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温暖化対策は排出削減以外にもあるし、そのほうが効果も高い!, 2010/11/22

Smart Solutions to Climate Change

Smart Solutions to Climate Change

おもしろい! これまでコペンハーゲン・コンセンサスは、世界の多くの問題対応政策(栄養失調対策、貿易自由化、汚職対策、温暖化対策)の費用便益を一流学者の分析に基づいて比較し、ランク付けしてきた。

 その中で温暖化対策はいつも最下位だったが、あれこれ関心を集めているテーマなので、今回は温暖化対策だけに焦点をしぼっている。でも温暖化対策は(一部の不勉強な人が思っているのとはちがい)炭酸ガス排出削減以外にもいろいろある。今回は、各種の温暖化対策を比較して、何がいいかを見ている。

 炭酸ガス蓄積技術や太陽光を遮る技術の導入、ディーゼル排出や途上国の薪ストーブの改善(この二つは煤を出し、それが太陽熱を吸収して温暖化を促進している)、メタン削減(メタンは炭酸ガスに次ぐ温暖化ガス)、適応技術促進、途上国への技術移転、炭素税(つまり排出削減)が比較検討されているけれど、有望なのは適応対策と炭酸ガス蓄積研究、次いで途上国への技術移転や薪ストーブ&ディーゼル改善。炭素税(排出削減)は最悪で、厳しくすればするほどひどさも急増。

 温暖化やばい–>だから排出削減を、という単細胞な(そして有害な)発想を捨てて、対策オプションを総合的に考えてきちんと評価しようとする立派な試み。他にもっと有意義な対策があるのに、なぜぼくたちは排出削減にばかり血道を挙げているのか、よく考えてみよう。結果が気にくわない人は(もちろん)いるだろうけれど、そういう人は独自の評価をしてみるべきだろう。ちなみに本書は、かつてロンボルグをナチ呼ばわりしたIPCCのパチャウリ議長すら賛辞をよせている。

歴史的資料としてはおもしろいが、スターリンが実践して失敗した内容であることには留意すべき。, 2010/10/26

永続革命論 (光文社古典新訳文庫)

永続革命論 (光文社古典新訳文庫)

 トロツキーの主著の一つだが基本は簡単な話。永続革命とは、世界中が共産主義化されるまで革命を続けましょうという話で、そのために工業化と集団農業をどんどん進めようというような話だと思えばいい。本書はそれをトロツキーが熱っぽく語るが、内容はいままとめた程度。

 さてトロツキーは世紀の悪人スターリンに執拗に攻撃されたので、トロツキーの理論こそはスターリンの真逆、社会主義の理想を体現するものだ、といった妄想は多い。だが実際に何が起きたかを見ると、その見方はかなり眉唾もの。

 たとえばトロツキー時代のソ連は革命の国際展開を狙って性急にドイツの社会主義化をそそのかし、ローザ・ルクセンブルグとリープクネヒトを犬死にさせ、ポーランドに侵攻しては撃退されている。当時のソ連もまだ国力がなく、自国経済再建に注力するのが正解で、スターリンらの一国社会主義はそれなりに正当性を持っていた。

 またその後スターリンコミンテルンを通じ世界中に共産主義を広め、工業化もコルホーズも、5カ年計画でガシガシ推進した。実はスターリンの政策は、本書の主張とかなり似通っている。本書の主張は実はすでに試されて失敗済みであることはお忘れなく。

 「自らが発見した理論と法則によって権力を握り(中略)その理論と法則ゆえに最大級の異端として、もろとも歴史から葬り去られたトロツキー」とあるけれど、こういう見方自体が理論の些末な重箱の隅に拘泥する内ゲバ左翼の論法。スターリンは理論的に対立したからトロツキーを排斥したわけではなく、単に権力闘争のライバルだったから潰しただけ。理論がどうこうなどというのは後付の言いがかりにすぎない。それを考えずに「理論」をつつきまわすのは不毛。それを忘れなければ、歴史的なアジ文献としてはおもしろい。訳は普通。また、おまけの他のエッセイも一読くらいには値する。が、現代的な意義はあまりない。

自伝前半、楽しく血湧き肉踊る革命家立志伝編。訳は直訳でお固め。, 2007/11/28

トロツキーわが生涯〈上〉 (岩波文庫)

トロツキーわが生涯〈上〉 (岩波文庫)

自伝前半の本書は、トロツキーの子供時代から社会主義運動への傾倒(高校時代に活動を始めたんですねえ)、そして各地での地下活動から投獄を経て、ロンドンのレーニンに会い、あれやこれやでカナダでボリシェヴィキ革命の報を聞くあたりまでの話。もちろんその後成功するのはわかっているので、何をやるのも予定調和的にいい解釈で、社会的不正への怒りから英雄的な革命運動への参加、という克服と勝利ののぼり調子のプロセスが述べられ、なかなか読んで楽しい、革命家立志伝ともいうべき部分。

翻訳は、よくも悪しくも愚直。流麗ではなく直訳的な処理が行われており、このため特に慣用表現などで意味のとりにくい部分が出ている。たとえば「ベンサム功利主義は、人間の思想の最後の言葉のように思えた」(p.209)なるなんだかよくわからない訳は、英語などでも使われるlast word on … といった表現の直訳。これはそれ以上の反論が不可能な決定的議論という意味なので「人間の思想の決定版」とか「人文思想としてまったく疑問の余地がないもの」とでもするべき。「敵はあらゆる陣地を保持した」(p.198. 敵はまったく無傷に終わった、くらい)や「(子供時代の)雰囲気と、私がその後の意識的生活を過ごした雰囲気とは、二つの異なった世界であり」(p.30, まったくの別世界であり、くらいの意)など、原文を類推して再変換しなければならない部分が多い。ただし、それができる程度の精度は確保されており、そんなに異様なレトリックが駆使されているわけではないこともあって、慣れてくればそんなに気になるほどではない。

また佐々木力の解説は、2000年の時点でまだレーニン万歳の旧態然とした古臭い左翼感をむき出しにしているのは失笑ものではあるが、本書の位置づけや旧訳についてのコメントなど、役にたつ情報も少しは入っている。

(下巻に続く)

トロツキー自伝、下巻では十月革命とその後。自己弁明が鼻につき、歴史的背景の知識は必要。, 2010/10/25

トロツキーわが生涯〈上〉 (岩波文庫)

トロツキーわが生涯〈上〉 (岩波文庫)

(上巻から続く)

 トロツキー伝後半は、革命前夜から。トロツキーはレーニンの右腕として獅子奮迅の活躍を見せ、十月革命を成功に導き、その後のソ連の体制作りに乗り出しつつスターリンとの権力闘争に敗れて追放される。上巻のような爽快さはなく、自分こそはレーニンの正当後継者であり、スターリンの言ってることは全部ダメ、という訴えが鼻につくようになる。

 だからもう、レーニンがいかに親しくことばをかけてくれて、意見がいつも同じで、自分を信頼してあれこれ任せてくれたか、という自己PRがものすごくしつこくなる。またこの伝記は、スターリンによる反トロツキーキャンペーンの真っ最中に書かれたので、「ここについてのナントカいう批判があるがそれは出鱈目で実は云々」というような記述がたくさん出てくるが、いまだとそんな批判はだれも知らず、読みにくい。そしてもちろん、先に進めば進むほど、自分がいかに不当にソ連指導部から追い出されたか、オレが正しくスターリンがダメか、という弁明まみれになり、上巻のすっきりした正義の革命家像がだんだんぼけてくるのは残念。ノイズが多いので、十月革命からNEPに至るおおまかな歴史を知らないと、かなりわかりにくい。記述は勇ましく楽しめるものの、またクロンシュタット反乱の弾圧など自分にとって都合の悪い話は流しており、多少我田引水の記述が多いことは念頭におくべき。

 なお翻訳は、上巻と同じで愚直ながら普通。解説で、訳者は旧訳からの改善点を挙げている。が、筆頭に来るのは「ウェストミンスター」というのが寺院でなく議事堂のほうだというもの。本質に関わる重要なミスではなく、単なる些末なかんちがいでしかない。改訳点として真っ先に挙げられるのがこの程度のものだとすると、わざわざ改訳をする必要が本当にあったのか疑問に思わずにはいられない。翻訳については藤井一行氏による批判も参照。

事実は小説より奇なり。勉強にもなります。, 2010/10/7

 一読して唖然。本当に小説より奇なりで、もし小説家が、投資銀行格付け機関も保険会社も銀行も、自分の扱っている商品について何一つ知らないでそのまま世界経済が崩壊する、なんて小説を書いたら、そんなバカな設定があるか、とせせら笑われたはず。それが実際に起きてしまったという驚愕の事態を実にうまく書き上げている。

 また、勉強にもなる。実は本書を読むまで、クレジット・デフォルト・スワップの仕組みって知らなかったんだよね。本書はそれをいとも簡単に説明。正直いって、これまで読んだ新聞雑誌等でのCDSの説明も、たぶん実はよくわかってないやつが書いていたことが本書を読むとよくわかる。

 でもリーマンショックサブプライム関連の関係者のひどさを書いた本は多いけれど、本書が他の上から目線の「貪欲な投資銀行が悪い」「拝金主義の経済が」といった知ったかぶりの後付批判本とちがうのは、そこに皮肉な人間ドラマがあること。本書のヒーローたちはみんな、当時のサブプライム融資やそれを使った金融商品のひどさを知り、世間の流れに公然と反旗を翻し、白い目で見られる。でもかれらの正しさが証明された後でも、やっぱりかれらは孤独なままで、賞賛されることもないし、儲けさせてあげた人々からも感謝もされない。単純な「正義は勝つ」ではすませていないところが、本書の奥深さ。よい本です。

なお、カバー見返しの訳者の略歴は笑えるのでご一読を。東江一紀は優れた翻訳者で本書も実にうまいが、これはさすがに……

1724年版をスキャンしてそのまま本にしたもの。, 2010/8/30

有名な海賊たちの行状を記録した、1724年刊行の有名な本を、そのままスキャンして画像のまま本にしたもの。スキャンの質はまあまあだが、もとの本がぼろぼろだから版面の質はそこそこ。古い本の版面がかすれていたりするのは、ちょっと味わいもあってよいけれど、それを真っ白いきれいな紙でやられると俄然みすぼらしくなる。Doverなどの廉価版もあるし、普通にいまのフォントで組み直したものも出ている一方、こちらはかなり判型も大きくて分厚いので、少し特殊なニーズのある人向け。

本自体は大変におもしろく、各種の海賊物語のネタもと。

批判対象とされるものが、本当に主流の見解なのか疑問が残る。, 2010/8/10

毛沢東と周恩来―中国共産党をめぐる権力闘争 1930年~1945年

毛沢東と周恩来―中国共産党をめぐる権力闘争 1930年~1945年

 中国共産党の公式な歴史では、1935年の頃までにはコミンテルンの息のかかった、モスクワ帰りの博古や王明らの帰還学生組がコミンテルン28人衆として権力を握っており、それが王明路線として毛沢東の路線と対立していたことになっているそうな。それが遵義会議において一挙に逆転して毛沢東路線が支配的になり、王明路線/コミンテルン28人衆は失脚した、というストーリーが主流とのこと。

 だが本書は、それが矛盾だらけでまちがっている、という。コミンテルン28人衆なんてがっちり固まった組織はなく、遵義会議の後で失脚したのは、博古/オットー・ブラウン/周恩来トロイカ体制でしかなく、毛沢東に対する異論はたくさんあり、毛沢東派とされる康生は実はもともと王明&周恩来寄りで等々。そして、王明路線とされたものは実は周恩来の路線だ、というのが本書のタイトルにも出ている主張となっている。

 全体に非常に学術的な研究で、ある特定の細かい論点についての検討なので、歴史の細部に関心がない人は特に読む必要もない。そしてそれ以上に、本書で批判されている見方というのは、本当に主流の見方なのか、というのは素人ながら疑問。というのも、本書の刊行は2000年だが、その一年前に出た一般向けのショート毛沢東 ある人生においてすら、そんな28人衆は出てこないし、失脚したのがトロイカだということも、康生の鞍替えについても明記されている。そして遵義会議で博古やブラウンらコミンテルン勢など問題外で、その本質が毛沢東周恩来の対決だったことも指摘されている。この伝記は研究書ではなく、著者の勝手な思い込みで書かれたものでもない。通説に反する解釈についてはその旨断りがある本だが、これらの点については一切そうした断りもない。

 その伝記でも著者の遵義会議についての記述は非常に信頼できるものとされている。だが本書の批判対象となっている議論というのは、本当に主流の意見だったのかどうか、いささか疑問が残る。