根本『物語 ビルマの歴史』:通り一遍で重要な点に踏み込めていないのでは?

はーいみなさんこんにちは。これを書いているのはミャンマー行きの飛行機の中。直行便で乗り換えなしで行けるのは本当にありがたいね。
で、この飛行機の中で読んでいたのが根本敬『物語 ビルマの歴史』(中公新書)だ。去年、ミャンマーには何回か出かけたけれど、その歴史や現状についてまとめて読んだことはなかった。ちょうどこの本をもらったので、いい機会だから読んでおこうと思ったわけ。
本書は、ビルマミャンマーの概要と、主に英国植民地時代以降の近現代史をまとめた本だ。悪い本ではないが、絶賛したいわけでもない。まあ概説としては使える。でも一部では無用に細かすぎ(日本の植民地時代の話とか昔のエリートの話とか、アウンサンスーチーの身の上話とか)、全体にごく一般的な通史にとどまっているのだ。
まず残念なのが、ミャンマー(あとは欧米日)だけの話に終始しているところ。隣国タイとの関係は? 歴史的ないがみあいもあるし、いまも資源や出稼ぎ労働者の面ですごく重要なはず。バングラ側とのつながりは? それ以上に中国や北朝鮮との関係はどうなの? アメリカのオバマ政権ミャンマーへの制裁解除を急いだのは、中国や特に北朝鮮との怪しいつながりが深まるのを懸念したからだ、と著者は指摘する。うん、そうだろうね。だからアメリカが何を懸念していたかは、是非知りたいところだ。
ところが本書には、「北朝鮮との怪しい関係」についてわずか1ページ半 (pp.342-343)。しかも、それが一時的なもので、現在は何の関係もないかのような記述になっている。でも……カンボジアラオスなどで暗躍する日本のパチンコ屋経営の銀行がミャンマーにも進出していることからもうかがえる通り、北朝鮮とはいまだにかなり強い接触はあるはずなのだ。中国については、南下してインド洋に出るルートがほしかったので軍政と仲良くしていたというちょっとした記述だけ。

また、本書はアウンサンスーチー全面支持の立場を貫く。彼女は不撓不屈の闘士であり、正義と真理に準じ、不正を許さず、政治的な妥協や取引にも応じることなく、しかし常に和解を求め続け…… ほとんど個人崇拝のレベル。
確かに彼女が苦労してきたことは認める。反軍政のシンボル的存在として非常に重要な役割を果たしてきたのも事実だ。だが、国内政治運営の具体的な実績が何一つない。あくまでヤンゴンでの世間話で聞いた話でしかないけど、アウンサンスーチーやNLDに対しては、何でも反対で口先で高邁な理念を言うだけの万年野党で、現実的な政治力や問題解決力はないという悪口はかなりあるんじゃないの?
これがちょっと露呈したのは、本書でも最後に取り上げられている、イスラム少数民族であるロヒンギャ迫害問題だ。これについて懸念を表明したことで、アウンサンスーチーは国内の大きな批判にさらされた。著者はそれに対し、ナショナリズムに傾倒する後進的な国内勢力が進歩的なアウンサンスーチーをいじめたのだと述べる。
しかし……ぼくの知る限り、その後彼女はこれですぐにこの問題に対して沈黙し、つっこまれたらはぐらかしたか逆ギレしたかで、こんどは国際社会から日和見という批判を浴びたんじゃなかったっけ。もちろん国内の支持のためには、そうした政治的立ち回りが必要なのはわかる。でもそれは当然ながら、彼女だって政治的妥協や取引は避けられないってことだ。つまり著者の、アウンサンスーチーは政治的妥協や取引をしない、という主張がナンセンスだということ。では彼女は今後、どういう政治的かけひきと妥協を目指している、あるは目指しそうなんだろうか? ミャンマーの将来や彼女の役割を考えるというのはそういうのを少しは考えるということだと思う。歴史学って、そういうかけひきの条件を描き出すことも意義の一つだと思うのだ。でも本書はそれをまるでやってくれない。

本書はあくまで一般向けの歴史であり、政治経済分析ではない、というかもしれない。でも、ちょっとくらいは示唆が欲しいんだよね。まず、本書の書き方自体が、現在の状況を理解できるようにってことで、昔の王朝時代は40ページほどに押し込めて、あとは近現代史をひたすら扱うようにした、と言っているんだから、現在への示唆がもっときちんと出てこないと。

ところが近現代史は、著者の専門なので張り切ったのはわかるんだけれど、逆に詳しすぎて焦点がしぼれていない。ナントカ将軍がアメリカに行ってイギリスにして相手にされず失意のまま日本にでかけ云々というのをここまで細かく書く必要はなかった。日本軍がどう侵攻して何がどうして、という細部も、ここまでは不要じゃないか。ぼくみたいに仕事で行く人間も含め、多くの人はここまでの詳しい歴史は不要なので、『地球の歩き方』の最後に載っている(ほとんどの人は読まない)その国の歴史や現状の解説で十分なのだ。

著者としては、こうしたもののすべてが、現在のビルマナショナリズムの成立に関わっているから重要だ、と言いたいようだ。でも、そのナショナリズムがなぜ現在のビルマ理解に重要なのか、というのがよくわからないんだよね。ひょっとしたら、現在のミャンマー研究においてはそれって言うまでもなく重要な課題なのかもしれない。でも、それは本書の読者たる一般人には共有されていない前提だ。どの国にだってそれなりのナショナリズムはある。ミャンマーだとそこで何がちがうの? その歪みや問題点はどこにあるの? 最後の課題を見てもナショナリズム多民族国家のまとまりにおいて課題になるというのはわかっても、その成立過程をここまで細かく追わないと理解できないようなものには思えない。

この本が書き始められたという17年前なら、ミャンマーなんて当分何も起こりそうにないいまのブータンとかみたいな国でしかなかったから、これでもよかったかもしれない。でもいま、ミャンマーはその時代を超えてものすごい注目を集めるに到っている。それはビジネス的な関心となるし、その人たちは今ここで書いたようなことを知りたいと思うはずなのだ。それが載っていないのは本書の残念なところ。今出たのはタイミング的によかった一方で、著者の知見を世間的な知見が追い越してしまった点が多いという意味では裏目に出た面もある。でも、深くつっこんでミャンマーの歴史や現状について知りたい人は、入門書として読んで損する本ではない。現在にまで通じるイギリス植民地時代の行政体制構築や、たまに出てくる少数民族問題なんかの話は、非常に明確になるので、土台としては役にたつ部分も多いと思う。

付記

あまりにお約束なので書くのをためらったんだけど、もやもやするので……はい、この人は「あの」根本敬ではございません。知らない人は検索しないほうが精神衛生上よろしゅうございますよ。




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