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高田『情報汚染の時代』:オマエモナー

題名見て、「ああどうせあんな本かな」と思ったでしょ。その通りの本。

ネットを通じてみんな歪んだ情報を受け取り、見たいものだけ見るようになり、情報環境が豊かになるにつれてかえって情報は汚染され云々。だから情報源は精査して、その経路や意図を考え、そして自分の出す情報はなるべく汚染を減らし云々。

本が生まれ、マスメディアが生まれ、テレビが生まれ、ネットが生まれ、そのたびに言われてきたことの再生産でしかない。それをもったいぶって、250ページの本にして出してる。

さて、かつて大学の実験での心得として言われたことがある。実験ではもちろん重金属の混じったものもたくさん使うので、学校はそんなものをそのまま下水に流したりはしない。ちゃんと処理する。その際に実験する側としては、環境汚染を避けるために次の点に留意しろと言われる。

  1. なるべく出すな
  2. 出すなら薄めるな

なぜ薄めないほうがいいかというと、処理しにくくなるから。

ぼくにとっては、ネット上の悪意ある情報、歪んだ情報もさることながら、無意味な情報、すでに言われていることを薄めただけのぬるい情報も汚染の源だ。目新しいつもりで、とっくの昔に何百回も言われたことを(それもさも自分が思いついたように)言う本も論者も、希薄化に加担している汚染拡大の一味だ。本書はまさにその汚染に加担しているんだけれど、書いている当人はたぶんそんな自覚はない。自分が情報除染と純化に対し、画期的な貢献をしているつもりのようだ。それがなおさら本書を度しがたいものにしている。たぶん、この人が「情報汚染」と見下す人々たちも、自分こそは情報の除染と純化と有益な生産に貢献しているつもりのはず。それと同じ穴のムジナ。なつかしいので、貼りましょう。

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  ( ´∀`)< オマエモナー
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(なんかきれいに貼れずデブになるよう 見たらやたらに行間が空いて背伸びしてるよう)(コメント欄のご教示できれいに貼れるようになった! ありがとう!!)

ま、もちろん経路には注意しよう。情報の出所には注意しよう。サイバーカスケードには加担しないようにしよう。馬鹿なRT希望とかにのらないように。そして、無用な本は読まないように。ということで、この小コラムも多少なりとも情報除染に貢献できたのは光栄の至りでございます。

もらった本なので恐縮だが(なんてホントは全然恐縮なんかしてないが)、ほめるところがない。ついでに、この本で言う「集合知」って、いまよく言われる集合知とはちがう意味ですな。専門知の集まり? スロウィッキーとか読むといいと思う。

そして最後は、「近頃の若いもんは」「わしらの若いころはもっと」というジジイの繰り言。

まるちそーす・マルチモダリティ・マルチバリュー・マルチソサエティ、と横文字にすると何やらかっこよさげだが、なんのことはない、いろいろなものを見、いろいろな人と会い、いろいろな価値観を知ることであり、また、直接会ったり、電話経由で音声を聞いたり、書いたものを見たりすることである。

そういうことは、たとえば20世紀の後半(1980年代頃)までは、当たり前のことだったと記憶している。それは、それが重要だからではなく、そういう方法しかなかったからからだが、その頃に生きて言い他人間であれば誰でもそうしていた。(p.237)

そうでしたっけ。その頃の人たちって、みんな画一的にテレビみて新聞読んで、決まった情報源にだけ頼って情報操作されてませんでしたっけ。社会全体として、いまよりマルチなんとかだったことなんて、たいへん考えにくいと思うんだけどね。ちなみになぜこの人は「電話経由で音声を聞く」のがそんなにすごいことだと思ってるんだろう。そうそう、当時は電話とマンガがけしからんと言われてたよね。「新人類」とかいって若者をバカにするのが当時の流行だったよね。

前述のように、おそらく私の世代(1960年代生まれ)より前の世代であり、十分な実務経験を積んできた人間であれば、情報とのつきあいを熟知している。(中略)しかしいつの頃からか、それらは非効率的な営みとして、廃れつつあるとさえいえる。(p.238)

「わしらの頃は」「最近の若いもんわ」ですな。自分の世代はえらい、自分たちは十分な実務経験をつんできた、と言いたいわけね。でもあなた、しょせんずっと象牙の塔の大学の先生でしょ。実務経験なんか積んでないよ。そしてぼくは自分と同世代の人間にも、いくらでも単一ソースの単細胞な人間がいるのは嫌と言うほど知っているのだ。情報とのつきあいを熟知している? ウソだあ。

そしてあなたの主張するものが「廃れつつある」ってホントですか? 何かが廃れた、と思ったときはよくまわりを見る必要がある。自分がいつのまにか怠慢になって、そういうことをしなくなったというだけじゃないのか? 自分の目に入らなくなったというだけじゃないのか? その原因はむしろ自分にあるのではないか? そういう自戒と自省も、情報汚染とかいう以前にそもそもモノを考えるときには必要なことだとは思う。

付記

どれどれ……

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  ( ´∀`)< オマエモナー
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おおすげー、うまくいった。ありがとう!!



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