Amazon救済 2009年分 2

モンゴル秘史:読みやすさなら岩波文庫よりこちら。, 2010/1/26

元朝秘史」の翻訳は、この東洋文庫版と、「元朝秘史〈上〉 (岩波文庫)」(上下巻、小沢 重男訳)がある。両者を読み比べると、小沢訳は地の文が口語訳、会話の部分が文語訳という、なんだか逆なんじゃないかという処理になっていて、地の文の処理は現代的なだけに落差があって、慣れの問題もあるが少々読みにくい。表記もテムヂン、ヂャムカといったチの濁音が多用されているので、全体に古い印象になっている。それに比べてこちらは、全編口語で普通に現代語で読めるものになっている。お話として普通に読みたい人は、こちらの東洋文庫版をおすすめする。

一方で、この東洋文庫版は、区切りごとに大量の注をはさんでいる。それに対し、岩波版は注は抑え気味で、それぞれの巻の終わりにまとめてある。どちらがいいかは趣味の問題で、ぼくは多少の疑問がその場で解決できる点で東洋文庫版が気に入っているが、本文だけを一気通巻で読みたくて、注が気ぜわしいと思う人もいるだろう。

ストーリーはもちろん、あれこれ先祖の来歴を経て、ジンギスカンが母親ともども部族を追放されてから、親友にして仇敵となるジャムカ(ヂャムカ)と出会って勢力をのばし、アラブ系の商人の後ろ盾を得て次々に周辺部族を制圧するというもの。岩波文庫版だと、文語慣れしていない現代人では、最後につかまって自らの処刑を望むジャムカの悲哀やかれに対するジンギスカンの理不尽な(だが実に人間的な)愛情とかがなかなか味わい切れないが、東洋文庫版では本当に小説的な楽しみ方もできる。

内容的には、詳細につきあわせてはいないが、少なくとも一般人が読むレベルでは、まったくちがう解釈などは特に見られないように思う。いずれの版も、各種の研究成果についての解説は詳しいが、注の量は東洋文庫版のほうが多い。元朝秘史は、原文はすでになく、その漢訳が残っているのみ。だから、漢字表記になっている音をどう表記するか、またモンゴル各地の石碑に残る同系統の物語とどうすりあわせるかといった説明も、そこそこおもしろい。

この一冊目は、原文第四巻まで。来歴からジンギスカンの生まれとその後の苦労、ジャムカとの出会い、そしてその後初めてジャムカと戦闘を繰り広げ、ジンギスカンが敗北を喫するところまで。

元朝秘史: 東洋文庫の訳とくらべると、文語が混じった古い訳となっている。, 2010/1/26

元朝秘史(上) (岩波文庫 青411-1)

元朝秘史(上) (岩波文庫 青411-1)

  • 発売日: 1997/07/16
  • メディア: 文庫

元朝秘史」の翻訳は、この小澤訳と、平凡社東洋文庫の「モンゴル秘史—チンギス・カン物語 (1) (東洋文庫 (163))」(全三巻、村上 正二訳)がある。両者を読み比べると、小澤訳は地の文が口語訳、会話の部分が文語訳という、なんだか逆なんじゃないかという処理になっていて、少々読みにくい。表記もテムヂン、ヂャムカといったチの濁音が多用されているので、全体に古い印象になっている。普通に現代口語で読みたいなら、東洋文庫版をおすすめする。ただし、全三巻になってお値段も張るので、トレードオフですな。

その他、注の付け方等については、東洋文庫版のほうにレビューを書いたのでそちらをご参照ください。

橘木&山森『貧困を救うのは……』:対立点がない談笑に終始して間延びし、訴求力がない。, 2009/11/20

 多くの人は本書の題名を見て、趣旨がよくわからなかったと思う。ベーシックインカムだって社会保障の一形態ではないの? この二つを対立的に扱うって何?

 中身は山森と橘木の対談だが、中身を読んでも別に両者は対立しているわけではない。山森はもともとベーシックインカム屋さんだし、橘木もベーシックインカムつき社会保障みたいなのを提言しているので、特に対立点があるわけでもない。これについては、巻末のあとがきで山森も言い訳をしている。

 このため、内容は似たような話の中での細かい流派確認のような話にとどまる。お互いに大変に居心地のいいところでにこやかに談笑しているだけ。この分野についてある程度知っている、セミ専門家でもなければおもしろくない内容となっている。このため、対談という形式が有効に機能していない。話すうちに議論が深まって新しい方向性が出てきたり、あるいは両者の相違が浮き彫りになる、というのが対談形式のよいところだが、本書はそういったよさが出ず、むしろ全体を間延びさせる

 あと、現在のようにデフレで景気低迷していて経済がジリ貧の中で、こうした議論はだんだん縮小するパイをどう切り分けるかという話にしかならない。もちろんパイの切り方はそれなりに重要だが、現状だとどんな救済策を採っても先がないのでは? 格差を問題視する場合、成長との関わりをもっと真剣にやるべきでは? 本文中で引用されているクルーグマンなどは、格差を縮めるほうが経済成長をしやすいという議論をある程度まじめにしているんだが。

 本書はそれができていない。そこらへんの漠然とした危機意識は、一章で新自由主義が成長につながったかという議論に対する煮え切らない双方の態度に反映はされているが、きちんと考えられないまま終わってしまう。本来は成長=格差増大ではないし、また格差=貧困増大でもないのだけれど、この種の社会福祉論者たちは常にここをあいまいにして、なんとなくこの二つの等号がなりたつかのような議論を展開する(でもつつかれると、そうは言っていないと強弁する)。本書もその例外ではない。

『Mad Scientist Hall of Fame』: 架空の人物と現実とを混在させ、そこから統一的分析を引き出そうとするのは……, 2009/9/29

世界のマッドサイエンティストを集めた本、ときくとおもしろそうなのだが、まったくおもしろくない。トップ・バッターは、映画『オースティン・パワーズ』のドクター・イーブル。その他ジェームズ・ボンドの敵ドクター・ノオとかスーパーマンレックス・ルーサーとか。そこに、実在の人物であるソ連のルイセンコやニコラ・テスラ、さらにはキュリー夫人まで登場する。

さてキュリー夫人マッドサイエンティストと呼ぶか? アイヒマン実験のスタンリー・ミルグラムマッドサイエンティストか? 天才肌の人々に変わり者が多いのは事実ではある。でもそれを架空の人物の設定と混ぜて、マッドサイエンティストとは云々と言ってみても意味があるのか?

現実の人間が入っているので、単に架空の設定の架空ぶりをおもしろがる本ではなくなっているし、一方で架空の人物なので、本当にこうした科学者を深掘りする本でもなくなって、どっちつかず。そんな話でマッドサイエンティストは人間関係がアレで親の育て方がどうでそのため権力欲が強く、とか言われましても。

現実のマッドサイエンティストだけなら、おもしろかっただろうし、架空の悪人だけを見るなら、柳田理科夫的なおもしろさがあったかもしれない。でも両者を混ぜたことで、本書の記述は中途半端な残念さを漂わせているだけだ。もっとおもしろい現実のマッドサイエンティストはいくらでもいるのに。

William S. Burroughs: Naked Biography:中身スカスカ。, 2009/9/29

William S. Burroughs: Naked Biography

William S. Burroughs: Naked Biography

  • 作者:Burroughs, William S.
  • 発売日: 2008/03/24
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)

80ページの薄い本だというのはわかっていたが、到着したものを見てびっくり。中の文は、14ポイントくらいの巨大な字でくまれ、行間もゆったり。内容もウィキペディアにでもありそうなものが書いてあるだけの代物で(分量的にはウィキペディアのほうが多いかもしれない)、目新しい内容なし。あらゆる点でスカスカ。何のためにこんなものを出したのか、まったく理解に苦しむ。

クラーク『10万年の世界経済史』:大山鳴動して……の困った本。上巻は、昔は人口増えると飢え死にしたという話。, 2009/8/22

10万年の世界経済史 上

10万年の世界経済史 上

うーん、大変に困った本で、上下二巻の大作ながら結論は実に平凡で、経済学の常識が直球ストレートでくるだけ。本書が設定する基本的な問題は、なぜ人類一〇万年の歴史で、産業革命のときに急に発展が始まったのか、というもの。おお、この重大問題に答えを出すとはなんと大胆な! で、答えは?

技術革新で労働生産性(または効率)が上がったからだ! みんなががんばって働くようになったからだ!!!

……えーと……はあ、さようですか。で、なぜ突然技術革新してがんばって働くようになったんでしょうか?

わからん!!!!

……クラークさん、それはないでしょう。労働生産性が所得や豊かさに直結するのはいまの経済学のジョーシキ以前で、某あるふぁぶろがーですら(形式的には)知ってることだ。そしてその理由がわかんないというなら、結局この本はなんでしたの?

上巻はまず、産業革命までの経済史。人間の幸せや豊かさはすべて物質環境(摂取カロリーや寿命等々)で決まる、というのを述べてから、人類史は過去十万年にわたってマルサスの罠にとらわれてきた、と述べる。人口が増えると食料生産が追いつかずに死亡率が増えるし、定住して生産力が上がると集住による伝染病リスクが増えて死亡率もあがってまた元の木阿弥だ。これまではその罠から抜け出せなかった、というのが延々と各種のデータで示される。

でも産業革命はそこから抜け出した。なぜ産業革命が起こったのかはよくわからなくて、識字率とか衛生とか知識とかがなんとなく高くなっていたからだけど、でもわかりません……というところで上巻はおしまい。(下巻に続く)

(付記:2017年のいまにして思えば、このレビューは本当に読みが浅かった。この本は最終的に、産業革命はほぼ遺伝要因である、と主張する本。生産性があがったのも、生産性の高い階級が子だくさんだったから、という。まさかそういうのが出てくるとは思っていなかったので読み損ねていた!)

10万年の世界経済史 下

10万年の世界経済史 下

さて産業革命で重要だったのは、知識資本、つまり技術革新で、それによる労働生産性が高まったからだ、と下巻では述べる。はいはい。でも技術革新の重要性は、それこそ昔からロバート・ソローやグリリカスやジョルゲンソンがさんざん言ってきたことだ。

で、産業革命はイギリスだけが、科学技術への投資をいっぱいやったから起きたとのこと。じゃあ、それがなぜイギリスで起きたの? それは、金持ちのほうが子だくさんで、それが社会にそういう価値観を広めたから(それに対して日本や中国の支配階級はそんなに子だくさんではなかった)。

うーん、でも人口構成が変わるのは時間がかかるし、それではなぜ突然産業革命が起きたのかの説明にはならないのでは? そして、これは決して直接的には照明しようがなくて、ただのお話で終わっている。

そしてなぜいま世界に経済格差があるかというと……労働生産性(または効率)が上がったからだ! 金持ちの国はみんなががんばって効率よく働いている!!! 途上国の労働者はサクシュされていると騒ぐが、実は怠けているのだ!! 世銀やIMFは発展の格差を制度や社会システムのせいにするが、そんなのはまちがっている!!

いや、世銀やIMFは、人が怠けず働くための仕組みをどう作るか考えて制度と言っているのですし……じゃああなたはどうしたら人ががんばって働くと思うんですか、クラークさん?

かれはこれに対して、「わからん」とおっしゃるのです。えー、では何もわからんではないですか。

一〇万年前からの世界各地のデータを駆使した分析は、おもしろいといえばおもしろい。上巻の、マルサスの罠にはまった世界の様子は特によみごたえがあるところ。でも肝心の産業革命については、ずいぶん分析も薄いうえ、出てきた答えは実は何ら目新しくない。そして最後は「わからん」というのでは、読んだ人は怒るのではないかな。なぜほかのレビューアがほめているのかは謎ですが、大山鳴動して何とやら、としか言いようのない本。労作ではあるんだが……

(付記:いまにして思えば、このレビューは本当に読みが浅かった。この本は最終的に、産業革命はほぼ遺伝要因である、と主張する本。生産性があがったのも、生産性の高い階級が子だくさんだったから、というのは、まさにそれを主張する議論。まさかそういうのが出てくるとは思っていなかったので読み損ねていた!)