カルロス・フエンテス『我らが大地』: その1 な、ながいし技巧に走りすぎ……

Terra Nostra

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一連のカルロス・フエンテス著作を読んできて、あとはこれと Hydra Head さえ読めばフエンテスはすべて(読むべきものは、ってことね。『老いぼれグリンゴ』とか読む気がしません)おしまい、ということでついにTerra Nostra こと『我らが大地』を読み始めました。ぼくはスペイン語はできないので、英訳だけれど。水声社だか現代企画室だかから邦訳が出るとか出ないとかいう話も聞いたけれど、もうその手は桑名の焼きハマグリでございます。ぼくにももう時間がないし。

とは言ったもの、とてもさっさと流し読みできるような本ではない。英語の大判ペーパーバックで780ページの化け物。ピンチョンの『重力の虹』に匹敵する分厚さ。で、まだやっと2割読み終えたところなんだが……

冒頭は非常に期待させる。パリの街が突然豹変した。セーヌ川は沸騰し、寺院のキリスト像は黒くなり、その壁は透明に、そして女たちは少女から90歳の婆に到るまで父親もなしにいきなり懐妊し、手足六本指で背中に赤い十字のついた子を次々に道ばたで産み落とす。その中を片腕のサンドイッチマンはレストランの看板にはさまれて今日も出かける……ところで下宿屋の家主の婆さんがちょうど出産した子供を取り上げるはめになり、そしてふしぎとその出来事を告げる手紙が届いている。街にはちょうど貧者たちの巡礼が押し寄せつつある。それを迂回して、到るところで足が六本指の赤ん坊を女たちが出産し続けている中を歩く男は、唇にヘビの入れ墨をした女が橋の上でチョークの落書きをしているところに出くわす。その女が呼びかける、待っていた、と。自分はセレスティーナだと。そして自分の話をきけ/けきを話の分自てしそ。

ここらへん、文章的なかっこよさと奇想とがむちゃくちゃにからみあってすばらしい。が、そこから話はスペインの、ドイツ方面からやってくるプロテスタンティズムに抵抗しつつ、さらにイスラムからのレコンキスタ失地回復)の仕上げを計るフェリペ二世とその家族の話が続いてすごくだれる。それが必死でカトリックの牙城を作るべくエル・エスコリアル修道院を建設するが、その息子と手込めにした平民の娘、神学生と坊主(フェリペ、セレスティーナ、ルドヴィコ)が率いる、この世の天国を奉じる貧民軍団に攻め込まれて荒らされ……

といったところまでとりあえずきている。ほんと、現段階でやっと複数の話がつながりはじめていて、この貧民軍団って冒頭のエピソードでパリにやってくる貧民巡礼と関係しているあり、という話なんだけれど、でもなんだかまだ話はほとんど始まってもいないようで、これからという感じみたい。

(付記:……と思ったら次の章で貧民軍団たちは待ち伏せしていた兵たちに皆殺しにされて、実はそのすべては息子が父親に認められるために仕組んだ陰謀で、ということになり話はひねりが。でもやっと話が流れはじめたのは嬉しい)

で、今のところどうよ、ということなんだが、これからいままでの部分のコチャコチャした話や、やたらにページを割かれるイヌの話やら、ちゃんと回収されるんだろうなあ。そうでないと、非常に自閉的な技法開陳で終わってしまいそうで怖いところ。ウィキペディアによれば、フィネガンズウェイクに影響を受けているというんだが、いまのところやたらに読みづらい点以外ではそういう印象はない。と書いたところで、このウィキペディア記事に出ていたロバート・クーヴァーによる書評というのを読んでしまったが、なに、本当にこのまま自閉的な技法開陳で終わってしまうの??!! うーん。壮大な失敗作、ですか。うーん、うーん、うーん。

とりあえず、旧世界を出て新世界に入らないとフエンテスが本書でやりたかったことの中心には到達できなさそうなので、我慢して読み続ける。が、この先あまり期待できそうにないなあ。最近、壮大な失敗作に、壮大な失敗作だというだけで付き合うほどの鷹揚さも持ち合わせなくなってきているので。大学生の頃なら『ダルグレン』読んで、途中で嫌になってもとにかく読んだというのを自慢するために最後までたどりついたりはした(そして菊池さんみたいに、読んだと自慢したら感心してくれる人もいたし)。でも『我らが大地』読み通したといって感心してくれる人もいないしなあ……

まあどこまで続きますやら。Hydra Head を先にしたほうがよかったかなあ……(つづく、かな)

(続きました。続きはこちら



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