ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』(1982) 改訳終わった。

はい、コロナ戒厳令開始前に、サイモン『意思決定と合理性』の改訳を始めました。

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で、終わった。まあ読みなさい。

ハーバート・A・サイモン『人間活動における理性』(1982)

読者のみんなは、ぼくに深く感謝するがよいのだ。これはそれだけの価値がある、すごい本だからだ。

この短い本に収められた叡智のすごさは、ちょっと比類がない。第1章は、彼の限定合理性理論のまとめであると同時に、自分でその限界をバシバシ指摘したおっかない部分。2章は、進化論について一般人の知るべき事を、とんでもなく高度な話まで含めて網羅している。第3章では、1982年の時点で地球温暖化の話にすでに目配りしてあるのに驚くし、また最後に出てくる各種経済学派のちがいは唯一、期待形成のあり方でしかないのだ、と断言するあたり、すごすぎ。そして政治プロセスでも、すでに各種「活動家」政治の危険性を指摘し、さらにポピュリズムの隆盛とそれに伴う政治の不安定性 (いまの政治の危うさは、みんなが政党を無視した意思決定をしたがるせいで生じている!) を指摘したあたりは、もう慧眼というしかない。メディア の話も、専門家の話も、すべてまったく問題なく今に通用する。一瞬出てくる人工知能への期待とか、たぶん執筆時点の1982年から一周か二周まわって、いまのほうがリアリティ高いかもしれん。

結論は、わからんことはわからんし、スーパー合理的な論理も世界運営も期待してはいけない、というあたりまえの話ではある。でも、それをどういうふうに導くか、というのがポイントでもある。SEU理論をきちんと詰め、その限界を見たうえでの発言は、やっぱ重い。

というわけで、きちんと読みなさいな。ぼくは訳してすごく勉強になったし、みなさんも少しはお裾分けされてほしい。

わかんないという人のために、アンチョコも作っておいてあげたぞ!

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ケインズ『平和条約改訂案』、結局全訳しちゃった。

しばらく前に、ケインズ『条約の改訂』が仕掛かりだけど放り出す、という話を書いた。

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でもなんか、気の迷いで結局全部訳しちまったよ、あっはっは。暇だなあ、オレって。まあ、ご笑納くださいませ。

ケインズ『平和条約改定案: 続「平和の経済的帰結」』 (1922)

内容的には『平和の経済的帰結』から3年たって、実際の賠償の進展、それをめぐる様々な動きをまとめつつ、多少は現実的になった部分と、もっとひどくなった部分を整理して示したものとなる。本人が言うとおり「続編」だ。だから当然、こっちと併せてお読みなさい……まあ本当に読むならね。

ケインズ「平和の経済的帰結」(pdf 1.2 Mb) https://genpaku.org/keynes/peace/keynespeacej.pdf

とはいえ『平和の経済的帰結』の主張がまったく見当違いとか、そこでの見通しとはまったくちがう方向性が出てきた、といったことはない。ほとんどが、おおむね『平和の経済的帰結』での分析通りに進んでいるということで、新規性はない。ただ各国政治の権謀術策や詭弁がすごい、というのが見所。

でも21世紀の現時点では、ロイド=ジョージ氏がどこの会議でクレマンソーとどんな密約をしようが、まあ100年前のどうでもいい話で、歴史的な意義しかない本ではある。たぶん、実際にこれを読む人は……いないよねえ。

で、改訂案というのはとにかくドイツからの賠償金はどんどん減免しろ、というもの。まあ、それが実際にどうなったかは、トゥーズのナチス本を読んで下さい。

ナチス 破壊の経済 上

ナチス 破壊の経済 上

ぼくも、細かく見直して訳を手直しする気力はさすがにない。何か気がついたらご指摘くださいな。

 

ちなみに、ここでケインズは30年にわたって賠償総額の6%を取る、という話を主張しているけれど、それに対する批判もある模様。

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うーん、ケインズの書いたものを見ると、別にケインズがここで責められる理由はないと思うなあ。「彼らは連合国の国民の利潤や収益から30から40年に亘って年貢を徴収するなどということは思いつかなかった」というのは、明らかにウソだと思う。具体的な手法はこの時点では未定だったけれど、でももっと壮絶な賠償条件を課そうとしていたからこそ、ケインズは怒っているわけでしょ。30年割賦にしなかったら、ロイド=ジョージたちはどうやって賠償金をむしりとるつもりだったわけ? それは30年割賦よりマシなやり方だったと言えるの? ウソだと思うなあ。

その条件ですらナチスの台頭につながったのを予見できなかったというのは、あまりに岡目八目すぎる批判だとは思う。が。閑話休題

 

さて、次に何をしようか。もっと読む人の少なそうな、「インドの通貨と金融」でもやろうか、それとももう少しキャッチーな「説得論集」や「人物論集」にしようかな。実はこの本をやっちまうことに決めたのは、「説得論集」のため。本書が終わったことで、「説得論集」はかなり翻訳ができあがっていることになるので (というのもあれは相当部分が、本書や『平和の経済的帰結』や『お金の改革論』の抜粋なんだよね) そんなに手間をかけずに全部できてしまうんだ。期待している人もいないだろうが、乞うご期待。

 

ケインズ「H.G・ウェルズ『クリソルド』書評」

最近、初版諸般の事情でケインズの伝記をいっぱい読んでいるんだが、うーん、スキデルスキーのものすごい分厚い三巻本とかがんばって見ているんだけど、平板だなあ、という感じ。分厚いのだと、その物量にうんざりしてそういう印象になりがちだというのもあるので、あとで再読はするけど。

John Maynard Keynes: Volume 2: The Economist as Savior, 1920-1937

John Maynard Keynes: Volume 2: The Economist as Savior, 1920-1937

John Maynard Keynes: Fighting for Freedom, 1937-1946

John Maynard Keynes: Fighting for Freedom, 1937-1946

チェ・ゲバラのいろんな伝記をたくさん読んだときもそうだけど、長く分厚く詳しい伝記を書いても、手当たり次第ぶちこんだだけだと、「で?」という感じになってしまう。ケインズは、学者面でも官僚面でも私生活面でもいろいろおもしろいエピソードのある人物なので、いろいろ書きやすい。でも、彼がずっと同性愛者だったというのを理解しないと、彼の経済理論が理解できないというものだろうか? スキデルスキーは、もろにそういう物言いをして、ハロッドによる伝記を批判するんだけど、うーん。ぼくはクルーグマンの「波瀾万丈の人生送ってきたからって、団地のサラリーマン小せがれよりすごい洞察が得られるわけじゃない」という主張のほうが正しいと思うんだ。正直、ハロッド版とそんなに印象ちがうかなー、という気はかなりする。

ケインズ伝 上巻

ケインズ伝 上巻

というような話をツイッターに書いたところ、ある人が、ケインズの伝記作者や管財人たちはケインズの遺稿をかなり取捨選択して都合の悪いものを除いているのだ、という話があって、日本でも『説得論集』に収録されなかった「クリソルド」がそういう都合の悪いものだったらしい、と教えてくれた。

ケインズは、もちろん今日的な基準からすれば不適切な心情はあった。優生学にかなり期待していたとかね。で、この「クリソルド」というのは、H.G.ウェルズ『ウィリアム・クリソルドの世界』という、一般には凡作とされる長大な3巻小説の書評だ。その中に、社会のエリート支配を支持する見解が出ていて、そのために日本版からは落とされたんだろう、というのがその暗黙の見解。

もちろん、そんなやっべえ話が載ってるなら是非読まなくては、とこの野次馬は喜びいさんで手元の原著を読んでみたんだが……

なーんだ。ぜんぜんそんなんじゃないじゃん。具体的にどんなものかというと……まあ全訳してやったから読めや。

ケインズ「『クリソルドの世界』書評」(1927, pdf 73kb)

どうせ読まないだろー。今後高齢化で社会の活力が失われることに対する懸念、そして社会主義への失望の一方で右派の連中が新しい社会構築に関心を持たないことへの失望という2点について、基本的に賛意を示しつつ、少しその議論を広げた書評だ。社会のエリート支配待望論なんかじゃないなあ。社会の今後の青写真を構築すべき人々は、バカで感傷的な左派ではありえないけど、右派もやってくれそうにない、というだけの話だねえ。

でも書かれているいろんな問題意識は、今も通用するものばかり。同時に、労組の支配するリベラル左派勢力への幻滅、失望というのはすごく強い。最近だと、ピケティでもクルーグマンでも、昔は労組がしっかりしていて格差を抑えられていた、と述べるのが常だけれど、当時はそうは思われていなかった面もあるんだねー。それは最近読んだバージェス『1985年』でも顕著だった。

 

ちなみにこないだ、ケインズ『平和条約改訂:続平和の経済的帰結』を途中までやって投げ出すつもりが、最後に見て「もうちょっとやろうか」とチマチマ足しているうちに、結構進んでしまったんだよね。

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実はこれが終わったら、「お金の改革論」「平和の経済的帰結」は終わってるんだけど、『説得論集』というのは相当部分がこの3冊からの抜粋で、さらに「孫たちの経済的帰結」も終わってるから、なんか『説得論集』の半分以上は終わってることになるんだよなー。

スノーデン自伝 訳者ボツ解説

しばらく前、といってもコロナ前だからはるか昔のように思えてしまうけれど、かのエドワード・スノーデンの自伝を訳したのでした。NSAに気がつかれないよう、原文はタイプ原稿コピー、著者名も偽名、これについてネットで絶対話をするなという条件つきで、しかも少し急かされたこともあり、なかなかおもしろうございました。

さて、この本には訳者解説はない。でも実は、事前に有識者に送ったレビュー用の見本版には、訳者解説があった。そして、出版社が販促用に作ったページにも、一時は訳者の解説が全文掲載されていた。

www.kawade.co.jp

それがなぜ上のページから削除され、実際の本からも訳者解説が消えたのかというと……スノーデン側から物言いがついて、なんでもあの訳者解説はスノーデンに対して disrespectful であるから消せ、と言われた、とのこと。

もったいないので切り刻んだバージョンを販促用の記事などに転用したけれど、全文がお蔵入りになるのもつまらないので、ここにアップロードしておく。

スノーデン自伝 訳者ボツ解説 (470kb, pdf)

さて、いったい何が「disrespectful」と判断されたのかはよくわからない。スノーデンの書いていることを鵜呑みにする必要はない、と書いた部分だろうか? NSAがスノーデンの書くほど壮絶なマルウェアを普通のトラフィックに載せて、だれのマシンにでも仕込めるというのは本当か、と書いた部分だろうか?

そもそも、スノーデンが(一時日本にいたとはいえ)あの訳者解説を自分で読んだようには思えない。少なくとも自伝の中の記述によれば、ひらがなは読めるし簡単な話くらいはできるらしいけれど、この文をスラスラ読めるはずはない。では何が起きたんだろうか。

あくまで憶測ではあるんだけれど、ぼくはたぶん日本のだれかがスノーデン側に、何かをご注進に及んだんじゃないかと思っている。でもわざわざだれが?

もちろんぼくを嫌っている人は多い。日本のケインズ関係者にはずいぶん恨まれているようで、全然関係ない本のアマゾンレビューにまでケインズ訳の罵倒が出てくる。その他あの人とかこの人とか。まあいろいろあったからねえ。

でも今回に関する限り、ぼくはそういう従来の遺恨が出たのではなく、以下のあたりに自分が書いた内容が、何か関係があるんじゃないか、とは思っている。

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ぼくはここで、スノーデンがある種の政治的な動きのために日本で利用されたのではないかと見ているし、それを抜きにしてもスノーデンを旗印にした日本の各種の本はちょっとひどいと思ってそう書いたので、それを気に食わないと思う人は当然出るだろう。が、もちろんこれは憶測だ。

いずれにしても、ぼくは残念だと思っている。言論の自由を擁護するはずの本なんだし…… それにQubesOSの話を多少なりともまともに書いた本なんて、日本には他にないよ?

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もう少しがんばって販促もできたんじゃないかとは思うけれど、これでなんだか気勢が削がれてしまった部分は確実にあって、これまた残念。あと、上の河出書房のサイト、いまだにhttpsになっていないんだよね。指摘したら、対応すると言っていたんだけれどこの騒ぎもあって、いまだhttpのまま。まあ、すぐにコロナがやってきてしまって、ちょっと世間の関心が逸れてしまった面はあるので、販促してもどこまで行けたか、というのはあるんだけれど。

ケインズ『平和条約改定: 続「平和の経済的帰結 (1922)」』仕掛かり:結局やっちまった

しばらく前に、ケインズ『平和の経済的帰結』を全訳した。

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もちろんご存じと思うけれど、これは第一次世界大戦後に、イギリス外交団の一員としてヴェルサイユ会議に参加したケインズが、あらゆるものをドイツからはぎとって、しかもその上に賠償金をしこたま払わせようとする連合国たちの魂胆に怖気をふるい、席を蹴るとともに発表した告発文書だ。これはベストセラーになり、ケインズはいきなり悪名を馳せた。

で、最近忙しくなったもので、当然ながら余計なことにいろいろ手を出してしまい、あれこれ見ていると、この『平和の経済的帰結』には続編があるという。それがこの The Revision of the Treaty (1921) だ。

www.gutenberg.org

で、いつもながら中身もろくに読まず、『平和の経済的帰結』を訳した身としては続編も一応やっつけるのが仁義だろう、と思って取りかかった。1/3ほどが終わったものが以下のpdf。

平和条約改定: 続『平和の経済的帰結 (1922)』

なんだが……つ、つまらん。

基本的には、前著でさんざん罵倒したヴェルサイユ条約のその後の経緯と、それをどうすべきかというのを論じたもの。非常に時事的な論説であって、いまのぼくたちが読んで何か得られるかというと……あまりない。歴史的な意義とケインズが書いたということだけにしか意味がない文書。

ということで、なんかこの先を全部訳すかどうかは、かなり怪しい。特に補遺にあるいろんな条約や協定や通達の原文は絶対訳さないと思う。

とはいうものの、歴史的な経緯からいえば、この第一次世界大戦の賠償金問題は、まさにナチスドイツの台頭につながる決定的な要因ではあって、それがどのように形成されていったかは、ある意味で重要ではある。ただそれが本格的に問題になるのは、もう少し後の大恐慌をはさんだ後の話であって、この文献に直接関連する部分は小さい。

このドイツ賠償金問題、それをあまりに巧みに処理しすぎたヒャルマル・シャハトの恐るべき手腕、そしてそれがナチス台頭にとって持つ意味については、トゥーズ『ナチス 破壊の経済』を参照してほしい。

ナチス 破壊の経済 上

ナチス 破壊の経済 上

ナチス 破壊の経済 下

ナチス 破壊の経済 下

ということで、他にもいろいろ仕掛かり品はあることだし、たぶんこれはこの先、当分放置されると思う。同じケインズなら、結構できあがっている説得論集とか人物論集とか(これは結構楽しい)、まったく無意味にやりはじめた処女作のインド経済本とかのほうが先に終わりそうだ。続きやりたい人は是非どうぞ。pdfと同じディレクトリにtexファイルが入っているので。

 

それより先に、仕事しないと……

付記

とかいって逃避しているうちに4章まで終わって6割くらい仕上げてしまったよ。なんか結局やってしまいそうだ。(9/17)

結局やっちゃった。

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おまけ:太田昌国『チェ・ゲバラプレイバック』は、ビリーバー本ながら率直で好感は持てる

チェ・ゲバラプレイバック

チェ・ゲバラプレイバック

この本は変な本ではある。現代企画室を主宰し、チェ・ゲバラ関連の本をたくさん出してきた太田昌国が、基本的にはゲバララブを貫徹しつつも、擁護しきれず変な妄想に走っているという本だ。

その意味で、特筆する必要はないし、またぜひとも読みなさい、という本でもない。当然ながらというべきか、立場もぼくとはかなりちがう。ぼくはこれまでの紹介からもわかる通り、チェ・ゲバラを決して高く評価しているわけではない。それに対して、この太田昌国は、やたらに評価している。彼にとってキューバは、北米帝国主義による南米弾圧・収奪・簒奪をはねのけた希望の星だ。

だから本書を読んでいると、こいつ何いってんだ (失笑) みたいなところはたくさんある。その最たるものが、この人は左翼リベラル系にありがちな、社会主義=リベラル=平和主義=人道主義憲法9条バンザイ等々、という妄想を本当に大真面目に信じているという点だ。だから彼にとって、正しい社会主義は軍隊を持たないはずなのだ。よって、キューバ革命軍事革命で、その後のキューバも軍隊に大きく頼っているということが彼には許せなかったり、信じられなかったり、どうしても北アメリカの悪辣な侵略に対抗するためには仕方なかったのかも、とかいう弁明に走ってみたりする。

だから太田は本書で、チェ・ゲバラカストロキューバ軍を解体できなかっただろうか、という妄想をやたらに展開する。ゲバラたちは、南米にベトナムを2つも3つも作れといっていて、ゲリラ戦の武力闘争しか能がなくて、つまりはもっと戦争しろ、という話だ。でも太田はそれを見ようとしない。ゲバラヒューマニストにちがいない、人道主義にちがいない、だから軍事が本当は嫌いだったにちがいないという思いこみを突っ走らせる。そして挙げ句に、カストロがいきなりキューバ軍の解体を唱えました、なんていう架空の宣言を妄想してそれを本気で載せている。

その他、内容的にはケチのつけどころはいくらでもある。が、その一方で、冒頭の陣野俊史による(ぬるい)インタビューで、太田はぼくと同じーーいや多くの人と同じーー疑問を率直に述べている。つまり、ゲバラはなんでゲバラになったのか、という話だ。二回の南米旅行で悲惨な状況を見て、それで革命に身を投じましたというのは、あまりに説得力がないというのは、彼ですら感じているのだ。

これまでのゲバラ伝のレビューで、ぼくもゲバラの思想成立過程みたいなものはかなり気にしていた。旅行先でちょっと悲惨を目にしただけで、いきなり革命家になったりしないよねえ、と。それに対して、いやそういうこともある、わからんやつはわからん、というコメントがどっかにあった。

もちろん、そういうことだってあるだろう。宮殿を出てじいさんや死体を見ただけで、地位も家族も捨てたゴータマくんなんかの例もある。落ちてきたリンゴや風呂からあふれた水や木漏れ日で、ふと何か回路がつながってしまい「ユリイカ!」となることはある。でも、そうした話のツボは、そうしたつまらない出来事が、その人のそれまでの思索や経歴における空白をどのようにつないだか、というところにある。たぶん多くの場合、その空白やつながるのを待っている回路は、そんなに明らかなものではないんだろう。でも……なんかしらんがそうなったんだから文句言うな、では多くの人は不満なのだ。それはこのぼくであれ、そしてビリーバーたる太田昌国であれ。

一大ビリーバーをもってしてすら、ゲバラがいかにしてゲバラになったか、という部分には納得のいかないものを感じている、というのがわかる点で、ぼくにとって本書はちょっとおもしろかった。そしてそうした不明点を変な妄想と信仰で抑え込まず、わからないところとして書いてしまえるのは、この人のストレートで正直な点が非常によく出ていて、嫌味でなく感心した。出版社として現代企画室は、カブレラ=インファンテ『TTT』やドノソ『別荘』などいろいろ出してくれている、非常にありがたいところでもある。

あと、ゲバラ本をいくつか出してきただけあって、そうした本の版権についてもいくつかヒントがある。基本、キューバはこのゲバラ本などでは、国内版は国内で流通させ、外国版は外国の出版社に任せる、という形をとっていたとか。それも含め、世界の左翼系出版社のある種のコネクションがうかがえるのは、おもしろいといえばおもしろい。それが、『ゲバラ日記』=ボリビア日記がいくつも邦訳がある原因の一つにつながっているらしい。

このゲバラ日記をめぐる様々な国際政治的やりとり(こいつが当時のボリビアの現職大臣の手によりキューバに流出したことで、ボリビアの大臣級にまでキューバの息がかかっていることが明らかとなって現地では一大政治スキャンダルとなり、当時のボリビア内閣総辞職につながった)をめぐる細かい経緯、同行していた他のゲリラたちの手記、その他関連資料を総まとめにしたのが、以下の The Complete Bolivian Diaries of Che Guevara.

さすがに翻訳の話までは出ていないけれど、この日記を流してもらえた世界の左翼系出版社のネットワークとか、なかなかおもしろい。編者は初期の批判的な伝記を書いたJamesとなる。

Castaneda, The Life and Death of Che Guevara: 闘争論ならぬ逃走論としてのゲバラ伝?

乗りかかった船なので片づけてしまおう。メキシコの政治学者によるゲバラ伝。

これまたアンダーソンのものタイボIIのものと並び、1997年に出版されている。他の二つと比べて、この伝記のすばらしいところは、短いこと。わかったことをなんでもかんでも詰め込むのではなく、様々な情報提示において、検討すべき仮説があって、それに対する証拠または反証という形でいろいろなできごとが提示されるので、読んでいて自分がいったいなぜこんなディテールを読まされているのかという迷子感に陥るようなことはまったくないのがうれしい。

同時に、これまでの他の研究や伝記とはどうちがうのか、という点についても明示的。これもとってもありがたい。特に議論のない部分については、基本的な事実提示ですっきりまとめられるので、「そんなの知ってますって」的なうんざり感もない。まあこれは、物好きに出ている伝記を片っ端から読んでいるぼくみたいなヤツだけにありがたいのかもしれないけれど、それでも『モーターサイクル・ダイアリーズ』に出てきた話を全部繰り返したり、みたいなことはしないでくれる。

もちろんこれが出たときには、アンダーソンやタイボIIの伝記は出ていなかったので、そっちとの比較が出ていないのは不満ながら仕方ないネー。

本書は、ゲバラには好意的ながらも、その欠点について——青臭い世間知らず——は手厳しい。特に、キューバの工業大臣になってからの彼の失策ぶりについては非常に分析がしっかりしている。理想に燃えたが社会がその理想についてこれなかった、みたいなゲバラびいきの本にありがちな言い逃れはまったくしない。企業の国有化と、企業取引でお金の利用の廃止というゲバラの政策とその影響などについても明確。革命直後の粛清については、大規模なものではなかったことを指摘しつつ、同性愛者その他の強制収容所を創ったりした汚点や、ボランティア/革命への奉仕と称してサービス残業を強要したり賃金未払いをやらかしたりといった点もふれ、そしてそうした点について、何かごく一部の些末なできごとだったかのように言いつのる主張に対しては、彼がキューバ全国のあらゆる産業を国有化して支配する立場にあり、それが決して些末ではなかったこともちゃんと述べる。

その一方で、ゲバラがその失敗をまっ先に自ら認め、なんとかしようと頑張りはしたことについては、同情的ではある(が、結果的にどうしようもなかったことはごまかさない)。

また政治的な面でのおめでたさについても、やはり手厳しい。ゲバラは現実知らずで、したがってあらゆるものについてすさまじく教条主義的な見方しかしなかった。だから、革命直後の世界漫遊旅行で、スカルノ大絶賛とかしている。民族蜂起は必ず社会主義につながり、それは必ず他国の社会主義を助けるはずで、必ず世界革命を目指すはずで、というきわめて単純な図式しかなく、おかげであちこちで見事に手玉に取られていることを指摘するあたり、政治学者の面目躍如。

そして、意見が分かれるところだろうけれど、彼の視点で非常におもしろいのが、ゲバラの様々な活動が実は人生の逃避だった面もそこそこあるという指摘。

たとえば『モーターサイクル・ダイアリーズ』などの南米バックパッカー旅行については、単純に世界を見たかったんだー、みたいな若者の脳天気な志向、つまりお金持ちのモラトリアムとして描かれることが多い。この本は、それを否定しないまでも、ゲバラの両親の不和と母親の病気や締め付けの影響を重視し、そこから逃避したいという側面があったと述べる。

さらに、ゲバラカストロと深入りしてキューバ革命に参加したのも、政治的な志向その他について述べる一方、マイナーな要因として、最初の奥さんイルダ・ガデアとの結婚の崩壊と、そこから逃避したいという側面があったと述べる。もともと二人はお友だち/同志にすぎず、結婚はできちゃった婚みたいなもので、メキシコの頃にはゲバラが「結婚もうダメだー」みたいな手紙を書いたりしている。もちろん、家庭がうまくいかないだけで革命に飛び込むやつはいないし、著者もそれがメインとは言わないけれど、でも三番目くらいの原因ではあるんじゃないか、とのこと。

そしてもちろん、コンゴ行きはキューバでの行政的な失敗からの逃避だ。そしてそれは、ある意味でカストロとの距離感によるものでもある。カストロは、ずっとチェ・ゲバラはとてもひいきにしてきて、他のヤツなら一撃で更迭されるところをずっとお目こぼしをもらっていた。でも一方で、カストロゲバラと何でも同意するわけではなく、ずっと政治的なたちまわりもうまく、各種失策とともにゲバラを周縁的な立場においやり、そしてキューバソ連の属国的な立場に持っていった。ゲバラコンゴ行きは、そうした状況からの逃走でもある。あと、この頃にはかつてミス・キューバにもなった奥さんアレイダ・マルチの容姿が衰えてきたので距離を置こうとしたのでは、なんてことまで書かれている(涙)

そしてボリビアはさらにその失敗からの逃避であり……

そのボリビアでつかまったときも、他の多くはもはやゲバラは死を覚悟していたのだ(それを英雄的にとらえるか、悲劇的にとらえるかはさておき)と述べる。でも本書は、それを疑問視する。死ぬなら戦って死ぬほうが確実なんだけれど、ゲバラは投降してつかまる。彼は自分のマスコミ注目度からして、自分は殺されないだろうとたかをくくっていた面がある、というのが本書の指摘。だから、処刑はすでに決まっていると言われたときにかなり取り乱した、という報告を述べている。他の文献で投降時に「おれはチェ・ゲバラだから、死んでいるより生きているほうが価値が高いぞ」とボリビア政府軍に対して言ったという説も紹介されているし、まったくの無根拠でもなさそう。その死すら、ある種自分がこれまで戦ってきたゲリラ戦からの逃げではあった……まあそれはちょっと可哀想な見方ではあるんだけどね。

ちなみにアンダーソンの伝記だと、射殺されることを伝えたCIAのエージェントであるロドリゲスに対して、最初は蒼白になり、それから「それなら生きて捕まるんじゃなかった」と述べたそうな。

些事に押し潰されない、「なぜ?」という意識を常に持つ伝記として、ぼくは悪くないと思う。特に、すでにゲバラの生涯について(劇画版でも読んで)だいたいのことを知っていればなおさら。その後の死体発見とかについては特に触れていないけれど、それは情報としては大きなものでも、彼の生涯やその役割を知る上では重要なものではない。

なお前に何度か出てきた、ボリビアでのゲバラの部下の生き残りブストスは、カスタニェダが自分の話を聞きにスウェーデンまで来ようとせず(電話その他で何度もコンタクトはしたそうな)、したがってボリビアの話をレジス・ドブレの我田引水にばかり頼っていることを批判している。