Ding, "Technology and the Great Powers" 感想

概要

Jeffery Ding ”Technology and the Great Powers” レジュメ。

イノベーションが重要であり、それが国⼒を決定するという議論は多いが、そうした 議論は通常、イノベーションが重要産業のリードを実現し、それが勝者総取りのよう な形で先⾏者利益を得ることで経済覇権が実現されるという⾒⽅を取る。だが実際に は、汎⽤技術が経済全体に浸透する拡散のほうが重要。これは第 1 次〜4 次産業⾰命 を⾒ても⾔える。それを実現する基盤は、エリート育成や戦略産業ではなく、産学を つなぐ広い受け⽫となる基盤(制度)の存在である、と主張。

視点はおもしろく、拡散に注⽬すべきだという点は理解できる。ただし実際の分析は (特に⽇本の興亡についての部分など) かなり雑。そもそもそれぞれの産業⾰命という のがあまりピンとこないうえ、第 1 次-2 次で重要だったはずの業界団体や草の根組織 の話は、第 3 次以降の分析では消えるし、AI についても具体的な汎⽤技術は不明との こと、後付け的な印象はある。だがまがりなりにも通史としては興味深く、考える上 での出発点とはなる。


しばらく前にTwitterでだれかが (著者当人だったかな?) が話題にしているのがタイムラインに流れてきて、おもしろいかな、と思ったんだよね。みんなイノベーションそのものばっかり見ているけれど、大事なのはそれがどういう風に広まるか=ディフュージョンするか、なのだ、という主張はその通りだと思うし、それをきちんとまとめているならいいなあ、と思った。

正直、経済学者とか政治学者とかテクノロジー音痴が多くて、イノベーションというとインターネットと蒸気機関しか出てこないで、しかもその技術が具体的に何にどう使われているかというのがなくて、モデルでも「これがイノベーション変数! これがあると生産性が年率2%高まるの!」みたいなトホホなモデル化したりするので全然説得力がなかったりする。その広まりまでちゃんと考えているというのはポイント高い。

それと個人的に概要見てツボだったのが、20世紀初頭のドイツの有機化学イノベーションについてきちんと見ていること。これは高校時代の先生が「化学小説アニリン!」としつこく言っていたのが記憶にあるせいもある。以下の小説評見て。

cruel.hatenablog.com

というわけで期待して見たんだが……ちょっと期待外れでした。まずそもそもの問題設定として、イノベーションの拡散を扱うのはいいんだが、それがもたらすものとして、国際的な覇権というのを持ち出してきたのがあまりに苦しいのではないか。技術→経済→政治的覇権 というのはなかなか一筋縄でいくものではないし、常にそういう因果関係で動くわけでもないんじゃないか。早い話が、ソ連は20世紀半ばにかなり覇権していたよね。でもそれはイノベーションと関連づけられるだろうか? あるとしても、政治的イノベーションとか労働動員手法のイノベーションとかで、本書が述べたがるような技術的イノベーションではないよね。

さらに、日本がなぜダメになったか、というのが、DXに対応できなかったから、という分析はちょっとクズにしてもひどすぎではないか。そしてそれ以前に、そもそも日本がなぜ発展できたのか、という技術的な要因がまったく分析されていない。一部産業での電算化などではないはずだよ。カイゼン運動がよかったのか、あるいはすごく車でも電気でもエレクトロニクスでもすごく厚いホビイスト層があったからかもしれない。それなしに、ダメな理由だけDX化というのは検討として不十分すぎるでしょう。これもソ連の話と同じ、技術的イノベーションだけで議論しようとするから苦しくなる。

最終的に、長期的にすべて技術で決まるのは事実ながら、20世紀末の10年単位のできごとを科学技術だけで見ようとするのは無理がある。それを中国とのAI競争にあてはめようとするのも、急ぎすぎだとは思う。分析において、AI技術が何にどう波及するか、というのがわからない、というので、結局は伝搬が重要だという部分の話はまったく実証やモデルが使えないただの憶測になってしまっている。伝搬においては、たとえば深圳においての技術発展は「公開(ゴンカイ)」/「開源 (オープンソース」が大きな役割を果たしたとされる。伝搬は中国でも効いた。じゃあこれからそれができない理由は? あまり明示的なものはない。印象だけだ。だからこれまでの分析の積み上げが何も効かない。

そもそも、どんな技術が重要で覇権をもたらすのか、というのは事前にはわからない。AIはいまはすごそうだけれど、それが覇権をもたらすかはわからない。また急に頭打ちになる可能性だってある。するとAIだの量子コンピュータだのだけに注目して、中国と米国を比べるのに意味はあるのか? その結果最終的に、いわば技術の民主化が大事で中国はそれできてないからダメ、というどこかできいたような一般論に終わってしまっているのは、ちょっともったいなすぎ。

それでもなんかいいポイントはかすっているような印象があるんだが、それをどうサルベージしてどことつないだものか……

各章要約

序章

BRICS、特に中国は技術優位と経済覇権の関係を重視しているようだ。これは:

イノベーション→先進産業(LS)→独占産業利益→覇権

という図式に基づく。ポール・ケネディその他多くの歴史家もこの図式にしたがう。

しかし、上の図式そのものについての検討は⾏われていない。だがこの⾒⽅は不⼗分 であり、実際の覇権とはあわない。汎⽤技術に注⽬すべきである。

第 2 章 GPT 拡散理論

これまで拡散についての理論はあまりなかった。このため、イノベーションだけに注⽬する傾 向が強い。このため、上の「先進産業」に注⽬する理論構築が多い:

イノベーション→先進産業(LS)→独占産業利益→覇権

しかし実際には、重要なのは汎⽤技術が国のあらゆる(または多くの産業)に広まるこ と。

イノベーション→汎⽤技術(GPT)→汎⽤技術の経済全体への浸透→覇権

よって重要なのは、汎⽤技術を各種産業に応⽤できるような制度があるかどうか。こ れは教育、汎⽤技術の伝搬を可能にするような産業のつながりなど。

第 3 章 第 1 次産業⾰命とイギリスの覇権

イギリスの蒸気機関による経済覇権は、それが⼤きく影響した綿⼯業の独占利益か ら⽣じたわけではなく、蒸気機関が様々な分野で活⽤された拡散の⼒が⼤きい。フ ランスやオランダは、イギリスに匹敵する教育⽔準があったが、それだけではイギ リスに追いつけなかった。

先進産業仮説と汎⽤技術仮説を考えるには、当時のイギリスの優位性としてそれぞ れ以下のものが考えられる。

先進産業:汎⽤技術

綿⼯業:集約型⼯業

製鉄:機械化

蒸気機関製造:蒸気機関

実際の産業発展を⾒ると、経済や⽣産⼒向上はかなり遅く、後期になってから。蒸 気機関ですぐに経済⼒増⼤が⽣じたわけではない。拡散による波及が重要。

それを⽀える「制度」は、必ずしも学校や博⼠号ではなく、あちこちにいた「ハッ カー」のような趣味の機械いじり屋の存在。知識が広まり、発明家と企業家、都市 と地⽅部がつながるネットワークが重要だった。

フランスはエリートばかり重視していた。オランダは応⽤技術への関⼼が低かっ た。このため汎⽤技術の拡散が遅れた。

第 4 章 第 2 次産業⾰命とアメリカの覇権

20 世紀冒頭から半ばまでの第⼆次産業⾰命は複合的。アメリカとドイツが様々な⾯ でイギリスを追い越したが、覇権を握ったのはアメリカだった。

先進産業仮説と汎⽤技術仮説を考えるには、当時の⽶独の優位性としてそれぞれ以 下のものが考えられる。

先進産業:汎⽤技術

製鉄:モジュラー製造業

電気機器:電化

化学:化学化

⾃動⾞:内燃機関

やはり、発明による独占産業という構図ではなく、汎⽤技術がゆっくり社会全体に 浸透する過程が重要。これはドイツでもアメリカでも同様だった。また、どの技術 についても、どの国が独占していたわけではない。それをどう使うかが重要であ り、これは拡散の問題。

このとき重要だった制度は、広い機械エンジニアの基盤。これは町⼯場の広がり、 機械愛好会のようなホビー集団もある。イギリスはそうした基盤がなかった。アメ リカは、トップの⼤学と地元の⼯場やホビイストのつながりが強く、業界組織も多 かった。ドイツはイギリスよりは優秀だが⼤学と産業とのつながりが弱かった。こ のためアメリカが覇権を握ることになった。化学でも、産学のつながりが重要だっ た。

第 5 章 第 3 次産業⾰命と⽇本の挑戦

⽇本は 1960 年代から 1990 年代にかけて、情報産業と⾔われる第 3 次産業⾰命の覇 者になりかけたが、覇権を握るには⾄らなかった。

先進産業:汎⽤技術

コンピュータ産業:コンピュータ化

家電産業

半導体産業

⽇本は⼀時的に先進産業で優位性を得たが、汎⽤技術の普及に失敗した。このため 覇権を得られなかった。先進産業モデルの不⼗分さを⽰す事例。

アメリカは計算機科学の学⽣の基盤を⼤きく広げたが、⽇本はそれに失敗した。⽇ 本は計算機科学卒が少なかったし、そこでのカリキュラムも古かった。これによ り、⽇本は⼀時的な産業優位を維持できなかった。

第 6 章 ソフトウェア技能インフラと電算化の統計分析

各国のソフトウェア教育やコンピュータ教育と、その国の電算化の進展を⾒てみる と、ある程度の相関が⾒られる。アメリカの優位性としては、理論研究より実⽤研 究の重視が⾒られる。

第 7 章 ⽶中 AI 競争と第 4 次産業⾰命

中国の猛追はしばしば懸念されるが、実は⽣産性を⾒るとそんなに追いつかれては いない。特に最近、ギャップは再び開き始めている。

先進産業:汎⽤技術

AI チップ:機械学習

“戦略”産業:ブロックチェーン

(⾒極められないとのこと):3D プリント、ロボティクス?

(これも諸説あるとのこと)

汎⽤技術が重要であるなら、その実際の影響が出るのは 2040-2050 年と当分先にな るはず。したがって、いますぐ影響が出るわけではなく、中国がすぐ覇権を握るわ けではない。

中国は、イノベーションにばかり注⽬するが、AI イノベーションがそんなに中国で 盛んとは考えにくい。かつての⽇本のようにある特定分野で⼀時的優位を⽰すだけ では?

ICT の応⽤を⾒ると、中国はアメリカに⼤きく遅れをとっており、汎⽤技術を経済全 体に波及させる⼒を持っていない可能性が⾼い。エリートは重視するがその産業化 が弱い。ロボットの普及はめざましいが、統計データが必ずしも信頼できない。戦 略産業を選んでそこに集中するモデルになっている。実際の各種 AI 分野の実務家の 数を⾒ても、中国はアメリカにはるかに⾒劣りする。⽶中ともに、AI 研究開発投資 を増やすと⾔うが、それだけでは汎⽤技術普及は実現しない。

第 8 章 結論

イノベーションは、先進産業の独占⼒で覇権につながるのではなく、汎⽤技術の経 済浸透と拡散を通じて⽣産⼒向上を経済全体にもたらすことで覇権につながること がおおむね⽰された。そのために必要なのは、エリート教育や戦略産業の集中投資 ではなく、産学をつなぐ広い基盤を持つ⼈材育成が重要。イノベーションだけでな く、拡散に注⽬した技術と経済のつながりを重視すべき。

コメント

汎⽤技術の拡散が重要というのは重要な視点ではある。ただし、何をもって汎⽤技 術を⾒なすかはきわめて恣意的。また分析も必ずしも説得性があるとは⾔えない。⽇ 本の⾼度成⻑は、家電と⽇⽶半導体戦争だけだったのか? トヨタはどこへいった? ⽇本の 90 年代の失墜は電算化が遅れたというだけの話なのか? また⽇本の家電産業 や半導体産業が⼀時的に優位を獲得できたというが、それはなぜ? TQC などは? そ れぞれの産業⾰命というのも、必ずしもピンとこない。なまじ定量化しようとしてか なり分析が苦しくなっている⾯はある。

さらに第 1 次、第 2 次で拡散のための制度基盤として重視されていた産業組織や学 術組織は半ホビイスト的な基盤、中⼩企業の広がりなどについてはその後⼀切登場し なくなる。中国もエリート教育だけと⾔われるが、⼀時の創客運動へのてこ⼊れな ど、草の根も結構やっているはず(最近は下⽕になっているのは確かだが)。

さらに、技術の受け⼊れ基盤の重要性という点については、シリコンバレーの分析 として名⾼いサクセニアン「現代の⼆都物語」、あるいは蒸気機関についてもワットの 発明よりニューコメンや業界団体による⼯夫と知識流通の重要性を指摘する⾒⽅はす でにある。本書は、それを国の覇権や国⼒にまでつなげようとするのが売りだが、技 術拡散後の覇権や国⼒の話となると、⽣産性が経済全体であがった、というだけであ り、物⾜りなさはある。

こうした⽋点はあるものの、過去の産業⾰命について、多少なりとも⼀貫した⾒⽅を しようとした本としては興味深い。無理な定量化を避ければ、もう少し⽰唆的なもの になり得るのではないか。

ゼレンスキー大統領の2025ミュンヘン安保会議演説

2025年ミュンヘン安全保障会議で、ヴァンス米副大統領の演説の翌日に行われた、ゼレンスキー大統領の演説の全訳。

2025年ミュンヘン安全保障会議 ゼレンスキーウクライナ大統領の演説

Executive Summary

ゼレンスキー大統領は、ロシアの脅威がウクライナだけでなく欧州全体に及ぶ可能性を指摘し、ヨーロッパ独自の軍隊(欧州軍)の創設を提案した。彼は、アメリカの支援を当然としてきたヨーロッパを戒め、トランプ政権以前からアメリカの支援に変化が見られたことを指摘する。そしてアメリカ支援継続のためにも統一ヨーロッパとしての立場強化を訴えた。ヨーロッパ諸国は、独自に迅速な対応を可能にする軍備生産や防衛体制と、安全保障を実現する統一的な外交政策を構築すべきだと述べている。

また、ウクライナを当事者から除外した形での和平交渉には強く反対し、ウクライナの主権と領土保全を尊重したうえでの包括的な平和対話とプーチンへの継続的な圧力を求めた。停戦ライン/安全保障ラインとして従来の国境線を据え、それをNATOまたは類似組織が死守する体制を提案している。

(Note:ChatGPTくんに要約作らせて見たが、まず外部資料を勝手に引っ張ってきてカンニングしようとしやがる。これだけ見てまとめろと言ったが、今一つ要領を得ない。この演説のぶつ切り形式のせいかもしれない。ほぼ全面的に書き直している。あと、最初は2行のまとめ (欧州軍つくれ、プーチンへの圧力継続)だけ。正直、この講演はそれしか言っていないとも言えるんでまちがいじゃないんだが……)

感想

さて、この演説については、ユーロクラットどもが「昨日の民主主義お説教に比べ、これは実にすばらしい」みたいなおべんちゃらを述べていた。が、そんなにすごい演説かなあ。

そしてこれが、トランプ政権のちゃぶ台返しの可能性を受けて出てきたのかははっきりしない。もちろん、自分たちの頭越しにプーチンと密談されたのは不快で、それは明言し、それ以外にトランプの態度への不満もチクチク匂わせている。だがその一方で、このアメリカの態度変化はトランプ以前からのもので、自分も米大統領選以前からこの方向性を提案していた、と述べている。これは本当なのか、それとも「アメリカ依存を続けるつもりが風向き変わったので慌てて対応した」と思わせないための牽制なのか。そして、アメリカの態度変化で仕方なくであるにせよ、それを追い風として自分が昔から思っていたことを述べたにせよ、この方向性は、昨日のヴァンス演説とまったく同じではある。オールヨーロッパとして、もっと存在感出して、自分で自分の防衛に積極的に関われ、という話だ。

正直、この演説を去年やっていれば (そして欧州がそれに応えていれば) 今のアメリカも一目おいたとは思うんだがねー。

その一方で、これまでのヨーロッパの脆さを見ていると、この提案にどこまで現実味があるのか、というのは野次馬的に興味があるところ。これ自体、決めるまでに百年かかりそうだ。マクロンが、パリで緊急首脳会議を招集したのは、この話をたぶんしたいんだろうが、何がまとまるかはお手並み拝見。

ユーロクラットどもは、この提案に魅力を感じるだろうとは思う。基本的には、彼ら(講演中の「ブリュッセル」) の権益拡大を正当化してくれるものだから。そして、ロシアの脅威と、アメリカの圧力の中で、役人たちが自分たちの権益を増やす口実も揃っている。そして、言っていること自体は非常にまっとうだと思うし、何か出てくると (それもすばやく) いいなとは思う。とはいえ、Twitterで揶揄されていたがヨーロッパってのは決意表明とかは好きで、ゴージャスな会場で集まって声明出すのは好きだが、それっきりでやんねーから……

余談

あと、ヴァンスとゼレンスキーの話を見て、結局ロシアというのは、いま武器生産調達力や兵員をガシガシ持ってるのか、もう足りなくてアップアップしているのかが今一つ見えない。開戦当時は、ロシアはボールベアリングも工作機械も調達できなくなり、戦車工場も止まり、軍事パレードに借り物の前世紀の遺物T34しか出せない、若者もいなくて兵も払底、もう時間の問題だぜ、という論調だった。ところが、ヴァンスの話やこれを見ると、なんか武器弾薬は余裕で、人もまだまだ豊富にいるという話になっている。中国やイラン/ベラルーシ/カザフからの迂回輸入で、物流やサプライチェーン方面はもう完全に回復してしまったってこと?ここらへん、どうなっているのかよくわからない。

J.D.ヴァンス米副大統領の2025年パリAIサミット基調講演

題名の通り、AIサミットでの基調講演。

ヴァンス続きで、別にヴァンスのファンというわけじゃないが、AI会議でのアメリカのAI政策の話。

2025年パリAIサミットでのJ.D.ヴァンス米副大統領基調講演

このツイートで好意的に言われていたので、ちょっと見てみてついでに訳した。

正直、このツイートで絶賛されているほどすごいとはおもわなんだ。AIには機会があるぞというのを言って、悲観論だの人類滅亡だのという話に終始しなかったというのが評価点らしいが、うーん。言っていることは、かなりありきたりな気がする。AIをインターネットに変えても、IoTに変えても、竹槍や牛車やExcelに変えても、まったく同じ演説になると思う。しかし、自分の言っていることをそこそこ理解しているらしいのには感心。あと、労働補完であり代替ではない、とかアセモグル読んでるやつがスピーチライターにいるな。

しかし生産性があがるならその産業で必要な人間は減るので、具体的にAIで生産性あがるが失業は起きないってのは、なんかまともな案があるのかね。たぶんないと思う。言ってるだけだな。

実際の講演の様子は次の通り。

youtu.be

ただミュンヘン安保会議とのつながりで言えば、ヨーロッパへのはっきりした苦言は明確。おめーら規制しすぎだよ、GDPRだって面倒なだけでみんな逃げ出しているじゃん!

壇上には、フォン・ライエンもすわってたけど、ときどき映るとあまり嬉しそうな顔はしてないね。しかしこんな政治家集めてAIの話をさせても、何も実りある話にはならなそうだが、いったいどういう主旨の会議なんだろう?

Executive Summary (ChatGPTくん)

  1. AIの推進と規制の抑制

トランプ政権はAIを経済成長、雇用創出、安全保障などに活用し、過剰な規制を防ぐ。

  1. アメリカのAIリーダーシップ維持

AIの最先端技術を国内で開発・生産し、海外と協力しつつアメリカの優位性を確保する。

  1. イデオロギー的中立性の確保

AIの検閲や偏向を排除し、言論の自由を守る。また、敵対的国家のAI悪用を防ぐ。

  1. AIと労働市場

AIは労働者を補助するものであり、雇用を奪うものではない。教育・訓練を通じて労働者の生産性向上を目指す。

  1. 国際協力と規制のバランス

AI技術の発展を妨げない形での国際的な規制を求め、特に欧州に対して規制を促す。GDPRなどハイテク企業への現在の過大な規制にも苦言。

J.D.ヴァンス米副大統領の、ミュンヘン安保会議 (2025/2024)での発言

なんかミュンヘンの安全保障会議で、アメリカ副大統領のJDヴァンスが何やらいったとかで、Twitterで安全保障の専門家なる人々があれこれ論評していた。アメリカのヨーロッパとの決別姿勢があらわになったとか、もうアメリカはヨーロッパを支援しないぞとキレたとか、ロシアとの交渉が勝手に進められそうだとか。あとドイツが怒ったとかなんとか。

特にヨーロッパの報道は、アメリカがヨーロッパを侮辱した、上から目線で説教しやがって生意気だ、アメリカがヨーロッパを下に見てウクライナを見捨てることにしたとかいう話ばかり。

が、相変わらず報道ではその演説や発言の全体像が全然伝わってこず、言葉尻の断片ばかりなので、自分で原文を読んでみた。ついでに、きみたちにも読ませてやろう。ほらこれだ。そんな長くないよ。

2025年2月ミュンヘン安全保障会議J・D・ヴァンス米副大統領の発言

……とお膳立てしてやっても、お前らが読まないのは知ってるよ。Executive Summary作ってやったから、エグゼクティブにはほど遠いお前らにも読ませてやろう。

Executive Summary

ヴァンス米副大統領の、2025年ミュンヘン安全保障会議での演説。ヨーロッパの防衛では欧州自身が主体的な役割を果たすべきだが、それ以上に外部の脅威よりも、民主的価値観の後退というヨーロッパ内部の問題を懸念。そんな状態ではまともな同盟はおぼつかないと指摘。特に、言論の自由の制限や政府の検閲、選挙の無効化などの動きを批判した。欧米が共有する価値観を守るために、自由な言論や異なる意見の尊重が不可欠であり、特に移民問題が大きく、エリートが国民の声を踏みにじるようではダメだと戒めた。

また2024年のパネルディスカッションでは以下の点を述べた:

  1. ウクライナ支援の限界 – 資金ではなく兵器生産がボトルネック。西側はロシアほどの武器生産能力がない。

  2. 和平交渉の必要性 – 武器供給が限られている以上、ウクライナ戦争は交渉による解決しかない。

  3. アメリカの外交優先順位 – ロシアは脅威だが、アメリカが重視するのは東アジア。

  4. ヨーロッパの安全保障の自立 – アメリカは東アジアに注力するからヨーロッパは自分で防衛能力を強化せよ。

  5. 脱工業化のリスク – 戦争で重要なのはGDPより工業生産力。ヨーロッパは自国の安全保障強化のためにも工業を維持せよ。

さて、これを見てどう思う? ぼくは非常にもっともなことを言っていると思う。武器弾薬製造能力ないから、ウクライナ支援に限界があるというのは、どこまで本当なのかわからない。そういうところは、それこそミリオタの人や軍事専門家にやってほしい。しかし全体としてそんなに違和感はなかった。これが本当なら、ウクライナを徹底的に応援すべし、というのは、気持はわかるけれど中身のない空論ということになる。これが本当かどうかは是非とも知りたいところ。

演説のほうはヨーロッパのバカチンどもは、自分のお気に召さないからって選挙を勝手に無効にしたり、おえらいエリート様が無知な大衆をフェイクニュースから守るんだと称して検閲を奨励したり、野放図に移民どかどか入れてしかも国内でイスラム移民にばかり配慮して、それが民主主義かよ、そんなことしてるとそもそもこの同盟が何のためかもわからんぞ、と非常に本質的なところをついているし、それはヨーロッパがずっと目を背け続けて、やれ極右だやれポピュリズムだといって逃げてきた話だ。言われてもしかたない。ましてヨーロッパのメディアの反応は、まあここで言われていることが「ああやっぱその通りだねえ」と裏付けるようなものでしかない。

あと戦争は、もうちょっと現実見ようぜ、というのはその通り。もう少しきちんと役割分担しようということで、たぶん日本にもそのうち応分の負担はくるだろうが、正直いってアメリカ信用できないというのであればヨーロッパは (日本も) 自前でがんばる必要はあるわな。

トランプがプーチンの走狗だというのも、一部の人はすぐ言いたがるが必ずしもそうではなさそうだ。プーチンがウクライナ侵略に乗り出したのはバイデンになったから、というのはかなり衆目の一致するところ。トランプはバカすぎて何するかわからん、というマイナスの話であったにしてもね。そして前回のトランプ政権でヨーロッパ (特にメルケルのドイツ) がやったのは、プーチンにすり寄ることだったのも事実。あのとき、このヴァンス的な話をきちんと考えていればねー (最後の、なんでよりによってそのときに脱工業化をするかね、という話も含め)。

ま、これ見て「山形が親トランプになった、ネトウヨめ、反移民のイスラもフォビアめ」とか言い出すやつがいるのはわかっているんだが、そういう愚か者も含め、なるべき自分で読んでくれ。

山形の好きな名言:

でもね、あなたの民主主義が、外国からの数億ドルの広告で破壊されるようなものなら、そもそも大した民主主義じゃなかったのでは?

アメリカの民主主義が、グレタ・トンベリのお説教に十年耐えられたんだから、あなたたちの民主主義だってイーロン・マスクの数ヶ月ほどで死にやしませんって。

特に最初のやつは重要だと思う。フェイクニュースによる民主主義の危機、なんてことをみんな言うけど、本当に問題なのは、フェイクニュースごときで危機にさらされてしまう浅はかな民主主義しか作ってこられなかった社会のほうなのだ。そっちを何とかすべきなのだ。そして、それを口実に選挙を丸ごとキャンセルするなんてことをやること自体が、そういう弱い民主主義をさらに弱体化させてきたのだ。ぼくはそう思うんだがね。

ラファティ インタビュー集

ラファティ『アーキペラゴ』の翻訳再開したが、その後出たいろんな作品との関係はもとより、その作品自体があまりピンとこない話をした。それで少ししまってあったラファティのブックレットなどをいろいろ見ていたときに出てきた、ラファティのインタビュー集。『アーキペラゴ』に始まる『悪魔は死んだ』3部作についての言及もあるし、それ自体としてもおもしろかったので、読みながら訳し終えてしまった。

『タルサからきた偏屈ジジイ:R.A.ラファティ インタビュー集』

もちろんきみたちは読んではいけません。ついでにその原文も挙げておくが、ぼくの備忘録だからきみたちは読むな。

Cranky Old Man from Tulsa: Interviews with R.A.Lafferty

読めないきみたちにはわからないことだが、これはもともと1990年あたりに、ラファティの本を平とじブックレット形式で出していたUnited Mythologies Press から出ていたもの。ときどき、いろんなラファティの解説でこの一部がつまみ食い的に紹介されていたのを見た記憶があるし、ひょっとしたらすでに邦訳があるかもしれない。が、それを探し出すのも手間だ。

 

インタビューは2編収録されている。やたらに詳しい親戚の来歴とか軍隊時代の話、宗教から創作手法その他いろいろ。ラファティにとって最大の敵が、世俗リベラリズムだというのが非常におもしろいところ。いろんな思想や世界の見方についての話は、本当に本気で言っているのか煙に巻こうとしているのかわからないのはいつものラファティ節。

で、『アーキペラゴ』が兵役時代の各地派兵の思い出も含むものだというのはよくわかるし、そこに描かれたものも少しは見えやすくなる……かな? あとあの唐突に終わるエンディングは、本人的には効果的な技法のつもりなんだなあ。ということでお楽しみあれ……じゃねえや、ゆめゆめ楽しんだりするなよ! 指くわえて見てるだけだぞ!

cruel.hatenablog.com

あと、一つ期待していたのは、ラファティの異様な女嫌いについて何かコメントが得られないかな、ということではあった。なんだっけ、「あそこは楽園だった。だって女が口をきかなかったから」の小説は。あれはまだギャグですむが、この「その曲しか吹けない」とかのむき出しの憎悪はただごとではない。だが、どちらのインタビューにもそれはなくて、まあ仕方ない。

ラファティ、バロウズ、人工知能

一部の人には朗報かもしれず、ほとんどの人にはまったくどうでもいいことだろうが、ちょっとラファティ『アーキペラゴ』翻訳の続きをやってみた。まだ全11章のうちの4章終わっただけ。ついでに、それにまつわる思い出も解説でちょっと書いたよ。

R.A.ラファティ『アーキペラゴ』(4章まで)

このままこの調子で続けるかはわからない。少しはやると思うけれど。実はもう一つ別の仕掛かり品も再開してみた。

cruel.org

どっちも、箱から本が出てきたおかげが大きい。こちらもこのまま進めるかどうかはわからんが、仕掛かりをなるべく片づけようと思ってるので、どっちも多少は進むでしょう。

だがそれより、特にこの『アーキペラゴ』はわけのわからない作品で、解説でも書いてるけど、神話を下敷きにしてるのはわかるがそれがどうした的な話で、いろいろ言いたいことがあるようだが何を言ってるのかわからない。そこで面白半分で、4章冒頭の詩をChatGPTさんに喰わせて見たのよ。

そうすると、まあ別にまともに訳してくれるわけではないのだけれど、単語ごとにいろいろ調べて、類似のことば、考えられる文脈まで、いちいちこと細かに出してくれる。とっても便利。便利な一方で……

この詩はなんであり、そういう含意を持つもので何を主題としており云々かんぬん、というのを全部教えてくれる。神話的な冒険の旅に出ていた人物が、いまやその冒険から脱落して腰を落ち着けねばならない哀しみを描いたもので〜等々。

で、これがラファティ『アーキペラゴ』の一部で、この章はこの詩を書いたやつが結婚する章で〜という背景を教えてやると、何やらしゃあしゃあと、『アーキペラゴ』はかくかくしかじかの作品であり、この詩は自由な身の上から結婚して身を固めて腰を落ち着けるという生のフェーズ転換について自虐的ながらもポジティブに述べたものであり、とすかさず解釈を変えて出す。

この詩を見せてもラファティ『アーキペラゴ』だとわからなかったということは、ChatGPTくんはアーキペラゴの全文に出会ったことはない。でもどっかから聞いた話を切りつないで、それっぽいものをでっち上げてくる。そして、それは決して完全にピントはずれではなく、大学のファンジンにこれが載っていたら、おおすげえ、いい分析、と思っただろう。

その一方で、こう、小説を読むときに、なんかその表面的な字面が脳に吸収されて、そこからじわーっと「ああ、ちょっと悲しげだねー、でも多少自虐が入ってて、決して完全ネガティブじゃなくて、そこに婚約者が出てくるとちがう意味を持ってくるよねー」というのが染みだしてくる。そしてそういう印象が読みながら次々に出てくる中で、その脳汁の集まりみたいなものの中から、小説としての重みやテーマがさらに染みだしてくるというプロセスがある。

ぼくの感覚だと、その脳汁抽出は、脳の一段深いところで起きていて、それが脳の表面に染みだしてくるような感じ。

さてChatGPTくんに読ませると、確かになんかそれっぽいものはわかる。たぶん出てきたものは似たようなものなんだけれど、なんかすごい違和感がある。通り一遍に読んで、なんか脳の表面だけでさらっとなぞっている感じ。その浅さは、自分が読んだときの感じとはまったく別物なんだけれど、それをことばで言えといわれたら、似たような表現に落ち着いてしまう。

だから実用的にはTwitterで最近見かけた「アリストテレスをChatGPTに要約させてリーディングの課題すいすいだぜ」みたいなのにみんなが流されるだろうな、というのもわかる一方で、その違和感みたいなのをうまく言えず、そのツイートへの反発で「それでは本質がわからない」とか「真の学びはそれでは得られない」とかいうのがたくさん出てきたんだけれど、だれも「じゃあその本質とか真の学びって何?」という本当に重要な疑問に答えられずにキレるだけ、という不毛な罵倒合戦になっていたのと、何かしら通じるものはあるんだろう。

それはたぶん、タルコフスキー映画とかヴェンダースのさすらいとか『2001年宇宙の旅』を、ビデオで、リモコンを手にして見せつつ、決して早送りボタンを押さないように厳命するようなもので、何も起こらないすごい退屈の果てに得られるある種の啓示みたいなものは確実にあるんだけれど、それを説明するのは困難であり、ほとんどの人は、その啓示があるのをすでに知っている人ですら、早送りボタンを押したくなる誘惑にうちかつのはむずかしいのと似たような話ではある。

www.youtube.com

もちろんこんな違和感は一時的なもので、昔の人の「車や新幹線で行くのは真の旅ではない、己の足で歩いてこそ旅の本質が〜」みたいな世迷いごとなのかもしれない。その一方で、その「じゃあその本質とか真の学びって何?」という疑問とか、ぼくの感じた違和感って何なの、というのをきちんと言語化、モデル化できない限り、おそらく人文系の「学問」なるものは滅びて、せいぜいが盆栽の楽しみくらいの趣味に堕するだろうという印象はあるなあ。

そしてそれはたぶん、いまぼくが言った「脳汁」のプロセスが持つ意味合いの話になる。

石川淳はかつて「文学では答が出るだけでは市が栄えない」と述べた。人によってこれは、答を出さなくてよくて、うだうだ周辺をうろつき身辺雑記でお茶を濁していいという免罪符だと捉えてしまっている。最悪な場合には、「市が栄える」というのを己の卑しい懐具合と営業だと思いこみ、これを何か業界の内輪で何も結果出さずに目くばせしあい、利権を造って新規参入を防ぐのが正当化されるかのような解釈をする人もいる。

でも石川淳が「だけ」と言っていることからもわかるように、答は出さなくてはならない。ただ、それだけではダメ。その「だけ」ではない部分を、もっと真剣に考えねばならないのだろうとは思うんだけど。

レナード「法に抗っての進歩:アメリカでの日本アニメ・ファンサブ史」(2004)

もう20年も前に訳した論文だけれど、アメリカにおいて日本アニメが、ファンによる著作権無視のファンサブ活動を通じて広まったことを示す研究論文。ファンサブというのは、ファンがつける字幕のことね。

法に抗っての進歩:アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権

html版もある。

cruel.org

ポピュラー文化伝搬の歴史から見ても、著作権と文化普及の関係を見る上でも非常に重要なポイント。SSDのファイルを整理しているうちに出てきた。ウェブページは造ったが、当時はTwitterもなく、一部の好事家がリンクしてそれでおしまいになったように記憶しているので、あらためて広めておく。

こういう、グレーゾーン (というか厳密にいえば完全アウト) な海賊活動は、やがて正史が出てくると、すぐに押し潰されてなかったことにされて消えてしまい、その海賊活動の恩恵を大いに受けた人ですらすぐに手のひら返しをするから、記録しておくことが重要。いまは当然のように流通しているものも、こういう背景があったことは、Windows MEたんくらい少しは思い出してあげて。

https://cruel.org/books/hy/howtotranslate/windowsme.png