ミッチェル『クラウド・アトラス』:中編六本たばねたら長編になると思ってまちがえた失敗作。

エドガー・アラン・ポーだかコルタサルだかの短編小説作法というのがあって、それはつまり、ポイントは一つ、ということ。ある主題やある場面、それだけがあって、それをいかにもり立てるか、というのを念頭に話を構築していかなくてはならない。長編というのはまた別で、アルフレッド・ベスターが言っているように、長編にするにはテーマを三つくらい用意して、次善のものからはじめ、三つ目をからめながら、最大のテーマにそれを発展させる、いわばテーマ自体の構築が必要。

『クラウド・アトラス』は、六本の中編が積み重なるようになっていて、そのそれぞれの中編の出来は悪くないんだけれど、その中編のテーマがすべて、弱いモノいじめはよくない、というもの。でも、それを束ねただけでは長編にならない。サブテーマとかが必要。

クラウド・アトラスはそれがない。一つのテーマが、ちがう場面で幾度となく繰り返されるのが小説としてのアイデアだけれど、それが中編の中で中編的にごろりと投げ出されるだけ。小説作法としてもヘタだし、それぞれの長編はジャンル小説としてはうまくできているけれど(特に北朝鮮配下のクローン人間の話は)、ブッカー賞の候補になる水準ではないと思う。

そしてそれを長編にしたことで、著者はそのテーマをある種普遍性があるものとしてうちだそうとしているんだけれど、それ自体が軽薄。世の中、強者が弱者を食い物にする例はたくさんあるけれど、世の中それだけじゃないから。ダイヤモンド『銃、病原菌、鉄』を読みなさいって感じ。全体に浅くて、期待が大きかっただけにがっかり。

……というような話をcakesに書きました

追記(3/7)

柳下毅一郎も同じ感想。http://book.akahoshitakuya.com/cmt/26731795



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