苫米地『21世紀の資本論の問題点』:見る価値なし。

ひどいね。ピケティ便乗本の中で群をぬいてひどい。

批判としてあがっている基本的な議論は、ピケティの挙げるグローバル累進資本課税はよくないしうまくいかない、というもの。なぜかというと、累進資本課税はまず持っている資産により税率がちがうから不公平でよくない、とのこと。

そしてなぜうまくいかないかというと、金融資産のほとんどは負債だからだ、という。

何のことやら最初はよくわからなかった。金融資産のほとんどは債券だってことかな? そう思って読んでいったら、そうじゃない。金持ちはレバレッジをかけて投資しているから、課税しようと思ってもレバレッジの借り入れと相殺されて課税できるお金がない、よって格差解消につながらないからダメなんだって。

 

あきれた。

 

まずピケティは資本とか資産を見るとき、負債を引いたネットで見ている。だからピケティのそれまでの分析が正しいなら、課税できる資本や資産を持った人は当然いる。負債を差し引いた後でもね。レバレッジをかけていようとも、その分はすでに除外されているからピケティの結論には影響しない。

だいたい資産家がすべて債務超過になっているわけがないでしょー。そしてもちろん、だれかの負債はだれかの債権だ。どこかでそうした負債がこげついてものすごい不良債権がたくさんあるかもしれないけれど、特殊な時期を除けばそれは限定的だ。だからあらゆる人がレバレッジが大きくて負債ばかりなんてことはあり得ない。だれかが負債を大量に抱えているということは、その他のどこかに債権という資産を持った人がたくさんいるということだ。

本書で主張されているのはこれだけ。あと、ピケティがアメリカで売れたのはクルーグマンが広告塔を買って出たからだそうな。そんなことないんだけどね。もしそうなら、クルーグマン当人の本が今よりはるかに売れそうなもんだけど。

とっても薄い本で、中心的な主張もまったくナンセンスとなると、読む価値はまったくない。ああそうそう、ピケティは『21世紀の資本』で経済学を歴史に従属させてしまったので、つまり経済学を破壊してしまったことになるんだそうな。経済統計の人とか経済史の人とか、どうします? 過去の租税記録を漁って長期の時系列データを整備したら、歴史に従属で経済学の破壊なんですって。

これまで採りあげた他のアンチョコ本は、少なくともピケティの主張についてはまあまあわかるようになっていた。著者の主張部分は疑問な部分もあったけれど、それは読み飛ばすこともできるし、またそれなりの意見として多少なりとも参考にはできる(他山の石としてではあれ)。だから本としての価値はある程度はある。でもこの本は、実に薄くてピケティの中心的な主張も本当にうわっつらを撫でただけ。そして中心的な主張はまったくピントはずれ。有益な部分がまったくない! 各種雑誌の記事を読む方がよっぽど有意義。まったくお奨めしません。




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