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「宇宙SFの現在」の感想

Space, the Final Frontier?

Space, the Final Frontier?

稲葉振一郎シノドスに「『宇宙SF』の現在」(2014.03.22) なる一文を寄稿している。

論点としては、最近のSFでは宇宙進出がバーチャル化されていて、生身の人間の移住が出てこないということ。稲葉大人はそれが、異星人の必要性のためだと主張している。異星人に「他者」(これってときどき文系の人が使う、大仰でとんでもない絶対理解不能者みたいな意味じゃなくて、ちょっとちがう相手、くらいの意味の他者だよね? カッコつける必要ないと思う)として出てきてもらうために、これまでのSFでは宇宙進出が必要で、それも生身の人間がウチュージンと出くわす必要があった。でも最近では、宇宙までいかなくても地球上にだっていろいろ「他者」がいるから、もう宇宙に出て行かなくていいんだよ、とのこと。

さて、ぼくは基本的には稲葉大人の書いていることは、まちがってはいないと思う。が、それが主要な理由かというと、そうは思わない。なぜかというと、この理屈ではあまりよい説明にはなっていないと思うからだ。

だって、そりゃ確かにウチュージンに他者を仮託する必要はないかもしれない。でも……仮託したっていいじゃん。それでよいお話ができるんなら、それを捨てる必要はまったくないのだ。人工知能とアンドロイドと改造人間と遺伝子強化人と半漁人と超能力者と野蛮人とドジンどもと狂信者とナチス共産主義者と並んで、宇宙人が出てきて人類と闘ったりなれあったりすればいいだけ。More the merrier でございます。昔のSFはそういうもんでした。なぜそれではダメになって、宇宙SFだけ変わったの?

というわけでこの議論には一つ大きな視点が抜けているように思う。なぜウチュウジンを持ち出すことが説得力を持たなくなってきたのか、設定として使いにくくなったのか、ということだ。そしてそれは、人々が持っていた認識であり、その根拠となった時代背景だ。宇宙SFを成立させていたのは、いずれ人類は宇宙に出なくてはならない、という世間的な常識であり共通認識だ。宇宙に出るというのが、特に疑問の余地もなく説得力を持っていた事情がある。

それは当時(というのはSFの黄金時代たる20世紀半ば)、人口増大が背景にあったからだ。地球は人であふれ、どっかで宇宙に植民しないと地球があふれて資源枯渇でローマクラブでソイレントグリーンになる、と思われていた。だからこそ、人類はどっかでまちがいなく宇宙進出しなければならないと思われていた。

フィリップ・K・ディックの多くのSFだって、まさにそれが背景になっている。余った連中は火星やフォーマルハウトやアルファケンタウリに植民して、過密な地球には戻ってくるな、というのがその根底にある。もちろん余ったオンチャたちですらそんなのいやなので、アンドロイドが作られて、でもそのアンドロイドすら外宇宙重労働はいやなので――

でも……ぼくたちはいまそういう状況にない。いまほとんどの先進国(いや中進国や中国ですら)はすべて高齢化と人口減少に悩んでいる。地球全体の人口だって、2050年あたり減少に転じるという推計が主流だった(最近ちょっとこれが見直されて、微増が続くんじゃないかという見通しになってきたけれど、それでも以前の指数関数じみた増大はもはや想定されていない)。

そしてその一方で、生身の人間を宇宙にやるには時間も費用がかかりすぎるよ。ついでに最近の連中ぜいたくだから、昔の連中のように体一つでブラジル植民したりゴールドラッシュで西部に出かけてインディアンブチ殺したりとか、オーストラリアに放り出されたりとか、そんなの耐えられないよ、という事情がある。ニュータウン作るのにすら苦労するのに、何もないところにいきなり植民なんて、やだよー。コンビニか、せめてビールの出る酒場くらいないと行きたくないよー、というわけ。

そういう環境になってくると、宇宙に行く、ウチュージンとご対面、というのは説明不要の背景ではなくなる。なんでこのバカはわざわざ生身で宇宙に行くような、面倒で金のかかることをしてんのよ、というのを説明しないと、話がそもそも成立しない。

かつて「エイリアン」の時代にすら、シガニー・ウィーバーたちが宇宙に資源探し、というのはそれなりに説得力があった。でもいま、同じネタで「プロメテウス」を作ろうとすると、そもそもみんなが宇宙にでかけること自体に面倒な説明が必要になるし、それですらかなり苦しい支離滅裂な代物になるしかない。宇宙にどうしても行きたくて、それを多少なりとも納得いく形でやるなら、バーチャルですませようぜ、ということになる。あるいはギリギリ、地球の周回軌道、いや月くらい、まあ火星くらいまでならなんとか物好きがいくかもしれない。でもそこまでだ。

稲葉大人はもちろん、作者としての内的動機の話をしているわけだ。作家がどんなテーマをとりあげたいか、ということ。でも、それではSFになる必然性が弱い。ぼくはこうした時代背景が必須だと思う。そしてここから、これから「宇宙にでかけたらエイリアンと出会っちゃいましたー」というSFはなかなか成立しなくなる。そういうのがあり得るのは、物好きなバックパッカーくらいで、これが「銀河ヒッチハイクガイド」ね。でも最近のバックパッカーもやわだし。

するとあり得る宇宙SFは、宇宙人のほうが侵略してきました、というもの。そうでないとなかなかこっちからは出て行けません。でも人類ですらある程度のところで外にでかける理由がなくなってきたのに、宇宙人はなんでこっちにくるんですかー、というあたりでまた宇宙SFの必然性もいろいろ苦労が出てきて、するとSF書くのもいまは大変です、ということで……

付記 (2014.3.26)

突っ込まれた稲葉大人、各地で自分がすでに人口テーマについては書いているアピールをしている。この記事のコメント欄にもあるので、興味がある人は見てくださいな。

が、読者は稲葉振一郎全著作を逐一読んでいるわけではないし、そんな義理もない。「宇宙SFの現在」というコラムがあったら、そのテーマについての稲葉思想を一通り書いているものとして読む。まさかそれが、どっか別のところに書いたものの落ち穂拾いでしかないとは思いませんわな。

もちろんこれはいろいろな方面から突っ込めるテーマなので、あのコラムですべて網羅しろとは言わない。でも、「これについてはAとかBとかCとかいろいろあるけど、Aについては他で論じたからここではBだけ採りあげるね」という断り書きはないと。「どこかだれも知らないところですでに書いた」というのは、あのコラムでそれに触れていないことの言い訳にはならんと思う。



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