セレンディピティ、またはアハ!体験の目撃


芸人の茂木健一郎が一時アハ体験とか言っていたのが何なのか、ぼくはかれの本や記事を読まないようにしているのであまり知らないんだけど、どうせくだらない話なのは見当つくところ。

だけど、人が何か思いついたときとか、自分でも予想外のほうに考えが向かって、自分の頭が自分を全然知らないところに連れて行ってくれるときの不思議な感覚というのはある。それはいいときもあれば悪いときもある。昔、ウィリアム・バロウズの追悼文を書いているとき、自由を謳歌した成功者バロウズというテーマで文章を書くつもりが、いろいろ書いているうちにどう理屈をこねてもこれはむしろ失敗だったという結論にならざるを得ないことに気がついて途方にくれたときとか。クルーグマンは日本が流動性の罠にはまっていて調整インフレが必要だということを述べた「日本がはまった罠」を書いたときに、もともと流動性の罠なんかあり得ないということを言うつもりで取りかかったんだけど、でもモデルが正反対の結論を出したそうな。この二つの例は、たぶんそういう予想外のほうに思考が流れるのがいい方向に向かった例だ(前者は『たかがバロウズ本』になったし、後者はいまの調整インフレ/リフレ論の流れの一つにつながった)。でも、人が突然カルトにはまるときとかも、たぶんそういうプロセスが作用しているんだと思う。それまでまったくナンセンスに思えたものが、急に説得力を持ってしまうというわけ。

それが他人に起こるのを見ることは滅多にないんだけれど、でもぼくは一度、それを見たことがある。それは大学院時代に受けた、多変量解析による交通モデルかなんかの講義で、データが10次元くらいあって、それをエントロピー最大化モデルにかけて云々というものだった。で、先生は10次元だと直感的にわかりにくいから、3次元でそれを図示して生徒に説明しようとしていたのだった。そして手前左上の頂点から話をはじめた。

「……さてこんな感じで、まずこの縦軸 (H) に年齢を割り振り、横軸 (L) に職業をつけよう。で、奥行き (B) にたとえば時間距離を割りふって……」

そこで先生の声色が突然かわって、あれ、なんか変だな、とでも言うような感じになった。しゃべる速度も半分になった。

「……それでこの縦軸 (H') に費用を置いて……」

生徒たちは、完全に???状態だった。縦軸はさっき年齢を置いたじゃないですか? 何やってんですか? でもここらで先生は完全に自分の世界に入り込んだ顔になって、生徒のことなんか完全に意識からはずれていた。

「……するとこの横軸 (L') に交通手段を……」

そこで先生は、五秒くらい完全にかたまっていて、突然「おおおおおおおおおっ!」とうめき声とも怒号ともつかないようなものをあげ、顔に恐怖とも喜びとも驚愕ともつかない異様な表情を浮かべた。

生徒たちは、いったい何が起こっているのかわからず、マジで怯えた。そしてそこで先生ははっと気がつき、いま自分がやった動作をたどりなおして……そして「ホーーッ」と長いため息をつき、ホッとしたような、残念そうな、これまたなんだかわからない表情を浮かべて、またしばらく固まっていた。

さすがに心配になって生徒がおそるおそる声をかけると、先生いわく:

「いや、いま3次元上に6次元のデータを配置する方法を発見したと思ったんだが、無理ですよね」

それで教室中爆笑して、そのまま講義が続いたんだけれど、でもぼくはその講義の中身より(もう entropy maximization model の組み方忘れちゃった)、そのときの表情のほうをすごくよく覚えているのだった。

なんか今日、道を歩いていたらふとそれを思い出したんだよ。小林秀雄モーツァルト体験みたいなものね。そういえば、小林秀雄もなんで珍重されているのかよくわからない。




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