大谷『都市空間のデザイン』:古代中世の話で9割が終わる都市空間デザイン論というものの現代的意義は?

都市空間のデザイン――歴史のなかの建築と都市

都市空間のデザイン――歴史のなかの建築と都市


ぼくは都市工学科で、大谷幸夫研究室の後継研究室の末席を汚す身でもあるし、大谷幸夫の業績には敬意を抱いている。だから以下もそういうバイアスがあるかもしれない。

さて、都市空間のデザインということで、大谷幸夫がやった大学での講義のまとめとなる。冒頭は、そもそも都市というものを規定する各種の要素をあれこれ考え、かなり抽象的ながら、納得はいく感じだ。さて、それが実際の都市にどう反映されるのか?

でもその次から始まるのが、ものすごい歴史のおさらいとなる。メソポタミアの中庭型住居、さらにはその都市、ヨーロッパの教会町、古代ギリシャ古代ローマ、日本の城下町、今井町や堺等々。その時代の個別の問題に対処するため考案され、到達された類型は他のところにも応用できるというんだけど、本当に歴史のおさらいに終始。確かに、なぜそうした空間構造が求められたか、という話は出てくるし、もちろんその中にヒントとなるものはあるんだろうけれど、これを聞いていた学生はそれを拾い出せただろうか? そして11講目の最後の結論が、かつての広場やロタンダなんかは、現代では役割を果たせないから、別スケールのものが必要だ、ということになる。つまり、それ自体としては参考にならず、単に問題へのある特定ケースでの対応はこんなのでした、という以上のものではなかったということだ。

そして全12講義の一番最後が現代都市への示唆になるんだけど、ここはいきなり抽象度があがってしまう。「組成、組織、構造の相互規定関係」というんだが、それだけならあたりまえだ。でもこの最終講義では、その中身とかはまったく出てこないし、現代の都市での解決事例のようなものさえ一つも出てこない。アレはだめ、これはこういう問題が、というのは言われるんだけど。歴史的な事例をもとに、自分であれこれ考えなさいという概念的枠組みを与えたんだ、というかもしれないけど、その概念的枠組みがどう使いうるのか、ということを多少なりとも示してもらわないと。そしてよく見ると、この最終講義で言っていることは、最初の講義で言っていたこととほとんど同じ。結局、この講義を聞いて何がわかるのか? いや、フナ釣りに始まりフナ釣りに終わる、みたいな最初と最後は同じようで実はちがう、というようなお題目は知っている。でも、これがそれに当てはまるといえるのか。

というわけで、あんまり高い評価が上げられない。大谷幸夫の「空地の思想」とかは非常に感銘を受けつつ読んだし、その何もないけれど自由に使える場の重要性みたいな発想は、それこそオストロムの入会地研究やフリーソフトの発想なんかにも相通じるものだと思う。でもこの講義録はそうしたヒントを与えられていないと思う。

空地の思想 (1979年)

空地の思想 (1979年)

この本は、朝日新聞の書評候補にもあがってきたけれど、落札したのは別の人。だから厳密には、ぼくが読んで落としたわけではない。が、ぼくが落札しても、掲載書評は書かなかっただろう。



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