜が詳細に描かれ、同社のよい点と同時にその欠点、成功とともにその失敗、そして世界におけるその役割の変化について、提灯担ぎではなく、一方で単なるバッシングでもないフェアな見方を提供している。

著者は、マッキンゼーの提供したものをアメリカ流のビジネススタイルとしてとらえ、それを全米に広め、さらには世界に広めたことがマッキンゼーの(よくも悪しくも)業績であると考えている。そして今や、そうしたビジネスの流儀がおおむね世界的に広まってしまったところに、マッキンゼーの現在の苦境があると考える。マッキンゼーは、いまだにビジネスコンサルティング企業としては重鎮ではあるが、一時のように、マッキンゼーを雇っていなければ一流企業とはいえない、というような雰囲気はもはやない。競合も増えており、また名声が落ちると優秀な新規人材が採用できず、そのためまた名声が傷つくという負のループに入っている。これはある意味で、マッキンゼー自身が自分の成功の罠にはまった結果でもある、と著者は指摘する。

たんねんなインタビューや公開情報をもとにした書きぶりは、まったく危なげなく、憶測や決めつけで話が進む部分も少ないために読みやすい。基本は時系列的な社史ながらも事実を羅列しただけのものにはならず、それぞれの経営者の世代を明確に定義づけようという努力がうかがわれ、メリハリがきいていて、読み物としても楽しめる。同時に、こうしたコンサル企業についての、手前味噌でない公平な記述という点で、マッキンゼーだけにとどまらない業界全体についての視点もある、よい本である。

2. 著者について

 ダフ・マクドナルドは、ニューヨーク在住のビジネス系ライター。調査に基づいた堅実な記事には定評があり、カナダ雑誌賞なども受賞歴がある。著書に、JPMorgan Chase会長ジェイミー・ダイモンの伝記がある。

3. 要約

序文:マッキンゼーの謎

 マッキンゼーはビジネスコンサル企業として一大ブランドであり、ホワイトハウス改革や9/11後のFBIテロ対策、アメリカ金融セクター改革その他多くのビジネス分野で大きなインパクトを与えてきた。一方で、GMやKマートはマッキンゼーのおかげで凋落、エンロンにも深く関与し、インサイダー取引でトップが逮捕されるなどの惨事もある。だが全体としてマッキンゼーは、現在のアメリカビジネスのあり方を構築し、それを広めた重要な役割を果たしてきた。だがいまやマッキンゼーはその役割を終えたのだろうか? いずれにしても、まだその影響力は衰えていない。

第1章:オザークの農場の少年

創業者ジェイムズ・O・マッキンゼーの生涯とマッキンゼー創立。マッキンゼーは、会計の勉強をして、会計学の教授となり、1920年代にマッキンゼー社を創設。会計をもとにした企業の分析とその改革、という視点が大きな特徴。ただし、マッキンゼーの片腕だったバウワーは、会計にとどまらない広い提言を重視した。
この時期はちょうど、アメリカ企業の多くがローカル企業から、全米に広がる成長をとげようとしている時期で、単一の本社ですべてをこなすことは不可能となっていた。どんなふうに地方支社への権限移譲を行うかという企業組織の問題が大きい。マッキンゼーは多くの企業がこの問題を抱えている時代に、そのニーズに対応して成長した。また、コンサルは企業間の情報共有のツールでもあった。
同時に、成長期の1930年代は、大恐慌に伴う企業のコスト削減や合理化が求められたときで、マッキンゼーはそれを考案することで発展した。
ただし、マーシャルフィールズ百貨店での大なたは、財務的には同社をたてなおしたが労使関係を破壊し、同社はさらに苦境へ。それを気にしたマッキンゼーは、マーシャルフィールズに転職してまでその改善に苦闘(だが失敗)。マッキンゼー社は、パートナーのバウワーが取り仕切ることになる。

第2章:マッキンゼー構築

マーヴィン・バウアーは、いかがわしい存在であったコンサルタントを、医師や弁護士などとならぶ専門職として確立させ、そのイメージを改善させるべく、部下たちのファッションや生活習慣に至るあらゆる点までコントロールしていった。金のためでも名誉のためでもなく、顧客第1で考えるという方針と共に、かれはビジネスコンサルタントという新しい職とその行動様式まで作り上げた。己の持ち株を簿価で会社に売り戻すことで、自分が会社から得る儲けなど重視していないことを自ら示し、顧客と言わずクライアントと呼び、仕事をするのではなく役割を果たし、従業員ではなく会社のメンバーと呼び、ルールではなくバリューを持つ、といった用語まで考案した。そして、単なる仕事ではなく、全身的な献身を社員に要求した。
そして40年代にアメリカの参戦で、全米企業の軍需化とその後の復帰により、企業の改革の機会は多く、マッキンゼーはまた事業を拡大することになる。また、労組の拡大に伴う労使交渉などでもマッキンゼーは活躍する。そして、機能別の組織編成から、垂直統合された製品ごとの責任を持つ組織形態への再編を主導していった。同時に、顧客リストを明かさない、時間ベースではなく価値ベースの課金などの仕組みを構築した。

第3章:マッキンゼー構築

戦後のアメリカ経済急成長にともない、マッキンゼー事業も急成長する。企業へのコンサルティングにくわえ、アイゼンハワー大統領は政府やホワイトハウスの再編にマッキンゼーの力を借りることになる。またNASA設立のときにも、マッキンゼーが組織編成を行っている。
ただし、公共との仕事を通じて同社の高額なマネジメント支援料などが明らかとなり、問題視されたり政治利用されたりするようになり、その結果としてやがて政府部門のコンサルから同社は離れる。一方、アメリカ企業の世界展開に伴い、ヨーロッパも大きな市場として50年代半ばから浮上してくる。またタンザニアの独裁者による政府改革などにも関与するようになる。
これに伴い、マッキンゼーは人材確保のため、ビジネススクール、特にハーバードビジネススクールとの関係を深め、MBAの人気を急上昇させることになる。何も知らない新卒MBAが、付け焼き刃で重役にアドバイスする構図が確立する。
ただし、彼らの提案は必ずしも目新しくはなく、最初に相手の社長が出した希望通りの内容を後付で正当化するものであることがほとんどだった。おかげで、報告書は立派ながらも、GMの1980年代の凋落、スイス航空倒産、IBMの没落などを招くことになった。そして成功に伴う傲慢さもあちこちで生じるようになっている。そして、それが本当に価値をもたらしたのか、という疑問も生じており、マッキンゼーが起こしたのは大量のレイオフだけ、という辛辣な意見もある。

第4章:疑念の時代

1970年代のオイルショック以来、アメリカ経済は沈滞が続き、マッキンゼーもこれまでのような成功は実現できていない。マーヴィン・バウアーは1967年に退社したが、その後マッキンゼーはこれまでのように成長できず、またアメリカ企業が次々に日本に負ける中で、マッキンゼー流のやり方が、品質より量を重視するものでアメリカ企業の没落を招いたと批判を受ける。また「優秀な人材の自主性に任せる」という経営方針により、企業としての求心力も弱まってきてしまった。このため新規顧客も止まった。いっぽう、ボストンコンサルティンググループやベイン社などが、有名なgrowth share matrixなどのツールを使って急成長を見せ、さらにマッキンゼーの地位は下がる。また、新規人材もウォール街に採られるようになり、人件費も高騰してきた。またこれまで同社は、ゼネラリストアプローチを取っていたが、個別領域の専門性も注目せざるを得なくなった。
また、報告書アプローチからパワーポイント的なプレゼンテーションに頼るやり方がだんだん普及し、若いコンサルタントはまともな文が書けなくなってきた。

第5章:原点回帰

1976年にロン・ダニエルが社長となって、マッキンゼーの復活が始まる。ダニエルは、もっとマッキンゼーの経営を組織化、形式化するところから始めた。そして、顧客の懐に入るコンサルティングの方法を浸透させた。そして、フレッド・グリュックを中心とする社内改革チームの働きで、マッキンゼーの役割を見直し、原点回帰をはかった。四段階の企業戦略意志決定の発展図を通じて、どのように企業が意志決定を高度化すべきかを考え、それにより戦略決定を企業組織構造と関連づけることで、マッキンゼーは初期に行っていた組織改革と財務とビジョンを結びつける戦略立案に立ち戻った。
その中で、トム・ピーターズのような人々による、人材育成の計画も実施され、『エクセレントカンパニー』が生まれる。これは、評判にはなった一方で、当たり前のことを気が利いたやり方で示しただけという強い批判も生む。だが、これによりマッキンゼーは、これまでなるべく表に出ないようにしていた方針を少し改めることになる。そしてハーバート・ヘンツラー、大前研一などのスターも出るようになった。

第6章:価値はあるのかないのか?

マッキンゼーを高額で雇うことについては各種の意見がある。その価値はあるのか、ないのか? 本章は、成功例と失敗例を双方挙げて、どっちの考え方もあると紹介する。きちんと仕事が切り分けられるようならよいが、入り込まれてすべてを牛耳られると大惨事になるらしい。

第7章:おたくの復讐

70年代以降のマッキンゼー改革に力のあったフレッド・グリュックについて。また1980年代には、アーサーアンダーセンやKPMGなど会計事務所も大きなライバルとなる。その際に大きな問題となったのは、IT化だった。他の企業はIT化を通じたコンサルティングに強みを発揮したが、マッキンゼーはそうした方面に疎く、その強化の機会も逃している。同時に、顧客にやたらにふっかけるようになり、また自分たちが企業を導くのだという傲慢さが浸透するようになった。
そしてこれについて、マッキンゼーに関する各種の調査や研究も出るようになる。

第8章:金をつかめ

1994年に、初の非西洋人社長ラジャ・クマー・グプタが就任。彼はマッキンゼーの成長を重視した。同時に、マッキンゼーは金儲けを重視していいという方針を導入する。また、知識データベースなどの事業も中止し、コスト削減を行った。
これは、マッキンゼーにとっては国際的な展開の象徴でもあった。各地に事務所を作り、そこから多様な人材を雇って育てる方針で中国事業を90年代末に確立していった。また、ウォール街企業にも入り込み、その内部紛争を調停したりなどの活躍を見せている。
しかし同時に、顧客重視、儲けは二番以降という価値観、長期にわたり顧客と協力するスタイル、さらに確立した大企業とのみ仕事をするというパターンが捨てられ、怪しげなドットコム企業とも平気で仕事をするようになってしまう。

第9章:悪い助言

さらに、こうした価値観喪失の中で出てきた大きな事件はエンロン事件だった。マッキンゼーは、エンロンの不正発覚までずっと助言をしてきた。その関与は明白ではないが、まったく無関係ではなく、不正につながる事業戦略に大きく関わっていたのは明らか。エンロンの会長ももとマッキンゼーである。それを反映した『ウォー・フォータレント』はろくでもない本。
それ以外にも、スイス航空破綻、JPモルガンへのひどい助言、AOLタイムワーナー合併への関与など、マッキンゼーが関与したひどい事業は大量に見られた。だがマッキンゼーは、自分には責任はないと言いづけるだけだった。ドットコムバブルの破綻で、マッキンゼーの業績は急落した。

第10章:立て直し

グプタ以降、マッキンゼーは立て直しをはかる。その主要な方法は企業のための首切りを実施する部隊となる。また、政府機関の仕事もまたやるようになった。
(注:検討した原稿は未定稿であり、この部分については記述が明確でなく、それまでのあり方とどうちがうのか不明確との査読者コメントがついている。おそらく今後加筆改訂されると思われる)
同時に、金融機関、たとえばUBSなどに入り込んで金融危機の下地を作るのに貢献することになる。かれらはほとんどの金融機関で何らかのアドバイスをしている。ただし、そのアドバイスは集中化と分散化を交互に出す程度の型にはまったものとなっていた。また、組織も多くなり、もと従業員による汚職事件があちこちで見られるようになる。

第11章:型を破る

2009年にドミニク・バートンが社長となる。同時に、マッキンゼーOBが世界中で大きなネットワークを構築するようになっていた。(注:前章と同様、この部分については記述が明確でなく、それまでのあり方とどうちがうのか不明確との査読者コメントがついている。おそらく今後加筆改訂されると思われる)
そして、2009年に部長アニル・クマーがインサイダー取引で逮捕、さらには元社長グプタもインサイダー取引で逮捕されることとなる。このスキャンダルを通じてマッキンゼーは、自分自身の見直しを迫られることとなった。ただし、これでマッキンゼーの評判は、少なくとも顧客の間ではそんなに下がらなかったのが救い。

エピローグ:マッキンゼーの未来

顧客の信頼は相変わらずマッキンゼーの大きな財産である。が、企業が成長するにつれ、社内での価値観を統一するのは困難。また、ビジネスのやり方に関する情報はすでにかなり普及しており、マッキンゼーとしてもネタが尽きた観はある。
これまでのマッキンゼーは、ドラッカー式マネジメントの普及にも、ダウンサイズや規制緩和や金融規制緩和など、20世紀のビジネストレンドすべてに関わってきた。だが、グーグルにしてもマイクロソフトにしても、もう成長企業の多くはマッキンゼーに頼っていない。これに伴い、新卒MBAたちももはやマッキンゼーを目指そうとはせず、よそに向かおうとするようになっている。今後マッキンゼーはまた己を刷新できるであろうか?

4. 本書の見所と評価

本書は、マッキンゼーの歴史をたどることで、ビジネスコンサルティングの誕生と発展、そしてその変質をうまく捉えていると思われる。その業績と、ライバル企業の台頭や各種失敗などのバランスのよい記述は非常に好感が持てる。急成長はすべてマッキンゼーがえらかったとするのではなく、当時のアメリカ経済全体にも目を向けているので、客観的な側面も大きい。
アマゾンその他に登場する「マッキンゼー」本の多くは、関係者が書いたお手盛り本か、単なる提灯本であり、その本質についてのこうした客観的な分析は見られない。同社の業績に適切な評価を与えつつも、その問題点や今後の課題について分析した本として高く評価できる。
難点は、今後の見通しについての記述が簡潔に過ぎること。基本は「今後の展開を見守りたい」というものであり、踏み込んだ見解などが見られないのは惜しい。ただし著者はジャーナリストでありアナリストではないため、これはやむを得ないと思われる。

同時に、すでにビジネスコンサルが果たせる役割は終わったのではないか、といった視点は重要。その一方で、コンサルティングのスタイルの面でも、マッキンゼーとBCGの対比などは、一応コンサル業界に属する評者としては興味深いものとなっており、全般に良書といえる。また、マッキンゼーの手法を小出しに切り売りする本が近年かなり大量に出回っていることを見ると、それが同社のどういう事情を反映したものなのか、意地悪な見方ながらいささか興味深く思えるのも事実。同時に、マッキンゼーに対する一般読者の関心がまだあることは伺えるため、出版検討には値すると思われる。



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山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.