モンテッソリ式経営:企業は幼稚園ではない

モンテッソリ式経営 (Shumpeter: Montessori Management The Economist 2013/9/7 p.58)
翻訳:山形浩生

インターンシップ』は、役立たずの中年二人がグーグルのインターン社員として経験を積むという映画だが、ハリウッドの夏物コメディの低い基準から見ても、かなりひどいシロモノではあった。だが、一つだけいいポイントはついていた。技術企業が社員のために滑り台を用意したり、プロペラつきの帽子をかぶるのを認めたりするのはばかげている、ということだ。幼稚な趣味はグーグルだけの話ではない。シリコンバレー企業のボックス社は、本社にぶらんこを置いている。エネルギー飲料レッドブルは、ロンドン支社の受付が巨大なスケボー型になっている。各種の企業が、まるで幼稚園のようにオープンプランのオフィスで社員たちを大机にいっしょにすわらせるようになっている。かつて企業は軍隊をモデルにしていたもので、将校/上司(戦略立案)と指揮命令系統がしっかりしていた。いまや多くの企業は「遊びながら学ぶ」という「モンテッソリ」学校を真似ている。

モンテッソリ経営は、トップ企業の多くに支持されている。グーグル社の親玉(ラリー・ペイジセルゲイ・ブリン)、アマゾンの親玉(ジェフ・ベゾス)、ウィキペディアの親玉(ジミー・ウェールズ)はみんなモンテッソリ方式学校の出身だ。ビデオゲームの先駆者たるウィル・ライトもそうだ。ペイジ氏やブリン氏は、人とちがう考え方をしたがるのはモンテッソリ式教育のおかげだと述べる。ベゾス氏は、自分が実験好きなのがモンテッソリ式のおかげだという――「タネを撒き」、「見えない道に敢えて進む」のもそのせいだ、と。ライト氏は、シムシティは「モンテッソリから直接出てきた」という。

一部の有名経営コンサルたちの怪しげな助言は、1960年代の「先進的」教育学者たちの物言いとオドロクほどそっくりだ。たとえばロンドンビジネススクールのゲーリー・ハメルやスタンフォードビジネススクールのジェフィリー・ファイファーは、階層構造を廃棄して実験を奨励する企業を褒める。この哲学を真に受けているのは、金持ち国の企業だけではない。インドのソフトウェア企業HCLは、労働者に上司の評定書を書かせる――そしてそれを公開する。

だが、グーグルやアマゾンの成功がモンテッソリ方式の勝利を示すと考えてはいけない。どちらの企業も、先進的なアイデアを、もっと伝統的な発想と現実的な形で混ぜているのだ。たとえば、内部での競争や業績評価などだ。ベゾス氏はまた、軍人出身者を雇いたがることでも知られる。教育では、進歩派に対して伝統主義者たちがいまや反撃を始めている。同様に、一部の学者たちはいまやモンテッソリ経営の基本的な想定を疑問視している――特に、自由に流れる創造性、果てしない協働、あらゆるものをオープンプランに、といった想定だ。

たとえばカリフォルニアバークレー校のモーテン・ハンセンは、ある専門職企業のために契約を受注しようとしていた182のチームを調べた。すると、相談に時間をかけたところほど、受注しにくいという傾向が出た。ハンセンによれば、これは協働が便益だけでなく費用もあることを示しているという。チームワークが多いほどいいと思い込むのではなく、費用と便益をちゃんと比べねばならない。

ケンブリッジ大の学者でかつて同校の競艇チーム選手だったマーク・ド=ロンドは、最も成功するチームは「みんなで手を取り合いましょう」的なお友達感覚だけでなく、内部競争と衝突するエゴが特徴だという。「人間関係の調和ばかり重視するとチームの業績はかえって下がる」というのだ。デューク企業教育社における経営思想かジェイク・ブリーデンは、あまりチームワークを重視しすぎると「後天的な頼りなさ」文化ができてしまい、経営者はなんども相談を繰り返しても決断をこわがってしまうようになる、と懸念している。

過剰な協働は、創造性の正反対をもたらしかねない:烏合の衆思考、付和雷同、凡庸性だ。これが組織のトップになると害はきわめて大きい。スマートフォンを作るブラックベリー社(訳注:2013年1月末からリサーチインモーションから改名していたんですねー。落ち目になってから落ち目プラットフォームの名前を社名にするって……)は、相補的な技能を持つCEOを二人そろえれば双方のいいとこ取りができると考えた。ジム・バルシリエは経営専門で、マイク・ラザリディスは技術畑だ。だが同社はすぐに、ナポレオンの有名な格言がいかに正しいかを思い知る。「だめな将軍一人はよい将軍二人と同じ価値だ」(訳注:船頭多くして船山に上る、といった意味)。

ある調査によればアメリカのオフィスの7割はオープンプランになったという。だが、これがまちがった動きだという証拠は増えている。過去五年にデザイン企業のゲンスラー社は、10産業の155企業の9万人以上に、オープンオフィスでの仕事についてどう思うか尋ねた。すると驚くほどの反感が得られた。動労社によれば、オープンプランのオフィスは他の人は電子音が多すぎて集中しにくいという。彼らが重視するのは、なるべく気を取られることなしに仕事に集中できることだ。皮肉なことだが、オープンプランにするとモンテッソリ経営の主要目的をもう一つダメにしてしまうという。なんと、共同作業がかえってしにくくなるというのだ。というのも他の社員と話をすると他の人の邪魔をしてしまうし、聞き耳を立てられたりすることもあるからだ。また別の研究によれば、オープンプラン式のオフィスで働く人々は高血圧やストレスに苦しみ、インフルエンザなど空気感染の病気にもかかりやすいという。

そろそろ規律を――そしてオフィスも分けよう。

教育分野で反動が生じたのは、子供中心の教育手法を考えなしに手当たり次第に適用して、結果を無視したせいだ。もっと思慮深い批判者たちは、別にすべてを昔に戻して丸暗記教育や専制的な教師を復活させろと言っているのではない。しっかりした構造と秩序も重要だと指摘しているのだ。同じことがビジネスでも起きているらしい。ブリーデン氏は正当にも、経営者は創造性や共同作業をドグマとして盲信するのではなく、一技法にすぎないものとして考えるべきだという。ゲンスラー社のダイアン・ホスキンスは、オープンプラン式オフィスに関する自社の調査結果はあまりに衝撃的で、「職場構造に関する新時代の幕開けとなるかもしれない」と言う。労働者を別々の区画に戻し、オフィスのすべり台のかわりに職員への指示を書いたホワイトボードが復活するようになれば、反革命が進行中だとわかることだろう。


訳者コメント

はてさて、どんなもんでしょうね。冒頭部を読んで、ぼくがここで批判されているようなオープンプラン式のオフィスとして思い浮かべたのはこんなやつだった:

が、実際にここ(特にこの文章後半)で上がっているオープンプランのオフィスって、冒頭で言っているようなすべり台やぶらんこのあるものじゃなくて、日本の会社なら普通のデスクレイアウトなんだけど……
その意味で、この文章はちょっと悪質なイメージすりかえをやってはいる。が、オフィスのあり方とスタイルの関係みたいなのは、しょっちゅう出てくる話だしちょっと考えて見るとおもしろい。えらそうなオフィス/本社ビルを作るのはその企業の終焉の始まりだ、というパーキンソンの法則以来の指摘もあることだし、またここで言われているくらいのオープンプランになっている日本のオフィスでも、付和雷同烏合の衆思考もあるしきつい階層構造もあるし、本当にオフィスが労働スタイルを決めるのかどうか。ニワトリか卵か、みたいな話で議論はつきないところ。

ちなみに、この The Economist の9/7 号はぼく的にはヒット記事がたくさんあって久々に充実。すでに紹介した新都市の話も、カジノの話も、全部この号だし四半期に一度の技術特集もあって、読み応えたっぷりです。


ちなみに、途中で紹介されているゲンスラー社の調査だけれど、Businessweek でも取り上げられている模様。

Ending the Tyranny of the Open-Plan Office (2013/7/1)

ただし、その中にあるゲンスラー社による提案を見ると、正直いって集中できるところを重視とか、むかしの区画式オフィスなんていうものではなく、冒頭で批判されている幼稚園式のオフィスにずっと近いもののように思える。