Naim The End of Power 査読: 目新しさに欠け提言も弱い。


The End of Power: From Boardrooms to Battlefields and Churches to States, Why Being In Charge Isn’t What It Used to Be

The End of Power: From Boardrooms to Battlefields and Churches to States, Why Being In Charge Isn’t What It Used to Be

0. Executive Summary

お金と権力は一極集中していると思われている。金持ちはますます金持ちになり、すべては大企業に支配され、軍事力はアメリカが一手におさえ、という具合。しかし実際には、そうした既存権力は弱まっている。えらい人々――ローマ法王、各国大統領、大企業CEO――も、先代ほどの権力は持っていない。
本書は、これまでの権力はどのようなものだったかを、マックス・ウェーバーなどから説明したうえで、それが以下の3M革命で一変したと述べる:

  • More (物質的な豊かさで希少性を通じた権力維持が困難になった)
  • Mobility (人やモノが移動しやすく、これまでのように人々がいやでも特定の政府や市場にとらわれない)
  • Mentality (中流化したことで帰属感が減り、選択肢が増えた)

この革命で、かつての権力基盤が成立しなくなっていることを説明する。その上で、各分野での権力変動について説明する。

  • 国内政治でも既存政党の支配が揺らぎ、NGOや少数政党、地方の力が強まっている。
  • 軍事も(アルカイダのように)でかいだけでは意味がなくなっている。
  • 国際政治でも小国の発言力やNGOの力が高まっている。
  • 企業も新技術や市場破壊でかつてほどの市場支配力がない
  • 宗教、労働組合、慈善、メディアも細かい力の台頭でかつての支配力はない

これにより、民主化は進むが、一方で何も決まらない制度麻痺が生じる可能性がある。また既存の安定した大権力システムが担っていた、技能獲得などの仕組みも破壊され、社会運動も結束力を失って百花斉放でだれもが言いたい放題を言うだけになりかねない。
権力はなくなったわけではないし、民主化はいいこと。でもそのいい面を活用し、欠点が露呈しないようにしたい。今後は、既存権力に注目した思考をすてるべき。ナンバーワンへのこだわりは無益。また既存権力は失われた信頼回復に勤め、それなりに足場を固めよう。NGOばかりだとバランス感覚のない偏狭な運動ばかりになるので、既存政党が広い立場にたったバランスのある政策を主張する組織として復活すべき。人々の政治参加を高め、そして新しい政治のあり方を考案すべきだ、と主張して終わる。

著者の主張はわかる。しかしながら、その主張は必ずしも目新しくはなく、また主張もありきたり。既存政党の破壊、アルカイダの台頭、既存大企業の苦境は、著者がいうほど意外な動きではなく、読者のほとんどは身につまされて知っているはず。その多くは、「インターネットの普及で革命が」に類する本でしばしば見たものとなっている。それに対する提言も、そんなに意外なものではなく、特にこの新しい権力の「終焉」(実際には単にそのシフトでしかない)に対応した新しい政治体制についてはまったく示唆がない点はきわめて失望させられる。このため、翻訳する価値がどこまであるかは不明。

1. 著者について

不詳。

2. 各章要約

第一章:権力の終焉

 既存権力は弱まっている。えらい人々――ローマ法王、各国大統領、大企業CEO――も、先代ほどの権力は持っていない。大国も大軍も大企業も大政党も大宗教組織も、未だ強力とはいえ、かつてほどの絶対的な力はない。
原因の一つは技術。チェスのチャンピオンは、コンピュータによって変わった。記憶に頼る定型プレーではもはやコンピュータに勝てず、新世代のチャンピオンはコンピュータの訓練を受けない人々になった。戦争も、絶対的な兵力の弱いほうが勝つ傾向が出ている。本書では、こうした権力の衰退とその原因を述べ、それに対してどうすればいいかを語る。

第二章:権力とは何か

 権力は、物理的な力(脅し)、規制(義務)、認知(説得)、報酬(誘因)の四つの経路を通じて作用する。そして、権力や影響力を得るにはこれまで障壁があった(市場参入には設備投資が必要とか)。

第三章:権力はなぜ大きくなったか

 これまでの時代は、大きいことがすなわち権力につながった。各組織は、以下に組織を拡大して影響力を強めるかに腐心した。マックス・ウェーバーが観察した官僚制の拡大などもこれに関連。またロナルド・コースも、取引費用の観点から規模の経済を説明。パワーエリートも台頭した。

第四章:権力の衰退:3M革命

権力を支える基盤は以下の3M革命で一変した:

  • More (経済成長と物質的な豊かさで希少性を通じた権力維持が困難になった)
  • Mobility (人やモノが移動しやすく、これまでのように人々がいやでも特定の政府や市場にとらわれない)
  • Mentality (中流化したことで帰属感が減り、選択肢が増えた)

これが第二章で見た権力の経路にどう作用するかを検討する。またネットなどで権力への参入障壁も下がった。

第五章:地滑り的勝利、多数派、強い政治方針の危機:国内政治の権力衰退

政治家の任期も短くなり、投票で勝っても好きなことができるわけではなくなった。またブラジルでは道化師がいきなり大量得票したり、アメリカでも得体の知れないティーパーティ運動が人気を博したり、突然マイナーな勢力が台頭するようになった。どの国も民主化し、やたらに選挙が増え、政党内でも派閥が増え、地方分権が進んでいることで、政治家もあまり好き勝手にできない。ヘッジファンドや活動家も力を得ている。

第六章:ペンタゴンVS海賊:大軍の力の減少

世界で最も巨大な米軍もアルカイダ相手に手こずったりしているし、いまやでかくて装備が立派でも強いとは限らない。あちこちの反乱軍は一向に静まる気配がない。AK47やRPG9といった安いゲリラでも使える兵器が大量にでまわり、またサイバー戦争なども出てきて、でかい軍隊が無敵ではなくなった。そして軍が国の安全保障にもならない。

第七章:世界はだれのものに? 拒否権、抵抗、リーク

国際政治も、米ソがすべてを仕切る時代ではなくなっている。中国も出てきたがそれも世界を支配するにはほど遠い。国連や気候変動などでは、小国の票が結果を左右したりして、大国が思い通りにはできなくなっている。国際援助も、大国の独占ではなくなった。そしてオックスファムやWWFなど従来の国際政治とはまったく別の目的を持つ国際NGOなども力を増している。もはやかつての覇権概念が通用しない。

第八章:ビジネスの変動:企業支配の危機

かつては、石油はセブンシスターズが支配し、会計事務所はビッグファイブ、車はビッグスリーという具合に、市場を支配する大企業が確固としてあった。だがいまは、そうした大企業が次々に脅かされている。IBMなどハイテク企業はもちろん、石油は新規のシェールガスなどで脅かされ、またメーカーもITも、エストニアのスカイプ、インドのミッタイルスチール、スペインのザラなど、新興国から出てきた新興企業が次々に市場を刷新していて安穏としていられない。各種の参入障壁も下がっているし、外国からの競合もすぐに入ってくる。資本へのアクセスもずっと容易になった。イノベーションも途上国でも起こる。証券取引所も、いまやカンザス州のBATSのほうがNYSEより取引額が大きい。企業がでかいだけで安定という時代はもはや終わった。

第九章:魂、心、脳を巡る超競争

宗教はいまや新しい宗派が乱立して信徒を取り合っている状態。労働組合もかつてのような一枚岩の組織ではない。慈善も、ロックフェラー財団カーネギー財団が独占するものではなく、いろんな組織がいろんな形でやるようになっている。メディアも、大メディアが独占の時代は終わり、ブロガーや市民記者などが活躍している。

第十章:権力の衰退

権力の衰退はいい面もあれば悪い面もある。いいのは、これが民主化につながること。危険は、何も決まらない混乱状態になること。競争が激しくなりすぎたり、揚げ足取りで何も進まなくなったりすること。そしてこれまでの大組織が、自分たちの安定を前提に提供していた技能訓練なども衰退し、社会運動も思いつきだけで方向性を失い、みんな気まぐれになり、既存の組織への帰属感がなくなって疎外が蔓延するかもしれない。

第十一章:権力の衰退:どうすればいいか。

これまで述べてきた権力の衰退はまちがいないこと。それに対応してどうすべきか?

  • 一番競争をやめる:もはや一番でかいとか業界最大手とか、覇権国とかいうのに意味はないので、そんなこだわらないこと
  • 「恐怖の単純化」を困難に:混乱した状況では、一見わかりやすい過度に単純化した議論が人気を得やすいので気をつける。
  • 信頼の回復:こうなった一つの原因は、既存権力が慢心して人々の信頼を失ったこと。これを回復しなくてはならない。既存権力もある程度の力を確保しないと社会が安定しない。政治家は日和らず、明確な目標を掲げてそれを追求すべきで、人気取りの風見鶏に堕してはいけない。
  • 政党を強化せよNGOが受けるのは、他とのバランスを考えずに単一の目標を追求するからだが、それだけでは世の中は動かない。バランスの取れた社会全体を考慮する組織が必要となる。それを担えるのは政党だろう。政党も、NGOのように参加意識を高めたりして、再興をはかるべき。
  • 政治参加の増加オバマの選挙戦など、政治への関心は高まっている。アラブの春でも人々は政治に関心を見せている。政党の改革とあわせて、こうした参加を有意義にする方策を考えよう。
  • 政治的イノベーション:政治分野は、他の分野ほどイノベーションが生じていない。でも今後、絶対に何かイノベーションが出るだろう。ギリシャの民主主義やフランス革命に匹敵する何かが出てくるはずだから、それに期待しよう。

3. 所感

著者は第九章の冒頭で「権力が衰退しているというのは、一般に新聞雑誌の見出しで言われていることとは正反対だ」と書くが、評者には必ずしもそれが正反対とは思えない。政党の崩壊ぶり、少数派閥乱立は日本ではいくらでも見られる。大企業の崩壊は、シャープやパナソニックトヨタの窮状を見ても、日々の見出し通りに思える。このため、本書の主張全体が著者の考えるほど衝撃的には思えない。
出ている事例には、当然知らないものもある(カンザス州の証券取引BATSなど)。その意味で、部分的には興味深いながら、それが決定的な魅力とは言い難い。
そしてまた、それに対する処方箋や対応策もことさら目新しいものではない。「信頼の回復」は是非やっていただきたいが、具体的にどういうことに注意すべきかについての示唆はなく、一般論にとどまる。特に最後の政治的イノベーションの部分は、「何が出てくるかわからないけれど、何か起こるだろう」というもので、あまり生産的な提言とは思えない。

橋下現象や維新の会の台頭などと呼応する部分もあり、そうした面を強調して売ることは可能かもしれないが、その比率は低い。また「権力の終焉」といいつつ、実際に出ているのは「権力の分散/希薄化」程度であり、題名が誇大広告めいた印象はまぬがれない。

(2012.11.09執筆)

コメント

昨年末に書いた査読書。いま読むと、ちょっと厳しすぎるかなとも思う。いくつかおもしろい論点は述べている。しかしその一方で、本国版アマゾンの書評にもあるけれど、この手の話はネスビッツ「メガトレンド」とかトフラー「未来の衝撃」でかなり言われていたこと。でもその後、それは実現しなかった。中小企業が活動するようになった部分はある。マイナーな勢力が活動し、ロングテールが云々。情報技術がそれを促進しあれやこれや。だが70年代から企業も政府も大規模化した。それはなぜか?

ここにも書いた通りロナルド・コースがそこらへんの理論を考えていて、内部での情報流通が効率化できれば、組織は大きい方が規模の経済が働くので効率があがる。したがって、情報技術はロングテールとかマイナーなプレーヤーを可能にする一方で、既存組織の大型化をももたらす原動力にもなり得る。どっちが強く作用するかは、よく考えなくてはいけない。

それを無視して、その力の片方だけを取りざたする多くの本や論者は、基本的には無知か、あまり考えていないか、考える能力がないか、流されやすいか、そのすべてかのどれかだ。いま考えるとこの本は、その一面についての整理としてはまあまあ。ただもうそれだけでは足りない。(2013.08.29)



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