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アマゾン救済: 2004年分

小松「公益とは」: 善意の滅私奉公&全体主義賞賛, 2004/8/8

公益とは何か

公益とは何か

本署は、公益を追求するのが自分の利益を追求することとは相反するものなのだ、という前提を(何の根拠もなく)設定して、そこから話を進めます。公益のための活動とは、自分を殺して社会に奉仕・貢献するのだ、という考え方です。そして、発展や成長に対して、調和と公平を重視するのが公益、なんだそうです。

調和とか公平というとよさげに聞こえますが、この議論は要するに、滅私奉公です。成長しなくてもいいから公平、というのはかつての社会主義ですね。でもそれについては何ら考察なし。そして20世紀はなんだかんだいいつつ、すさまじい経済成長が実現されたおかげで多くの人が貧困から抜け出して自己実現とかいう贅沢な悩みにひたれるだけの余裕ができたんだ、ということを、本書は考えもしません。著者が善意に満ちた人なのは、読んでいて痛いほどわかるのですが、了見の狭さと知識不足はいかんともしがたく、まったく読むにあたいしません。そして話の落としどころは結局 NPO はとにかくすばらしいから支援しろ、というだけ。

マルケル「ラ・ジュテ」: 映画をそっくりそのまま写真集にした希有な例, 2004/7/31

La Jetée: ciné-roman

La Jetée: ciné-roman

映画「ラ・ジュテ」(「12モンキーズ」の元ネタ)をそのまま写真集にした一冊。 あの映画を見た人ならわかる通り、映画がそのまま本になった希有な一例。もっとも クリス・マルケルの映画はもともと小説に近いので、この手の処理 になじみやすいというのもある。「サン・ソレイユ」でこれをやってほしい。

スピヴァック「ある学問の死」: 比較文学なんてスピヴァックが思ってるはるか以前に死んでるのに。, 2004/6/20

ある学問の死 惑星的思考と新しい比較文学

ある学問の死 惑星的思考と新しい比較文学

文学という制度自体が西欧文化の産物で、比較文学というのは学問としていわばグローバリズムの進行の手先(または寄生虫)的存在だったという認識を下に、今後はそういう形での比較文学が死んで、ポストコロニアリズムだのジェンダーだのみたいな話をすることで社会問題とからんだ形での、地域を結ぶような比較文学ができるといいな、という話。

しょせん小説なんて、社会的に何の役も果たせないんですけど。社会問題にコミットしたいなら、社会問題にコミットすればいい。でも比較文学なんてものがなんでそれに奉仕する必要があるのか、あるいはそれがそもそも有効なのか? 文学という制度自体、特に先進国ではジリ貧だ。文学というのは(村上龍も言ってるけど)資本主義のあるステージにおいてしか意味がないものじゃないんだろうか。その中で、自分の学問の存在意義がゆらいできて焦っているのはわかるけど、それですでに解決のついてる社会問題に色目を使うのは卑しいだけ。つまらに本です。

山本&吉川「心脳問題」: 整理としてはまあまあだけれど、根本のところが……, 2004/6/13

心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く

「心脳問題」というときの「心」ってなにを指しているの? 本書はそれに対して、おばあちゃんが死んで悲しい、という話をして、実際にぼくたちが感じる悲しさと、それに伴う脳内の現象との落差、というのが心脳問題だというんだけれど、そこでの「悲しさ」って何? 特にそれがクスリで抑えられたりするとなると、そもそもの問題自体が変じゃない?

これまでは「心」というものをきちんと扱う方法がなかったから、なんかあいまいな話でお茶が濁せたけれど、脳科学が「心」のすべてを解明できるかはさておき、これまで不明確だったかなりの部分を明らかにするだろうことは自明だと思う。本書は要するに、それがすべてを解明できないかもしれないと騒ぎ立てるんだけなんだけど、それで?

そして最終的には、脳科学を通じた管理社会批判。結局はこれまでのラッダイト科学批判とまったく同じ。気持ちのいいほうに、楽なほうに、と脳のめいじるままに動くと、生々しい生命とのふれあいを失うからみんなもんと苦労したり痛い思いをしよう、とかいうヨタ話。本当の苦労や痛い思いをしたことのない哲学者のアームチェア談義。脳科学、とかいう意匠をまとっているから目新しく思えるけれど、でもその意味で本書は、実は冒頭で批判されている、電車の中での化粧は脳のせいとかいう駄本の手口と寸分変わりない。いま出ている論点の整理としては、まあおもしろいけれど、それ以上のものじゃない。

矢萩「空間 建築 身体」: 感想文のつまらない言い換え。, 2004/4/17

空間 建築 身体

空間 建築 身体

 多くの建築評論と同じく、感想文をむずかしく言い直した以上のものにはなっていない。また論理性もほとんどない。p.297 には、「空間」への関心が薄れた時期とフランク・ロイド・ライトの建築への関心が薄れた時期があるという話が出ているんだけれど、その両者の関係みたいなものがまったく説明なしに、それが相互に傍証となるかのような変な書き方。他にも読んでて理屈のつながっていないところ多数。「身体感覚」「仮想境界面」等々の物言いも、目新しさがないし、思いつきの域を出ずに一般性を持たない。

岩波書店「経済危機と学問の危機」: 時代錯誤、無用な煽りにピントはずれなコメントのよせ集め。, 2004/4/17

2003年10月に行われたシンポジウムの記録に、その参加者が雑文をつけたもの。経済危機だなんだとあおるんだが、たぶんシンポジウムの時点でもすでに為替介入を通じたお金の供給増とインフレ期待の上昇で、景気は回復しつつあったし、それ以前に「経済危機」という認識自体がそもそも誇大な煽りだろう。「この危機を前に経済学は新しいパラダイムを誕生させることができずに立ちつくしている」と神野は言うけど、調整インフレ論とかも出て、学問としてはきちんとした提言もしているのに。一部の市場万能論や構造改革論がうまく機能してないからって、経済の危機だの学問の危機だの言い立てるのは明らかに勇み足。そして神野がその危機を、どうでもいい引用まみれでやたらに大風呂敷であれこれ言うものだから、パネラーたちのコメントみたいなのが無意味なくらいせせこましいものにしか見えなくなっている。

 またそのパネラーのコメントもひどい。学問の危機、というレベルの話を、いまの日本の大学「改革」批判にすりかえる間宮の議論。「ジェンダーを無視してる」と言うだけの大沢の議論(それは一部の福祉政策論がまだ不十分だという話で、本書の問題意識とは関係ない)。こんな散漫で無内容な代物が創業90周年記念シンポ集だということは、むしろ経済危機よりは岩波書店の危機を象徴しているように思う。

多賀「ソニーな女たち」: ソニーの提灯本, 2004/4/17

ソニーな女たち

ソニーな女たち

ソニーに勤める(または辞めた)女にあれこれ聞いて、ソニーはこんなに働きやすいと宣伝してみせる本。通して読んでも、「それで?」という以上の感想なし。まとめた取材者も、インタビューされた側が話題によっては「企業秘密だから」としゃべってくれなかった、なんてことにいちいち感心して見せたりしている、頭痛のするような提灯ぶり。読む意味なし。

袴谷「仏教入門」: ちっとも入門じゃないんですけど。, 2004/4/2

仏教入門

仏教入門

いきなりマルクスが、ダーウィンが、日本の近代化が、といった話が延々と展開され、その後はインドの地理的なあれこれが延々続き、入門書を読むような人が知っているとは思えない難解な概念が何の説明もなく持ち出されて、この概念があっちに移ってどうしたこうした、とこまごました文献的・思想史的な系譜学が果てしなく展開される本。ある程度仏教の中身を知っている人なら我慢しても読むだろうけれど、とても入門書と呼べるようなものではない。

高度な内容をコンパクトにはまとめていて、その点は評価できるけれど、その場合でも最初の二章はとばして三章から読み始めることをお勧めする。やっとここらへんから、仏教で教えられている中身の話になってくる。多くの読者は、そこにたどりつく以前に挫折すると思う。

BT「IMA」: 2003年後半の最ヘビーローテーションCD, 2004/2/29

Ima

Ima

特に二枚目の、トリ・エイモスの没トラックを使って作った冒頭の2曲は, 声があちこちに立ち上って一面取り巻かれるようですばらしく気持ちがよいのです。