Amazon救済 2011年分 3: ケインズ関連書

安易な人物像や哲学談義に流れ、経済学者としての評価から逃げた本, 2011/10/15

ケインズ

ケインズ

 本書は岩波書店版を読んだが、全5章は

1. 個人史 (人物評伝) 2. 価値観 (道徳観) 3. 学問論 (哲学や歴史の話) 4. 政治論 5. 経済学

となっており、ケインズの経済学の話はページ数的にも全体のかろうじて四分の一。あとは書きやすく安易なゴシップに流れており、原著出版の1983年当時ですらほとんど読む意義はなかっただろう。むろん当時はケインズ経済学は死んだと思われていた時期で、経済学的にケインズを評価する必要もないと思ったのかも知れないが。そしてその経済学の部分でも、結局ケインズ理論がどんなものかという説明はまったくない。すでにたくさんあるからいらないと思ったんだって。価値観だの伝記だの哲学だのは、ケインズ経済学との関わりにおいて始めて興味がもたれるもののはず。その説明がないなら、それをケインズの解説書として出すとは、ちょっと不誠実もいいところではないか。

その経済学にしても西部は『一般理論』について「骨子を一言でいえば、経済学のなかに行為論的な要素をもちこんだことだといえよう。ここで行為論というのは、”人間は主観的に構成された意味を担って不確実な未来へ向けて行為するものだ”という点を強調する考え方である」とのこと。さて、この話(といってもずいぶんあいまいで不明確だが)は資本の限界スケジュールにおける期待の役割などの点で、確かにケインズ経済学で重要な役割を果たしている部分はある。でも、それが『一般理論』の「骨子」だとは、ぼく(一応、一般理論を全訳しました)にはとても思えない。そして読んでいると、西部がこんな話を骨子としているのは、単にそれを当時かれが旗を振っていたヴェブレンを持ち出すための口実なのだ、ということがすぐにわかる。我田引水。

それにしてもこの原著が出た岩波の20世紀思想家文庫というシリーズは、小田実毛沢東といい田中克彦チョムスキーといい本書といい、ないほうがよい有害無益な駄本ばかり。企画自体がおかしかったと思わざるを得ない。そしてそれを2005年の、ケインズが少し復活しつつあった時期に再刊する見識のなさにも驚かざるを得ない。

主張は単純で、ケインズの一般理論にはすでにミクロ的基礎があったというもの。, 2012/4/4

ケインズの一般理論はわかりにくく、またミクロ経済とマクロ経済学を分離させてしまったという批判が多い。このため、マクロのミクロ的基礎付けが二十世紀後半は大きな課題になった。

さらに一般理論にはあまり数式が登場せず、またケインズ自身も数式は重要でないからとばせと書いていることもあり、ケインズは数学的にきちんとしておらずいい加減だという批判もよくある。またケインズは数学があまりできなかったという主張まで散見される(例:好き出るスキー)。

でも実際はケインズは数学バリバリで、一般理論で数学を使わなかったのは、取り巻きのケインズサーカスの面々が数学オンチだったため、そいつらの水準にあわせてやったのだ、と本書は主張する。そして一九章などの注にまわされている差分方程式を解けば、ちゃんとミクロ的な基礎付けのあるマクロ経済モデルが数理的に定式化されている、と彼は主張する。

なるほど、ではある。が、その一方でケインズサーカスの面々がそこまで数学できなかったというのも極論だし、またミクロ的なモデルらしきものが導出できるのは事実ながら、それが一般理論ではちゃんと導出されていないのも事実(あればかなり見通しよくなったはずなのに)。だからこの議論も憶測の部分が大きいのでは? でも、おもしろい可能性を指摘してくれた点は評価できるし、ケインズの数式を真面目にみなおす出発点としては有益。ただし学術論文集なのと、あと書き方に少しくせがあるのにはご注意。

2008年刊とは思えぬ古くさい訳、また訳者によるまちがった改ざん多すぎ, 2011/9/7

 前の東洋経済版の翻訳はきわめて劣悪で、それに比べれば多少はまし。とはいえ古くさい訳語、関係節をいっぱいつなげる文をそのまま後ろから訳したために、十回読んでやっとおぼろげに意味がわかる程度にしかなっていない学者訳で、しかも誤訳も多く、2008年の新訳を名乗るもおこがましい。他のレビューアーが「大胆な意訳」とか言ってるのは、何の話ですの?

 でもそれ以上にひどいのが、訳者による原文の改ざん。訳注を見て「原文の誤りを直した」などと書かれているところは2カ所を除き、すべて訳者によるかんちがいで、原文を正反対の意味に改ざんする内容となっている。英語理解のまずさからくるものもあるが、ケインズの主張がわかっておらず、正反対に書き換えてしまったところも多い。そんなにむずかしいことは言っていない部分なのだが、訳者の経済学者としての能力を疑わざるを得ない。

具体的なまちがいの指摘は以下を参照:

cruel.hatenablog.com

cruel.hatenablog.com

英語もわからない、経済学も(センセイのくせに)わかっていない人によるもので、21世紀に出すべき訳本ではない。

現実の経済とはかけはなれた理解に基づき、ケインズ理論を歪曲。, 2011/8/29

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

容疑者ケインズ (ピンポイント選書)

本書は、昔献本してもらったけどうっぱらってしまい、今回お勉強のために買い直したんだが……

 基本的な話として、小野善康をほめたいならケインズを持ち出さずに小野理論それ自体として説明してほしい。ケインズの話になっていない。

 そしてまず、小野によるケインズ乗数効果批判が出てくるが、これがひどい。なんでもこれはケインズの枠組みの中ですら矛盾なんだって。なぜかというと、有効需要を増やすために公共事業をやったら、そのお金は税金で人々の可処分所得からぶんどることになる。だから可処分所得が減ってしまう。でもケインズの当初の仮定では、それは変わらないことになっているはずだからこれは矛盾だ!!(p.41)

はあ??? 小島&小野ワールドでは、公共事業するとき、その場ですぐ増税するんですかぁ??

普通は、国債出したりするでしょう。景気刺激が要るほど消費が落ち込んでるときに増税するなんて、いまの日本の政府ぐらいの経済オンチじゃないとやらないよ。賢い消費者はそれに伴う将来の増税を期待に織り込みますです! 合理的期待形成しる! とまで言う気ならアレだが、中立命題を考えたリカードですら、そんなことは実際には起きず極論だと言っている。この程度の現実認識で経済の話をしようとは……

一般向けの概説書に、変なの極論をしょっぱなから持ってきて、いったい小島寛之は何を考えておるのだ。しかし、これがもし小野理論の忠実な反映なら、なぜ小野善康増税容認論を口走るのか、なんとなく見えてくる。

現実の経済とはかけはなれた理解に基づき、ケインズ理論を歪曲した説明。いきなりこれなので、その先はもう読みません……といいつつ流し読みしたけど、最後の意志決定理論でないと流不確実性云々の話は、まあ別に大きく異論はございませんよ。でも、それがどうした、という感じ。ケインズ理解に全然役立たないどころか、きわめて有害。

ケインズの生涯と、その志の理解にはよい。理論的な理解はむろんこれだけではだめ, 2011/8/15

ケインズのマンガ。理論的な説明はあまりなく、もっぱらケインズの生涯の説明が中心。一応、有効需要の話や公共投資の話も出ているが、基本はケインズが世界の問題を解決しようとした志が解説されている。

監修解説は小島寛之だけれど、マンガそのものには小島(ひいては小野義康)的な偏りはない。解説は(その分、かな)小野理論の宣伝がものすごい比率となる。小野理論は、価格のねばっこさを想定しなくても動的に不況が描けるというんだが、でも実際に世界で価格のねばっこさは観測されているので、それなしの理論というのが本当に現実の説明モデルになるのか、それとも理論のための理論になるのかは、説明の必要があると思うなあ。それと、現在の問題解決に活躍する経済学者として、清滝信宏を挙げるべきか? いや「問題」の種類にもよると思うが、ぱっと見ると、いまの世界金融危機の解決に活躍する学者だと思うのは人情だろう。

ま、マンガの読者が解説まで細かく読むかどうか。生涯の理解はいいし、ケインズの志はよく描けていると思う(レビューが好評なのはみんなそれに感動してるようだし)。でも、これでケインズ理論がすべてわかるとは……まさか思ってないよね? とはいえ、それがニューディールからオバマの刺激策までに影響している様子は描かれ、経済学の現実に対する影響はそこそこ出ているのかな。

岩波新書の二冊の中間くらいだが、実は共著で、パーツの関連が薄く散漫で視野が狭い。, 2011/8/15

 まず他のレビューでも指摘されている通り、これって伊東の単著じゃないのね。400ページのうち、150ページ分くらいは他の人が書いてる。それを単著と称して出すことの道徳性というのは批判されるべきだと思う。ケインズ経済学はモラルサイエンスだと言ってる人のモラルがこの程度とは。

 で、本書はケインズ—“新しい経済学”の誕生 (岩波新書) (1962) と、現代に生きるケインズ—モラル・サイエンスとしての経済理論 (岩波新書) (2001)の間くらいに書かれた本。原著が1983年、文庫収録が1993年。味わいも、両者の中間くらい。一応、生涯の解説(これは別の人が執筆)、一般理論の詳しい説明(かなり細かい)があり、それがその後どう展開したか(これもほとんど別の人が書いてる)が説明されている。

 が、一般理論解説は、その後の解釈や批判に対するあれこれ予防線が多いため、うだうだしくてかえってわかりにくい感あり。特に古典派の理論をあれこれ微分方程式を並べ立てて説明しているのは、正直いって中身とあまり関係ない。それ以外のものも、ケインズの書いたことをそのまま流しているだけのところが多く、あまり説明になっていない。同時に、その生涯における関心事との関連づけが薄く(別々の人が書いているのでしょうがないが)、本の各部分どうしがまとまらずに散漫な印象となる。

 また、別の人が書いているその後の理論的展開の部分は、本当に視野が狭い。フリードマンから合理的期待形成、ニュークラシカルはほんとになぞるだけ。その後はケインズっぽい話だけに的をしぼっていて、ミンスキーくらいで話が止まる。好き嫌いはあるだろうけれど、80年代半ばとはいえニューケインジアンに一言も触れないポストケインズ解説ってあまりに偏狭では(文庫化にあたり加筆する余裕もあったのに)。

 さらに、その後伊東自身がケインズ批判に対する答の中で、サプライサイド派や合理的期待形成にも少し触れているんだが、ラッファー曲線を長々批判する一方で、合理的期待形成は一ページほど。バランスの悪さは否めない。それをまったく無視した「現代に生きるケインズ」よりちょっとはマシだが。その他の批判も、世の中がケインズ様のおおせの通りになっていないというグチに終始している。

 ケインズだけにしか関心のない人なら読んでいいかもしれない。でも、いまの世界にケインズがどう関連しているか、というのが知りたい人は、手を出す必要はない。ケインズであっても、原理主義は悪い方向にしか働かないという見本ではある

ケインズ神学に堕した、視野の狭い本。, 2011/8/15

 同じ新書で、前の同著者のケインズ—“新しい経済学”の誕生 (岩波新書)は、歴史的背景から理論的な解説までバランスよく扱い、とてもよい本だった。しかしこの本は、ケインズをひたすら神格化し、ケインズ様の偉大なる御理論をその後の論者たちがいかに誤解歪曲してしまったかをひたすらあげつらうにとどまる、ケインズ神学の本でしかない。

 2001年の本なので、ケインズ経済学に対しフリードマン、ルーカス批判、ニュークラシカルみたいな流れはすでにあったはず。通常、ケインズに対する新古典派反革命というと、この流れの話だと思うのが一般的な経済学理解。

 だが、本書の中で執拗に批判されている新古典派反革命というのは、サミュエルソンのことだったりヒックスのことだったり。ご自分のかなり重箱の隅的な研究の範囲内でしかモノを見ておらず、前著での比較的広い目配りはあとかたもない。歳は取りたくないものだと思う。ぼくはもちろん、クルーグマン的な見方(つまりは伊東が本書で批判しているような、新古典派反革命に汚染された異端理解)に影響されているから、乗数批判とかIS-LM 批判とかは、単にケインズの主張が完全には反映されていないというだけの揚げ足取りに近いんじゃないかとは思う。

 たとえばIS-LMをヒックスがケインズに見せたら「ほぼ異論なし、だけど古典派の理解がちがうんじゃないか」と返事した、というのの後半部分を取りざたしてヒックスのケインズ理解が変なのだ、という。でも、概ねオッケーって言われたんだし、物言いがついたのは古典派理解のほうだし、それをもって IS-LMケインズを歪曲してるという理屈は変では? またケインズはえらい、という一方で、カーンなどの入れ知恵を受け入れたケインズはまちがっていて云々で、いつのまにか伊東の脳内理想ケインズができあがっていて、それに反するものはケインズ本人すらダメって、あなた何様ですか?

 ケインズ学説史の中でならこういう本もありかもしれないけれど、ケインズについての一般・初歩的な理解を得ようと思ってこの本を手に取る人は本当にかわいそう。ケインズの理論の全貌もわからず、また現在(当時)の理論の状況もわからず、ケインズとは細かい話をつつきまわす世界でしかないと思ってしまうだろう。不幸なことだと思う。ケインズを研究しすぎるあまり、それ以外のものが見えなくなってしまった本なので、特に初心者は手にとってはいけない。

1962年の本としての制約はあるが、ケインズの背景から理論までを手際よくまとめた好著。, 2011/8/15

 1962年の本で、ケインズ理論黄金期。一方の日本は安保闘争その他で、マル経が幅をきかせ、ケインズ理論なんてのは資本主義と管理社会の尖兵とされていた時期。本書は、ケインズがいかに当時の古典派経済理論とそれを体制化してしまった政治体制に心を痛め、実際に人々を救う実効性のある経済学を生み出そうとしたかを語る。

 かなり多くのグラフと数式を使ってケインズ理論をそこそこ詳しく説明しているのは立派。ケインズがデフレを批判しインフレをよいものとしたこと、流動性選好等々、説明はかなりわかりやすい。いまだと、これでもむずかしすぎると言われるだろうけれど、むかしの新書はレベルが高かった。

 時代背景もあり、かなりのページをマルクスとの比較に費やしている。また、ケインズ経済学が引き起こした政策的な問題として、軍事支出とインフレを挙げ、理論的には産業ごとの不均衡、独占、そして資本の蓄積がGDP上昇に関連づけられていないことだと指摘。

 当然ながら、その後経済学 (Keynes or otherwise) がたどった道筋(とその破綻)については触れられていないが、いまにして思えば、それに至る萌芽はこの問題点の指摘の中に見られ、著者の理解がそれなりに経済学の当時の状況をよく反映したバランスのよいものだったことがわかる。新しいネタに触れていないという意味では古びた面もあるけれど、いまだに結構いい本だと思う。