吉川洋「ケインズ」(ちくま新書):伝記とケインズの理論や貢献、その後のケインズ経済学をバランスよく描いている

吉川洋のケインズ。ケインズの伝記的な事実から入り、インド時代から戦後のなんたら、お金の理論を経て一般理論へ、さらにはその後のルーカス批判等々を経て云々。非常に手堅い流れだし、読んでいて目をむくような変なことは書いていないし、IS-LM 憎しのあまり敵に塩を送るような変なことにもなっておらず、立派。

1995年の本だけれど、この時点で合理的期待形成とかニュークラシカルとかRBCにすごく否定的な書き方になっていて、ケインズがいかに重要かを力説している。リーマンショック以後はこういう論調も普通だけれど、それを15年前にはっきり書けたのはえらい。当時なら「DSGEとかも出てきてケインズもいまやアウフヘーベンされて、明日の経済学が花開くよねー」みたいな書き方にしたほうが、業界的にもうけたはずだと思うんだけど、ケインズの影響をきちんと見極めて評価しているのは立派だと思う。

もちろんケチはつけられる。ケインズの限界として、資源問題とかに注目しなかったことを挙げて、ジェヴォンスが石炭の枯渇を心配したり、紙の枯渇を心配して紙を買いだめしたりしたのをケインズが馬鹿にしていたことを指摘して、ジェヴォンスがローマクラブの指摘の先駆者であり、それを評価できなかったのはケインズの近視眼であったと書くんだけど (p.198) ……でも実際問題として石炭枯渇してませんけど? 紙を買いだめしたジェヴォンスは、トイレットペーパー買いだめする日本人並にバカだったでしょ? その他のほぼあらゆる資源について、ローマクラブの予言はまったくあたってませんが?

が、それは見解の相違もあるし、細かい話。それにぼくも、2003年にロンボルグを読むまでは、この主張をかなり支持していたので、あまり文句を言える立場でもない。全体としてはよいまとめだと思う。いままでいろんな腐ったケインズ本を読んできて、ケインズってひょっとしてXXXX集塵装置なのかしら、と不安になっていたところなので、普通に書かれたバランスのよい本に出会えて一安心。


そしてそれだけに、この直後からこの著者が完全な財務省の走狗となって、理論的な裏付けなど一切なしに消費税率引き上げの旗をふるようになり、リフレ派憎しのせいなのか、貨幣数量説に対する憎悪をたぎらせるあまり、経済におけるお金の役割を完全に否定するようになったのには唖然。お金の市場で決まる金利が実体経済の需給を制約する、というのがケインズ「雇用、利子、お金の一般理論」のキモなので、お金の役割を否定したらケインズ否定になってしまうのでは? 何があったんだろう?

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