ポランニー『ダホメと奴隷取引』:18世紀ダホメ経済と社会主義はまったく同じ!

Executive Summary

 ポランニー『ダホメ王国奴隷貿易』に描かれている17-19世紀ダホメ王国は、市場システムを持たない。国内ではすべての作物を王様が召し上げ、一大宴会でそれを民草に配り、それ以外のわずかな部分を、王が配るタカラガイで、市場で定額で売買させる。そして外国との取引と、そのための産物生産 (奴隷狩りの戦争) は王様が独占し、民には外国製品は贈り物としてわたすだけ。これは、政府がすべて召し上げ、配給し、それで対応仕切れない部分の調整を市場での取引で行い、外貨取引は政府が全部仕切るという、キューバなどの社会主義経済とほぼ同じ。結局、ある生産力=生産技術の水準により、合理性を持つ経済システム=分配方式は決まってしまうということではないのか? 社会主義とか部族社会とか、イデオロギー関係ないのでは? するとこんどこそ資本主義が変わるとかいう主張もかなり怪しいのではないか。


プーチン本にちょっと疲れて、全然別の本を読んでおります。

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これはかの、カール・ポランニーの遺作。ポランニーと言えばあの『大転換』で有名なハンガリー出身の経済学者で、その基本的な思想というのは、市場経済というのは最近出てきた特殊な経済形態だ、というもの。市場経済とはぜんぜんちがう経済システムがあり、西洋は特に植民地主義を通じて、市場経済システムとそれに伴う金融システムを押しつけてきた、と彼は主張する。

で、その主張の最大の裏付けが、この遺作で彼が分析した、17−19世紀のダホメ王国だ。ちなみにこの本は、かの栗本慎一郎による翻訳があるが、あまり評判はよくないので、英語で読んでおります。

ダホメ:市場経済ではない別の経済システム

で、この本はむちゃくちゃおもしろい。

それによると、ダホメでは……って、君たちまずダホメがどこかもわかってないだろー。

ダホメは西アフリカの海岸部、いまのガーナとナイジェリアにはさまれた、ベナンのあたり。
ダホメは西アフリカの海岸部、いまのガーナとナイジェリアにはさまれた、ベナンのあたり。

このダホメ、18世紀の奴隷販売でものすごく栄えた国だ。ヨーロッパ相手に丁々発止の大取引をやっていたんだが、その国内は市場経済がほとんどなかった。市場はあったけれど、これは「いちば」と読む物理的ないちばのこと。でも、あらゆるモノの市場が相互に関連しあって一般均衡を創り出すような、市場システムは存在しなかった。

市場システムがないと、そこで決まる「価格」はない。では、取引とかはどうやっていたの? 王様が、いろんなものの交換比率を決めていた。その意味で、「値段」はあった。でも価格はない。ポランニーはだから「価格」というのを嫌がって「等価関係」とか述べている。(なんか異様なので、「相場」として訳している。だってそういう意味だから)

そして土地と労働力は、取引対象にはならなかった。市場化されていなかった。

では市場がなくてどうやって経済システムは動いていたのか? 国内の経済は、基本的には互恵と家事だ。そして、各種作物その他はまず王様が召し上げて、それを国民に贈り物としてあげる、という贈与システムで動いていた。もちろんその中で、多少のお金を使った取引はあった。そこでのお金は、子安貝だった。これも、王様が国民にふるまうのだ。

具体的にはどんな仕組みだったのか? 村の中では、血族を中心とした完全な部族社会になっている。やることは農業。その中で金銭取引はほとんどなく、助け合いと家事を共同でやるというのが日常生活の基本的な経済だ。血族と宗教の縁故社会で関係がガチガチに決まっており、また農業として作るモノは、王宮に決められている。それを実現するための労働力や土地など各種の分配や流通はその力関係で決まっていた、ということだ。一部の工芸品は、職人ギルドがあって、労働力の配分や生産量調整はそいつらが決める。

でももちろん、自分では創れないものがある。これは、子安貝を使い、決まった値段で買う。

で、毎年王様が、でっかい宴会を開く。そこへみんな、ドワワっと貢ぎ物を持ち寄って、それを積み上げる。この宴会は毎年、戦争の後で行われて、捕虜もいっぱいつれてこられる。みんな、王様はまた戦争勝ったぜすごいぜー、イェーイ、お祝いにこんな贈り物や貢ぎ物を捧げますゼー、となる。すると王様は、その贈り物をでっかい壇上に積み上げる。そしてまず捕まえた捕虜の相当部分を、ご先祖様への生け贄としてぶち殺し、その血を先祖の墓に撒く。で、ハイになって何週間にもわたる宴会が行われ、その中で積み上がったものの中から出席者にどんどん贈り物として、奴隷だの布だの作物だのが配られる。財の動きは、このでっかい贈答宴会で行われる再分配が相当部分を占めることになる。ちなみにその贈り物の中には子安貝もある。国内経済向けのマネーサプライがここで調整されるわけだ。

さて、これが国内経済なんだが、もうひとつ国際貿易がある。これはダホメの場合 (この対象となっている時期では) 奴隷を売って、銃を手に入れて、それで戦争に出て近隣国から奴隷を狩ってくる、というサイクルだ。

これは、国内経済とは完全に切り離されている。それを仕切るのはすべて王宮だ。そしてこの部分ではもちろん外貨の取引があるわけだが、外国人との文化的接触、外貨による外国商品の国内流入は徹底的に禁止されている。そうしたものに国内社会を汚染させないためだ。こうした外国との取引は、ウィダの貿易港で行われた。チャトウィンウィダの総督 (シリーズ精神とランドスケープ)という本がある。これはこの奴隷取引港を中心としたお話だ。この映画化版の「コブラヴェルデ」は、この奴隷貿易の様子やダホメ首長のイカレタ様子がなかなか面白い。

外国との接触禁止は白人だけではない。隣のアシャンティ族 (ガーナ) は、砂金を通貨として使っていたけれど、ダホメはその砂金の国内流通を禁止し、アシャンティ子安貝の流通を禁止し、隣国の経済すら入り込まないようにしていた。そしてその外国との取引の部分では、為替レートの操作や金融取引、先物、その他きわめて高度な金融経済が発達していた。

でも、そのダホメは無文字文化だった。文字もなかったのに簿記や計算はどうやっていたのか? それは、そろばんと同じような、小石を使った計算システムや記数法があり、それを使っていた。そろばんは、指である決まった動きをすると、なんだか人間の頭をバイパスして答が出る。それを壮大に発達させたのがダホメの仕組み、だったんだって。

もう読みながらひたすら「へえ〜〜!!」「へえ〜〜!!」と言いまくるしかない本。楽しいね。

市場経済はすばらしい、か?

さてポランニーは、市場経済批判の人ではある。本書でも冒頭で、西洋はなんでもかんでも市場化して、自由とか平等とか権利とかいう概念も完全に市場に基づいて作り上げてしまってけしからんのよ、それが格差を生み非人間性を生んでいるのよ、と指摘しており、非常に刺戟的ではある。

で、ポランニーが好きな多くの人たちは、実は単に反資本主義のバカだったりする。だから資本主義が批判されていれば、何でもかまわない。ポランニーすげー、そうですよねー、なんでも市場化して西洋はけしからんですねー、人間の労働力を商品化するなんて非人間的ですよねー。ダホメで見られたような非市場経済でも高度な文明は生まれる、そこでは人々が村の濃密な人間関係の中で、人間らしく助け合って暮らし〜 みたいな妄想に平気でふけってしまう。

が。

上の説明読んで、そんなに結構なものと思えるだろうか?

基本は閉鎖的な血縁農村社会。労働は市場では取引されないが、コミュニティの中であれやれ、これやれ、と勝手に決められる。移住は禁止。毎年の大量の人身御供の虐殺。成人男子の四分の一が駆り出される、年次の奴隷狩り戦争。ちなみに、白人の奴隷商人は自分では奴隷狩りはできなかった。ダホメを中心とする、奴隷狩り国があって、それが白人どもと手を組んで奴隷供給を行っていた。もちろん、白人が買ってくれたからそれが成立した、というのは事実。でもそれに喜んで応じたのは、アフリカの人々だ。

そして価格のない限られた仕組みが成立するのは、そもそもあんまりモノがなかったから、ではある。これはスケールする仕組みではない。もちろん、システムとして安定はしていた。それはいっぱい死んで、人口があまり増えなかったから、ではある。でも、本当にこれが人間性豊かで人を大切にし、云々の社会かといえば、必ずしもそうではないと思う。

ブラックパンサー』というレベルの低い映画は、変な黒人優位主義のイデオロギーに染まって、上に述べたダホメその他の仕組みのいいとこ取りをしようとして (王様を警護する最強アマゾン女性兵士部隊、というのはダホメの習俗だ。ダホメではゾウ狩り軍団!)、結局優しい独裁者モデルしか出せず……が、閑話休題

そしてもう一つ、これを読んでいて気がついてしまったことがある。

この仕組みって、しばらく前のキューバの(そして他のところの) 社会主義経済とまったく同じなんだよ。

市場経済社会主義経済?

社会主義経済を知らない人のほうが多いので、なかなか説明はむずかしいんだけれど、これを見てほしい。

cruel.hatenablog.com

特に重要なのは、この図。

社会主義は、基本は市場経済ではない。で、ベースにあるのは、生産→国が召し上げ→配給として再分配、というモノの流通だ。上の図では底辺に相当する。

これは、ダホメの場合、生産物のすべて (または相当部分) を王様に上納し、それを年次宴会で贈り物として再分配する、という仕組みの部分だ。

そして、それを生産するための労働や土地は、基本は国に属しており、それは地域の中での様々な関係であちこちで使われる。家事や助け合いの部分となる。これは、上のピラミッドには登場しない。そのさらに下の部分になるはず。

でも、それを補うちょっとした「いちば」は? はい。それはキューバなら、CUPという国内だけの非兌換通貨だ。ダホメなら子安貝。それが国の決めたお値段でものを売買するのに使われる。でもこのお金は外貨と交換できない。これで完全に国内経済は切り離される。

では貿易は? これは別のCUCというお金が使われる。これはダホメの場合はウィダで行われていた国際奴隷取引で、国内では生産できない資本財(ダホメの場合は銃)を得るために使用されるわけだ。

つまり、両者の構造はほぼ同じだ。

もちろん、イデオロギー的な背景はちがうんだけれど、でもそれがほぼ同じ経済システムに帰着している。

さらにダホメの場合も社会主義の場合も、ある意味でこのてっぺんの外貨の部分がやたらにでかくて、国内経済をだんだん揺るがしていったのが崩壊の一つの原因のようではある。その弱点もなんとなく同じ、ではあるのね。

資本主義ではない非市場経済として挙げられることの多いまったく別の仕組み、つまりダホメや西アフリカの経済システムと、社会主義の経済システムが、実はほとんど同じだというのは、ぼくは決して偶然だとは思わない。こんなにイデオロギー的な背景も地理的な場もちがう政治体制もちがうところの経済システムだけがまったく同じ、というのはまちがいなく何かしら意味がある。

つまり……ある程度以上の規模の経済を大きく組織する方法というのは、かなり限られているんだと思う。市場を使った資本主義と、社会主義/ダホメ的な非市場的再分配と市場の併存システムと……他にあるんだろうか?

ポランニーなどを持ち上げる人の多くは、実はものすごく多種多様な非資本主義的な経済システムというのがかつてはあって、それがやがて資本主義の猛攻の前に敗れ去った、というような印象を持っていると思う。たとえばミラノヴィッチ『資本主義だけ残った』というのは、まさにそれを含意した題名だ。あれ? ブランコヴィッチ? ミラノヴィッチ? まあいい。とにかくいろんな仕組みがあって、それがハイランダーのように闘って最後に一人残ったのが資本主義、と。でも、実はそうではないのかもしれない。

すると……新しい資本主義を超えるシステムとか資本主義のアップグレードとか、資本主義にかわる新しい仕組みとか言っている人は、ちょっとここのところに何かヒントというか障害のようなものが感じられるような気はする。

ポランニーは、市場システムが経済社会のすべてに貫徹したのは、産業革命による機械とその生産にあわせるためだった、と述べる。そして、このダホメの仕組みとか社会主義の仕組みは、完全な農村統制社会を前提とした仕組み、ということになるんじゃないか。するとある生産システムに対して使える経済システムはほぼ一つに決まっており、生産の技術ベースが変わらない限り、そもそも経済が変わることはあり得ない、とすら言えるかもしれない。そこで「インダストリー4.0でインターネット経済が〜」というような浮かれ方は、不可能ではないと思うけれど、どうだろうね。

 

おそらく、この程度のことはすでに気がついた人はいるんだろうし、またぼくの理解が足りていなくて、誤解している部分もあるのかもしれないね。でも、一応思いつきとして書いておこう。それにしても、栗本慎一郎はこの本を訳しているはずなのにこういう知見はまったくなく、穴の開いた貨幣はチンポの輪切りだとか、くだらん話しかしてなかったなあ。

翻訳がそんなにダメなら、こんな面白い本を放置しておく手はないだろ、ということで、勝手に訳し始めました。なんか2日で1/3終わったわ。うまくいけば月内に全訳あげるね。

プーチン本その4:下斗米『新危機の20年:プーチン政治史』構造がなく個別情報寄せ集めで日本語もむちゃくちゃなロシア擁護論

Executive Summary

 情報寄せ集めで、文章もまったく構築性がなくて構文レベルでむちゃくちゃで意味不明。そして中身は基本的にロシア擁護であり、ロシアが侵略を繰り返すのも、他国がプーチンに配慮しないからいけない、ウクライナがプーチンの言うことを聞いてあげないから悪い、と露骨なプーチン擁護を展開するばかり。


 プーチンの伝記っぽい本といいつつ、これはプーチンが大統領になる前夜から2020年までの話を書いた本。なんだが……

 ほとんど本としての体裁をなしていない。まったく整理されない断片情報の羅列。

 だれそれは何した、地方選挙で対立候補として何がきた、プリマコフがこういう発言をした、だれそれはこれについてこう言った。『エコノミスト』にこんな記事が出た。あーだこーだ。それがひたすら並べられるんだが、それが何を意味するのかという話が一切ない。Aという説があり、Bという説もあるが、プーチンのその後の反応からAのほうが妥当性が高い、といった情報の内容の評価と、それに基づいて何が言えるのか、という分析が一切無い。

 本書の書きぶりもそれに拍車をかける。例えば第1章のこんな段落。

 なによりもエリツィンにとって最大の破壊の対象となったのはソ連邦である。プーチンは2005年4月の大統領教書で「ソ連崩壊は20世紀最大のカタストロフィー」と言って西側の論者を驚かせた。もっともこの言葉はウクライナの政治家が言ったものであり、しかもプーチンはその後に「ソ連崩壊を理解しないのは頭がない」と付加することが通常だった。それ以上にこの演説の主眼はロシアがヨーロッパであるということであった。このソ連崩壊こそ、生活水準の低下に苦しむロシアの多くの市民にとって十分には理解されなかったのである。このことは、この時間の経過にもかかわらず、世論調査などではほぼ一貫している。(p.32)

 まず、ソ連崩壊が20世紀最大のカタストロフィーの一つって、そんな驚くような発言? それをプーチンが言った、ということが重要なの? でもその後に「もっとも」とあれこれつけているということは、実はこの発言はそんな重要ではない、と言いたいわけ? 「ロシアがヨーロッパであるということ」って、ここでいきなり出てくるけど何の話? ソ連崩壊をロシアの市民が理解しなかったってどういうこと? 「この時間の経過」って何のこと?

 出てくるあらゆる記述に、存在理由がまったくない。それが議論にどう貢献するのかさっぱりわからない。そして結局のところ、この段落に書かれたことというのは、この文脈では何の意味もない。エリツィンがソ連邦を解体した、という話だけ。

 おそらく、これだけ読んだ人は「いや、でもこの前後の文脈があってそれがつながるんでしょう?」と思うよね。ところが、まったくない。ここに出てくるすべては、前後とまったくつながらず、突然ここで出てくる。

 あるいはその後にこんな段落がある。

 ソ連の建設部門はいうまでもなく、計画経済の一部であり、時期とリソースが限定された部門であった。時間という要素は特に重要である。計画経済では、ノルマの期限内完遂は絶対の要請であるからだ。建設部門ではこの要請を満たすことは、調達の遅れなどで難しいだけに、時間の政治学はエリツィンにとっての強迫観念となった。(p.34)

 この段落の中身そのもののくだらなさは、さておこう。建設部門がそんな納期厳守なら、モンゴルでもキューバでオレも苦労しなかったよ、まったく。でもこんな記述があるということは、エリツィンがソ連の建設部門に長く所属していたとか、ボルガ=ドン運河の建設で叱責されてトラウマになっていたとか、そういう話がその前に当然あるものと思うでしょう。そうでないと、建設部門での納期へのこだわりがエリツィンの強迫観念となる理由がない。

 ところが、ないの。まったくないの。建設部門の話がどっから出てきたのか、まったくわからないの。

 すべてがこの調子。何の意味があるかわからない (ほとんどの場合はまったく意味が無い) 断片的な情報がひたすら羅列されるだけ。それが構築されて何かプーチン像なりロシア像なりを形成するということが一切ない。

 こんな具合なので、クリミア侵略についても「ああ言った人もいる」「こう言った人もいる」「これを疑問視する人もいる」「これをほめた記事もあった」の連続で、結局は現状追認ロシア容認になる。そしてその際に使う理屈は基本的に、「プーチンにもそれなりの事情があった」=プーチンのやったことは正当だった、という議論のすり替えになる。

 その後の展開をめぐっては、ロシアとウクライナ、そして欧米との解釈は異なっている。ロシア政府は欧米政府が「カラー革命」を仕掛け、ヤヌコビッチの正当政府を武力で追放したために、クリミア併合にいたったとみる。他方ウクライナなどではプーチンが最初からクリミア併合を周到に狙っていたとみがちである(中略) [オバマ大統領は] CNNインタビューで、ヤヌコビッチの逃亡などウクライナでの「権力移行」を米政府が「仲介した」ことを正式に認め、このことがプーチンをして「即興的に」、クリミア併合に至らせた理由だと率直に語った。(pp.211-12)

 別に欧米がウクライナのマイダン革命やカラー革命を支援したからといって、それでプーチンは危機感を感じたかもしれないけれど、でもクリミア併合をしてかまいません、という話になるわけではない。ところが、この本はその手の議論を平気でやる。プーチンにも事情があった、欧米がプーチンを刺激したのがよくない、というわけ。ちなみにプーチンがクリミアやドンバスにいろいろ工作して傀儡政権作らせて、といった事情についてはまったく触れない。さらにそしてクリミア併合後についてもこんな具合。

 プーチン政権とロシアも慎重ながらゼレンスキー政権との信頼醸成措置で応じた。これは19年12月のパリでの4ヶ国会談となったが、東ウクライナの自立を求め連邦制を志向するプーチン・ロシアと単一国家ウクライナにこだわるゼレンスキーとの間の溝はうまらなかった。ウクライナ国内では東西戦略引き離しに6割近い支持があるが民族右派が強力に抵抗したためである。(p.312)

 そもそもウクライナの国内統治について、ロシアがあれこれ口をはさみたがるのが変だから、両者を同列に扱うこと自体まず変だ。が、そんなことはおかまいなし。ゼレンスキーが頑固なのがよくない、ウクライナ国民の総意にすらさからう右派に牛耳られてしまっているウクライナ、というわけだ。で、本としての結論は、NATOの東方拡大がよくないという話だけなんだが、それがどっから出てくるのかも、わかりにくいことおびただしい。

 こんな本なので、読んでも何か参考になることはほとんどない。唯一、一瞬期待されつつすぐに傀儡でしかないことがバレたメドヴェージェフについてそれなりに詳しいのは、参考になるかな。その程度。

 本書の最後はこんな具合。

 この100年間に、革命的ロシア、独裁的ロシア、改革的ロシアと種々の相貌を持って現れたロシアは、21世紀のプーチンのもとではとくにクリミア紛争後、保守と安定を求める心性にこたえてきたが、そのような体制を支える条件やパラメーターはこれからもまたたえず変化していくといって本書を締めくくりたい。

 いやパラメータは当然変わるよ。学者って、それをどういう構造方程式に入れるか、というところ、そのパラメーターを元にどんな分析や見通しがたてられるのか、というところにい腕の見せ所があるんじゃないかとぼくは思うんだが。確かにこの本は、ひたすらパラメーターの変化をあれこれ追いかけるだけなんだ。で? それで? ここから今回のウクライナ侵略に到る何かが見えるだろうか? もちろんあれもこれもなんでもぶちこんであるから、後付で「あいつはこう言った」「こいつはこう言った」というのを拾うことはできるだろう。でも、それらの意義、重要性、位置づけ、そんなものは一切ないし、基本的な文章の構造レベルで変なので、読むだけでも一苦労。手を出さないほうがいいと思うよ。

日清戦争と日露戦争の事業収支報告書

断捨離の途中で、いまやウクライナ侵攻の話題で大活躍しているポール・ポースト『戦争の経済学』の解説で使った、日清戦争日露戦争の収支報告書が出てきました。

パブリックドメインだし、ぼく一人が持っていてもしょうがないので公開。ご活用ください。

Expenditures of the Sino-Japanese War (1922)

Expenditures of the Russo-Japanese War (1923)

どちらも、実にしっかり書けているし、英語も見事だなあ。このシリーズで出ているらしい他のやつもおもしろそう。

これを書いたオノ・ギイチとかオガワ・ゴウタロウ京都大学教授とか、有名なのかもしれないけれど、ぼくはよく知らない。田中秀臣氏あたりに聞くと何か出てくるのかな?

なお、この手の内容を日本語で詳しく読みたい人はこちらをどうぞ。

戦争は本当は国の金融システムまで一変させるもので、『戦争の経済学』の解説ではそっちに深入りしたくなくて、本当にCFだけ見ていたけれど、本丸は金融体制や財政システムで、この本はそこらへんすごく詳しい。アメリカでそれがどうだったからは、ペリー・メーリングが詳しい本を書いているが、さすがに訳すことはないと思う。

オリバー・ストーン『コマンダンテ』:きみ、何しに行ったの? 少しは事前調査とか仕事したら?

Executive Summary

 2002年あたりに、3日にわたってオリバー・ストーンがフィデル・カストロに密着したインタビュー映画。

 だがストーンは脈絡なく抽象的な質問をするだけ。相手が怒ったり口ごもったりするような質問は一切ない。また質問の答を受けてさらに質問して話を深めることも一切ない。実際にいっしょに町中を移動して、その状況をもとにキューバの現状について質問することもない。このため抽象的な質問にどうでもいい一般論が帰ってくるだけの、ほとんど意味のない個人崇拝ドキュメンタリーとでも言うべきものになってしまっている。


 プーチンがらみの話の行き掛けの駄賃で、あると知ってしまったので、まあ見ないわけにはいかない。カストロ関係の伝記っぽいのは一通りチェックすることにしてるもんでね。一応、中古とはいえ買ったんだぜ。

 オリバー・ストーンが三日にわたってフィデル・カストロにつきまとい、愚にもつかない質問を投げかけて深遠なつもりでいるまぬけな映画、というのが一言での感想。

 具体的にこのインタビューがどう進行したのかはよくわからない。でも実際の映画はストーンが「宇宙に真理はあると思うか」とか「好きな女優はだれだった?」とか「宗教はアヘンだと思うか」とか「ヘミングウェイは勝者だと思うか」とか、愚にもつかない質問をまったく脈絡なく投げては、どうでもいい答をもらうというだけの代物になっている。「ヘミングウェイは自殺したがどう思うか」ってカストロに聞いてどうすんのよ。カストロも最初のうち、そんなことを尋ねられて面食らっているが、「まあ個人の事情もあったんだろう」と答えて (他に答えようがないよなあ)、だんだんこのuseful idiotの扱いがうまくなり、しゃべりまくるようになる。

 2003年の映画。2003年のキューバといえば、1990年代にソ連に見捨てられて経済的にも政治的にもどん底に陥っていたのから、なんとか脱却して少し改善の兆候が見えていた頃。その意味で、少しキューバとしては気を良くしていた面もあるのかな。あと、最後にリンクしたWikipediaの記述にもあるように、生カストロが見られる機会というのは比較的少ない (と言いつつ、ニュースやプロパガンダ映画には山ほど出てるので、実際にはそんなに珍しくないんだけど)。

 それでも、最初の方の商店の映像とかで、店頭の商品のなさ、建物のボロボロ加減、悪いところはいろいろある。「国民、貧しいよね」とか、「あなたのところ一国だけでやっていけないよね」とか、移動しながらだって目についてすぐに聞ける話はいっぱいあると思うんだけどなあ。

 「若者はみんなあなたを支持している、国民の支持率80%と聞いているが、なぜか」って、そう答えないわけにいかないから、だったりするし、「なぜキューバに選挙はないんだ?」とバカな質問をして「いや議員とか地方代表とか全部選挙だよ、もっと調べてこいよ」とバカにされる始末。カストロにJFK暗殺の話を聞いたので、お、マリータ・ローレンツのオズワルドつながりとかの話が出るのかと思ったら、カストロが射撃うんちくを開陳するだけで拍子抜け。

 革命の話も、「なぜ勝てたんですか」とかほんとうにレベルの低いくだらない質問しかしない。「キューバ危機はどうでしたか」と尋ねて、公式通りの回答。何しに行ったの? 少しでも調べて、少しでもつっこんで、少しはだれも聞いたことない話を聞き出せないの? 質問の答がきたら、それを元にさらにつっこんだ質問をしたりとか、できないの? できないみたい。

 最後の、ゲバラがボリビアで死んだ話は、ゲバラ自身が焦ってて革命したがったので、仕方ないからアンゴラ コンゴに送って、それからボリビアに行かせたんだ、と言っていたのは、まあ本当だろう。「あいつはソ連の悪口言ったりしてヤバかったし、頑固で教条主義的でつきあいづらいヤツだった」と言っていたのは本当だろう。唯一、その五分ほどのゲバラについての意見が出てきたところだけが見所かもしれない。

 あと、人生の女性はどうだった、みたいな話で、奥さんより先に浮気相手のナティ・レブエルタが出てくるところとか突っ込めたはずなのに。カストロの女衒とまで言われたセリア・サンチェスの話題とか、なんかカストロがしゃべりたそうな雰囲気出してるのになー。つっこめなかったのかなー。でも、名前を「セシリア」サンチェスにまちがえていたのを突っつかれ、あまり深入りせずに終わってしまう。

 残りは、つまらない質問にどうでもいい答え、うわっつらであまりに大くくりな問いに、公式見解と一般論がかえってきて、そこにキューバの公式プロパガンダ映画の映像がモンタージュされるだけ。キューバの公式見解映画と見なされてもしょうがないわー。

ja.wikipedia.org

 「あなたはここが包囲されたら自決するか」とか「人生は二度あるべきだと思うか」とか、「『グラディエーター』は見ましたか」とか、次から次へと、よくまあこんなどうでもいい質問思いつくな、というのが連続で出てくるばかり。見る価値ほとんどありません。倍速でも見ないでいいよ。『プーチン』とまったく同じで、またとない機会を本当に無駄にしてしまっている。腹立たしい、腹立たしい。

 これ見たら、プーチンも「ああ、こいつ御しやすいバカで面倒な質問もしないヤツだ」と判断するわな。

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 映像の作りとして、目とか手のドアップを多用しているのは、その質問に答えるときのカストロの心の動揺が〜、とかいうつもりだったのかもしれない。でも、質問が全然そういう水準に達しておらず、なごやかな談笑レベル以上にならない。そういう思わせぶりな映像づくりも、空振りに終わっている。

 しかしこの12年ほどの間のオリバー・ストーンの老け方はすごいなあ。が、『プーチン』でのまぬけぶりは決して老いボケのせいではなく、もとからそうだったのだ、というのはよくわかる (とはいえ、それが老いで悪化しているのはまちがいない。カストロ相手では、あそこまで自分語りする出しゃばりぶりは見せていない)。

 あと、Amazonのレビューを見ると絶賛ばかりなのは、まさにこれが、個人崇拝ドキュメンタリーだからではある。

プーチン本その3:『オリバー・ストーン オン プーチン』:ストーンが頼まれもしない反米提灯かつぎをする情けない本/映画

Executive Summary

 オリバー・ストーン オン プーチン』(文藝春秋、2018) は、同名のプーチン連続インタビューシリーズの文字版。2015-2017という、プーチンやロシアをめぐる各種の大きな事件が次々に起きた時代で、本当であればまたとない情報源となれたはず。ところが、オリバー・ストーンは自分がしゃしゃり出て、頼まれもしないのに反米妄想をふいて呆れられ、そしてそこにつけ込まれてなんでもアメリカの陰謀のせいにするプーチンの主張を全部鵜呑みにしてしまい、明らかに変なことを言われても何もつっこみを入れず、話も深まらない。おかげで、この貴重な機会が完全に無駄になり、プーチンの本当の腹がまったく見えないままで終わってしまう。映像版は、舞台となったクレムリンや大統領専用機、さらにプーチンの余裕の笑みは一見してもいいが、冗長。


 ダメなプーチン本は、もちろん日本だけに限られるわけではない。ただ通常、日本に入ってくるときには翻訳というプロセスがあり、その中であまりにまぬけなものは、あらかじめ選別されて落とされる。だから、そんなにひどいものはそもそも紹介されないことが多いというだけの話だ。

 が、もちろんそのフィルターをかいくぐって、ろくでもないものが来てしまうことは当然ある。特に、かつてはえらかった人が、高齢になってボケたか、勘違いしたか (この二つは結局同じことだけれど)で、まぬけなものを創ってしまった場合。昔取った杵柄でなんか紹介だけはされてしまうけれど……

 この『オリバー・ストーン オン プーチン』はまさにそんな代物だ。

中身は2015-2017年の9回にわたるプーチンインタビューだが……

 これは基本的に、彼のドキュメンタリーのインタビューだ。映像版は尺におさめるために、端折っているようだ。その意味ではこの本のほうが完全版なのかもしれない。確実ではない。後述する理由から、ぼくは映像版は本当に流してしか見ていないからだ。

 2015年から2017年にかけてこれだけまとまったインタビューを行えたというのは、それ自体としては大したものだ。2013年のスノーデン事件と、2014年クリミア侵略の直後。シリアでの虐殺加担があり、アメリカへの選挙介入が疑われた大統領選のロシアゲートもあった時期。それらについて、十回にわたりかなり長時間のインタビューをプーチンに行えたわけだ。プーチンに関する一次資料はとても少ないので、多くの面でプーチンについては各種インタビューがきわめて大きな情報源となる。だからオリバー・ストーンがきちんと仕事をしていれば、この一連のインタビューも得がたい情報源になっていただろう。

 オリバー・ストーンが、きちんと仕事をしていれば。

 が。

 しねーんだよ、こいつが!!! プーチンのインタビューではなく、プーチンにかこつけた、ご自分のあほな反米陰謀論の開陳の場にしちまってんの! プーチンの手玉に取られた、と言いたいところだけど、手玉に取られるまでもなく自分で勝手にゴロゴロして、むしろプーチンにたしなめられてんの!

ダメなところその1:対等なつもりでストーンがでしゃばる!

 名作『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の最後では、絶好調の旬だった時代のジュリエット・ルイスが「きみたちの姿を世に伝えるために私が必要なはずだ!」というバカ記者の命乞いをせせら笑い、「おまえは人間じゃない、メディアなんだよ」と言い放って殺す。かつてのストーンは、少しはメディア=自分の役割に自覚的だった。撮る側、撮られる側の区別もわかっていた。メディアは決して相手と対等なんかではないというのを知っていたはず。

 ところが『ストーン/プーチン』では、その自覚がまったくない。インタビューを受けてもらえたのが、自分の重要性を認めてもらえた証拠だと思って舞い上がり、何やら自分がプーチンと対等に話ができるつもりになっていて、ひたすらイタい。会ってすぐため口になれると思い込む、アメリカ人の悪いクセをしょっぱなからむき出しにして、延々と自説開陳を続け、あげくにプーチンに「それは質問じゃなくてあんたの意見を言っているだけだな」と何度かせせら笑われる始末。その時点でお話にならないでしょー。

ダメなところその2:反米妄想を即座に見透かされるまぬけさ!

 実際には、オリバー・ストーンプーチンに完全に見透かされているだけ。彼は反アメリカが骨の髄まで染みついている。だから、アメリカの悪口でプーチンと盛り上がれるものと勝手に思い込んでいる。だから、「アメリカはこんなことしてる、こんなろくでもない、あんな悪辣な、ウォール街が、ディープステートが」と一方的にがなりたて、「あんたの意見はどうだ」「あんたもそう思うだろ?」とやたらに同意を求めている。いやあ、そんなアメリカの国内事情についてプーチンに聞いてどうすんのよ。

 その反米ぶりのあまりのひどさに、当のプーチンまでが「私を反アメリカ主義に引きずり込むのはやめてほしい」 (p.85) と釘を刺しているほど。そして「なんで僕チャンに同意してくれないの! あんたはアメリカがひどいとおもわないのか!」とダダをこねるストーンに対し「あんたはアメリカ国民だから、自国批判も好き勝手にできるけど、オレは別の国のトップなんだから、他国の国内事情や政策についてあれこれ論評する立場にないんだよ」と諭しているほど。

 ブッシュやオバマやトランプなど、個別の大統領についても、ストーンは「あいつらはこんなことして、不正直で、わかってなくて」とまくしたてる。それに対してプーチンは、それぞれの大統領個人についてはかなり高い評価をする。あいつらはわかっていた、あいつらは結構考えていた、きちんと話もした、と。当然だ。「いやあ、ブッシュは本当にアホな小者で世間知らずのボンボンでさあ」なんて言えるわけないじゃん。ストーンは何やらそれが不満らしいのだけれど、「いや悪いのはその大統領にいろいろ吹き込んで手足を縛る側近とその背後の利害関係者だよ」とプーチンが述べるとストーンはすぐに「おお、ディープステートだね」と嬉しそうに食いつき、またもプーチンに「いや呼び名はどうでもいいけど、産軍共同体みたいなのはどこの国にもあるからさー」と理性的に返されてしまう。

 そして、そういう相手だと見切ったプーチンは何をするか?

ダメなところその3:アメリカの悪口さえ出てきたら何も疑問視しない!

 もちろん反米妄想に巻き込むなと言っておいて、ひたすらアメリ陰謀論をぶつのだ。そうすれば相手が喜ぶから。そしてストーンのまぬけな反米妄想をたしなめた後なので、プーチンアメリ陰謀論は何やらえらく中立的で根拠のある、まともなものに聞こえてしまう。

 反米に巻き込むなと言ったその口で、プーチンはあらゆるものをアメリカの陰謀、CIAの工作に仕立て上げる。チェチェンの分離独立も、ダゲスタンの分離独立運動も、すべてCIAが工作した。NATO拡大もアメリカの工作。ソ連崩壊後のロシアの低迷もアメリカのせい。マイダン革命は、アメリカによるテロ工作。クリミアやドンバスは、アメリカによるテロ工作で生じた虐殺をロシアが救いにいっただけ。イラクもシリアもイスラム国もアメリカのせい。

 これに対してストーンは、一切つっこみを入れない。「そうだよなー、アメリカひどいよなー」「やっぱあいつらの仕業だったかー」みたいなことを言って、全部スルー。彼は、アメリカが悪いという話をききたかっただけで、それが出てきたらもう満足しちゃう。

ダメなところその4:反論つっこみ一切なしで不勉強!

 明らかに事実とちがう話をされたら、少しは反論したり問いただしたりしないのか? しないんだよ。ウクライナのマイダン革命で、当時のヤヌコーヴィッチ大統領がロシアに逃げたのに対し「いや逃げてなくて外交旅行だったのに、そのすきに国が乗っ取られてアメリカがフェイクニュースを〜」なんて話をされたら、普通は「いやそれはないだろー」と突っ込むはず。クリミア侵略に対して「いやだってコソボは〜」と言われたら、「ちょっと待て、話をすり換えないでくれ」と言うのが普通じゃない? そういうのまったくなし。マレーシア航空撃墜の話も、「いやあれはウクライナ軍がやった」と言われて何もきかないの? アメリカ大統領選での選挙工作だって、ロシア系のアカウントがいろいろデマながしたり工作したりしていた事実はかなりはっきりしている。それがどこまで影響したかは議論の余地はある。でも、「ロシアはまったく手出しをしていない」と言われて、はいそうですか、と引き下がるか、ふつう?

 でも、ストーンは、あっさり引き下がる。プーチンの言うことはすべてそのまま額面通りに受け取る。いやはや。軍事費の話で、アメリカの軍事費の絶対額はロシアの10倍だ、と言われると、普通はそこで「いやでもアメリカのほうが国がでかいんだからさあ、GDP比ではロシアのほうが高いぜ」くらいの反論はほしいところだけど、ストーンは「アメリカの産軍共同体のディープステートが〜」の話に流れて平気だ。

 ストーンはさらに、信じられないほど勉強不足。彼はなぜか、ビン・ラディンアルカイダがロシアの手先だと思っている。だからプーチンに、なんでビン・ラディンの居場所を教えなかったとか言う。それに対してプーチンは、「そんなの知らん、あいつらを育てたのはアメリカだ、オレたちは関係ないしコネもないぞ」と言う。そして、それはその通りなのだ。ストーンがこういうオウンゴールをやるおかげで(つーかこのシリーズすべてが壮大なオウンゴールではあるが)、プーチンの主張がなおさらご立派に聞こえてしまうという……

スノーデン(字幕版)

スノーデン(字幕版)

  • ジョセフ・ゴードン=レヴィット
Amazon

 このインタビューは映画『スノーデン』を撮るついでに実現したものだという。だからスノーデンの話が結構たくさん出てくるのは、まあ当然なんだけれど、そのスノーデンがらみの質問もしょうもないものばかり。また、キューブリック博士の異常な愛情』にやたらにこだわって見せて、挙げ句の果てにそのDVDをいっしょに見たりする。なんで? 何のために? それってあまりに壮大な時間の無駄じゃないですこと? いまのアメリカもこれと同じだ、とか言うんだが、どのへんを問題にしたいんだろうか? 忙しいプーチンの時間を割いてこれをわざわざ見せる必要が本当にあったの? そういうポイントもなく、プーチンがあれを気に入ったと言ったことに満足して (いや社交辞令ってもんがありましてですね) それでおしまいにしてしまう。

 さらにロシアの民主制について尋ねるにあたり、大統領の独裁が強くて議会が弱く、メディアが統制され、LGBTの権利がないがどうする、と尋ねる。(pp.161-2) LGBT??? まったく粒度のちがう話じゃないの? なんでそれが同列に出てくるわけ? そしてプーチンに、そこを突っ込まれる。アメリカの一部の州だって、同性愛を刑事犯罪にしてるじゃないか、ロシアにはそんな法律はないぞ、と切り替えされたら、もうそれっきり。レベルのちがう話をごっちゃにして、そこを突っ込まれて大事な民主主義の話はもうそっちのけ。情けない。

 結局、何か言ったらプーチンに一蹴されるか、あるいは反米の宣伝をとうとうと語られてそのまま納得してしまうので、これを見るとプーチンがすべてに対して見事に隠し事もなく誠実に答えているように見えてしまう。インタビューなら、相手を多少は怒らせるくらいの質問ができなくてどうすんのよ。あまりにプーチンの言い分しか聞かず、つっこみもないので「おまえ、これを公開したら殴られるぞ」とプーチンに心配されるありさま。

いやあ最初のうちは「いやこれはおだてて反米言質を引き出すための高度なブラックウィドー的策略かもしれない」と無理に思おうとしたけど、ストーンのほうがひたすら雄弁で、むしろ引き出されている感じ。まったく、なにしに出かけたんだよ、オリバー・ストーンくん。

映像版は、舞台やプーチンのご尊顔を見るにはいいが、冗長。

 最初に述べた通り、基本はドキュメンタリー用のインタビューだ。だから、これを読まなくても、ドキュメンタリーのほうを倍速で流して見る手はある。また、実際のプーチンの受け答え、インタビューの舞台となったクレムリンや自家用飛行機の中やその他様々な場所、ストーン相手の余裕のかましかたなどは、見ておいて損はない。Amazonプライムで無料だし。

 その一方で、一応はえらい映画監督であるオリバー・ストーンが (高校生のときに見た『ミッドナイト・エクスプレス』は衝撃だったよなー) 、撮る側と撮られる側の境界をだらしなく忘れ去り、プーチンと親しくお話している自分に酔いしれ、手玉に取られるまでもなく次々に自爆し、プーチンへのインタビューというまたとない機会を、己のくだらない反米陰謀論開陳に無駄遣いしている様子を見せられるのは、結構苦痛ではある。映像的に各種の時代のニュース映像を混ぜているが、それがあまり効果的でもなく、冗長。

訳者あとがきと解説がトホホ。

 これが発表されたらアメリカでは罵倒の嵐で、プーチンに甘すぎ、突っ込みなさすぎ、飼い犬でも人質に取られていたのか、と叩かれたとのこと。訳者の土方奈美は、こうした批判が不当なものであり、アメリカで意見が単一の方向に流されている証拠なのだ、と訳者あとがきで述べている。へー。突っ込みの甘さを指摘すると、意見が一方的ですかあ。つまり土方奈美としては、本書におけるストーンの勉強不足、つっこみ欠如その他は問題ではなく、本書で提示されているプーチンの姿が適切なものである、と判断しているわけですね。

 なお、彼女の主張は以下にある。営業の一環とは言えプーチンの主張を一理あるものとしてほめ、その旗をふったストーンもほめているのは、どんなによくても軽率のそしりは免れ得ないとは思う。

gendai.ismedia.jp

 さらには本の解説は、鈴木宗男プーチンに初めて会ったのはオレっちだ、本書を読めばプーチンが独裁者じゃないとわかるはず云々かんぬん。いやまあ、いまやだれも何も期待しないと思うけど。

 

まとめ:別に批判しなくてもいいが、つっこみがないので資料的価値が皆無なのがあまりに残念。

 ここで言いたいのは、プーチンに甘いからけしからんとか、プーチンに批判的であるべきだとか、そういうことではない。ただ一応、ジャーナリスト的な体裁で行ったインタビューである以上、相手の話をどう聞き出すかとか、相手が変なことを言ったらそれなりに突っ込みを入れるとか、政策面で予習をしていくとか、そういう基本的な部分をやってから臨んで欲しかった、というそれだけのことなのだ。

 本当に、これはすごく惜しいチャンスを逃してしまっている。こうした各種のアメリカ陰謀説、プーチンは本当にそれを信じていたのだろうか? それとも方便? その中間? これは今のウクライナ侵攻に到るプーチンの考え方を分析する上で、貴重な情報になっていたはず。でも、このインタビューだと、彼が本当にそう思っているのか、それともストーンのバカさ加減を見て「こいつ、反米的なことを言っておけば手玉にとれるな」と思ってエサを投げているだけなのか、全然わからない。映像でのプーチンの余裕の笑みを見ていると、ストーンを適当にあしらって楽しんでいるだけに見えなくもない。が、いまのウクライナ侵攻とそれにまつわる各種の主張を見ると、なんか実は、あのとき言っていた話はかなり本気だったのかもしれない、という気もかなりしてくる。そこらへんを見極めるだけの情報でもあればねえ。でも、ストーンの反米妄想のおかげで、それは一切見えないのだ。本当にもったいない。

 

 柳下毅一郎や町山智洋なら「いやオリバー・ストーンは『JFK』あたりからずっとそんな感じだよ」とか教えてくれるとは思う。あるいは『アメリカ史』とかなんとかあたりから (ぼくは鬱陶しくて長かったから、ナチュラル・ボーン・キラーズ以降は見てないんだよね) 。彼らなら、このプーチンインタビューを見て、別の発見があるのかもしれない。「実はストーンはアレでもかなりカマかけて頑張ってるんだよー」とか。とはいえ、それで話が変わるわけではないけれど。

 実は、そのストーン、キューバカストロと何度も会って、長時間インタビューをしている。キューバの仕事はしばらくなさそうだけれど、カストロ伝を一通り読んだ行きがかり上、それも見ておくべきなのかもしれない。

 が、このプーチンの扱いを見ると、こっちも期待できないなー。たぶんプーチンはこいつを見て「あ、このバカは使えるな」と思ってインタビュー企画に応じたんだろうと思うし……

付記:

 オリバー・ストーンによる、ウクライナ情勢をめぐる (最悪な) ドキュメンタリーがあるそうで

Ukraine on Fire - YouTube

 プーチンの主張垂れ流しだそうです。物好きな人はどうぞ。

 あと、カストロを相手にした『コマンダンテ』も見た。突っ込みナシの相手の言い分垂れ流しはまったく同じ。でも、変なでしゃばりはご自分の意見開陳はない分、まだこのプーチンよりはしっかりしているとは思う。

cruel.hatenablog.com

カブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』:葉巻をめぐる、愛情あふれるウンチクと小ネタとダジャレ集。気楽で楽しい。

Executive Summary

 カブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』(青土社、2006) は、葉巻をめぐる歴史、文学、映画、政治、その他ありとあらゆるエピソードを集め、さらにダジャレにまぶしてもう一度昇華させた楽しい読み物。著者が逃げ出したキューバへの郷愁もあり、単なる鼻持ちならないウンチク談義に終わらないまとまりを持つ。ギチギチ精読する本ではなく、楽しく拾い読み、流し読み、如何様にも読めるいい本 (つーか、こんなエグゼクティブサマリーつけるべき本ではそもそもない)。若島正の翻訳も、言葉あそびが強引にならずお見事。


 最近、プーチンがらみの話とか、マジな堅い本ばっかり読んでいるし、こちらも真面目に読んで怒ってばかりなので、ときに気軽で楽しい本を読むとホッとする。そんな一冊が、このカブレラ=インファンテ『煙に巻かれて』。

 出てすぐに手には入れたんだけれど (確かそれ以前に、高田馬場の洋書屋に原著ハードカバーがあって、ずーっと持ってたんだよね)、なんだかんだでずっと寝ていた。そしてこれまた断捨離途中で、処分する前に目を通しておこうと手に取った次第。

 そして、予想外におもしろく楽しかった。

 映画『フランケンシュタイン』で、怪物は途中で葉巻をすすめられ、うまいうまいと大喜びする。そんなエピソードから始まり、小説、映画、実際の政治家や作家などの葉巻にまつわるエピソード、さらには紙巻きタバコを含め各種タバコをめぐるエピソードをひたすら書き続ける一冊。脈絡は、あるようでないようである。キューバでの葉巻の位置づけ、その創られ方、コロンブスによる初めてのタバコ発見、それが広まる一方で葉巻へと結実する様子。

 脈絡があるわけでもない。葉巻について、何かを主張しようとするわけでもないし、論説でもない。だから、精読の必要なんかない。ダラダラと、あちこち拾い読みするだけでもぜんぜんかまわない。

 どっかリゾートとかにでも持っていって、バーなどで本当に葉巻を吸いながら気軽に読むべき本。Amazonの唯一のレビューでは、禁煙の時代にアナクロだとか、節穴眼を丸出しにした書かれ方になっているけれど、本書の中でも禁煙ヒステリーの猛威の中でだんだん肩身がせまくなる葉巻やタバコのあり方について触れられていて、カブレラ=インファンテ自身がこの本の (そしてその意味では自分の) アナクロぶりを熟知している。そのうえで、かつては葉巻を吸うこと自体がある種の通過儀礼であり、人間たる証ですらあった時代 (フランケンシュタインの怪物の葉巻は、怪物の人間性を示すエピソードでもあるのだ) をふりかえり、それを人々がどう描き、どのようにつきあってきたかを考察してみせる。

 同時に葉巻は、カブレラ=インファンテの故郷でもあるキューバの特産物でもある。当然ながら、カブレラ=インファンテにとっての葉巻は、郷愁の象徴でもある。陽気でノンポリに見える本書の中で、ときどきちょっとその悲しさも顔を出していて、よい味を出している。

 こういう本は、読書に明解な目的を求める人、起承転結のストーリーがないと我慢できない人、時間がもったいなくて倍速で読みたがる人、他人のつくったまとめやパワポのレジュメばかり読みたがる人にはまったく向かない。そういう人々は、そもそもこんな本自体、読む価値はないし利得もないし、したがって存在意義はないと思うことだろう。確か、ぼくがこれをずっと本棚に寝かせっぱなしだったのも、なんかウンチクをひたすら並べているだけで、主題とか主張とかが見えずピンとこなかったからだったように記憶している。

 でも、もちろん本というのは (そして映画も音楽も) そういうものに限られはしない。葉巻自体が、人の暮らしにおいてはまったくの無駄だ。そうした無駄が人間を人間たらしめている。同じタバコを賞賛するのでも、アイン・ランドはそれが火を己の手の中に収めて自由に操るという、人間の火の支配、ひいては文明活動すべてを象徴するものなのであーる! と大上段にふりかぶってほめていた。本書はそこまでおめでたい大風呂敷を広げたりはしない。そしてその無駄をめぐっての人々や文化芸術上のエピソード、それを愛おしげに集め、さらにそれだけではただのウンチク集になるのを、さらにダジャレまみれのそれ自体のお遊び作品に仕立て上げるこの本そのものが、その無駄なもので構築される人間の豊かさを体現する存在になっているとさえいえる。

 もうちょっと早く読んでおけばよかったな、と思わないでもない一方で、別にいつ読んでもいい本だというのも事実。ぼくは喫煙者ではないし、葉巻やシーシャのおもしろさが少しはわかるのは、キューバや中東圏に少し仕事ででかけたおかげで、その前に読んでいたらピンとこなかったかもしれない。紙巻きタバコのおかげで、喫煙自体がすごく悪者視されてしまっているけれど、なんかこう、ニコチン中毒の部分を抜いた喫煙の楽しみみたいなものはあるはずだ、とは思う。本書を読んで、そんなことを考える必要はまったくないんだけれど。

 あと、若島正の翻訳はお見事で野暮な註釈も最低限。ダジャレの翻訳って、がんばって無理な語呂合わせをしても報われないことが多いんだけれど、本書はその苦労をむき出しにすることもなく、うまく文中にちりばめて原文の雰囲気もうまく出していると思う。解説は、カブレラ=インファンテの他の作品が英訳されるときのエピソードを大量に交えておもしろい。

 そんなこんなで、いい本です。絶対読めとか推薦するような本ではないし、現代文学の一大問題作でもないし、余裕のない読者には向かないけれど、でも明るさと豊かさを持った本。これは処分せずに取っておくことにしようか。

ゴルバチョフ『ペレストロイカ』(1987) :あまり中身がなく理念とスローガンばかりだった。

Executive Summary

 ゴルバチョフペレストロイカ』(講談社、1987) は、ソ連の体制の刷新と解体から、やがてはソ連そのものの消滅をもたらしたという、当時の世界構造の一大変革につながった図書として、いつか読もうと思いつつ果たせずにいた。いま、35年たって読んでみると、ペレストロイカはスローガンでしかなく、社会主義のダメなところは書いてあるが、それを具体的にどうなおすか、という方策はなく、また書きぶりも社会主義的な制約 (これはレーニン様の路線を継承するものなのだ、等) と、ウソすらまじえた弁明 (レーニン社会主義を世界に広めようとなどしていない、ソ連にそんな疑念を抱くのはゲスの勘ぐりである!)等ばかりが目立ち、あまり勉強にはならない。


 本の断捨離を敢行しているが、その中で「あー、こんな本あったなー」とか、後で読もうと思って何かしら先送りにしていた本とかが出てくるので、メモを。

 まずはこの、言わずと知れた、ゴルバチョフの『ペレストロイカ』。

 まだソ連があった時代から生きている歳寄りにとって、ゴルバチョフソ連改革というのはすごい事件だったし、彼のやったグラスノスチとかペレストロイカとかが、いかに当時画期的だったか、というのはなかなか若者にはわからないと思う。

 だから個人的には、結構すごい文書のはずだと思っていて、これをいつかきちんと読まねばと思いつつ、少し敷居が高いようにも思っていた。で、ずーっと本棚に寝ていた。

 いまやもちろん、ソ連自体がないし、ペレストロイカの中身とか評価も、それがプーチンの登場にどう影響したか、みたいな部分での興味はあれ、それ自体としてはもう歴史的な好奇心でしかない。正直、読まないで捨ててしまおうかとも思ったけれど、まあ目くらい通してもバチはあたるめえよ、というので読み始めた次第。

 で、正直言って、いささか拍子抜けというか期待外れだなあ。いや、いまの視点で言うのはアレなんだが。

 そもそも1987年の本、つまりはもう35年前の本だ。ペレストロイカって具体的に何をしたんだっけ、というの自体がよく覚えていないので、そこらへんをざざっとご説明いただけるものと期待していた。これやるぞ、あれやるぞ、みたいな話がいっぱい出ているものと思っていたのだよ。

 ところが、そういうのがあんまりない。

 これまでの体制の悪口はたくさん出ている。官僚主義がはびこっている、事なかれ主義で新しいものを採り入れない、買い手がいるかどうかも考えずに、求められないものばかり使って、品質も顧みず、無駄が大量に発生している、みんなやる気がないし、停滞しまくっている、けしからん。非効率だし云々。

 で、それを打破するためにペレストロイカしなくてはならん、官僚制を打破し、効率を改善して、新しいものを採り入れ、品質をあげなくてはならない……

 はい、それはごもっともです。で、具体的にどうやって?

 そこのところがほとんど書かれていない。だからペレストロイカだ、ペレストロイカは果てしなく続くプロセスだ! みたいなかけ声がひたすら並ぶんだけれど、具体的に何をするかというと、ほとんどない。唯一それらしいのが、国営企業に対して、品質チェック委員会みたいなのをつくったぞ、という話なんだが、官僚組織の改善のために官僚組織を増やすという、ありがちな(そしてたいがい失敗する)話に見えるよなー。

 で、ペレストロイカ社会主義を壊すものではない、それを正しい道に引き戻してさらに発展させるものだ、というスローガンは大量に出てくる。あと、ペレストロイカがいかにレーニンの本来の思想に忠実なものか、という弁明も山ほど出てくる。ペレストロイカソ連をぶち壊すものではなく、それをさらに発展させるものなのだ、という。レーニン様もNEPをやったぜ、という。そういう話は必要だったんだろうねー。

 さらにゴスプランや国営企業とも議論してペレストロイカの大方針に合意した!全国の労働者からもペレストロイカ支持のお便りが続々!レーニンの基本精神に立ち返るのだ!というのがさんざん出てくる。でも具体策は薄い。まあ親玉の書いた本だし理念中心になるのは当然で、どこかに『ペレストロイカの実務』とかあるのかな。今さら探す気もしないけど。

 ちなみに、2021年末から2022年頭にかけて、キューバがかなり大幅な経済改革を断行したんだが、いろいろ細かい配慮があちこちにあって、当方がそれについて書くときも市場経済化と言ってはならず、市場メカニズムの一部導入と言えとか、計画経済の見直しと言ってはならず、部分的な自律性の導入と言えとか、いろいろ制限がつけられた。この本の書きぶりも、そういう奥歯になんか挟まった書きぶりになっているとはいえる。全体のスローガンの出し方とかはそっくりで、するとキューバの改革の未来も、いろいろ懸念される部分はなきにしもあらずではあるが……

 その後、数年でソ連が崩壊したのは、ペレストロイカが進まなかったせいなのか、それをなまじ進めたせいなのか、それとも別の要因と考えるべきなのか、みたいなことを考えたこともあったけれど、その中身がこういう抽象度だと実際どうだったのか、というのはちょっと思ってしまう。

 あと、外交や軍事面の話もあるんだけど、ソ連は拡張主義的な意図は持っていない、社会主義を広めようともしてない、レーニンだってそんな意図は一度も述べていない、というんだけど、えー、コミンテルンって何するものでしたっけ。当時ですら、こういう物言いはどこまで真に受けてもらえたことやら、という気はする。

 まあともあれ、一応ずーっと抱えていた宿題をササッと終えて、少し肩の荷が下りた感じはあるけれど、30年前にさっくり片づけておくべき本だったなー、こんなに長いこと本棚を占拠させておくべき本ではなかった、と少し悔しい気もする。