Amazon救済 2009年分 1

ゾンビ軍団と闘うには? おふざけ本だが中身はかなり包括的, 2009/9/29

The Zombie Survival Guide: Complete Protection from the Living Dead

The Zombie Survival Guide: Complete Protection from the Living Dead

ジョージ・ロメロの世界に入って、ゾンビ軍団に襲われたらどうすればいい? 町が全員ゾンビ化したら、どうやって生き残ろう? ゾンビを確実に倒すには? こうした現代人必須の知恵をまとめた有益な本で、セキュリティに敏感な現代時であれば震災袋に是非とも一冊ほしいところ。各種映画その他を引きつつ、ゾンビの弱点や行動の特徴等をきれいにまとめている。

さらに安易な類書とちがい、本書はかなり徹底したリサーチをしており、古代中国や古代日本その他世界各地に残るゾンビ伝説を集めて紹介している。ゾンビや死人復活は、インドやアフリカなどで呪術師があれこれやっており、実はいまもかなり根強く残っている信仰ではあるのだ。単純なおふざけ本にとどまらず、ゾンビについてのミニ百科にもなっており、予想外に読みでがあって、ベストセラー入りするのも納得。

ロボット軍団との戦い方マニュアル, 2009/9/29

How to Survive a Robot Uprising: Tips on Defending Yourself Against the Coming Rebellion

How to Survive a Robot Uprising: Tips on Defending Yourself Against the Coming Rebellion

タイトル通り、ロボットが蜂起して人間に立ち向かってきたらどうしよう? 『マトリックス』や『ターミネーター』の世界がきたら、どうやって生き延びるか? HALの反乱にどう対抗するか?

冗談本で、それなりによく書かれているが、参照されている作品が少し薄いとは思う。でも、短時間のお笑いにはいい。でも全体としては、ホントはこんな本にするよりは、2ちゃんねるの冗談スレにでもしたほうが良い感じの内容。

有名建築家が屋外便所を設計したら、という冗談だが咀嚼不足, 2009/9/29

Outhouses by Famous Architects

Outhouses by Famous Architects

有名建築家が屋外公衆便所を設計したら、という冗談本。でも便所の設計を通じて、その建築家のスタイルも学べて、笑えて勉強になるという趣向はおもしろい。

だが結果は、公衆便所という設定と各建築家の設計スタイルとが必ずしも有機的にからみあわず、多くの便所建築は、その建築家の有名作品をそのまま縮小しただけのものにとどまっている。フランク・ロイド・ライトなら、落水邸の縮小版が描いてあるだけ。ル・コルビュジェなら、サヴォワ邸がそのまま公衆便所になっています、という趣向。便所としての機能性とその建築家のスタイルが巧妙にミックスされていたらおもしろかっただろうけれど、そういうのもなし。フィリップ・ジョンソンのガラス張りの公衆便所など、ちょっとおもしろいのもあるけれど、ほとんどはそれが便所である必然性がなくて、建築家のスタイルを見せるよりも単なる代表作紹介に近いものにとどまっているのは残念。

その後、この人は有名建築家による公衆電話ボックスという本も手がけているけれど、こちらも同じ。もう少し活かせるアイデアだと思うんだが……

すでに論破されているのを知りつつこんな本を出すとは。, 2009/9/1

タバコ狩り (平凡社新書)

タバコ狩り (平凡社新書)

びっくりした。本書の内容は室井が2005年に学内誌とネット上に発表し、ぼくが

http://cruel.org/other/smoking.html

で批判した中身が相当部分変わらずに使われている。この文についてかれは、まったく反論ができず、自分は統計を信じていないという言い逃れをするしかないていたらく。2005年には、かれは本当に知らなかったのかも知れない。でも本書で、かれは自分でもまちがっていると知っていることを、素知らぬ顔で繰り返し書いている。一応は知識人を名乗っているだろうに。読者をだまして恥ずかしくありませんか? もはや最低限の知的な誠実さや良心すらない、卑しい売文の徒になりはてましたか。情けなや。

羅列と弁明だけの、目的なき手法への耽溺が生んだテロリストの悲しい生涯記, 2009/8/22

日本赤軍私史 パレスチナと共に

日本赤軍私史 パレスチナと共に

 日本を代表するテロ集団日本赤軍の重鎮たる重信房子の活動記なので、さぞ血湧き肉躍るものにちがいないと手にしたが、まったくおもしろくない。些末なディテールを時系列的にひたすら羅列するだけ。「ナントカ派とカントカ派はソ連と党の無謬性と国際展開の点で意見を相違していたがここでだれかが離脱して作戦が失敗してわたしは自分たちの失敗を総括して自己批判した結果ナンタラ十項を掲げたが……」と切れ目なく続くばかり。日本赤軍はハイジャックをはじめ各種テロを展開した武装集団なのに、どこで軍事訓練を受けたかなどの記述はないし、武器調達その他の説明もない。ダッカ事件だってもっと詳しく書いてくれればいいのに、なにやら思想的背景をだらだら描いて、実際の様子は一ページ未満。

 むろん彼女の戦いは失敗に終わり、何ら成果もあったわけではない。最後の部分にはそれについてひたすら総括と自己批判と反省が並び、まるで中国やカンボジアのつるし上げ自白文書みたいなのだが、驚かされるのは本質的なところでは何ら彼女は自分の活動に疑問を持っていないこと。単に手法的に誤りがあったというだけ。

 だが、そもそも手法に拘泥したのが誤りだった、と彼女は自分で認めている。「建設すべき社会を描かず」、武装闘争やプロレタリア独裁といった手法だけに専念してきたのが誤りだったという(p.477)。だから手法なんか反省しても無意味なはずなのだ。彼女は、その反省をへて自己批判して「民主主義の徹底をとおして日本をよりよく変える」という結論になったという(p.478)。でも、民主主義も手段でしかないことに彼女は最後まで気がつかない。それでどんな社会を? 結局彼女はそれに答えられない。さいごまで彼女は手法の話しかできない。しかも以前の手法上の誤りは、自己批判すれば水に流せるかのようなお気楽で空疎な書きぶり。

 その進歩のなさが、本書のいちばん怖いところかもしれない。むろん彼女としても、今更自分の人生が完全な失敗だったと認めるわけにはいかないのかもしれないのだけれど……

 

医学生ジョークで撮った解剖記念写真集。医学と死体解剖のあり方を考えさせる、二度と作れないだろう傑作。, 2009/8/22

Dissection: Photographs of a Rite of Passage in American Medicine 1880-1930

Dissection: Photographs of a Rite of Passage in American Medicine 1880-1930

 医学部の学生が解剖実習の最中に「壁に耳あり障子に目あり」と死体でふざけてみせて、退学になったという都市伝説がある。それは死者の尊厳を冒涜するけしからん行為だ、と。でも、ぼくは医師にそういう道徳を要求してはいけないと思う。あくまで冷徹に単なるモノとして人体を扱えなければ医療なんかできない。常人とちがう目で人を見られなければ医者の資格はない。そういう精神を得るためには、死体を冗談のネタとして扱うのも十分ありか、必要なことだろう。

 そして実は、世界中でいまも昔もそれは行われていることだ。本書はアメリカの医学生たちが残した、解剖実習の死体記念写真だ。どれもジョークばかり。死体に服を着せてポーズをさせたり、寸劇を演じさせたり、ふざけた銘板をつけたり。あまり公然とは公開しなくても、内輪ではみんなが撮って、みんなが回覧していたらしい。本書はそれを大量に集めてみせる。

 不謹慎だ、と顔をしかめる人もいるだろう。それと、一応死体の写真集なのでグロはグロだし、決して趣味がよくないのも事実。でも本書の学生たちは、死体をモノとして切り刻む一方で、こういうジョークを通じてそれが人間であることを必死で再確認しようともしている。悪趣味ではあっても、それが本書の写真に奇妙な真剣さを与えている。本書をみて、一方でぼくたちが死体に対して持っている迷信じみた思い入れを再確認するとともに、医学というものが本質的に持つ困難も感じられるのではないか。いま、変な人権配慮から、こうした死体解剖もやりにくくなり、バーチャルな解剖で実習をすませようという運動もあるとか。それがいいことかどうかも、この不思議な美しさと楽しさと気色悪さを兼ね備えた本書を眺めつつ、お考えあれ。おそらく同じテーマの本は二度と作られることはないだろう。

論理があまりに粗雑で恣意的に過ぎ、読む価値があるか疑問, 2006/4/17

生のものと火を通したもの (神話論理 1)

生のものと火を通したもの (神話論理 1)

レヴィ=ストロース集大成として原著刊行以来30年待たされた邦訳。火を通すことと生の食物と腐敗の関係および文化のかかわりとか、火を通さなくても食える蜂蜜の意味とか、アイデアとしておもしろい部分はたくさんあるのだが、いかんせん、全体として論理のロの字もない大変に困ったシリーズ。

神話には神話の論理があり、それはある基本ストーリーをベースとして、論理的な一貫性を持って各種構造変形が適用された結果なのである、だからあっちが変わったらこっちも変わるのだ、という話をして図解したりもするが、ベースとなる神話群の全体像がないし、要素の同定もないため、各種指摘は大変に恣意的。勝手なときには「神話は口承なので細かい一貫性はない」と平然と抜かし、でも勝手なときには細かい一貫性だけを根拠に話を進め、アマゾン原住民の神話について分析していたのに、都合のいい神話がみつからないと「北アメリカインディアンの神話では……」そしてさらには「フランスの伝承では……」とまるっきり関係ないものを持ち出してきて「神話論理とは全人類が共通して持つ構造だからいいのだ」って、そんなことを言えば何でもありじゃん。というわけで、まともな分析にはまったくなっていない。親族の基本構造では、単位は明確だし、全体像もはっきりしていたから構造的手法も適用できたが、ここではそれがまったく機能していない。

レヴィ=ストロース初心者は絶対に手を出してはいけないし、ある程度読んでいる人でも大変に苦労するだろう。そしてその苦労(とこの高価格)に見合った報いは、たぶん得られないと思う。

お作法も人間と自然の大きな差、という主張だが議論は整理が弱く中身が薄い。, 2009/8/21

食卓作法の起源 (神話論理 3)

食卓作法の起源 (神話論理 3)

 神話論理の第三巻。いずれの巻もものすごい厚さなのでビビるのが人情だが、実はほとんどは細かい神話の細部をあれこれ追っているだけなので、アメリカ先住民神話によほど関心がなければ細かく読むだけ無駄。そしてその細かい分析は、著者のテーゼ理解にほとんど役に立たない。

 本シリーズの結論は、もう第一巻で出ている。人は自然の一部でありながら、自然とは一線を画す存在だ。それを区別するのが文化だ。料理は自然を人間化する文化的行為なので、神話において非常に重要な役割を果たす。だから神話の中で生のもの、火を通したもの、腐ったものという対比が随所に登場し、食物の中身が変わってもそうした関係が(構造的に)維持される。それが第一巻。

 さて第三巻では、この関係を拡大しようとするんだが、生のモノは串焼きに近く、火にかけたものは燻製に近く、腐ったモノは煮たものに近い……でもそれは、あらゆるレベルでこのモデルにしたがうわけではなくて一例にすぎず云々となると、そこで言われている構造って何?

 本巻の主眼は、喰うときのお作法だ。カエルを嫁にしたが、人間みたいに音をたてて礼儀正しく喰えませんでした、といった神話がたくさんある。そういうお作法を守るのも、人間と自然とを分ける重要なポイントだからだ。そしてそれは、モノを作る/作らないという区別にもつながる。が、その細かい論証は、きわめて不自然。p.379-397では神話の数字へのこだわりを述べ、いろんなところで5や10が重要な数になっていると述べてそれをあれこれ文化的に理屈付けしてみせる。でもそれって、単に指の数の反映じゃないの? でも著者はそういう当然の発想をせずにあーだこーだ。

 そして裏表紙などで仰々しく言われている「結びの章のペシミスティックな言明」とは、昔の人たちはタブーを犯すと世界が乱れると言ってそれを戒めたから世界への配慮があったけれど、現代世界は世界が自分を乱すことばかり心配していて、自分を世界より先に考えてけしからん、というだけの話。それはそういう文化的なテツガクよりも、文化の背景にある技術能力の差ではないの? しかも、それは本書のそれまでの議論とはあまり関係ない思いつきのような付け足し。

 ホント、最初と最後を読んで、途中は各章の冒頭の神話だけ流し読みしておけばいいのでは? それすらする価値があるかは不明だが。ちなみに、これが次の巻で一気にまとまって見事な世界が展開する……ようなことはまったくありません。次の巻はさらに混乱してひどくなります。

読み物としての価値は限定的、資料としては充実だが背景知識は必須, 2009/4/14

The Pol Pot Regime: Race, Power, and Genocide in Cambodia under the Khmer Rouge, 1975-79, Third Edition

The Pol Pot Regime: Race, Power, and Genocide in Cambodia under the Khmer Rouge, 1975-79, Third Edition

 大量虐殺研究家のベン・キアナンによる、ポル・ポト政権に関する本。450ページにわたる分厚い本で、カンボジアの情報源を縦横に駆使した研究書としてはきわめて充実している。ただし研究者の書いた研究書の常として、細かい事実関係の記述は実に詳細だけれど、それが羅列にとどまり、いささか無味乾燥。また、序文でざざっとクメール・ルージュが政権を握るまでの背景を30ページほどで流してから、第一章はいきなりクメール・ルージュがプノンペンを制圧して都市人口を田舎に行軍させるところから始まる。ポル・ポトの留学時代の話や思想的背景とかはまったくなし。また、かれらが政権をそもそも握るまでの合従連衡の説明も弱い。

 ポルポト「政権」が何をしたかという本なので、1975以前の話は書かないという割り切りはありだとは思うが、そのため行動の背景説明をほとんど割愛する結果につながっており、何が起きたか知らないとたいへん理解しにくい。

 またこの第3版は2008年刊だが、2004年に出たショート「ポル・ポト—ある悪夢の歴史」への言及が一切ないのはびっくり。キアナンがショートの伝記を不満に思い、いくつか見解の相違もあるのは知っていたが……しかもショートが大量に参照している中国の資料にすら一切触れていないのは、研究書としての価値も下げていると思う。2008年の改訂としては不満足なものだと考える。  カンボジア中心の資料としてはたぶんこの本が最高。だがもう少し広い目配りと、時代的にも地理的にも広めの視点が必要で、読み物としてのおもしろさを求めるなら、ショート版もあわせて見るべきではないか。とはいえ、ショート版訳者としてのひいき目もある可能性はご考慮を。