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桑木野『叡智の建築家』:記憶術が生み出した建築による世界記述と創造

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市

叡智の建築家―記憶のロクスとしての16‐17世紀の庭園、劇場、都市

おもしろかった。いやあ、分厚い本を見ると「きみ、それはワタクシへの挑戦のつもりかね! Challenge Accepted!! ((C) Barney Stinson) 」と言ってしまう傾向があるので、この本もついつい買ってしまって、つまんなかったらどうしようと思ってしばらく寝かせていたんだが、よかったよかった。

記憶術というのがあって、詳しくはパオロ・ロッシ新装版 普遍の鍵』という得体の知れない(がおもしろい)本を読んでもらうといいんだけれど、要するにいろんなことを記憶するために、それを具体的な建物の物理的な特長と関連づけつつ整理する技法だと思えばいい。ハリス『ハンニバル』を読んだ人なら、ハンニバル・レクターが記憶の宮殿(だっけ)なるものを駆使する部分があったのをご記憶かもしれない。あれだ。

ハンニバル〈上〉 (新潮文庫)

ハンニバル〈上〉 (新潮文庫)

これは精神的な技法なんだけれど、桑木野は16-17世紀の庭園や劇場や都市の設計が、逆にそうした記憶の空間を物理的に実体化したものになっている(場合もある)ことを本書で詳しく指摘する。幾何学庭園みたいなのは、本当に記憶のための具体的な植物を具体的な幾何学庭園に割り振る。そこについたエンブレムその他は、各種の物語や道徳(昔は、あらゆるモノは宇宙の中で神様を頂点とするヒエラルキーの中の一定の役割や意味を持たされていて、モノを知るというのはその役割や意味とそこから出て来る宇宙秩序の教えを理解するということでもあった)を教えてくれるものだった。

また円形ミュージアム/記憶の劇場も、そういうもの。いろんなものを収集して展示する際の配置や整理が書物的な分類の理念を反映し、各種のモノの相互関係をあらわすことから、新しい知識が生み出され、そして修辞も同じように整理することで新しい修辞も生み出されるというもの。また、都市もそうした整理と区分を反映する物理構造として使え、地獄から天国に至る様々な位階や構造に基づく理想の神聖都市計画みたいなイメージがあって、それに基づいて職業ゾーニングみたいなのを作り、記憶術に奉仕するような都市作りができる、という話。百科全書的な、世界のすべてを分類して体系づけようという話とも関連して、当時の知の状況――印刷物による情報の氾濫――を反映した、新しい情報となんだか古くさいキリスト教神学的な世界理解とのごたまぜみたいな変な建築や構造物についての発想が生まれた、ということ。

550ページある分厚い本だけど、まずピケティよりは薄いし(物理的には厚く見えるけど紙が厚いだけ)、字も大きい。それに、索引や参考文献がかなりあって、たぶん全体の1/3くらいにはなるから、実際には見た目より量は少ない。恐れるなかれ。

そしてそれ以外の部分も、細かい植物の分類についての話とか詳細な意匠の微に入り細をうがった説明とか分類の具体例とかをひたすら羅列している部分が多く、全部きちんと読む必要もない。だから意外とすばやく読める。

で、読んでどうなるってことなんだが……基本的には、「こういう建築(の構想)がありました、記憶術的な考え方が反映され、それが時代の哲学とも共振していました」という話にとどまる。著者はそれをものすごく面白がっていて、その前のめりな文章の熱意は感染するので、読んでいる最中は「おお、そうかぁっ!」と引き込まれることしきり。でもそれがどうしたと言われると口ごもる。この話それ自体がおもしろいと思ってくれないと。ただ、ぼくは前から一つ思っていたことがあって、この本の直接のテーマではないけれど、ちょっとは関係していると思うのだ。で、ちょっと余談。

余談

この本の出発点は、16-17世紀に記憶術がやたらに流行った、ということ。著者は、印刷術の発達と書物の普及に伴って、しばらく間があってから知の大爆発が起こり、そしてその中で静的な記憶術としてだけでなく、新しい組み合わせや体系を見つける手法としての記憶術が注目されたというもの。でも、その一方でそれ以外の要因もあるんじゃないか。

ニコラス・ハンフリーが指摘するように、文字記録の導入――またはテープレコーダーの導入――は、口承記憶の急激な崩壊をもたらす。日本でも、稗田阿礼古事記を暗唱できた。でもそれが外部化できるようになると、人間は記憶しなくなる/できなくなる。

おそらく、本の普及に伴って同じことが起きたはず。ヨーロッパで多くの人は、かつて記憶できていたものが記憶できなくなったはず。記憶術に人気が出たとしたら、たぶんそれに対する危機感があったんじゃないか。かつての記憶能力を取り戻すにはどうすべきか、というような問題意識もあったんじゃないか。たぶん「本なんかに頼った冷たい血の通わない知識よりも人間本来の血の通った暖かい記憶の中の知識のほうがえらいのである」みたいな価値観をふりかざすやつもどっかにいただろう、とぼくは思う。

ちなみに、昔から「最近の若いもんは」という愚痴がある。若者はどんどんバカになっている、という話だ。たぶんそういう印象があるのは、まさに知的能力を外部化するような技術が発達してきたせいなじゃないかと思う。

そうだとすると、本書で紹介されているような各種試みというのは、教育・啓蒙的な役割が意図されているもので、一種の実用書ということなんだけれど、つまりは最近量産されているようなビジネス書に近いものだということだよね。「きみにもできる、三色マーカー発想術!」とか『青年農夫がライムンドゥス・ルルスを読んで見たら』とか。すると……という先はもう少し考える必要があるんだけれど、逆にそういう視点から現在のインターネットがらみの各種の動きについてとらえることができるんじゃないかな? が、これは脱線。

閑話休題

とにかく、本書は万人にお奨めする本ではないんだけれど、記憶術や百科全書、分類学的な発想の根っこと広がりに興味ある人は、目を通して損はないと思う。題名だけ見て、なんかもっと建築建築した本だと思っていたんだけれど、結構ちがう。高いしマニアックな本ではあるけれど、三中信宏のやってることとかとも多少はつながってくる感じだし、興味ある方は是非。

進化思考の世界 (NHKブックス No.1164)

進化思考の世界 (NHKブックス No.1164)