エゴサーチ:富岡日記とSF

ツイッターで、2014年4月末にエゴサーチをしてみると、何やら突然二種類のネタでもりあがっていて、騒動好きのワタクシといたしましては嬉しい限り。

一つ目のネタは、富岡製糸工場が世界遺産入りするとかで、ぼくが勝手にスキャンしてアップロードした富岡日記が俄然注目を集めていること。すばらしいことです。が、言っておくとぼくは富岡製糸工場の世界遺産入りをまったく評価していない。というのも……

 なぜぼくが『富岡日記』をアップロードしたかといえば、それがかなり手に入りにくい状態になっていたからだ。それでも当時から、世界遺産にしろという騒ぎはやっていた。さて富岡製糸工場は世界的に見て重要かもしれない。ぼくは特にそうとは思わないんだが、それはひとそれぞれ。でもそれなら、それを裏付ける資料を作ろう。なぜ大事なのか、何がおもしろいのかをきちんと示そう。『富岡日記』はそのための最高の資料の一つだ。それが絶版で入手困難でも平気な世界遺産促進運動? 何のための世界遺産なんでしたっけ。いや、地元は観光誘致とかプライドとかあるだろう。でも全体的には、世界の文化において価値があるから世界遺産にするんでしょ。だったらその価値を高める活動こそ重要だと思うんだけど。だからぼくは『富岡日記』無視して世界遺産めざすという神経がわからんかったわ。富岡日記の英語版作るとかして、研究者にとって非常に価値が高いところなんだというのをアピールしようよ。はっぴ作って旗振って陳情して世界遺産になったところで、何の意味があるの?

そういえば、世界遺産になると何がいいんだっけ? ケチなユネスコがお金でもくれるんだっけ? 日本では文化財とか伝建指定とかかかると、多少はお金が出る一方で、自分の家なのに勝手にいじれなくなって不便きわまりないので、みんな嫌がる。それにかつてガーナで、世界でもっともしょぼい世界遺産というものを見に行ったけれど、別に世界遺産だからどうこうってわけでもないみたいだよ。まあ、ぼくも調べたわけじゃないから、なんかあるのかもしれないけどね。

がそれはさておき、世界遺産をきっかけに、『富岡日記』を読む人が増えるなら、それは大変結構なことです。是非ともお読みください。ホントおもしろいよ。

その一方で……

ぼくは当時、富岡日記についてこんなコラムエッセイを書いた。

富岡製糸工場のすごい技術移転 - 『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 6 回”

すると、次のような文句がやってきた。

Sakino Takahashi ‏@sakinotk 10h
技術移転の好例として、富岡日記を読ませて授業をしてきましたが、山形氏の議論のディテールはまったくもって??だと思います。RT @asahipress_2hen: 山形浩生氏──「技術移転の理想型」(ツイートへのリンク

ええっ? ぼくの議論のディテールって何のこと? たかが1600字ほどで、そもそもディテールなんかないエッセイなんだよ。内容も富岡日記の概略を述べて、自分の体験から途上国でもこのくらいがんばって技術を吸収してくれれば、と言っているだけ。議論と言うほどのものすらないんですけど? でも、この高橋さきのという人(実はダナ・ハラウェイを訳した人で、次のネタとそこはかとなくつながっているんだけど……)は、不満があるようだ。

そしてそれについて質問したところ、ご当人からはまだ回答がないけれど(付記)、もう一人の人がこんなツイートをしている。

ひろのゆうこ ‏@achonpurike 9h
@sakinotk @asahipress_2hen  当時の日本、個と全体がシアワセなほど一致していて、全体(お国)のためにという意識が強烈だったんですねえ!山形さんほどの方にそれが分からないはずはないと思いますけど(笑)

つまりこの人が言っていることは、和田英が富岡でがんばったこと自体が、なにやら個を抑圧する全体主義イデオロギーの結果だということだ。そしてそこから匂わされているのは、彼女も権力と資本と国家と家父長制の犠牲者であり、それをほめるのは人民弾圧の走狗だ、ということですか。さらに、最後の(笑)はもちろん皮肉なので、山形はそんなこともわからんバカなのである、と言いたいわけだ。

似たようなツイートがこれ。

Hu-Century ‏@kc14061 7h
@hiyori13 http://bit.ly/1mSTb0q から http://bit.ly/1mSWzbI .津田梅子を連想して同時代から気概を用いました.調べて富国強兵政策の影響が強かったと思えます.ちなみに民間にいい会社はあったようですが、過酷もあったと思います. (ツイートへのリンク

和田英は富国強兵イデオロギーに洗脳されました、ということですな。ついでに、女工の過酷な実体はあった、と。

実はこういう反応は初めてではない。労働経済を研究している浜口桂一郎も、ぼくが『富岡日記』をネットにあげたとき「女工哀史に反論できたつもりでいる」とか「確かに世の中は女工哀史の通りでしたが、ごく初期の一部では富岡日記みたいなこともあったんですよという風に、居候がそっと出すような言い方であれば、誰も文句は言いません」とか奇妙なコメントをつけてきた。ちなみにこのコメント、「労働研究者は(中略)資本家は常に労働者を搾取したことにしたいから、女工哀史みたいなのをなるべく称揚して(中略)富岡日記は自分の説に都合が悪いから(中略)貶めるのが作法だと聞いたことがあるが、本当かね」に対する反論のつもりらしいんだけれど、そのコメントがまさに、富岡日記は特殊例だから表に出さず、女工哀史を前面に出すべしという方針を物語っているというのはおもしろいことだ。

でも別に、『富岡日記』をネットにあげて、その中身に感心したからといって、女工哀史を否定したことになんかならない。他に過酷なところはあっただろう。そこが性にあわない人もいたはず。それは『富岡日記』にも出てくる。ただ、それだけではなかったということだ。ネットではすでに、富岡製糸工場は元祖ブラック企業だとか書いている人がいる。でも、そうではなかったかもしれないというのを理解するのは重要なことだ。むろん、他の場所の実体や、同じ富岡でも後年はどうだったかを知るのは重要なことではある。でも、それならこれを皮切りに、他の資料もどんどん出して、多くの人にわかるようにする方策を考えるべきだ。そうやって富岡製糸工場の意義がさらに高まるんじゃないの?

たとえば、地場の従来の生糸産業との関わりについてのこの話とか面白い。でもその一方で、『富岡日記』によれば、従来の地場の生糸はくたくたに煮すぎて西洋人には買ってもらえず、富岡式のヤツが大人気、ということになっている。どっちの話が妥当なんだろうか? これだけでもちょっと面白いネタだし、それを旨く盛り立てることこそが文化的な価値を創り出すということでもあるはずなんだけど。

「一部では女工というと、大正時代の女工哀史のイメージが強い。(中略)でもこの記録を見ると、少なくともここではまったくそんなことはない」というのを見て、はやとちりする人は、ほれ山形は女工哀史を否定している、と読んでしまうようだ。でもそういうことではないのだ。

そして……今回のコメントを見ると、最近ではさらに高度な技も出ていることがわかる。実は『富岡日記』も、明治の家父長イデオロギーに洗脳されたかわいそうな女性が、元祖社畜ともいうべき存在に貶められたかわいそうな記録として読むべきだ、というわけですね。いやあ、女工哀史女工哀史として、これはこれとしてもっとストレートに読めないのかなあ。いちいちそうやってイデオロギーからめないといけませんか? でも一部の人はイデオロギーからめるのが仕事なので、仕方ないのかね。面倒なことです。


で、もう一つの話が……大森望が日本SF作家協会に入れなかった話。その原因は、その作家協会に入っている巽孝之小谷真理大森望にずっと恨みを抱いているから、ということなんだが、それをさらに悪化させたのは、山形が書いた(というより転写しただけなんだけどね)小谷真理揶揄の替え歌にあって、何やらその替え歌に大森が関与していたという邪推があるとかないとか。

これについては……と書き始めたら長くなったのでまた稿を改めることにする。ふっふっふ。

付記(2014/05/04)

高橋さきのが、「山形氏の議論のディテールはまったくもって??」と言った中身が判明。

Sakino Takahashi @sakinotk · Apr 29
↓まず、「女工が」という把握がウソ。横田ら「女工も」なわけであり…大工、指物師、野鍛冶等は、「汽船」⇒「富岡」をまわって技術移転に携わっているわけで協業。在来技術の基盤を評価せずに、[女工」のやる気論に終始。ポスト「官営」での技術導入場面の広範な搾取構造至適も至当。(ツイートリンク

↓ニューラナークが麗しかったからという理由で、19世紀後半の英国繊維業の動向批判がチャラにならないのとおなじ。米国についていうなら、初期のローウェル(ディケンズ、パターソン等参照)の労働環境が比較的よかったからといって、それが何か?という感じ。(ツイートリンク

結局、上で述べたのと同じ、高橋が先走った誤解をしていたということ。富岡日記をほめているから、女工哀史みたいなのを否定しているにちがいない、というだけの話。和田英ががんばって技術習得に励んだということを指摘しても、他の要因を否定することにはならないし、その時期の富岡の状況を指摘しても別にそれ以外の記録を全否定するものでもないというのは上に書いた通り。高橋の言う「議論のディテール」は、ぼくが書いてもいないことを勝手な憶測で造り上げているだけだ。





クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata is licensed under a Creative Commons 表示 - 継承 3.0 非移植 License.