パワーズ『ガラティア2.2』:がっかり。人工知性の実現とテメーのちんけなうじうじと、どっちがだいじだと思ってんだ!

 なぜかパワーズをちゃんと読むのは初めて。本書とか囚人のジレンマとか幸福遺伝子とか、科学っぽいネタを使った小説が得意というのは知っているけど、これまで敬遠していた。でも、本書でがっかりしたので、もう読まないかもしれない。

 本書はまず、パワーズのうじうじした懐古私小説もどきで、それ自体うっとうしい。が、うっとうしい私小説もそれなりに存在意義はあるし、うまくやればおもしろいものになる。でも本書はそれができていない。

 私小説である一方で、本書はそれと並行して、パワーズが小説家として入り込んだ大学で、コネクションマシンによる人工知能を構築するお手伝いをするという話が入る。そしてその人工知能がだんだん発達して自意識を持ち、愛とはなにかとか高度っぽいこともあれこれ言えるようになって、人工知能としてほとんど文句なしの存在にまでしあがる……んだけれど、著者はそれを自分のくだらないグチの相手に使うだけ。

 パワーズは、これがいかに荒唐無稽な設定だかわかってないんだろう。こんな人工知能ができたらそれだけですごいことだ。周囲の科学者たちがほおうっておくわけないじゃん。レンツ博士、なんで達観してたそがれてんの? 大ホームラン級の研究成果じゃん! それをパワーズは、自分の慰み者で終わらせてしまう。この世の終わりだろうと無視して私情に走るのが私小説の醍醐味ではある一方で、パワーズの経てきたCという女性とのつきあいと別れは、バランス的にこの科学史上有数ともいえる業績ととうてい釣り合いが取れるものではない。むろん恋愛なんて、端から見ればどれもくだらなくて、でも個人的にはご大層なものではある。そしてこれが、自分一人で活動しているマッドサイエンティストであれば、ハダリーを作って、それでも自分一人でそれを秘匿し破壊するというのはありだろう。でも、NCSAのネット上でスパコン総動員してやってることでしょ。

 一応、パワーズは関係者が騒がないような仕掛けっぽいものも作っているけれど、その安易さ――痴呆症とダウン症――は目をおおうばかりだとぼくは思う。そして一方で、現在進行形のAへの恋慕は、正直いって何に惚れたのか――妄想を抱くようになったのか――もぜんぜんピンとこない。

 そしてパワーズは、文学を読み聞かせたら(しかしなんで音読するの? テキストそのまま喰わせるほうが圧倒的に速いし正確だと思うけどなあ)それを理解して自意識がめばえた人工知能という設定でなんとなく文学っぽい自意識を(読者のも含めて)くすぐってみせ、そして社会理解のために新聞や雑誌やニュースを大量に読ませたら、絶望かなんかして引きこもってしまうという。なんでそうなるのかもよくわからん。お文学はきれいで世間は汚いとでもいいたいわけ? 最初のうちは、この人工知能っぽく見えるものが実はちがっていい加減な引用をしているだけの、ちょっと優秀な bot にすぎず、パワーズがそれを自分にひきつけて深読みしているだけ、という可能性も考えたけれど、そうはなっていない。

 最終的に本書は、関係するあらゆる人――そして人工知能――が著者に対して、「世界を見てきて」と言ってくれるという、身勝手な妄想願望充足小説。新世紀の恋愛小説、と帯にはあるけれど、恋愛小説の部分は本当に古くさくて、前世紀でも通用したかどうか。それを目新しく見せるために人工知能というしかけを導入し、その人工知能――パワーズはこれを、お文学純粋培養の無垢な存在というニュアンスで使っている――が最終的に自分の前進を促すことで、自分が許されるという話にしたてているんだが、それが本書をとても物欲しげでナルシスティックにしている。そしてタイトルにすらしたものが、しょせんは引き立て役で、そのくせそれが科学の一大革命でありながら、だれにも気がつかれずあっさり消える――SFだから安易でいいという発想が露骨に出ていて、ぼくはあまりなじめない。

 翻訳は、若島正なので、まあまあ。ただ若島正は技術系にそんなに強くないので、ときどき首をかしげる。ASCIIをASC-2だと思っているとか。これは原文見てないから確実ではないが、カルテックって、カリフォルニア工科大学のことじゃないの? 基幹ってバックボーンのこと? エイダ・ラブレスをアーダ・ラブレスにしているのは、まさかナボコフ趣味を発揮して見せたつもりではないことを祈る、等々ときどきかんに障る。まあ、わかるから大きな問題ではないんだけどね。だがそれ以上に、口語表現を愚直に訳して、会話の流れがわかりにくくなっている。パワーズに勝手な妄想恋愛のプロポーズをされたAが呆れて「じっとこんな話を聞いている必要はないわね」と口走るところとか、「I don't have to stand and listen to this」かなんかだと思うけど、もうちょっと吐き捨てるようにしないとだめでしょう。「I wasn't born yesterday」をそのまま「だってわたしは昨日生まれたんじゃないんだもの」と片付けるのはあまりに安易じゃない? I lost my mind を「私は心を失っていました」というのも。もちろん、人工知能の言うこととして、字面通りの意味と慣用句的な意味の二重性を示したいのはわからなくもないんだけれど。最後の「あまり長く離れているなよ」も、すごく不自然で終わり方もすっきりしない。これ、何の引用なの? Aの人物造形とかわかりにくいのは、そういう理由もあるのかもしれない。ただこれを見て、敢えて原文を読もうという気もなくなった。

 さて幸福の遺伝子とか読むべきかなあ。なんかパワーズがこれをどう処理するか、想像がつきそうな気がする。まあ買ってしまったので目は通してみようかとは思うけど(通してみました。後悔しました)。そしてこのガラテイアは……カンボジアに捨ててこようかなあ。



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