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Amazon救済 2013年分

カプチャン『アメリカ時代の終わり』:邦訳が出た時点ですでに古び、2013年から見て完全に状況を読み損ねた本。, 2013/9/3

アメリカ時代の終わり〈上〉 (NHKブックス)

アメリカ時代の終わり〈上〉 (NHKブックス)

内容的には他のレビューアーの言う通り。アメリカは今後、もう他国にあまり介入しないようになるだろうという本。EUがもっとがんばれるし、中国もおとなしくなるし、というわけ。

だが、この原著が出た時点ですでにアメリカはアフガン爆撃を行い、その後もイラク侵略を行い、あれもやり、これもやりという具合。著者の見立てはまったくあたらず、アメリカは(大した用もないのに)ユーラシアに相変わらずちょっかいを出し続けている。さらにその後、EUはユーロ破綻により迷走を続け、ユーラシア大陸の面倒などとても見られそうにない。そして中国に関しても、本書の見立てはきわめて甘かったと言わざるを得ない。つまり全体として著者の見通しはまったく妥当性を欠いていたということになる。

もちろん、本書は長期的な戦略やマインドの話であり、十数年くらいの状況だけで評価するわけにはいかないのかもしれない。確かにアメリカはだんだん世界の警察をやるのに疲れてきてはいるようだ。その意味では、まったくピントはずれではないのかもしれない。さらに、本レビューは岡目八目のそしりは免れまい。だが 2013 年現在から見ると、本書の価値はきわめて低い(いや当時も低かった)と言わざるを得ないし、おそらく刊行当時の一部の論調を知る意外に読む意味はないだろう。

Mahma『Autobio』: Only if you have a personal interest in the Author., 2013/8/21

My First Coup D'Etat: And Other True Stories from the Lost Decades of Africa

My First Coup D'Etat: And Other True Stories from the Lost Decades of Africa

If you know who the author is, and (for whatever reason) have a personal interest in him, then this book MIGHT be interesting. However, if you are looking for some insights into Ghana (and Africa) today, this book is totally useless.

The book traces the life of John Dramani Mahama, the current vice president of Ghana, from his childhood to graduating college (and coming back from USSR). It tells the strory of how he stood up (sort of) to a bully in school, how his friends formed a school band, his first crush on a girl and writing her a series of love letter (supposedly his first “writing” career), how he became a socialist, how he went to college, his (father’s) temporary escape to Nigeria, how he went to USSR, how he had trouble getting to the capital city for college application. This was a time when Ghana went through some political instability, where military rule was sort of scary, and some cursory descriptions are there as backdrops to his life stories.

However, unless you have some personal interest in this person, it’s not particularly interesting. I don’t think the episodes are particularly bad, but nor are they too good, and it lacks the power to resonate with more general wider issues. He had a girlfriend but she moved away. Oh. How sad. He did go through some hard times, but on the other hand, he comes out as a rich kid from a wealthy family who didn’t really suffer. He doesn’t get beaten up much, doesn’t go to jail. It’s always friends or teachers or brothers that get the raw deal. It’s hard to sympathize with the character except for at some very generic level. Also, to understand the book, you probably have to have some idea about the geography of Ghana, and basic knowledge about it. Like, where Tamale is, what position is Kumasi etc., and the sort of the slight tension between people in northern and southern part of Ghana. I worked in Ghana for nearly a year, and so I understand these quite well. But without such knowledge, why the author would want people to understand the difference between north and south Ghana would be hard to understand.

The book ends at about 1990. At that point, he hasn’t made any strides into politics. Therefore, there’s absolutely no description about the present day dynamic Ghana, or the political situation there. Or about the future of Ghana. Maybe I’m asking too much, but when you read a memoir of a big shot politician, I think its fair to expect some comments about his view on the current situation of his country or ideas or the world. Nothing like that here.

So, I don’t know who would want to read this, or who gets any benefits out from this book. I’m not sure why everyone is giving these rave reviews, because I really don’t agree with them. Maybe because I’m Japanese. Maybe people of Ghanian decent may enjoy this, but I really can’t recommend this to anybody.

大谷他『<建築>としての……』: アイデアはおもしろいが書評は凡庸でアイデアを活かせていない, 2013/5/20

〈建築〉としてのブックガイド

〈建築〉としてのブックガイド

ぼく自身が書評をあちこちで書いているので、人の書評にはかなり厳しくなってしまうのだが、すごくほめたい本ではない。建築(というか、家ですな)のいろいろな部分ごとに本を割り振って書評を書き、その中でその割り当てられた部屋と多少こじつけめいた関連をつけようという試み。たとえば風呂場に割り当てられた本の書評は「この本は湿気に満ちている」とかね。そのアイデア自体は、まあまあおもしろいか。

でもそれぞれの書評やブックガイドの8割は、決しておもしろくはなく、自分語りに堕しているし、その建物との対応もおざなりで後付めいている。本というのは、ある人間の考えなりイメージなりで構成される空間を切り取るもので、それを読むのはその(何次元になるかわからないけれど)空間の中をさまよう行為でもある。でも本書の書き手の多くは、本のもつそうした空間性にかなり鈍感で、その壁や床といった面や部分しか見ていない。少なくともそういう書き方しかしていない。

そして、結局このブックガイド全体で構成された建築とはどんなものだったのか? 一部の頭でっかちの現代建築理論はさておき、ふつう建物というのは用途がある。このブックガイドで構成された建築は、何のためのものなの? 本書はそれが最後まで明確にならない。序文を見ると、何らかの寄せ集め的な建築をイメージはしていたようだが、寄せ集め建築にも寄せ集めの必然性と用途があるのね。本書はそれが最後まで見えない。いったい、ホンマタカシの玄関から入って丸谷才一の廊下を通り、宮崎学の書斎につながる空間とはどんなものか? つまりそのそれぞれの本の間のつながりやまとまりはどうなっているんだろう。建築を考えるというのはそういうことなんだが、この本は個別の部分の造形だけで話しをしていて、最終的な建築全体にまで考えが及ばない。その意味でアイデア倒れ。エッセイとして一部おもしろいものもないわけではない。が、書評集として特に成功した試みとは思えなかった。

ライハート&ロゴフ『国家は破綻する』: 力作ながら、2013年4月にデータ処理のミスが発覚、本書の結論の大きな部分がまちがいとなった模様, 2013/4/18

国家は破綻する――金融危機の800年

国家は破綻する――金融危機の800年

 本書は、金融危機債務危機と不景気の繰り返しを歴史を追って述べた本で、それなりの影響力を持っていた。特に、国の債務水準が上がると(GDPの90%を超えると)経済成長率がマイナスになる、という結果が出ており、この研究を根拠に、ユーロ危機においてもギリシャやスペインやイタリアに厳しい財政再建要求がつきつけられることとなった。

でも2013年4月に、この結果が追試で再現できないことが判明し、ロゴフ&ラインハートが使ったエクセルシートを見ると、一部のデータを取りこぼしていたことがわかった。それをきちんと採り入れると、債務がGDP 90%超えても経済成長率はマイナスにならない(ただし少し成長がわずかに鈍るのは確か)。

すると本書の結論のかなりの部分、特に政府債務要注意とか財政再建しないと経済成長もできないといった部分は成り立たなくなるし、また本書の処方箋を信じた多くの政府(や国際機関)も、実はあまり深刻ではないことに目くじらをたてて国民を苦しめていたということになる。

いまでも本書の一部は読む価値はあるし、いくつかの歴史分析はおもしろい。でも全体の価値は激減してしまったと言わざるを得ない。

尾山他『経済数学』: 日本経済の現状を無視した許し難いデフレ本。 2013/3/22

改訂版 経済学で出る数学: 高校数学からきちんと攻める

改訂版 経済学で出る数学: 高校数学からきちんと攻める

 我が国経済は過去二十年にわたるデフレに苦しめられており、近年ようやく日銀の方針変更(と期待されるもの)によりその脱却が本格的に始まろうとしているところである。だが本書はせっかくのインフレ期待を踏みにじり、日本を再びデフレの渦にたたき込みかねない、許し難い一冊である。

 前バージョンから5年たって出た本書は、確かに価格だけ見れば2000円–>2205円と価格上昇が見られる。これは年41円の上昇であり、その算出法および図示法については本書pp.1-3 に詳細に記述されている。一方、増加率で見た場合、これは5年で10%増、年率では2%弱の増加となる (pp.72-75)。したがって一見すると、物価上昇に貢献しているかのような印象がある。

 しかしながらよく見ると、実は本書のページ数もまた230–>380と大幅に上昇している。このため、ページあたり単価で見た場合、8.7円から5.8円と大幅な価格下落が見られ、なんと年率8%近い価格低下である。むろん、個別商品の価格下落と物価全体の下落とは混同すべきではないが、一方で物価全体はミクロの個別商品の総和でもあり、本書もデフレ傾向にそれなりの寄与度を持つと考えるべきである(本書には寄与度の計算は出ていないが)。

 むろん商品の価格設定は需要と供給を見据えた上で生産者にとっての利潤を最大化するところに設定されるものであり、それが市場均衡点となるのはEcon101である。本書でも、いたずらに数学の解説だけに陥らず、こうした経済学への応用も含めた解説が行われている (pp.10-30)。同時に、生産費用面から見た利潤最大化も考えるべきであり (pp.32-41)、また他の(少なくはないが限られた)類書との寡占市場と考えればそれをゲーム理論的に考えることもできた (pp.43-52)。また実際の価格決定はさらに複雑であり、ラグランジュの動員も必要となろう (p.222-226)。だがいずれの場合にも本書が真に利潤&効用最大化を実現できているとは考えにくいのである。

さらに同時に著者たちの労働を考えた場合、こうした充実かつ平明な内容のものを執筆するにはかなりの労働投入が必要であったことは容易に予想され、それが著者たちの労働と余暇の配分において効用を最大化できるものであったかは、本書pp.231-232などの問題に当てはめれば容易に解けるように、はなはだ疑問であるといわざるを得ない。こうした効用最大化を無視した低効用な過労をうかがわせる商品はまさにデフレ下の劣悪な景気状況の反映である。

 ただしこれは技術一定を想定した場合であり、技術革新(ex. コンピュータ等執筆環境の改善および活用できる学会の知見上昇)を想定した場合の分析はソローモデル (pp.339-345) の活用も視野に入れるべきかもしれない。本書にはこれも説明されている。

 我が国若手経済学者の期待株がこのように、日本経済の現状と希望はもとより経済合理性すら無視した本を出すとは嘆かわしい限りであり、堕落と言わざるをえない。それについて、まさに(この書評でやったように)本書の説明を使って理解できるのも本書のトンデモないところ。むろん消費税率の引き上げに賛成した多くの経済学者よりは罪は軽いだろうが……

 とはいえ本書が人気を博すれば、利潤の高い各種スピンオフ事業が本書から派生することで本書自体のもたらしたデフレ傾向が相殺されるという可能性もある。さらに需要高踏による価格上昇も可能性としてはある(たとえばさらに改訂増補版が出るとか……)読者諸賢は日本経済のためにも、このいたずらに低い価格にまどわされることなく、数少ない「よいデフレ」の実例としてこれを享受し、買い支えることが求められよう。

吉川『デフレ』: 不況は需要不足が問題といいつつ対策は供給側の技術革新に増税?, 2013/3/12

デフレーション―“日本の慢性病

デフレーション―“日本の慢性病"の全貌を解明する

日本のケインジアン代表と聞く吉川洋が、デフレについて書いた本なのだが非常に混乱した本となっている。過去20年強にわたる日本の不況について、ケインズ派として需要不足が問題なのだと言うが、その需要不足を解決する手段というのがない。それどころか、最後に出てくる提言は供給側で「需要創造型の」イノベーションを促進すればいい、日本はデフレでコスト削減ばかりやるようになったのでイノベーションが減ったのがいけない、とのおおせ。でも需要創造型のイノベーションはどうすれば実現できるんでしょうか? それはノーアイデア規制緩和とか。さらになぜ需要創造のイノベーションが減ったかといえば、これもデフレのせいらしい。だったらデフレを何とかしましょうよ、という話になりそうなものなんだが……

ところが著者は、デフレはどうしようもないと主張する。驚いたことに、ケインズ派といいつつ、お金の理論を実体経済と関連づけたケインズの業績はまったく顧みられることがなく、時に流動性の罠などを口実につかいつつ、結局お金(マネーストック/サプライ)はデフレとも景気とも関係ないという話に落ちてしまう。そして金融政策でデフレ脱出というクルーグマンや各種リフレ派の議論に対し、それは貨幣数量説を前提にしているからダメだというだけ。でもその貨幣数量説の否定も、直近のいくつかのデータや19世紀末の話を書いておしまい。もう少しいろいろ研究成果はあると思うし、おおまかには成り立っていたと思うんだが、厳密に成立していないからダメといって全否定。さらに期待の役割もまったく考慮しないので、いまデフレから脱出できなければいつまでも脱出できないことになってしまう。

結果としてデフレは金融的な現象ではなく、実体経済の結果だという話になってしまい、本書の中でさんざん罵倒しているRBCなどの現代マクロと寸分代わらない理屈となってしまっているのは驚き。

さらに政策提言として、冒頭に「消費税率の引き上げはきちんとやれ」という主張が何の説明もなく登場するのはいったい何? 著者は古いマクロ経済学の復権をうたうが、その古い経済学で増税が景気によいという主張は出てきますか?

不況は需要不足が問題と言いつつ、提言は供給サイドの改善と脈絡のない増税主張。ケインズ派といいつつお金の役割を否定しデフレを実体経済のせいと述べ、RBCなどを「役に立たない」と述べつつ自分の主張はそれとまったく同じ。混乱した本と言わざるを得ない。

長谷川『縮む社会で……』悪しき社会ダーウィニズム, 2013/3/6

生物は個体数が増えることもあれば、減ることもある。でも、どの場合にもそれなりに「適応」している。だから日本はいま不景気だけれど、景気回復の努力なんかせずに、不景気と経済縮小に「適応」しなさい、と説く悪しき社会ダーウィニズムの本。

確かに生物は、あらゆる時点で適応しているかもしれない。でも個体数が多い段階から少ない段階に移る中で、一部の個体は当然病気にかかり、飢え、死ぬ。適応というのは、あくまでその後の姿だ。人間社会でそれをやれというのはつまり、次の適応に移行するときに個体が飢え、病気にかかり、死ぬのを黙認しろということだ。つまり、弱者は死ね、強者だけが生き延びろ、それでオッケー。これは通常、社会ダーウィニズムと呼ばれ、進化論の初歩を学ぶときにも強く戒められるもののはず。本書がそれを何のためらいもなしに開陳してみせるのは、驚きをこえて呆れるばかりだ。

もちろん著者の研究するアリは、それを黙認する。でも、人間はそんなことを黙認したり甘んじたりはしない。それにアリが暮らす環境は、アリにはまったく変えることができない。でも人間の暮らす経済は、自然が与えたものではない。人間が作ったもので、それを人間が変えることもできる。そこを無視して、適応しろとは何とお気楽なことか。

また本書は、グローバル化を目指すのは愚か、ガラパゴス化が正しい、自分のニッチを見つけて暮らすのがいいのだ、と述べる。著者はそれが生物学の知見を経済に適用した目から鱗の知見だと思っているようなのだが、まず日本の(いや世界中どこでも)企業のほとんどは国内のニッチマーケットを相手にしている。町の床屋、喫茶店、本屋、その他たいがいの事業所は地元のニッチマーケットで生息している。そしてそうでない企業も、コストをかけてグローバルすべきか、自分のニッチを守るべきかというのは、生物学者に言われなくても企業戦略として日々真剣に考えていることだ。本書の主張はもはや陳腐ですらない。

アリの社会で見れば、働いていないアリもいるというのは合理的なことだ。そしてそれは人間社会でも、多少の在庫を持つとか設備に余裕をもたせるといった点で示唆的かもしれない。でも、だからといってそれを、失業はいいことなのだ、という話に直結してはいけない。アリの気持ちはわからなくても、失業者の気持ちはわかるのだから。それをやらない本書は、人間をアリ扱いして貶め、その個別の苦しみを無視した、お気楽な学者の、無自覚なだけになおさら残酷な最悪の社会ダーウィニズムでしかない。

『プロトタイプ・ターミネーター』総予算300万円のビデオ撮影。, 2013/3/6

 うーむ。フィルムじゃなくてビデオ、それもホームビデオ撮影。冒頭のビデオタイトラーによる題字が涙を誘う。そしてエンドロールを見ると、監督以下主要スタッフ(そして脇役出演)全部同じ人で、編集とかその他いくつかはどうも奥さんらしく、冒頭のナレーションは娘みたい。ホームビデオ!

 冒頭のCGはテレビゲームもどき。異星活動服はペイントボール対戦用のマスク。セットは一つで、その外に出ては戻ってくるだけ。空気が薄くてマスクが必要という設定だけなのに、主人公は「慣れちゃったみたいだ」と称してマスクなしでオッケー。脚本は、とにかく引き出しが一つしかない感じで、伏線といった概念がなく、その場その場で話が完結してしまい、流れとかまったくなし。非線形知性アンドロイドと称するツナギ着ただけのターミネーターねーちゃんとか(本家の女ターミネーターに影響されたらしく、やたらと小首をかしげる演技がうざい)とにかく、唖然とするくらいひどくて、大学生の自主製作ビデオでももっとマシだよ−!

……と思っていたら、作者のページがvimeoにあって、総予算300万円! しかもちゃんと役者に給料出しているとのこと。すごい。それを知ると、なんか愛すべき作品にも思えてくるんだが(だから星二つにしました)、それでも金とって見せられる水準じゃねいぞー! ちなみに、作者は本作が日本でDVDで出ていることも知らず、驚いていました。原題「Exile」。

ガリレオ『望遠鏡で見た……』:「星界の報告」新訳。神をも畏れぬ邪説を唱えたトンデモ本。発禁にすべき。, 2013/3/5

望遠鏡で見た星空の大発見 (やまねこブックレット)

望遠鏡で見た星空の大発見 (やまねこブックレット)

望遠鏡で見ると、星空はずいぶんちがって見えるんだよ、というのをガリレオが、自分の感動を素直に伝えるべく書いた本。最初は、望遠鏡の構造の解説から入り、その後は月はこんなふうに見えて、実はでこぼこなんだよ、とか星座の周辺にはほかにもいっぱい星があるんだよ、というのを述べる。月のでこぼこは望遠鏡なるカラクリを信用すべきかどうかにも関わるので簡単に断言すべきではないと思うが、そこまではいい。

だが問題はその後。ガリレオ木星を観察して、そのまわりをまわっているとおぼしき星の報告を行い、実はすべてが地球を中心にまわっているのではないんじゃないか、コペルニクス説が正しいんじゃないか、という神をも畏れぬ邪説を唱えている。ふつうに教会の教えを知っている人なら決して思いつかないトンデモで、しかもそれが実に淡々と書かれているために、うっかり読んだら信じてしまいそうなほど。同じ星が木星のまわりをまわっているように見える、というんだけれど、別にそんな解釈をする必然性もあるのかどうか。定評ある聖書の教えより、卑小な人間たる己自身のまちがえやすい目を、しかもさらに怪しげなギヤマンのカラクリ経由のものを大仰に言い立てる慎みの欠如は嘆かわしいにもほどがある。

しかもその書きぶりはきわめて断定的であり、それ以外の解釈はあり得ないかのようで、他の可能性をすべて否定している。そうした傲慢な書きぶりでは決して共感は得られないであろう。いたいけな信徒が読むと真に受け、ヘタをすると神の教えすら疑ってしまいそうなので、禁書推奨。著者も不届き千万なので火あぶりにすべきだと思う。

翻訳はきわめて優秀で、中学生にでもわかる。そして訳者の判断がこのトンデモ本の流布に貢献してしまっているのは、pp.56-57の図。原著では、「この日ではこんな感じでした」というのを日ごとに説明しているのをとばして、その図だけを並べている。すると、確かにそれを見ただけで、ああ木星のまわりを他の星がまわっているんだなあ、という印象が勝手に生まれるようになってしまっている。原著の記述だとまだ疑問の余地があったものを、無意味な全訳を避けて図だけ集約したことで、ガリレオの主張がかえってわかりやすくなってしまったという、神様的にはちょっと許し難い邦訳。その意味で厳密には全訳じゃないんだが、全訳よりさらに犯罪的ではないか。でもこうした書き方やまとめ方は、観察日記の書き方のお手本としていいんじゃないか。

訳者が誇る工夫として、長い修飾節を<>に入れる(たとえば、「多くの人にはずいぶん長くて細かい本はわからない」というのを「<多くの人>には<ずいぶん長くて細かい本>はわからない」という具合に処理する)というのがある。ぼくはやらないけれど、でも手法として嫌いではない。LISPみたい。なじめない人でも、そんなにうっとうしくはないと思う。

ただ、何語のどの本をもとにした翻訳なのかは明記しておいてほしかった。また、タイトルは原語直訳が「星空についての報告」で、このタイトルだとガリレオの本だというのがちょっと気がつかれにくくて損をしていると思う。ぼく自身、最初はガリレオとその発見についてのジュブナイル的解説書だと思っていて、実物だと知ってびっくりしたもので。

 あまりの犯罪的内容のため、星は一つにしようかとも思ったが、邪説も悪魔のささやきの反面教師として後世の座興にはなるかもしれないので、おおめにしておく。