呉・樫田著/金川訳『精神病者私宅監置の実況』:すごい。大正期のキチガイ座敷牢の実態調査を現代語で!

【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況

【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況

90年前の大正時代にはすでに精神病者に対応するための法制度もある程度はあったし、精神病院なんてものもあったわけだが、むろんみんながそこに入れたわけではなく、相当部分の精神病者――ボケ老人もかなりいるが、25-40歳くらいが大半――は家族が座敷牢を作ってそこにぶちこむしかなかった。その実態を調査したもの。著者の呉秀三東京帝国大学の医学部の先生。精神病で呉というと、どうしてもドグラマグラを連想してしまうんだけれど、そういう関係はどうもないみたい。

あちこち農村に分け入ってはその実態を淡々と書いており、その収容されている座敷牢の平面図、患者の状況その他がひたすら記録されている。その家族や村の経済状況、症状、病歴その他きちんと描かれている。全部で300件弱、地域も全国津々浦々。もちろん、どれも悲惨ではあるけれど、その悲惨にも差がある。ほとんど人間の状態をとどめない者もあれば、コミュニティの助け合いの中にいる人々もいる。座敷牢の広さは、いちばん多いのが一坪半*1、つまり三畳ほどだけれど、もうピンキリ。読んでいて悲しいものは悲しい。はだかで床に転がされている患者の粗い写真とか、患者が板戸を叩いて近所迷惑なので、内向きに釘をたくさん打って叩けないようにするとか……

とはいえ、結構みんな最低限の面倒は見ていたようで、本当にひどいのはそんなになかった、とのこと(統計的な分析もある)。でもそれも実に様々。さらに私宅監置って、勝手に座敷牢をこしらえてぶちこむもんだと思っていたら、ちがう! 私宅監置の届け出をして、図面その他を警察に出して許可をもらって監禁する。暴力的とか、それなりに監禁を正当化する理由は必要だ。社会としての精神病に対する対応として公的に認可されていたものなんだね。これを見て、国家権力が弱者の弾圧を社会的に促進し、と拳をふりあげたがる人もいるだろうけれど、当時の医療や経済水準から考えて、これが可能だった精一杯の水準だったんだろうとは思う。

そしてまた、精神病者を治療すると称するお寺や神社や行者なんかが跋扈していて、そういうのも調査している。これまたここに書き切れないくらいおもしろい。いろんなものの黒焼きが珍重されていたとか(実はうちから少し上野のほうにいくと、黒焼き屋がいまもあるんだよね)。

この本の原本はもう古典で有名な文献だそうで、何度も復刻刊行されているそうだけれど(すみません、知りませんでした)、今回のこの本のありがたいことは、現代語訳であること。そして訳者金川英雄が、当時の事情についてあれこれ詳しい説明をしていること。たとえば、このもとの本は内務省から刊行されている。こういうキチガイやボケ老人の管理は、近所の治安マターなので保健や厚生省ではなく、警察&内務省の管轄だったから、なんだって。人物紹介もたいへん丁寧で、どの部分をだれが書いたかも教えてくれるし、また一部の記録に残る「身分」の記録の重要性など見落としそうなポイントをたくさん指摘してくれる。たいへんありがたい。

原著者はこれを受けて、いまの座敷牢は監禁だけしかしない、だから廃止して、病院で引き取って治療も受けられるようにすべきだ、と強く主張している。でも当時、実際に何をしてあげられたのか考えてしまう面はある。それは今も残る問題ではある。これを読めば現状が明らかに当時よりは改善しているのはわかる。が、それでも…… が、そうした医療的にも、社会学的にも、歴史的にも、おそらくは建築や村落調査的にも(そしてぼくみたいに単なるおもしろ半分的にも)いろんな見方ができてとてもおもしろい。かなりマニアックな文献なのに、お値段も安くてお買い得だと思うので興味ある方は是非。

ちなみに、帯には「反響の声、続々!」とあれこれ読者の反響が引用してあるんだが、まだ初刷りで反響が戻ってくる時間ないと思うんですけど…… ← 雑誌に一部掲載したんだそうな。



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*1:そういえばもう、坪表記は最近の子はほとんどピンとこない模様