- 作者: ロバート・マクナマラ,仲晃
- 出版社/メーカー: 株式会社共同通信社
- 発売日: 1997/05
- メディア: 単行本
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久々にバンコクにきたのに、約束時間までの空き時間が少し中途半端で、せっかくだから部屋で持ってきたマクナマラの回顧録を読み終えた。なんでマクナマラ? 別に理由はない。前から一読して処分すべえと思っていた本で、それがたまたま今のタイミングになったというだけのこと。
本としては、マクナマラのベトナム戦争についての回顧録。生まれて大学に入り、フォード社長になるまでがものの20ページほど、そしていきなり国防長官になって……そしてベトナム戦争の泥沼にはまりこむ。
たぶん、マクナマラ自身としても、書くのがつらい本だっただろうし、また読むのもつらい本。もちろん、当人の弁明ではある。かれ自身は、いろいろベトナム戦争について思うところもあったのに、あとちょっとで戦局が変わるから、とか、これまでの努力が無駄に〜とかウェストモーランド大将の要求や、アメリカが勝てないわけはない、撤退するとはアカどもに利する気か、というワシントンの勇ましい政治家に押しきられ、十分なデータも分析もないまま、弱々しい懐柔策を出すしかなかったというのがその主な記述。
そしてあらゆる部分で「ここでこうしていれば」「あそこでもっと見通しについて関係者に議論させれば」「北ベトナムとの交渉をもっと進めていれば」という後悔と自責の念だらけ。
かつて、『ベスト・アンド・ブライテスト』の書評で、外部から見たこの人々についての見方について書いたことがある。
マクナマラの本書での記述は、まさにこの「ああすれば」「こうすれば」「でも自分は、だれそれは、そういうことはできなかった」という話に終始する。それをこうやってきちんと書いたのは誠実だとは思う。自分の失敗——それも何度も続いた失敗——をここまで認めた頭を下げたのは立派だとは思う。当時のマクナマラに深い遺恨を抱く軍人が、「どの口で言うか!」と思いつつも本書を読んで、それでもこれが書かれたことは評価する、と言った意味はよくわかる。
でも……弁明するつもりはないと言いつつ、やはり弁明に思えてしまうのも事実。ああすればよかった、というのは、どうすればできるようになるんだろうか。自分はこの泥沼が見えていて止めようとした、というのは立派だけれど、それができるためには何が? うがった見方をすれば、マクナマラが一人でいい子になろうとしているような印象さえある。
特にそれは、マクナマラが辞めてすぐに世界銀行の親玉になっちゃうあたりの脳天気ぶりとか、そして自分がやめてすべてが終わりという、ベトナム戦争の記述にしてもいささか中途半端な感じが否めないところとかにある。本書でかれが認めているくらいの失策、無策を続けたあとで、いきなり世銀の親玉になれるというのは——だってまさに、ベトナムでの失敗の原因は途上国の状況とかかれらの背景とかわかってなくて、傲慢にいろいろアメリカの優位性を押しつけようとしたからだ、と言った舌の根も乾かないうちに、それを世銀で続けようとするってのはどういうこと??——ぼくにはとても理解できないし、彼の本書で言っている反省がどこまで本気なのかも怪しいという気がする。いや、本気なんだろう。でも、本気でもやっぱり本当はわかってないな、という印象はどうしてもしてしまうのだ。
最後の、冷戦後の世界の見通しとかの話も、その後の変な状況を知っているぼくたちからすると、まあ教科書的な印象は否めない。でも一方で……いまのアメリカ政府に、このくらいの人たちがもっといれば、という気はする。大統領にしても、リンドン・ジョンソンもルーズベルトもニクソンもケネディも、いまのヤツに比べれば後光が差して見えるし、国をどうしようという考えはあった。それがいまや……
処分する前に、一回読んだのはよかったと思う。たぶん、二度目は読まない、というかこのままバンコクに捨ててくるので、読みようもないのではあるけど(図書館で借りる手はあるか)。それでも……上の「ベスト・アンド・ブライテスト」評の冒頭に書いた大学時代のぼくの感想通り、なんのかの言っても、おまえら仕事もっときちんとすればよかったんじゃん、という気はするし、どうしても弁明でしかないという印象はまちがいなくある。それが、ここまで悲しいものではあっても。
山形浩生の「経済のトリセツ」 by 山形浩生 Hiroo Yamagata は Creative Commons 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。