アマゾンレビュー救済: 2005年 2

アントニオーニ『ある女の……』: 昔はいいと思ったのに。

ある女の存在証明〈無修正版〉 (レンタル専用版) [DVD]

ある女の存在証明〈無修正版〉 (レンタル専用版) [DVD]

かつてイタリア映画祭で初めて見たときは、すごい映画だと思ったのだが、今見ると全然ダメ。女優は特にクリスチーヌ・ボワッソンが宇宙人みたいな巨大おでこを全開にしてすばらしいけれど(星はおでこ代)、今見ると主人公の映画監督が徹頭徹尾どうしようもない身勝手なクズ男なだけ。昔のアントニオーニみたいな、時に人間そっちのけでモノをひたすらなめ回すような——そしてそれによって人間の所在なさを描くような——視点もなくなり、監督自身のいいわけがましさだけが残る。映画作りとしても、照明が強すぎて変な薄い影があちこちに出たりしてるし、窓や鏡の反射を使って構図を作ろうという努力はかっこいいこともあるが往々にして作為的すぎる。

 またDVDは、4:3 のレターボックス仕様。ワイド画面のテレビを持っていても活用されません。

関『ニッポンのモノづくり学』: こんな企業があるのか! 日本産業の活力を見直す、元気の出る本。, 2005/9/29

ニッポンのモノづくり学~全国優秀中小企業から学べ!

ニッポンのモノづくり学~全国優秀中小企業から学べ!

日本全国に、こんな得体の知れないすごい企業が山ほどあるとは! 知らなかった。現場なんか見たことない大学の経済学の先生が、これまた溶接トーチはおろか製図板すら見たことないとおぼしきMBAあがりのペーパー経営者と空疎な抽象論をかわすつまらない本はたくさんあるが、本書は現場にこだわる関満博が、日本中の物作りの最先端にいる中小企業の現場をインタビューしてまわった迫力満点の連載をまとめた一冊。全国をまわったせいで一つ一つは食い足りない部分もあるが、それでもその企業の何がすごくて、さらに技術的な解説とともにどうやってそこに到達したかのプロセスがきちんとまとまっていて実に有益だ。連載後の後日談も短いながら加筆されている。都会に出ないとビッグになれないと思ってる地方の高校生や大学生や、その他大企業大好き病(大企業しか知らない病)にかかってるお役人などにもおすすめ。日本の、特に地方部の底力を見直すことうけあい。

『ピングー1』: 懐かしいが、なぜか音声が変わっている。 2005/10/28

PINGU シリーズ1 [DVD]

PINGU シリーズ1 [DVD]

懐かしくて購入。かつてのビデオ版は、一本がバカ高くてさらにビデオ一本に4話くらいしか入っておらず、それに比べれば実に高いコストパフォーマンス。中身は子ども向けとはいえ、大人の鑑賞にも十分堪えるものです。

ただ不思議なことですが、ビデオ版と比べて音声が吹き替えられているようです。これがはっきりわかるのは、ピングーの子守り(というか卵守り)の話。ピングーは子守りの最中にレコードをかけるのですが、その曲がビデオ版ではかなり笑えるピングー語ラップになっていたのに、DVD では非常に生ぬるいポップス調の曲になっています。それで作品の価値が大幅に変わるわけではないのですが、ちょっと気になる人もいるかもしれません。

三浦『下流社会』: たちの悪いデータマイニング。キャッチーなレッテルだけ使えなくもない。, 2005/11/4

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

下流社会 新たな階層集団の出現 (光文社新書)

そもそもこの本の「下流」というのは、アンケートで「中の下」と答えた人も「下」に入れるという、たちの悪いデータ操作の結果でしかない(90ページ)。上中下できいていたアンケート結果を持ってきて、中の中と答えた人だけが実は中だということにして、それ以外の人を上と下にふりわけたら、そりゃ当然、「中」が減って階層化してるような印象になるだろう。勝手に中の範囲をせまくして、勝手に上と下の定義を広げてるんだもん。また、冒頭の「国民生活世論調査」の解釈も、恣意的な期間を取って「中の中が減ったことはない」など首を傾げる強弁をしているだけ。78年-85年では減ってるじゃないか。明確に景気と連動しているんですけど。

 内容的にも、デフレの意味もわかってないし(同じものの値段が下がる、というのがデフレであって、安いものを買うようになるのがデフレではありません)、勝手なくくりをいろいろ作って、キャッチーな名前をつけてみせる以上のものではない。だいたい働く意欲のない人が、貧乏暮らしで自足するのは悪いこと? 人々が地元にとどまってなかなか東京に出てこないのも、東京集中がやっと止まっていいことだとも言える。それにかれが問題視している階層化なんてのも、日銀がリフレ策をとって日本の景気が回復したら一瞬で消え去るんだけど。

というわけで、あまり感心しないデータマイニングの練習問題でしかありません。ま、挙げられてるレッテルを適当に週刊誌の見出しっぽく使って話の種くらいにはなるかも。

池内『書物の運命』: イスラム理解の問題点にサイード批判まで盛り込んだ、軽くも重くも読める一冊。, 2006/4/18

書物の運命

書物の運命

 池内恵の書評集だが、書評されている本がアラブ中東系の書物中心で比較的テーマ性があるため、散漫にならずに楽しめる。書評そのものは時事的に少し古びたりしている面もあるが、ときどき間にはさまっている文は非常に秀逸。特にルイス『イスラム世界はなぜ没落したか』の書評を契機とした、サイードとその盲目的追随者たちへの批判は必読。サイードのルイス批判は論理的なものではなく、むしろ正統なアカデミズム的手法に対する通俗評論家の揚げ足取りに近い、という批判にはハッとさせられる。

 そしてそこから、「イスラーム」というものを妙に特別視し、往々にして反米のツールにしてみたり、文化相対主義を主張するための都合のいい口実にしたりする一部知識人への批判が展開されるのはたいへんに読み応えがあると同時に、われわれ一般読者がそうした言辞を読む際にも留意すべき点であろう。イスラームではこうなんだから、と言うだけでは何もならないし、そのイスラームすら現在変革を迫られていると言える、変なものわかりのよさを廃した誠実さにも好感が持てる。エッセイ風の読み物もあり、軽くも重くも読めて大変に有益。

バルト『文学のユートピア』: 後の発展の萌芽を見るためだけの習作集, 2005/12/13

文学のユートピア―1942-1954 (ロラン・バルト著作集 1)

文学のユートピア―1942-1954 (ロラン・バルト著作集 1)

すでに後のロラン・バルトの諸作を読んで、その何たるかを知っている人以外には意味のない初期習作集。<古典>の快楽に、晩年の「恋愛のエクリチュール」の原型を見たり、「ギリシャにて」に「記号の国/表徴の帝国」の発端を見たりする、といった楽しみは、ないわけではない。もちろん最後の「今月の小さな神話」も後の作品につながるものだ。

しかし収録作品の多くは短評や小文にとどまり、しかもその多くは対象となる作品について有益なことを言おうというよりは、気取ったことをかっこよく言ってやろうというナルシズムに動かされている。「エジプト学者たちの論争」など、バルトは議論に貢献できるだけの知識をまったく持っていないにもかかわらず、あれやこれやとどっちつかずの議論を展開するだけ。上に挙げたいくつかの萌芽的な論以外に、「文法の責任」はちょっとおもしろい。また訳者による、悲劇に対するこだわりに注目した解説は読むに値する。でもそれ以外のものは、マニア以外は手に取る価値はない。

チアン『マオ 上』: 画期的ながら個人にこだわりすぎて全体像に欠けるきらいあり。, 2005/12/12

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上

 毛沢東の生涯を、その誕生から死まで淡々と描く一作だが、その過程でこれまで伝えられてきた毛沢東伝説のほとんどが、捏造かインチキであったことを暴くすさまじい伝記。毛沢東は残虐で猜疑心の強い小心者であり、軍事的にも経済的にもまったくの無能。人民のことなど一切考えず私利私欲を肥やして女色にふけるだけの存在であり、単に党内の権力闘争にのみ異様な才覚を発揮してトップまで上り詰めたとされる。実は中国共産党の主要創設メンバーですらなく、共産主義に走ったのも別に信念があったわけではないという。

 長征における各種武勇伝もまったくの捏造。現実におさめた勝利は、単に国民党軍に入り込んだスパイのお膳立てでしかなく、それ以外のまともな軍事行動は、常に最悪の選択で手下の兵をひたすら犬死にさせるだけ。しかもその責任を常にだれかになすりつけることで延命。また八路軍は常に公明正大で住民を収奪しなかったというのは出鱈目で、実はかれらは略奪と虐殺の限りを尽くし、山賊以下の「共匪」として住民たちに忌み嫌われていた。エドガー・スノーは単に毛沢東のプロパガンダを嬉々として垂れ流していただけ。

 これまでの毛沢東像を知る人には、信じがたい記述がひたすら続く、ショッキングな一冊。毛沢東のために「数万人が飢えた」「数千人が泥にまみれて死んだ」等の記述ぶりは、ほとんど意識的に古代中国の史書を真似たと思えるほど。読み物としてもすごい迫力。従来の毛沢東像を知らない人はおもしろさ半減だがそれでも読ませる。ただし個人としての毛沢東固執するため、当時の時代背景や中国や世界のパワーバランスについての記述はきわめて薄く、前提知識がないと理解しにくい。そしてここに描かれたほど無能な人格破綻者が、単なる党内権力闘争能力と恐怖政治だけであそこまでの地位を獲得できるものだろうか、という疑問は残る。(下巻へ)

チアン『マオ 下』: 画期的だが、比較して読む慎重さが必要。, 2005/12/12

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

マオ―誰も知らなかった毛沢東 下

(上巻よりつづく)

邦訳の上巻は、毛沢東中華人民共和国の独裁者の座につくまで。下巻では毛沢東が超大国になろうとして、諸外国に媚びを売りちょっかいを出しつつ失敗する様子が描かれる。詳細なインタビューに基づく記述の迫力は比類がない。またトリビアとしても、中国が自国内の外国公館を偽装デモ隊に襲撃させるのは毛沢東以来の伝統であることもわかるし、他国に難癖をつけて嫌がらせをするのも常道であることがわかる。最近の中国の対日施策理解にも勉強になる部分が多々ある。

 しかしながら、本書は冒頭から毛沢東個人を悪く書こうとして納得のいく記述がなされていない場合がある。たとえば毛の軍事天才神話を否定するため、国民党に対する勝利はすべてスパイによる工作の結果でしかなく、毛沢東自身は無能だとする。でもそこまでのスパイを敵軍中枢に送り込んだのは、きわめて高い軍事能力ではないか? また国際的発言力を手に入れようとする毛沢東の策謀すべてを失敗だと著者たちは描くが、国際関係でそんなすぐ成果がでるものではない。ニクソン田中角栄の訪中のインパクトは子供心にも強く、さほど矮小とは思えない。1999年に出たフィリップ・ショートによる決定版とされた毛沢東伝(未邦訳)と併せ読む慎重さは必要だろう。ショート版は毛の思想形成史や成長過程かなりていねいにたどるが、チン版はそれを完全に無視。毛沢東はとにかく生まれつき一貫して残虐で利己的で打算的だったのだと決めつけ、それにあったエピソードだけを並べている。

 本書が毛沢東の伝記として画期的な存在であるのはまちがいない。ただしそのまま鵜呑みにするのは危険。毛沢東の伝説の相当部分を否定しつつも、それなりに能力のあった人物だと評価したショート版と、新資料に基づきつつすべては毛沢東をまったく評価しないチン版との間で、今後の世界の毛沢東像は形成されることとなるだろう。

ライダー『ライオンはねている』: インチキ外人の無知垂れ流し本。いまだにだまされている人がいるとは! 2005/12/7

ライオンは眠れない

ライオンは眠れない

昔のレビューのバックアップが出てきたので、今更ながらにポストしときましょう。本書は表紙に「The Lion Cannot Get To Sleep」と書いてある。こんなセンスのない英語をそのままタイトルにするガイジンなんかいないぞー。イザヤ・ベンダサン流のインチキガイジンだな。

まず日本は構造改革して、さらにその途中でデノミと大量の資産課税と預金封鎖をやって財政赤字を解消します、そうすれば日本は立ち直ります、という中身の本。が、このインチキ外人、デノミってわかってるんですかね。「交換比率を下げて資産を吸い上げる」なんて書いてます。交換比率を下げると、どうして資産が吸い上げられるの?

 さらに新通貨切り替え時に預金封鎖して30%課税するんだって。何のために? 日本の政府の借金と銀行の不良債権を一気に返済するため、なんだって。あのさあ、無理く返済できるなら借金は悪いことじゃないのよ。そして国債と銀行の不良債権をいっしょくたに合計してみせるって、何を考えてるんでしょうか。支離滅裂。

というわけでかなりひどい本。前半の構造改革談義は、田中まきこの外務省での茶番が構造改革の本題だと思ってるようであきれ果てます。しかも結局の結論は、なんだかしらんが国民はこれから政府がむちゃくちゃやるけれど、何やられてもそのうちよくなるから我慢しろ、というだけ。ふざけんな!

本書が発表された2002年以降、本書に書かれたことは何一つ起きなかった。そしてその後、本書の続編のバカな本で著者は、新札切り替え時に預金封鎖で云々と柳の下のドジョウをやってましたが、これも何もなし。これだけ見当はずれな本なのに、いまだにだまされている人がいるのにはあきれる。