西谷編『相対的コムデギャルソン論』:自分語りに堕してしまう。

相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか

相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか

この本の副題は「なぜ私たちはコムデギャルソンを語るのか」。つまり、コムデギャルソンを考えるよりは、それに惹かれる自分語りの本。でも、なぜあなたたちは、自分がなぜコムデギャルソンを語るのか、なんてことに他人が興味を持つと思ったんですか?

いやもちろん、その過程で川久保玲のファッション造形や哲学についての考察はあるんだが、その部分はあまり目新しさはなくて、建築家としてなぜコムデギャルソンに興味があるかとか、あの80年代当時にそれを着ていた自分やその周辺の人はどうだったかとか。みんな思い思いに語ってるんだが、それらがまとまりを持って何かを組み立てることなく、それぞれの人の私的な体験の踏み台として使われるだけでいささか散漫だと思う。ときどきおもしろい視点はあるので、もうすこしまとめ方次第ではなんとかなったんじゃないかと思うんだけど……



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