エンゲルス「イギリスの労働階級」終わった!

ちょっと気が向いて、若き日のエンゲルスのルポを訳しはじめたのが1年ほど前だったけど、ぼちぼちやってるうちに終わりました。

エンゲルス自身が若書きだと言っているので、若々しくしてみた。産業革命の成果にものすごく興奮しつつ、一方で労働者のひどい状況を実地に見て本当に怒っているのがよくわかる、たいへんにおもしろい文章。エンゲルスは理論家としてはアレながらイデオローグとして優秀だったらしいけれど、ルポライターとしてもお見事、というのは訳し終わってもやはり思うね。

イギリスにおける労働階級の状態 (pdf 682kb)  

e-pub版はこちらできちんとしたものを作ってくれました〜

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産業革命の成果に対する興奮は伝わってくるし、また当時のスラムの惨状は匂ってくるような迫真の描写。すごい。これを読んで「いまの日本も同じだ、労働者は虐げられている!」といった感想を述べる人がいるけれど、このウンコまみれの町の状況ががいまの日本と「同じ」とはとうていいえない。細かいことはいいんだ、構造が同じだ、とか強弁する人もいるけれど、ある程度の具体的な物理状況に注目しないのであれば、そもそもこんなルポの意義自体がなくなってしまう。改善した部分は認めないと。

その一方で、最後のアメリカ版への後記は是非ともお読みあれ。基本的にここで40年後のエンゲルスは、自分が描写したものは一時的な現象だったというのを認めている。昔は、産業が発展してくると資本家がどんどん傲慢になって労働者はますます苦しんで蜂起して、革命が必ず起きると思っていたけど、実際にはだんだん資本家たちも余裕がでてきて、金持ちけんかせず状態になった。労働者と仲良くやり、待遇も引き上げるほうがいいというのがわかってきたので、労働条件も大きく向上。町の衛生状態も大幅に改善されてきて、この本で描かれた惨状はほとんど消えうせてしまった。もちろん、まだ問題は残っていたというけれど(住宅とか)、いまのぼくたちはそれもその後改善されたのを知っている。

もちろん、その改善は自然に起きたわけではなく、労働組合の組織力と交渉力上昇があって、また各種の政治的な動きと制度的な支えがあって実現されたものではある。でもエンゲルスがここで、そうしたものをまったく評価していないのには驚かされる。むしろ最後の雑誌記事を見ると、エンゲルスはチャーティズムにも労組にも失望して否定している観すらある。

そうした労働条件や物理的な問題に対する怒りこそが、この本の原点だったはずなんだけれど、そこのはしごを外されたエンゲルスは「いや少数の資本家とその他労働者の階級区分がよくないのだ!」と言い出す。でも……物理的条件が改善されたのであれば、なぜそれがよくないのか? エンゲルスはそれをまったく説明できていない。すでにマルクスのイデオロギーにからめとられた状態になっているのがよくわかっておもしろい。

そしてもちろん、この分析などからピケティの話につなげることはできるだろう。結局、格差はなぜいけないんですか、という話に対し、それが物理的な条件の差につながるから、という話はわかる。でも、格差そのものがいけない、資本が集中するのはいけない、というのは……やはり苦しい議論じゃないだろうか。『21世紀の資本』でも本書は言及されている(訳しはじめたときは、まだピケティは手つかずだったけど、訳している間に両者のつながりに気がついておもしろかった)。その関係を考えて見るのも一興。

当然邦訳あるけど、岩波文庫版は平板で特に感心しなかった。以下のやつは紡績関連の説明とかも詳しいので、こっちのほうがおすすめ。

でも、どっちも「manufacturing」を手工業と訳す昔の日本の変な習慣にはまってて、機械を大量に使う手工業とかいうのがしょっちゅう出てくる。ふつうの製造業とか工業でいいんだけどね。ぼくの訳は、英訳からの重訳だけれど、30ヶ所ほどサンプリングした対比でみると、たぶんほとんど差はないはず。調べようと思って放置してある部分とか、特にかつての紡績関連の用語とかで、あやふやな部分は残っている。また、マルクス方面の何やら専門用語とか慣行とかもあるんだろうけれど、そんなものを調べるのに手間をかける意義なんかないと思ってるので放置。気になる人は、CCなので勝手に直して下さい。


それにしても……本書を読んでいると、機械の導入であんな職がなくなった、こんな職がなくなった、みんなこんなに悲惨だ、というのの連続で、読んでるうちにこちらもついラッダイトになってしまうんだけれど、その一方で「え、こんなバカな仕事が昔はあったの??!!」と驚く部分も多い。かつては、布を切る専門の職人がいたんだって。なんでそんなのに専門の職人が? それはですねえ、手織り時代の布は不均一だったので、布の目の粗いところ、密なところが混在していたからなのです。裁断師はそれを見て、用途にあわせて最も密なところを選びながら服に必要な布のパターンを裁断していったんですね。それがかれらの技能だった、と。機械織りで、布が均質になったからどこを裁断しようがかまわなくなると、そんな能力は無意味になってしまったわけ。あるいはプリント染色工。昔は、木版で布に本当にぱたぱた染料をつけてプリントしてったので、そのための工員がいた。でもそれは機械でできるようになったて、みんな職がなくなった。

本書を読んでいて、そういう職人さんが機械化で職にあぶれたのはかわいそうで非人間的と思う一方で、そんなくだらない(失礼。でもくだらないと思う)仕事をやらねばならない人間がいること自体の非人間性のほうが、いまのぼくには強く感じられてしまう。人工知能で人間全て失業、みたいな議論が最近あって、どうすんだーと騒ぐ人も多いけれど、うまくいけば一世期後には、「えー、人間って働いてたのお??? なんて非人間的な」という時代に本当になるかもなー、という感慨もちょっとある。てな具合に、いろいろ感じるところのあるおもしろい本だと思うし、いまでも十分おもしろいと思う。

なおXX版の序文、みたいなのがあと4つくらいあるが、特におもしろくないし、また特に○系方面の本って、序文がやたらに続いて本文に到達する前に意欲が薄れるケースが多いと思うので、訳してない。これはそのうち気が向けば。