新年プロジェクト2018: The Economy

あけおめ(死語)。昨年は本当にろくでもない仕事が振ってきて、あまりのストレスで体重は一時5キロも減り (残念ながらその後リバウンド)、しかもそれが期間延長というトホホなことになって、秋に終わるはずが年内いっぱいかかり、ギリギリのところで何とか終えて、年末年始はほぼ脱力状態。おかげで去年はMake系のおもちゃもいじれなかったけれど、正月休みにそれをやるだけの気力もなくて、いやはやもう歳ですなー、なんか威勢のいいことをやるのも疲れたぜ〜〜

と思っていたところで読んだこんな話。

econ101.jp

ほうほう、経済学の新しい枠組みね。

さて、ぼくは「従来の経済学ダメー」「新しい経済学だぜー」といった話にはあまりいい印象を持っていない。基本、学問ってある程度は単純化による理解なので、すべて入ってないというだけで批判したことにはならないと思う。ここに挙がっている表を見ても、わかってて単純化した部分について「単純化したー、よくない」と言っているように見えるし、その対案として出ているものは、変数を増やして結局なんでもありの両論併記に堕するだけなんじゃないか、という気もしないでもない。特にここで言っているような初学者向けの話となればね。

が、参加している人たちを見ると、もちろんそんなアンポンタンな人々ではないし、それなりの考えもあるし、風呂敷を広げても初学者向けの見通しをつけられるようなアレはあるんだろう……と思っていたら、すでにその発想で教科書まで作っちまった、と。ほほう。ではお手並み拝見しようじゃありませんか。不均衡と不完全情報と制度とプリンシパル=エージェントと、ついでに格差と環境問題までぶちこんだ、初学者向け教科書ってどこまでできるの?

ということで、その教科書を読むだけではつまんないので、訳しはじめましたわよ。

genpaku.org

このオリジナルのサイト&紙の教科書づくりの制作プロセスもおもしろくてMarkdown記法でテキスト書いて、それをパーサーで処理して html と pdf と、モバイル用のサイトさえ一気に作っているとか。本当は、そこまでやりたくてJekyll もインストールしたんだけれど、考えて見ればオリジナルのMarkdownのソースがあるわけではないので、うまく再現できるかどうかもわからない。ということで wget で元のサイトのhtml をダウンロードして、それをそのまま翻訳するという手に出ているけれど、各種スクリプトもうまく機能するし、日本語にしても変な挙動になる気配はないのでなかなか。

分厚そうな教科書丸ごと一冊なので、まあ半年くらいはかかりそう。あるいは途中で放置される数多くのプロジェクトの1つになるかも(放置されているものも、すべて細々と続いてはいるのですからね)。それは仕上げをごろうじろ。

あと、協力したいという人がいれば大歓迎。たぶん章ごとの分担になるのかな。もっと細かい部分でも可。当然ながら、ただ働き。また変な権利主張なしね。勝手に直されても文句言わないってことで。でもこの教科書、まだ日本語訳の話はないそうで、そんな話が出てくれば何か不労所得に通じるかも……

付記

結局これ、きちんと権利を取ってやろうという話が出て、先方と接触して、もう翻訳進んでるのよ、というのも見せたんだけれど、先方はとにかく出版社つけて紙版の刊行を視野に入れつつ、自分たちにしかるべきお金を払いなさい、というのの一点張り。もの分かれに終わってしまったし、また先方はこのような無許可翻訳は非公開にしなさいとか言われてしまい、知らないふりして続けるわけにもいかなくなってしまった。残念ですう。かなり進んでいたのになあ。(2019年春)


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サンスティーンによると『最後のジェダイ』は

はーい、サンスティーン『スター・ウォーズによると世界は』はお読みいただけましたでしょうか?

スター・ウォーズによると世界は

スター・ウォーズによると世界は

そしてこの本を読んだ人なら当然気になるのは、サンスティーンが『最後のジェダイ』をどう見たか、という点でしょう。その評価が数日前にやってまいりました。

www.bloomberg.com

うーん、そうくるかい、サンスティーン先生。自分の好きなところが強調されてなかったからってそんなに文句を言わんでも、とは思うし、これまでのシリーズでも民主主義も善と悪の葛藤も、そんなに深みある描かれ方をしてたっけなあ、と思ってしまうのは一般視聴者の浅はかさで、サンスティーンほどのマニアともなれば見方はちがうのねー、ということで(実はぼくはまだ『最後のジェダイ』見てません)。それと、あの本でのサンスティーン、ちょっと意識的におちゃらけてみせた部分もあるのかな、と思っていましたが、この『最後のジェダイ』評を見ると、サンスティーン先生ったらあの本、完全にマジで、「自分でもちょっと苦しいのはわかってるけど」というようなものではまったくなく、全部完全に本気で言ってたんですね!

というわけで例によって勝手に翻訳。まあ、お読みあれ。

『最後のジェダイ』は、いいんだけど、すごいってほどじゃない。

キャス・サンスティーン(山形浩生訳)

Executive Summary: 欠けているのは、善と悪との内面的な闘争、自分自身の邪悪との葛藤、人生の大きな問題に対する回答の探究だ。

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スター・ウォーズ』最初の六本の背後にいる天才ジョージ・ルーカスは、自分の映画が「ある種の泡立つようなめまい感」を特徴とすると述べている。その通りだし、それがあの六本のすごさの核心だ*1。

そう考えると、脚本監督ライアン・ジョンソンの新作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』が本当の『スター・ウォーズ』とは言えない理由もわかる。はいはい、いい映画だし、すごくいいとさえ言える――でもめまいの感覚はない。

ルーカスの映画は、自分自身のトンデモぶりに対する大喜びだらけで、それがみんなに感染する。一番最初の『スター・ウォーズ』映画、後に『新たな希望』と改名されたもののオープニングを見てみよう。巨大なスターデストロイヤーが画面に登場するところだ。下から撮影されたその宇宙船はひたすら続き、どんどん続いて、さらにそのまま底面が続く。お笑いだ。1977年の観客たちは笑った。立ち上がって喝采した人さえいた。

スター・ウォーズはちょっとマンガじみたところもあるけれど、感情と深みもあり、人間心理への本当の洞察もある。ジョセフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」という発想を活用しつつ、ルーカスは普遍的な物語を語る(実はそういう物語を二つ語っている)。それは英雄的な旅と選択の自由に関する物語で、それを良かれ悪しかれ実行するのは、二人の若者、アナキン・スカイウォーカーとその息子ルークだ。二人とも、悪に心深く誘惑される。ルーカスは、フォースの暗黒面(ダークサイド)が持つ蠱惑的でエロチックですらある力について、きわめて率直だし赤裸々だ。

アナキンは誘惑される。そしてダース・ベイダーになる。ルークもギリギリのところでやっと踏みとどまる――そして決定的な一瞬の間、ルークもまた誘惑に屈する。ルーカスの物語は、キリスト教(およびあらゆる人の心にある希望)の影響を反映して、ある教訓を与えてくれる。私たちのだれでも、決定的な瞬間に光の側を選ぶなら救済されるのだ。

ルーカスの主人公たちが悪に転じるとき、その理由はたった一つ。愛する者を失いたくないからだ。ダークサイドへの道は哀しみと喪失で舗装されている。でも、かれの主要テーマに見えるものの驚くべき逆転として、ルーカスはまた喪失の恐れ(あるいは愛とも呼ばれる)もまた救済への道なのだと示す。

その核心において、ルーカスの物語は父親と息子についてのものであり、お互いがいかに相手を必要としているかを物語る。ルークは――客観的な証拠がどうあれ――父親に良心が残っていると信じる(あらゆる息子はそう信じるのではないか?)ベイダーは自分の命を投げ出して息子を救う(どんな父親もそうするのではないか?)

この問題を慎重に検討したルーカスは、民主主義がいかに破綻して専制主義がどんなふうに台頭するかについても、深い洞察を持つ(そしてこれは、何よりもかなりの罵倒を受けてきた前日譚三部作を貫いて重要になっている)。かれは全能の指導者が持つポピュリスト的な魅力を捕らえている。ある登場人物が語ったように「こうして自由派死ぬのね……割れんばかりの喝采の中で」

当のアナキン・スカイウォーカーもこう固執する。「政治家たちが腰を据えて問題を議論し、万人にとって最大の利益となることが何かについて合意して、それを実行するようなシステムが必要なんだ」。そして不吉な調子で、もし政治家たちがそれを拒否したら「無理矢理にでもそうさせるべきだ」と付け加える――そしてそれが専制主義のように聞こえるとしても「ふん、それがうまく行くのであれば……」

『最後のジェダイ』は、光の面(ライトサイド)と暗黒面(ダークサイド)についてはいろいろ語るけれど、哀しみや喪失は何もないし、民主主義についても平板だ。善と悪の扱いは、十分におもしろいものとはまるで言えない。我らがヒロインのレイは、一度たりとも本当に悪に魅了されない。そんなの退屈だ。

暗黒面の代表カイロ・レンは少々は葛藤するし、その意味でジョンソンはルーカスのビジョンとの連続性を維持はしている。でも少なくともこの映画では、その葛藤は実はフェイントでしかない。というのもカイロの転落には、アナキンのような切迫した理由――愛する者の喪失――がないからだし、カイロが人間性のよい面を抑え込もうとするところを見せてもらえないから、この映画はルーカスの映画が持つ深みにはまるで達していない。

脚本は選択の自由という発想をちょっと掲げては見せるけれど、でも心がこもっていない――形式的にこなしただけに近い。その意味で、最悪な点として、ジョンソンはルーカスの黄金の糸を手放してしまっているのだ。

多くの人々は『フォースの覚醒』を批判した。これは2015年に出た新シリーズの皮切りだ。批判点は、それがルーカスの以前のシリーズの焼き直しでしかないということだった。それは確かに言える。でも少なくともあれは、明確だったしカッチリしていて、いろいろな疑問を大量に残し、独自のめまい感を与えてくれた。

『最後のジェダイ』にはそれがない。それは非常に意識的な役者交代の物語で、それがノスタルジーと微かな悲劇を使って語られているだけだ。あまりに多くの部分で、この映画は熱狂を欠いている。

確かに、マーク・ハミル老いルーク・スカイウォーカーとしてすばらしいし、レイ役のデイジー・リドリーもそれに負けない。ジョンソンの作品は、出来がいいというだけではない。シャープだし、新規性もある(そしてあちこちで驚異的ですらある)。でもそれは、悪魔と格闘することもないし、もっと大きな問題と取り組もうともしない。生命感に満ちあふれてもいない。

ジョージ・ルーカスが、当時も今も、唯一無二の存在だということをこの作品は思い出させてくれるのだ。

 

*1 読者への注:この先、多少のネタバレあり。

うわべ「だけ」ではダメだけど、うわべがなくては始まりません。

2017年12月になって、藤岡『ハードウェアのシリコンバレー深圳に学ぶ』の書評っぽい記事を書いて、それがネットに出た。

これはとってもよい本で、それとその書評まがいを書いているときにちょうど、メイカー系中国関連有識者ライターたちが、「最近の深圳記事って安易だよねー」という話をしていたこともあって、この本は安易な表層なでただけじゃないぞー、というのを強調する感じになった。で、それを受けて編集部も、こういうタイトルにしてくれた。

president.jp

で、ぼくとしては「そうだそうだ」と(自分の記事だから)思う一方で、ちょっとこそばゆいような、うへー、というような思いをしている部分がある。というのも、かくいうこのぼくだって、そりゃずっと昔から深圳に通っていた強みはあるものの、うわっつらに毛が生えた程度じゃねーか、と言われればその通りだからだ。

そしてそれ以上に、個人的にこの歳になると、いろいろ人生に後悔もあるわけで、その中の大きなものは、浅はかとかうわべだけとか表層的とか言われるのを恐れるあまり、必要以上にかっこつけて実際にそのモノ自体に手を出すのを避けてしまったことがあまりに多いよなあ、ということだったりするからだ。

気になっていた女の子に、外見だけしか見てないと思われるといやだなあと思っていろいろウダウダ探りを入れているうちに結局何も起こらなかったりとか、昔のクラブ流行のときに、好奇心はあったのに流行に流されてるだけと思われたらどうしようとか(誰にそう思われるのを恐れていたのかは謎だ)、あれとかこれとか、いまにして思えば、うわべ「だけ」と思われるのを恐れるあまり、うわべそのものを拒否してしまい、結局うわべ「すら」ない状態に陥ってしまったことが多々ある。やっぱりそれはつまらないよ。

そして、当然ながら人はいきなり核心に到達したりはできないんだから、うわべから入るしかないんだよね。

同時に、うわべだけのにわかを見て苛立つ人というのも、実はまさに当人が昨日まではうわべだけのにわかで、少し深く入れたからこそ昨日の自分がもどかしいだけ、ということも多い。そしてそういう人が最初のうわべから入る人をいじめるが故に、その分野自体が狭くなってしまうような場面もときどき見かけるように思う。

有名な話として、Linuxには「タコは財産」という考え方がある。ニワカの初心者で、バカな質問をやらかし、FAQって何かも知らない、そんな人たちでもLinuxのコミュニティに参加してくれるだけでありがたい、そういう人たちこそが財産、という発想だ。これはもちろん、お客さん気取りでふんぞり返ってあれこれ要求する人にヘイコラしろということではない。でも一方で、だれでも最初はタコだし、タコを増やさないとその次のステップにいく人も増えない。

つーことで、深圳に関しても、まずはうわべ。行ってみて、まずはうわべにびっくりしましょう。んでもって、だんだん深入りすればオッケー。うわべの人々を増やしつつ、うわべ「だけ」に安住しないよう適度に押しやるにはどうすべきか、というのが課題ではあるんだけど、それもうわべだけの人がそれなりにいてこその話ではある。うわべ「だけ」は恥ずかしいけれど、それはしょせん、自転車に補助輪つけて乗ってるぜーと言われて小学生が感じるレベルのちょっとした恥ずかしさで、自転車にそもそも乗れる楽しさに比べれば小さい小さい。はやく補助輪取れるようになろうねー、というだけの話なのです。

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それに……「恥ずかしさ」って言っても、だれもあなたが深圳行って何しようが気になんかしてない!もっと恥ずかしい人たくさんいるから平気平気! それをぼくが学んだのはマニラのHRギーガーテーマのクラブで……という話はまたいずれ。

中国深圳

中国深圳

いろんな人がまずうわべから入って深圳に感動し、でもそれ以上に向かう方向でいろいろ考察を進めている本としては、多少我田引水ながら以下をどうぞー。

(あとうわべの人が、非うわべの人が苦労して学んだネタを、まるで自分で発見したかのように言いつのるのがおもしろくない非うわべ人もいて、それは非常にわかるんだけど、半分以上の場合、うわべな人々はまさにそれを自分で発見した気分になって高揚しているので、仕方ない面もあるのよねー。でもできれば、自分がだれから何を学んだかについては明示的になってもいいとは思う)


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話せばわかるってもんでも……

 モンゴルから仁川に飛ぶ飛行機で隣にすわったイギリス人の爺さんと話をしていて、北朝鮮付近を通ったときに当然北朝鮮の話になって、トランプはどうしようもない、という話でそこそこ盛り上がったんだが……そこで爺さん曰く

 「トランプは知識もなく見通しもないくせに戦争ばかりしたがっている! (そういう面はあるよねえ)事態を本当に改善したいなら、どうすればいいかわかるかね!(うーん、日本みたいに「遺憾の意」とか言ってるだけじゃダメだろうけど……) トランプがいますぐ電話機を取って、金正恩に電話すればいいんだ! そして『来週平壌に行くぞ! おまえが何をしてほしいか、腹をわって話し合おう!』といって相手の求めることをやれば、すべては解決するはずだ!」

 ぼくは何と言っていいかわかりませんでした。この人、イギリスでかなり立派なメディアの記者兼ライターをやっていて、モンゴルの大学でも教えたりしてるというんだが、こんな小学生みたいなことを真顔で言う人がいるんだなあ。

 早い話が、そういう外交的なこととか、豆満江開発とかの経済協力とか、太陽政策とか、いろいろやってきた挙げ句にいまがあるわけで、トランプはツイッターで悪口言ってもそんなやること変わってるわけじゃないし、現状をトランプのせいにするわけにはいかないだろうし……

 が、ぼくも真面目にここで議論できるほど知ってるわけではないし、飛行機の中でそんな激論して居心地悪くなるのもいやだし、「うーん、まあそう簡単にいくかどうか……」とあいまいに応えたら、

 「いや、トランプ相手なら金正恩もすぐに会う用意があるはずだ!まちがいなく実現する!」

と力説された。いや、ぼくがむずかしいと思うのは、その部分じゃないんです、と言うのもアレだったので、話をトランプ当選時に開票速報見てて情勢が目の前で雪崩をうって激変するのに驚いた、という方向に持っていったことです。

2022.05付記:

 いま読み返すと、この直後2018-2019年にトランプはシンガポールおよび板門店でジョンウンと歴史的な会合を行い、まさにこの爺さんの言う通りになった……と思ったら結局何も出てこなくて、ワタクシの思ったとおり何も解決しませんでしたな。


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『MONEY』こと「お金を丸裸にする」の訳者あとがき

すでにご存じの方もいると思うけれど、また山形&守岡訳で、ウィーラン『MONEY』が出る。

MONEY もう一度学ぶお金のしくみ

MONEY もう一度学ぶお金のしくみ

これは実は、これまで出た『経済学をまる裸にする』『統計学をまる裸にする』と同じシリーズで、ホントなら『お金をまる裸にする』という邦題にするとよかったんじゃないかとも思う。でも版元も変わったし、営業方針の差もあって、現在の題名になった次第。

経済学をまる裸にする  本当はこんなに面白い

経済学をまる裸にする 本当はこんなに面白い

統計学をまる裸にする データはもう怖くない

統計学をまる裸にする データはもう怖くない

この前の二つと同じく、お金というものについての、とても普通の説明書。何か突出した主張を持つ人ではないし、ある特定の偏った、または特徴ある学派の主導者でもない。主流経済学の、ごく一般的な考え方をまとめてある。

なかでも、アベノミクスはまあまあ成功(もう少しがんばってもいいけど)という見方、ビットコインは眉唾、という立場がきわめて一般的なもので、こんな概説書にも出てくるということは認識があっていいんじゃないかな。もちろんそれに賛成、反対というそれぞれの立場はあるだろうけど。

で、そういうことも書いた本書の訳者解説を公開していいとのことなので:

https://cruel.org/books/naked/nakedmoneytransnote.pdf

この解説を書いた時点からもいろんな状況がさらに変わってしまい、ジャネット・イェレンはFRB議長を辞任しちゃうし、ビットコインは乱高下になるかと思ったらますます右肩上がりでわけわからないし。でもアップデートを続けるわけにもいきませんので~。ではお楽しみあれ。

サンスティーン『スター・ウォーズによると世界は』の訳者解説と嬉しい感想

つい先日、拙訳でサンスティーン『スター・ウォーズによると世界は』(早川書房)が出た。

スター・ウォーズによると世界は

スター・ウォーズによると世界は

表紙もかわいくて、なかなかよい感じ。なお、表紙に描かれているこの人物は、スター・ウォーズに登場するあの緑の生き物ではございませんよ。ゆめまちがうなかれ。なんでも編集部の説明によると、著者の似顔絵らしいとのことです。

年末の「最後のジェダイ」に間に合うように出てうれしゅうございます。前作は、やはりスター・ウォーズ焼き直しという評価もあったけれど、今度のやつは独自の世界に入り込まざるを得ず、本書で描かれている続編のお作法(それは法律の解釈の変化にも似たものだそうです)が当たっているか、お手並み拝見というところ。

この本の訳者あとがきが、編集部により公開されております。

note.mu

ここに書いた通り、できた本を読み返しても、やっぱ変わった本だよなー、という印象はかわらなかった。で、本国では結構SWマニアが突っ込みを入れたりして、日本でもいじめられちゃうのかな、というのもあったけれど、最初にでてきた感想はむしろ本書のSWマニアぶりを好感を持ってとらえてくれて、訳者としてはとてもうれしいのです。

rmaruy.hatenablog.com

こういうポジティブな読み方をしてもらえると、訳者冥利につきますね。ありがとうございます!

なお、タイトルについても『ガープの世界』を意識したのでは、という指摘あり。はい、ぼくもそう思ったのです!

ブレードランナー2049を見てきて……

なんだか先週で、東京ではいろんな劇場でブレードランナー2049が公開終了になってしまっているようで、うーん、残念きわまりない。とはいうものの、一方でまあ仕方ないか、という気もする。

ぼくは映画や小説について、予備知識なしで見ようとは思わない。オチがとか、ネタバレとかいうので騒ぐのは愚かしいと思っている。事前の情報をなるべく遮断して白紙の状態で見たいという気持ちはわからないでもない一方で、まあ完全に白紙で見るのはどうしたって無理なんだし(そもそもその映画を見に行こうと能動的に思う時点で色はついてるよね)、いろんな人の見解で事前にあれこれ想像するのもきらいではない。

ということで、今回のやつについてはいろんな人の意見を事前に見た。で、ご存じの通り、ブレードランナー2049は、評論家ウケは大変よかった。長いけれどすばらしい、続編のプレッシャーを見事にはねかえし、独立した作品として云々、さすがビルニューブ等々。

その一方で、なげーよ、意味分かんねーよ、前作マニアしか見ねーよ、というご意見もあったけど、こちらはバカっぽかったのであまり真剣にはとらえなかった。ぼくは「シカリオ」(えーと、邦題は『ボーダーライン』か)と『メッセージ』を見てビルニューブ絶対支持だったし、外すわけがないと思い込んでいたせいもある。

だけどアメリカでの公開直後、かつてNetscapeの名物開発者だったジェイミー・ザヴィンスキーがきわめて否定的な感想をネットに挙げていて、ぼくはあれ、と思ったのだった。

かれの批判というのは、これがあまりに前作に依存しすぎていること。なんかあれやんなきゃ、これやんなきゃというチェックリストを律儀にこなしているだけで、金のかかったファン映画みたいだという。うーん。同様の感想は、他にも何人か比較的鑑識眼を信頼している人からもきかれた。

www.jwz.org

そして自分で見終わって、ぼくは絶賛派の人々の言うことも、罵倒派の人々の言うことも、どっちもたいへんよくわかるので、ちょっと困っている。場面のていねいな作り方、出し惜しみしつつ観客の期待を盛り上げるやり方、冒頭の太陽光発電のビジュアル等々、ビルニューブだねえ、いいねえ、というのはあった。そしてテーマも頑張ってた。Kと、ジョイと、ラブの部分で人間とAIとレプリカントのちがいをテーマとしてあれこれ追求していた部分はよい感じだった。

特にジョイの部分はよくて、いろいろあって彼女が破壊されたあとで、街頭CMの巨大なジョイの映像が、Kに話しかける。そのときに使われるせりふは、最も親密だったはずのジョーという名前も含めて、Kと関係を築いていたはずのジョイとまったく同じ。

それは、Kにとってどういう意味をもつのか。ひょっとしたらそれは、単純に自分のジョイちゃんを思い出す契機だったのかもしれない。でもひょっとしたらそれは、「自分の」ジョイだと思っていた存在、それが自分だけに向けて言っていると思っていたせりふが、結局はAIのパターンでしかないことを認識させられる悲しい瞬間だったのかもしれない。だからこそ、あの瞬間にKの決意のすべてがある。かれはそこで(革命軍の指示にさからって)デッカードを助けようと思う。自分にとっての大義、生まれてきたものには魂があるのだという考えに奉仕するべく。

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そしてラブのかっこよさは圧倒的で、やっぱ彼女はレプリカントのあるあり方を代表し、それを実現しようとする存在としてこの映画を生かすものとなってはいる。彼女がもっと活躍してくれていれば……

 

一方でこれが長くて退屈な部分もある映画だということも、否定できないと思う。なぜそうなったかといえば、全体に真面目すぎて、いろいろ説明しようとしすぎているせいだと思う。別に画面に出さなくていいものを出してしまい、せりふでいろいろ説明しすぎているせいだと思う。そして同じ事かもしれないけれど、前作を意識しすぎ。前作と関係ないところは、とてもいいのね。でも前作とつなごうとする部分が非常に苦しいしくどい。

その最たるものは、レイチェルの復活シーン。復活して、「ちがうよ」と言われてすぐに殺されておしまい。デッカードが新生レイチェルを見てもっと迷うのでない限り、話としても場面としても不要な寄り道だったと思う。そして、ジャレッド・レトが聖書の引用したりする場面(いやジャレッド・レトの場面すべて)は、もったいつけているだけで、エンジニアリング的な課題が倫理道徳的な問題と衝突する厳しさを殺していたと思う。もっとレプリカント増やしたい、そのために自力繁殖させたい――そういうエンジニアリング/テクノクラート的な合理主義だけでつきすすむほうが怖かったと思う。出荷品を殺しちゃったりして、お客さんにどう説明すんのよ。

そのもったいの付け方も、ジャレド・レトはがんばってるんだが、かれのメソッドアクティングっていつも頑張りすぎでうっとうしいんだよねえ……

ついでに、レイチェルがダメならすぐに強制労働って、社長さんあんたバカですか。「え、何言ってんですか。お子さん見つけても殺したりしませんよお。どうして生きてるかってのがまさに私の知りたいところなんですから。希望の星ですよ。なんでそれを殺したりするもんですか」とだまして(というか、ホントにそのほうが筋が通ってると思う)時間をかけて懐柔すればすむ話じゃないですか。んでもって、まだ半信半疑のデッカードをおもてなししつつ、ラブ様を警備役につけておくと、デッカードを娘とあわせようとするKがやってきて、それとストレートに対決させればいいんじゃないですか。あの暗い海の戦いはちょっと見にくかった。

娘も実際に出てくる必要なかった。ホント、ラストで実際に会わなくていいじゃん。あの場面、あられもなくて下品だろ。建物に入ってくだけにしとこうよ。娘がなければレプリカント革命軍もいらない。出てきても何もしないなら無駄でしょう。実はおまえじゃないんだというのは、他にいろいろ気づかせる道はある。すると娼婦レプリカントは普通の娼婦役でかまわなかった。エルビスもいらない。ラブ様は異様にかっこよかったので、もっと活躍してほしかったし、ミサイルの場面は唐突だから削るか、あるいはバトルでもっと衛星を活用する場面を増やして有機的に使ってほしい。ミサイルがなければ孤児院の場面もいらないでしょう。馬を見つける口実くらい他にあるでしょう。

それとLAPD署長は、なんで人類守護の変な使命感に燃えちゃうの? 不自然だからやめようよ。うちの近所の牛込警察署長さんは、あんな面倒な話を自分一人でなんとかしようとは思わないよ。前作では、デッカードに仕事を出す署長かなんかは、ホントに下卑てて、でもそれが人間っぽくてよかったんだよね。署長は何も気がつかずにのほほんとしていて汚職にでもいそしみ、ウォーレス社が常に警察のシステムもモニタして一方的に気がついたことにして、署長は何もわからないまま、悲しい小役人としてあたふた殺されるとかのほうが感動的だと思うな。

と、大幅に刈り込むと全体で2時間くらいの映画になったんじゃないかな。主要なテーマは全部残る。風景も全部残る。ジョイちゃんの場面も残る。ビルニューブっぽいところも全部残る。それで公開し直してみたら、すっきりしてわかりやすくて、もっとヒットするんじゃないかなあ。

追記

あー、そうそう、人によってはネタバレと思うような内容も入ってるから、そういうの気にする人は注意してね。


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