Castaneda, The Life and Death of Che Guevara: 闘争論ならぬ逃走論としてのゲバラ伝?

乗りかかった船なので片づけてしまおう。メキシコの政治学者によるゲバラ伝。

これまたアンダーソンのものタイボIIのものと並び、1997年に出版されている。他の二つと比べて、この伝記のすばらしいところは、短いこと。わかったことをなんでもかんでも詰め込むのではなく、様々な情報提示において、検討すべき仮説があって、それに対する証拠または反証という形でいろいろなできごとが提示されるので、読んでいて自分がいったいなぜこんなディテールを読まされているのかという迷子感に陥るようなことはまったくないのがうれしい。

同時に、これまでの他の研究や伝記とはどうちがうのか、という点についても明示的。これもとってもありがたい。特に議論のない部分については、基本的な事実提示ですっきりまとめられるので、「そんなの知ってますって」的なうんざり感もない。まあこれは、物好きに出ている伝記を片っ端から読んでいるぼくみたいなヤツだけにありがたいのかもしれないけれど、それでも『モーターサイクル・ダイアリーズ』に出てきた話を全部繰り返したり、みたいなことはしないでくれる。

もちろんこれが出たときには、アンダーソンやタイボIIの伝記は出ていなかったので、そっちとの比較が出ていないのは不満ながら仕方ないネー。

本書は、ゲバラには好意的ながらも、その欠点について——青臭い世間知らず——は手厳しい。特に、キューバの工業大臣になってからの彼の失策ぶりについては非常に分析がしっかりしている。理想に燃えたが社会がその理想についてこれなかった、みたいなゲバラびいきの本にありがちな言い逃れはまったくしない。企業の国有化と、企業取引でお金の利用の廃止というゲバラの政策とその影響などについても明確。革命直後の粛清については、大規模なものではなかったことを指摘しつつ、同性愛者その他の強制収容所を創ったりした汚点や、ボランティア/革命への奉仕と称してサービス残業を強要したり賃金未払いをやらかしたりといった点もふれ、そしてそうした点について、何かごく一部の些末なできごとだったかのように言いつのる主張に対しては、彼がキューバ全国のあらゆる産業を国有化して支配する立場にあり、それが決して些末ではなかったこともちゃんと述べる。

その一方で、ゲバラがその失敗をまっ先に自ら認め、なんとかしようと頑張りはしたことについては、同情的ではある(が、結果的にどうしようもなかったことはごまかさない)。

また政治的な面でのおめでたさについても、やはり手厳しい。ゲバラは現実知らずで、したがってあらゆるものについてすさまじく教条主義的な見方しかしなかった。だから、革命直後の世界漫遊旅行で、スカルノ大絶賛とかしている。民族蜂起は必ず社会主義につながり、それは必ず他国の社会主義を助けるはずで、必ず世界革命を目指すはずで、というきわめて単純な図式しかなく、おかげであちこちで見事に手玉に取られていることを指摘するあたり、政治学者の面目躍如。

そして、意見が分かれるところだろうけれど、彼の視点で非常におもしろいのが、ゲバラの様々な活動が実は人生の逃避だった面もそこそこあるという指摘。

たとえば『モーターサイクル・ダイアリーズ』などの南米バックパッカー旅行については、単純に世界を見たかったんだー、みたいな若者の脳天気な志向、つまりお金持ちのモラトリアムとして描かれることが多い。この本は、それを否定しないまでも、ゲバラの両親の不和と母親の病気や締め付けの影響を重視し、そこから逃避したいという側面があったと述べる。

さらに、ゲバラカストロと深入りしてキューバ革命に参加したのも、政治的な志向その他について述べる一方、マイナーな要因として、最初の奥さんイルダ・ガデアとの結婚の崩壊と、そこから逃避したいという側面があったと述べる。もともと二人はお友だち/同志にすぎず、結婚はできちゃった婚みたいなもので、メキシコの頃にはゲバラが「結婚もうダメだー」みたいな手紙を書いたりしている。もちろん、家庭がうまくいかないだけで革命に飛び込むやつはいないし、著者もそれがメインとは言わないけれど、でも三番目くらいの原因ではあるんじゃないか、とのこと。

そしてもちろん、コンゴ行きはキューバでの行政的な失敗からの逃避だ。そしてそれは、ある意味でカストロとの距離感によるものでもある。カストロは、ずっとチェ・ゲバラはとてもひいきにしてきて、他のヤツなら一撃で更迭されるところをずっとお目こぼしをもらっていた。でも一方で、カストロゲバラと何でも同意するわけではなく、ずっと政治的なたちまわりもうまく、各種失策とともにゲバラを周縁的な立場においやり、そしてキューバソ連の属国的な立場に持っていった。ゲバラコンゴ行きは、そうした状況からの逃走でもある。

そしてボリビアはさらにその失敗からの逃避であり……

そのボリビアでつかまったときも、他の多くはもはやゲバラは死を覚悟していたのだ(それを英雄的にとらえるか、悲劇的にとらえるかはさておき)と述べる。でも本書は、それを疑問視する。死ぬなら戦って死ぬほうが確実なんだけれど、ゲバラは投降してつかまる。彼は自分のマスコミ注目度からして、自分は殺されないだろうとたかをくくっていた面がある、というのが本書の指摘。だから、処刑はすでに決まっていると言われたときにかなり取り乱した、という報告を述べている。他の文献で投降時に「おれはチェ・ゲバラだから、死んでいるより生きているほうが価値が高いぞ」とボリビア政府軍に対して言ったという説も紹介されているし、まったくの無根拠でもなさそう。その死すら、ある種自分がこれまで戦ってきたゲリラ戦からの逃げではあった……まあそれはちょっと可哀想な見方ではあるんだけどね。

ちなみにアンダーソンの伝記だと、射殺されることを伝えたCIAのエージェントであるロドリゲスに対して、最初は蒼白になり、それから「それなら生きて捕まるんじゃなかった」と述べたそうな。

些事に押し潰されない、「なぜ?」という意識を常に持つ伝記として、ぼくは悪くないと思う。特に、すでにゲバラの生涯について(劇画版でも読んで)だいたいのことを知っていればなおさら。その後の死体発見とかについては特に触れていないけれど、それは情報としては大きなものでも、彼の生涯やその役割を知る上では重要なものではない。

なお前に何度か出てきた、ボリビアでのゲバラの部下の生き残りブストスは、カスタニェダが自分の話を聞きにスウェーデンまで来ようとせず(電話その他で何度もコンタクトはしたそうな)、したがってボリビアの話をレジス・ドブレの我田引水にばかり頼っていることを批判している。