ばるぼら/増渕『岡崎京子』本2冊:資料としてはありがたいが、崇拝者本にとどまり新しい視点をくれるものではない。

岡崎京子の研究

岡崎京子の研究


この二冊が同時に出たというのは、基本的に映画「ヘルタースケルター」のタイアップ and/or 便乗企画と思っていいの? ばるぼら本は、岡崎京子の作品をたどりつつ、長い対談がついて「あんなのあったねー、あの人もこんな話してたよねー、こういうのが当時流行だったよねー」というのを延々続ける本。時代背景とかがわかるという意味ではよいのかもしれない。その対談は、知ってる連中同士が符牒を投げ合うという、悪い意味で内輪向き(つまり同世代で当時の状況をリアルタイムで体験してきた連中)になっている部分が多々あってしばしばうんざりする面は否めない。本書についての他の書評を見ても、ほめている人はそういう部分(80年代の文化ナントカを追体験とかね)に反応しているのがわかる。でも、本の編集の段階で大量の注をつけて、それが知らない人にもわかるように努力はしているのは評価。単行本未収録のいろんな作品も見つけてきて一覧にしてくれたり、資料的な価値は高い――あなたが岡崎京子ならとにかく何でも集めなくてはならないマニアであるなら。

岡崎京子の仕事集

岡崎京子の仕事集

増渕本は、岡崎京子の作品をたどりつつ、各種のイラスト、エッセイ、対談なども含めてあれこれ紹介した本。マンガだけにこだわらずあれこれまとめた本ではあって、上のばるぼら本とは別の紹介の仕方。とはいえ、単行本作品の紹介はどれも、基本ほめるのばっかり。ぼくは岡崎京子ってむらのある作家で、ダメなものはダメだと思うんだけど。「うたかたの日々」なんか、原作と比較しちゃうせいもあるだろうし、そんなによくないと思っているのだ。でも編者/著者の増渕は、これに涙しないやつは一生信用しないと断言している (p.59) ので、まあぼくが信用できないやつってだけかもしれない。それにもちろん岡崎京子本人への遠慮というのはあるんだろう。

いずれの本も、作品集成や資料集としてはよいできだと思う。そして岡崎京子も、優れた作家だからこうした資料が出てくるのはよいことだと思う。その一方で、資料でございますというだけでは書評しようもないし、また作品紹介の批評性のない崇拝者ぶりは、少なくともすでにある程度岡崎京子の作品を読んでいる人間としては鼻白む。岡崎は増渕本に収録された最後のインタビューで、世の中がマンガに追いついているから、マンガは少し先の虚構を描かないとだめで、ハッピーエンドを描きたいと述べている (p.116)。彼女は自分のマンガの位置づけが少し時代の変化の中で変わりつつあったのを敏感に感じ取っていたようんなんだけれど、この二冊の編著者たちはそういう認識というのがあまりなくて、時代が驚くほど停止したままでいる。これが10年前に出た本でも、ぼくはまったく驚かなかっただろう。いや、岡崎京子はすばらしくて、という話を延々書いて、こうした資料集も出てすばらしい、復活を期待したい、といった安易な書評もどきを書くのは簡単なんだけど、ぼくはそういうのには抵抗あるんだ。最近好調で書評のレベルが高い荒俣さんなら、別の料理方法を思いつくかもしれない。



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